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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
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敬意と思いやる心で先意承問「先義後利」 [2021年05月05日(Wed)]
何事でも感謝の心を持つことが大切だということだと思います。
感謝の心を持てば、それはいろいろな形になって自分に返ってきます
その自分に返ってくることを期待して
感謝の心を持つというのではいけません
が、
自分の置かれた立場なり他人からの恩恵なりに素直に感謝できる人、
言いかえれば喜びを知る人というのは、非常にしあわせな人だと思います。
これは、商売に限らず、私たちの人生すべての面にもあてはまる
人間としての大事な基本と言えるのではないでしょうか。
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』

「感謝の心」を持てば、自分に「利他〜ん」ぴかぴか(新しい)
「喜びを知る人」というのは、非常にしあわせな人
★人の喜びが、自分の喜び
★人の悲しみは、自分の悲しみ
――「己を殺す」や「自己を捨てる」は、我慢や自己犠牲の世界ではなく
友愛と共感の世界(お返しや施しを求めず、人のためにつくす)
「己れを忘れて他を利する(忘己利他)は 慈悲の極みなり」最澄

君たちは、いつの時代でもそうであったように、
自己を確立せねばならない
自分に厳しく、相手にはやさしく、という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
司馬遼太郎『21世紀に生きる君たちへ』


心を穏やかにさせるには思いやりを持つことが大事である。
一切の私心をはさまずに物事にあたり、人に接するならば、
心は穏やかで余裕を持つことができるのだ。(渋沢栄一)
IMG-9310.jpg
千里の氏神さま、上新田天神社にて

心に余裕がないと思いやりの心は持てないと思うのですが、
そこが凡人の浅はかさ、渋沢栄一との違いか。

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「思いやる心」
(…)
人と人とを互いにつなぐものは、お互いに相手のことを思いやる心。
ちょっとしたことにも、思いやる心から泉がにじみ出る

そのうるおいがなくなったとき、
人と人との間は、パサパサのポクポク。
こまかいこまかい土の粒子のような、
何のつながりももたない人間の寄り集まりになって、
ちょとしたことにも、個々バラバラに舞いあがる。
どっしりとした大地を支えるものは水。
どっしりとした人間の共同生活を支えるものは、他を思いやる心
世の中がどんなに変わ っても、お互いに
この心の泉までも枯らしたくないと思うきょうこのごろである。

和顔愛語、先意承問(わげんあいご、せんいしょうもん)
IMG-7131.jpg
言葉とともに描かれた阿弥陀三尊が心を和ませてくれます。
(中央に阿弥陀如来、その脇に観音菩薩と勢至菩薩)

―― 無有虚偽諂曲之心、和顔愛語、先意承問『無量寿経』
虚偽諂曲〈こぎてんごく〉の心あることなく、和顔愛語して、先意承問す。
嘘偽りや自分の気持ちをまげて媚び諂う心なく
和らかな表情と愛情ある言葉で接し
にこやかに微笑んで、やさしく話し掛ける
相手の意を承って問いただす
相手の心持ちを先んじて知り、その思いを満たす


先月末、ブラインドサッカーOFFT!MEから、
オンライン開催のセミナー(4/30)の案内が届きました。
その案内で、ブラサカとは別のもう一つの視覚障がい者サッカーとして、
弱視の選手で構成される「ロービジョンフットサル」を知りましたが、
案内本文に先立って記された注意書きに感心させられました。

「音声読み上げでの操作など、
 本画面からのお申込が難しい場合はメールにてご連絡ください」に続いて
「当日は字幕を出すため、聴覚に不安がある方もご参加いただけます」です。

セミナーの主な対象は、目が見えない人や見えにくい人と思われますが、
視覚障害の方だけでなく、聴覚にハンディのある方にも配慮されて、
しかも、その記述が開催案内の最後の付け足しでなく
本文に先立って案内のしょっぱなに記載されていました。

素晴らしいです。今まで気づかなかっただけかもしれませんが、
こんな案内に出会ったのは初めてです。

突然ですが、クイズです。
学校の教室で黒板は東西南北どちらにありましたか?
小学校は?、中学校は?、高校は?
なぜ、そうなのでしょう?
法律で決められているからですか?

