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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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宅配ドライバーが走る理由 [2021年05月21日(Fri)]
今週火曜日(5/18)放送のNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』は、
ヤマトの宅配ドライバーの永澤さんでした。
「普通だけど普通じゃない」
「永澤が荷物を運べば、町の空気が変わる」
 ――「空気清浄器ですよ」
そして
「永澤は、常に、今もっとも配慮すべきことは何かをすばやく判断していた

番組の冒頭から、永澤さんが「走る」シーンの連続。
お届けする荷物を持ってお客様のもとに走り、
用が済んだらトラックまで戻るために走る

宅配ドライバーは、なぜ走るのか?
―― 仕事に追われているから
時間に追われているから
お客様に荷物を早く届けるため
お客様にご満足いただくため
生産性を高めるため

永澤さんの回答は、そのいずれでもありません。
その意識レベルの高さにガツンと一撃くらわされました。

安全運転・安全確認する時間を確保する
お客様からご要望とかご質問があったときに
 ゆとりを持って答える時間を自分で作っていく

システム導入やマニュアル化などの業務効率化の取り組みも、
永澤さんのような高い意識レベルがあって初めて「魂」がこめられる、
そう受け止めました。
普通だけど普通じゃない」に納得です。

人と人を、つなぐ
ラストワンマイルを担う永澤さんだけでなく、
ヤマトがワンチームでそれぞれが各自の役割を果たし
リレーの襷をつないで届けているのは、
単にモノとしての荷物ではなく、
モノに込められたお客様の「心」と「心」が通い合う

苦労の数だけ、笑顔に変わる
自分が苦労した分だけ、お客さまや共に働く仲間が苦労が減り、
そして笑顔に変わり、みんなの笑顔に自分も笑顔になれる。
番組を通じてその姿が映し出されていましたが、
永澤が荷物を運べば、町の空気が変わる
「空気清浄器ですよ」に納得です。

「頑張ってはいるんですけど、
それがお客さんから大変そうだなとか、
忙しそうだからっていうのはマイナスしかないと思う
ので、
お気軽にお声がけもしてほしいですし、
お客さんが「あぁ よかった」ぐらいでいいっす。
「あぁ よかった」って思ってもらえればいい、
そういうふうに思ってやってますね」

無有虚偽諂曲之心 和顔愛語 先意承問/『無量寿経』
IMG-7131.jpg
嘘偽り(うそいつわり)や自分の気持ちをまげて媚び諂う(こびへつらう)心なく
和らかな表情と愛情ある言葉で接し(にこやかに微笑んで、やさしく話し掛ける)
相手の意を承って問いただす(相手の心持ちを先んじて知り、その思いを満たす)

実のところ、永澤さんの気配りや心配りは半端なく(普通じゃない)、
色々とご苦労されているのですが、
その苦労にやらされ感や自己犠牲なんて微塵も感じさせないし、
お客さまはそんな永澤さんと会えるのを心から楽しみにしておられるし、
共に働く仲間もお互いに協力し合って生き生きと働いておられる
間違いなく、プロの仕事であり、プロの仕事人です。
IMG-6816.jpg
「笑門来福」

番組では、かつて永澤さんが屈折されていた頃のことも紹介されますが、
その永澤さんが、宅配ドライバーの仕事に出会って、
仕事を通じて「心」が磨かれて高められていく

宅配ドライバー永澤さんの満面の「笑顔」には、
日々お客様と接する現場で鍛え抜かれた人間の「美しさ」を感じました。

たまたま、日曜(5/16)の夜に、NHKのBS1で
「何も求めず ただ座るだけ〜自給自足の禅寺 安泰寺の1年〜」に続いて
「永平寺 禅の世界」の再放送と、厳しい禅修行のドキュメンタリーを見ましたが、
厳しい修行とはいえ、所詮は寺の中でのことです。

宅配ドライバー永澤さんの素晴らしい「満面の笑顔」を見て、
自分の仕事がエッセンシャルワーカーか、
ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)に関係なく、
日常の仕事や生活こそが修行」であり、
その意味で「日々自分が試されている」と受け止めました。

