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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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随処作主 立処皆真 [2021年05月22日(Sat)]
人は仕事を通じて成長していくものです。
自らの心を高め、心を豊かにするために、精いっぱい仕事に打ち込む
それによって、 よりいっそう
自分の人生をすばらしいものにしていくことができる
のです。
稲盛和夫『生き方』


河合隼雄『老いるとはどういうことか』より――
34「ほんとうの供養」
 世のなかには、働きたいと思っても働けない人もいる。
身体や精神の障害があるために、なかなか働けないのである。
私がお会いする方たちのなかにはそんな人がおられる。
 病院に入院しているが、病院内での軽作業くらいならできる、
という程度の方が、次のようなことを言われた。
 自分は最近、母を亡くしたが、自分は今は何の収入もないので
母のために何かするということはできないしかし院内の作業で
入院中の老人たちのためのおむつをたたんで整理する仕事を
しているとき、そのおむつのひとつひとつを扱うのが

母への供養と思ってやっている、というのである。
 この話を聞いて、この方の母を思う気持ちの深さに心を打たれたが、
それに加えて思ったことは、その病院内で、
おそらく「寝たきり」などと言われている老人の方々が
この人の母への供養に貢献しておられる、ということである。
 何もせず寝ていて、おむつをかえてもらっているだけと思う人も
あろう。しかし、私には、そのような老人の一人一人のたましいが
母を失った人の心を慰め、その供養に日夜参加している
というイメージが見えてくるのである。
 毎日働けることはありがたいことだ。それによって
われわれはお金や物や多くのものを得ている
しかし誰かの供養のために
「ほんとうに」参加するなどということをしているだろうか


私たちが自分の人間性を向上させたいと思ったとき、
そこにむずかしい修行などは必要ありません。
ただ、ふだんのくらしの中で自分に与えられた役割
あるいは自分が行うべき営為を
――それが会社の業務であろうと、
家事であろうと、勉学であろうと――
粛々と、倦まず弛まず継続していくこと。
それが、そのまま人格鍛錬のための修行となるのです。
すなわち、日々の労働の中にこそ、心を磨き、高め、
少しでも悟りに近づく道が存在しているということです。
稲盛和夫『生き方』

山田無文・中内功『あきないと禅』より――
「菩提心とは自末得度先度他」と道元禅師の示されておられるように、
自分は後でよいから、まず他を救おうと誓うことです。ところが、
他のため、社会のため、人類のためという、その「ため」という言葉を、
(…)、
決して「ため」じゃない。相手の中に精神を集中することによって
自分を忘れてしまう
のだと思う。
花の美しさに見とれて自分を忘れる
月の美しさに見とれて自分を忘れる
(…)
この「自分を忘れる」ということ、これが仏教でいう菩提心です。
この自分を忘れる境地は、素直に相手を受け入れる境地なのです。
(…)
完全に自分を忘れ、自分は何もないとわかれば、
そこに、すべてから解放された自由な自分が発見されます。
何ものからも解放された、いわゆる無心の境地です。
会社に出たら会社のことだけ、
家に帰ったら家の事だけ、会社のことも忘れる。
飯を食う時は飯だけ、風呂に入れば風呂だけ、
その時その時、その場その場に全力を注いで、あとに何も残さない
そういう自由な心境というものがわかるならば、
結局それが人生の最高のものではないかと思いますね。


アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ(=「無私」)
He dose not consider himself
ロジャー・パルバース『英語で読み解く賢治の世界』
/岩波ジュニア新書

悪事を己に向かえ 好事を他に与え
己を忘れて他を利するは 慈悲の極みなり
「忘己利他」伝教大師

自分がなすべき仕事に没頭し、工夫をこらし、努力を重ねていく。
それは与えられた今日という一日、いまという一瞬を
大切に生きる
ことにつながります。
仕事の現場が一番の精神修養の場であり、
働くこと自体がすなわち修行なのです。日々の仕事に
しっかり励むことによって、高邁な人格とともに、
素晴らしい人生を手に入れることができるということを、
ぜひ心にとめていただきたいと思います。
稲盛和夫『生き方』

My third story is about death.
When I was 17, I read a quote that went something like:
"If you live each day as if it was your last,
someday you'll most certainly be right
."
It made an impression on me, and since then, for the past 33 years,
I have looked in the mirror every morning and asked myself:
"If today were the last day of my life,
would I want to do what I am about to do today?
"
And whenever the answer has been "No" for too many days in a row,
I know I need to change something.
3つ目の話は死についてです。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、
その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、
私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
「もし今日が最後の日だとしても、
今からやろうとしていたことをするだろうか」と。
「違う」という答えが何日も続くようなら、
ちょっと生き方を見直せということです。
Steve Jobs ”Stay Hungry. Stay Foolish” June 12, 2005

足るを知る「吾唯足知」/龍安寺
P1010817.JPG

融通がきかないからこそ、人はまた真剣にもなるのであって、
融通無碍もいいが、
融通のきかないことにもまた一徳がある。
人はさまざま。事はさまざま。いろいろと気苦労なことであるが、
人生の最後には融通のきかない一線があることを知って、
つねひごろから心がけをよくしたいもの。
こんなことはわかりきったことだが、分かり切ったことだけに、
何度も自分に言い聞かせておきたいものである。
「年の瀬」/松下幸之助『道をひらく』

「随処作主 立処皆真」臨済禅師
(ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり)

P1030315.jpg
生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸」

とかく、わたくしどもは、結果を求めることばかり焦って
脚下がお留守になり、今日のつとめを怠りがちでありますが
そこに失敗の原因があります
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります

「太閤さんの心がけ」/山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』

今日を懸命に生きる。今日を完全に生きれば明日が見える。
稲盛和夫『心を高める、経営を伸ばす』

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「日々是好日」

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。