3月に放送のNHK土曜ドラマ『きよしこ』に深い感銘を受け、
ドラマ原作の重松清さんの『きよしこ』、
そして『青い鳥』を読みました。
IMG-9277.jpg

『きよしこ』は、NHKのドラマで取り上げられた3編だけでなく、
7編いずれの話も心に深く感じ入る話でしたが、
個人的には『北風ぴゅう太』が何より心に沁みました。

小学校卒業のお別れ会で演じる劇の台本を読んだ先生が、
「おまえはお話をつくるんはうまいけど、
 まだ大事なことがわかっとらん」
「通行人Aやら通行人Bやら、なんじゃ、それは。
 おまえ、世の中に『通行人』という名前のひとがおる思うんか?」
「あたりまえじゃろが、通行人いうても、このお話の中でたまたま
 脇役じゃったいうだけで、そのひとにとって自分が主人公なんよ。
 そうじゃろ? みんながほんまは主人公で、たまたま
 お話の中で主人公と脇役に分かれただけのことよ。それを
 忘れたらいけん。せめて名前ぐらい、しっかり付けちゃらんか」

一人ひとりがドラマの「主人公」で、
その瞬間瞬間がドラマの「本番」、ということでしょうか。
今まで、通行人という配役に疑問を持ったことは一度もないです。

そして、先ほどのクイズは『青い鳥』を読んで初めて知りました。

クイズの答えは、黒板の位置は西側で、南側は窓です。
その理由は、ノートを書くときに手元が影にならない配慮とのこと、
ならば、右利きはそれでいいとして、左利きは手元が影になる、
それでいいのかと、吃音の村内先生の問いかけが続きます。

私自身、コロナワクチンの高齢者先行接種の対象で、
65年近く人生やってきて、今まで、黒板の向きを意識したことなく、
なぜそうなのかまったく疑問を抱くことなく、
カンペキに思考停止でした。

ネットで拾った情報で真偽は確認していませんが、
法律で定められていることについてこんな情報がありました。
―― 明治28年の「学校建築図説明及設計大要」に
「教室ノ形状ハ長方形トシ室ノ方向ハ南又ハ西南、東南トシ
 凡テ光線ヲ生徒ノ左側ヨリ採ルヲ要ス」とあり、
これが左側に窓がある教室が多い理由のようです。

明治の時代の因習がそのまま引き継がれているだけなのか、
今どきは太陽より目に優しい光線あるし、
右利きか左利きかに関係なく影にならんこともできるでしょうし、
教室の形も長方形にこだわる必要ないかも。
いやいや、常識に囚われて、疑問を持たず、思考停止です。

みんな囚われすぎだ!と思うんですよね。
余談ですけど「囚」って怖い字ですよね。
人が常識に包囲されているようだ……。
澤田智洋『ガチガチの世界をゆるめる』

松下幸之助『道をひらく』より――
「なぜ」
こどもの心は素直である。
だからわからぬことがあればすぐに問う。「なぜ、なぜ」と。
こどもは一生懸命である。熱心である
だから与えられた答えを、自分でも懸命に考える。
考えて納得がゆかなければ、どこまでも問いかえす。
「なぜ、なぜ」と。
こどもの心には私心がない。とらわれがない
いいものはいいし、わるいものはわるい。
だから思わぬものごとの本質をつくことがしばしばある。
こどもはこうして成長する。
「なぜ」と問うて、それを教えられて
その教えを素直に自分で考えて、さらに「なぜ」と問いかえして
そして日一日と成長してゆくのである。
大人もまた同じである。
日に新たであるためには、いつも「なぜ」と問わねばならぬ
そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、
「なぜ」と問うタネは随所にある

それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く
十年一日の如き形式に堕したとき
その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる
繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである。

素直な心になれば、物事の実相が見える
それにもとづいて、
何をなすべきか、何をなさざるべきかということも分かってくる。
なすべきを行い、なすべからざるを行わない真実の勇気
そこから湧いてくる。さらには、
寛容の心、慈悲の心というものも生まれて、
だから人も物もいっさいを生かすような経営ができてくる。
また、どんな情勢の変化に対しても、柔軟に、融通無碍に順応同化し、
日に新たな経営も生み出しやすい。ひと言でいえば、
素直な心はその人を、正しく、強く、聡明にするのである。
「素直な心になること」/松下幸之助『実践経営哲学』