以下、松下幸之助『道をひらく』より――
「心を高める」
禅の修業はなかなかきびしい。
ちょっと身じろぎでもすれば、たちまちパンパンと警策がお見舞いする。
痛いとも言えないし、苦しいとも言えない。
きびしい戒律にとりかこまれて、箸の上げ下げすらも自由でないのである。
自堕落になれた人間には、瞬時もがまんならないであろう。
しかしこのきびしい戒律も、回を重ね、時を経るに従って、
それがしだいに苦痛でなくなってくる。
戒律を戒律と思う間は苦痛である
しかし、その戒律がいつしか身につき、
日常坐臥に自然のふるまいとなってあらわれる時
もはやそれは苦痛ではない
そして、このきびしさを苦痛と感じなくなったとき
そこからきたえぬかれた人間の美しさがにじみ出てくるのである。
人間は本来偉大なものである。みごとなものである。
しかしそのみごとさは、放っておいてはあらわれない。
易きにつくのが人間の情であるとしても
易きがままの日々をくりかえすだけならば
そこにはただ、人間としての弱さが露呈されるだけであろう。
おたがいに与えられた人間としての美しさをみがきあげるために、
きびしさを苦痛と感じないまでに心を高めたい
ものである。

「心の鏡」
自分の身なりを正すためには、人はまず鏡の前に立つ。
鏡は正直である。ありのままの姿を、ありのままにそこに映し出す。
自分のネクタイは曲がっていないと、がんこに言い張る人でも
鏡の前に立てば、その曲直は一目りょうぜんである。
だから人は、その誤ちをみとめ、これを直す。
身なりは鏡で正せるとしても、
心のゆがみまでも映し出しはしない。
だから、人はとかく、自分の考えやふるまいの誤りが自覚しにくい。
心の鏡がないのだから、ムリもないといえばそれまでだが
けれど求める心、謙虚な心さえあれば、心の鏡は随処にある
自分の周囲にある物、いる人
これすべて、わが心の反映である。わが心の鏡である
すべての物がわが心を映し
すべての人が、わが心につながっているのである
古えの聖賢は「まず自分の目から梁を取りのけよ」と教えた。
もうすこし、周囲をよく見たい。
もうすこし、周囲の人の声に耳を傾けたい。
この謙虚な心、素直な心があれば、人も物もみなわが心の鏡として、
自分の考え、自分のふるまいの正邪が、
そこにありのままに映し出されてくる
であろう。

「何でもないこと」
何事においても反省検討の必要なことは、今さらいうまでもないが、
商売においては、特にこれが大事である。
焼芋屋のような簡単な商売でも、一日の商いが終われば、
いくらの売上げがあったのか、やっぱりキチンと計算し、
売れれば売れたでその成果を、売れなければなぜ売れないかを、
いろいろと検討してみる。
そして、仕入れを吟味し、焼き方をくふうし、サービスの欠陥を反省して、
あすへの新しい意欲を盛り上げる。
これが焼芋屋繁盛の秘訣というものであろう。
まして、たくさんの商品を扱い、たくさんのお客に接する商売においては、
こうした一日のケジメをおろそかにし
焼芋屋ででも行なわれるような毎日の反省と検討を怠って
どうしてきょうよりあすへの発展向上が望まれよう
何でもないことだが、この何でもないことが何でもなくやれるには、
やはりかなりの修練が要る
のである。
平凡が非凡に通ずるというのも、この何でもないと思われることを
何でもなく平凡に積み重ねてゆくところから
生まれてくるのではなかろうか。

今日を懸命に生きる。今日を完全に生きれば明日が見える。
稲盛和夫『心を高める、経営を伸ばす』

とかく、わたくしどもは、結果を求めることばかり焦って
脚下がお留守になり、今日のつとめを怠りがちでありますが
そこに失敗の原因があります
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります

「太閤さんの心がけ」/山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』

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「日々是好日」

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。