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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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前へ前へと進むだけでなく、歩む喜び [2022年11月28日(Mon)]
予期せぬことは起きる。
先週水曜日(11/23)の夜、実家から千里に自転車で戻る途中、転倒。
お酒は飲んでなかったのですが、雨が降りだして激しくなる中を、
ワールドカップの日本戦が始まる前に帰りたかったし、
その前にシャワーも浴びたいしと、スピードの出しすぎでした。

事故は自転車の転倒で、雨が降る夜道をスピードの出し過ぎが原因ですが、
もっと言えば「心ここにあらず」でした。

その時の私の心は、10時キックオフのワールドカップの日本戦にあり、
家に帰ったらシャワーを浴びて着替えて冷蔵庫からビールを出してテレビの前に、
よし間に合うと、まったく「心ここにあらず」。
事故現場は、自宅からほど遠くなく、
されど、心は前へ、前へと先に進んで、
今ここ(雨が降っている夜道)にあらず
でした。

悔やんだところでどうなるわけでなし、病院へ。
MRIで脳の損傷は認められず、レントゲンで骨や膝に損傷は認められず。
不幸中の幸いとはいえ、お粗末なことです。

骨や脳に損傷はなくても、痛みや腫れはひどく、
歩くことはもとより、立ち上がるのも動き出すのも一苦労で、
予定はオンもオフもすべて取りやめて、ひたすら安静。

勝手なことでご迷惑やご心配をおかけしましたが、
その立場になって初めて分かることがあると言われるように、
当たり前が当たり前でなく、それゆえ有り難い」ことも身に染みました。
とはいえ前科は数え知れず、懲りない我が身が情けないです。

森田真生『偶然の散歩』より――
三歩進んだと思ったら、四歩下がる。そんな毎日である。
だが、思うようにいかないことは、悪いことばかりではない。
思う通りにいかないからこそ、思わぬ方向に道が開ける
速く進みたければ一人で歩め。
遠くまで行きたければ、みんなで歩め。
これは、アフリカのことわざだという。
三歩進んだと思ったら、四歩下がる。その七歩の歩みを、
僕は書き残すようにしている。
速く進めないことにもどかしさを感じながらも、
何が「進む」なのかを決めつけている自分の思い込みを、
解きほぐしてくれているのが子どもたちなのだと気づく。
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水前寺清子さんなら「3歩進んで2歩下がる」で「1歩前進」、
2歩下がっても1歩「前に進む」ことに価値があり、休まないで歩けるんるん

「3歩進んで4歩下がる」では、1歩後退(後進)で、
漫才なら「あほ、1歩下がっとるがな」とツッコミになるところが、
森田さんは「7歩の歩み」に価値を認める。

今まで、「進歩無限」と自分を鼓舞して叱咤激励し、
前へ前へと進む生き方を当然としてきましたが、
前へ前へと進むだけでなく、
 歩む喜び、散歩の楽しさを大切にしたい
」に共感です。

森田真生『偶然の散歩』より――
何度も転び、そのたびにまた立つ。そうして試行錯誤を繰り返しながら、
僕たちは歩くことを全身で体得してきた。
転ぶたび、そして立つたびに、人の身体は賢くなっていくのだ。
あっちへ走り、こっちへと駆け、ズデンと転んではぎゃあと泣きながら、
子どもは身体の知性を鍛える。
それに比べ、ちっとも転ばなくなってしまった自分は、
どこか停滞しているのかもしれないとも思う。
(…)
転んでも転んでも立ち上がるしぶとさ。
それと同時に、立ち上がってもなお、いつでも転べる勇気と身軽さ。
そのどちらも失わないでいたい
と思う。

「七転び八起き」について、今まで深く考えることなく、
8勝7敗のイメージがありましたが、
7回転んで8度目は起き上がったということなら、
勝ち負けでいえば8戦で1勝7敗です。

こんなことに気づくのに何べん転けとるんや!のお叱りごもっとも。
でも、これもケガの功名ということで。

以下、『老子』の第63章――
(書き下し)
無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。
小を大とし、少を多とし、怨みに報ゆるに徳を以てす。
難を其の易に図り、大を其の細に為す。
天下の難事は、必ず易より作り、天下の大事は、必ず細より作る。
是を以て聖人は、終に大を為さず、故に能く其の大を成す。
夫れ軽諾は必ず信寡く、易しとすること多ければ必ず難きこと多し。
是を以て聖人は猶お之を難しとす。故に終に難きこと無し。

福永光司『老子(下)』朝日文庫
無為をわがふるまいとし、
無事をわがいとなみとし、
無味をわがあじわいとする。
小には大を与え、少なきには多きを返し、
怨みに報いるには徳をもってする。
困難な仕事は容易なうちに手をつけ、
大きな仕事は小さなうちに片づけてゆく

世のなかの難事は、いつでも安易なところから生じ、
世のなかの大事は、いつでも些細なところから起こる。
だから無為の聖人は決して大事を為そうとはせず、
かくて大事を成しとげるのだ。
いったい安請け合いは、めったにあてにならず、
易しく考えすぎると、きっとひどい目にあう

だから無為の聖人は、容易な事でも難しく取りくみ、
かくて少しも困難が起こらない
のだ。

加島祥造『タオー老子』ちくま文庫
「無為」―― 為スナカレ
これは何もするな、ってことじゃない。
餘計なことはするな、ってことだよ

小知恵を使って次々と、
あれこれの事を為スナカレ、ってことだよ。
私たちが手を出さなくとも、
タオの力が働かしてくれるからだよ。
われらを運ぶ大きな流れがある
と知れば、
小さな怨みごとなんて、
流れに流してしまえるんだ。
大きなエナジーは
この世に働くとき、はじめ
小さなものとして現われる、
そして大きなものへと育ててゆく。
だから、難しいことだって
小さなうちにやれば、易しいんだ。
大きなことは、まだ
小さいうちにやれば簡単なんだ

結局、政治だって、
大きな問題にならないうちに片づければ、
あとは手を出さずにすむ。
世界の大問題だって、みんな
小さなことから次第にこんがらかったのさ。
だから、タオの人は、
小さなうちにことを仕上げておく。じかに
大きなことに取っかからない。
だから、かえって大きなことが仕上がる

まだ柔らかくて小さなものを
手軽く扱おうとしてはいかんよ。
たとえば、他人の頼みを
何でも安請けあいする人が、
信じられないのと同じ
さ。
タオの人は、
小さなことの中に
本当の難しさを見る。そして
慎重にやる
から、それが
大きくなった時、
ちっとも難しいことでないのさ。

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。