NHK土曜ドラマ『きよしこ』に深い感銘を受けたのがきっかけで、
新潮社のサイト「考える人」で『きよしこ』の原作者の重松清さんと
『吃音』の作者の近藤雄生さんの対談記事を読んで関心を持ち、
近藤雄生さんの『吃音』を読みました。
102761_m.jpg

エピローグの最後の最後――
だがそれでもなお、どもることは苦しい。
当事者に、重く、執拗に、のしかかる。
70代で吃音のある男性が、ある日羽佐田竜二のもとを訪ねてきた。
吃音を治すための訓練をしたいと言ったという。
羽佐田は答えた。年齢を考えれば、
これからの人生の時間を訓練に使うより、吃音があるままでも
ご自分のしたいことに使う方がいいのではないですか、と。
するとその男性はこう言った。
「残り、時間が……、少ないから、こそ、私は、訓練をしたいんです。
 死ぬ、までに、どうしても、思うように、話すという経験、を、
 してみたいの、です」
おそらくこの言葉にこそ、100万人の人たちの思い
詰まっているのではないかと思う。

本書のあとがきで、近藤さんは、
「吃音は個性である」という考え方に対して、
個性だと一般化することには慎重であるべきだと考える。
個性として社会に認識されれば
困っている人たちの問題を解決する手段が奪われかねない
個性とは思えずに苦しんでいる人たちの気持ちこそ、
より知られるべきだと私は思っている」
と書いておられますが、
本書を読み終えて共感し、近藤さんの主張に同意です。

考えてみれば、今まで、とくダネ!の小倉智昭さんとか、
田中角栄さんとか、映画『国王のスピーチ』のジョージ6世とか、
マリリン・モンローやブルース・ウィリスとか、
そして最近では、バイデン大統領とか、
吃音を克服して活躍したり吃音でも頑張っている著名人の話を
見聞きすることが多かったです。

吃音でもその症状は人それぞれでしょうし
抱える悩みや問題は違って当然のことにも関わらず、
世間の多くは(私も含めて)それらの個々に寄り添おうとしないで、
困難を克服した偉人たちの姿を持ち出して、
「頑張れば困難は克服できる、克服できないのは弱い、ダメだ」と
十把一絡げにステレオタイプ化した意見を展開していたように思います。
自戒です。

先月末に発刊の文庫版には、重松さんの解説あり、
近藤さんの「文庫版あとがき」も秀逸で、いずれも読む価値あり。

文庫版あとがきの最後の最後――
思うように言葉を発せられないことが、
いかに少年の人生を翻弄してきたかを想像する。
そしてこれからの彼の人生に、どのように影響していくだろうかを。
彼が、また彼のように苦悩する少なからぬ人が、
吃音にとらわれずに生きられる社会であってほしいと思う。
そうした社会に少しでも近づくのに、
本書がわずかにでも力になるものでありえたらと、
いま心から願っている。

重松さんは、文庫版の解説の冒頭で、
書店でのトークイベントのことを書いておられるのですが、
「そのイベントには小さな工夫が凝らされていた」で始まります。
そして話が展開された後
「冒頭の一文を訂正する。
 どうやら僕は言葉の選び方を間違えてしまったようだ。
 そのイベントには、吃音の当事者に寄せる小さな配慮があったのだ」

重松さんの解説を読むと、トークは二部構成で、
前半と後半の間の休憩時間に質問や感想を書いていただいたところ、
受付時の配慮に驚くと同時に感謝したという意見が複数あったとのこと。
後半のトークで、そのことを重松さんが近藤さんに紹介すると、
最初に京都でトークイベントした時はそこまで考えが及ばず、
会場の雰囲気から困った方がおられたのを察して申し訳なく思った反省から、
今回はそのようにされたとのこと。
一度やって、反省点を見つけ、次に生かし、それを素直に打ち明けられる。
「うれしかった。
 そうか、『吃音』は、こういう人柄の書き手によって綴られたんだな…」

上からの指示や横を向いて右へならえでなく、
当事者に寄り添う小さな配慮や工夫」が世の中を大きく変える、
と受け止めました。
マイノリティデザインは、人数的に少数派ということだけでなく、
当事者にとって「かけがえのない」小さな配慮や工夫でもあるのでしょう。


★問題(gap)は一律でなく、多様(バラバラ)
★敬意と思いやりの心で「個」に寄り添う
★個々の課題(next action)は、社会の課題
★個々の小さな課題に取り組むことで社会は良くなる
★課題に取り組むのは我われ一人ひとり(他人事ではない)

私たち、重度障害者の存在価値とはなんでしょうか。
私は、「価値のある人間と価値のない人間」という区別や
優劣、順位があるとは思いません。
価値は、人が創り上げるもの、見出すものだと信じているのです。
価値を創り出しているのは人の心です。
これは、唯一人間にのみ与えられた能力だと思います
あるのは、『価値のある人間・ない人間』という区別ではなく
価値を見出せる能力のある人間・ない人間』という区別です。
(海老原宏美さんが東京都知事に宛てた手紙)

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「無限の宝庫」
この世の中に存在するものは、一つとしてムダなものはない
ムダだと思うのは、その活かし方、使い方を知らないだけ
活かし方を知らなければ、すべてのものがマイナスになる
ムダだ、マイナスだと頭をかかえてばかりいたら、
不満に心が暗くなり、せっかくの天与の贈物も猫に小判。
黄金は、猫にとっては何の役に立たない無用の物かもしれないが、
その活かし方を知っている人間にとっては、天下の大宝。
その価値を知らぬ猫の愚を笑いたくもなるが、
笑ってばかりもいられないのがお互いの姿であろう。
無用と思われていたカビのようなものでも、
これを有効に使えば、貴重な働きをすることがわかってきた今日、
この世の中はまさに無限の宝庫である。すべての物はもちろんのこと
マイナスでしかない人間など、本来この世にあろうはずがない
お互いに、もうすこし謙虚でありたい。もうすこし勇気をもちたい。
そして、もうすこし寛容の心を持って、
すべての物が、すべての人が、時と処を得て
その本来の値打ちが活かされるようつとめたいものである。

◆誰もが、思いやりといたわりの心で人と接することができる社会を
築いていきたい。
/小泉内閣メールマガジン(第39号)2002/3/21/首相官邸

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春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」佐藤一斎『言志後録』33
(しゅんぷうをもってひとにせっし、しゅうそうをもってみずからつつしむ)

今年もツバメの巣づくりが始まっているようです。
まだ、ひな鳥の姿は見えませんが・・・
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始発前の阪急電車の某駅にて

糸賀一雄の最後の講義「愛と共感の教育」より――
よほど、「この子らを世の光に」という言葉のもつ重い意味を
お話になりたかったのでしょう。
その「を」が「に」と逆になれば、この子どもたちは
憐れみを求める可哀そうな子どもになってしまいます。
しかし、この子らは、みずみずしい生命にあふれ、
むしろまわりの私たちに、そして世の人々に、
自分の生命のみずみずしさを気づかせてくれる
素晴らしい人格そのものである
のだということを、
おっしゃりたかったのだと思います。
この子らこそ「世の光」であり、「世の光」たらしめるべく
私たちは努力せねばならないのだということを、
園長先生は最後に、そして一番訴えられたかったのでしょう。
◆「この子らを世の光に」/滋賀県ひらめき

『小倉昌男 経営学』より――
私が唱える「サービスが先、利益が後」という言葉は、
利益はいらないと言っているのではない。
先に利益のことを考えることをやめ
まず良いサービスを提供することに懸命の努力をすれば
結果として利益は必ずついてくる。それがこの言葉の本意である。
利益のことばかり考えていれば、
サービスはほどほどでよいと思うようになり、
サービスの差別化などはできない。となると、収入も増えない。
よって利益はいつまでたっても出ない。
こんな悪循環を招くだけである。
つまり、どちらを先に考えるかで、結果は良くも悪くもなる
経営には常にトレードオフ(二律背反)の問題がある。
それに対する正しい対応を考えるのが、経営者の大きな責任である

福井くん、この患者さんは何階に住んでますか?
医師の言葉のかけ方や振る舞いによって、
患者さんが心を開くかどうかは違ってくるのです。
医師の多くは、どういう病名なのかをすぐに探りたくなってしまう。
体調についてのチェックリストを問いただしてしまう。
これは充分に気をつけなければなりません
目の前に「病気がある」のではなく、「病む人間がいる」
そういう考えを根本に持ち、
若い医師はこれから日々学び、実感してほしいと思います。
医師と患者という関係だけでなく
医師である前にひとりの人間として
患者さんに寄り添わなければなりません
『日野原重明 100歳』

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。