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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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己が最大の味方であり、最大の敵である。 [2021年05月02日(Sun)]
岡本太郎『自分の中に毒を持て』より――
よく考えてみてほしい。
あれかこれかという場合に、なぜ迷うのか。
こうやったら食えないかもしれない、もう一方の道は
誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。
それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら
そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、
自分の行きたい道なのだ。ほんとはそっちに進みたいんだ。
だから、そっちに進むべきだ。
ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは
自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。
誰だって人間は弱いし、自分が大事だから、逃げたがる
頭で考えて、いい方を選ぼうなんて思ってたら
何とかかんとか理屈をつけて安全な方に行ってしまうものなのだ。
かまわないから、こっちに行ったら駄目だ、と思う方に賭ける
(…)覚悟はそこにあるんだ。
ほんとうに生きるっていうのは、そういうことだ
(…)
結果がまずくいこうがいくまいがかまわない。
むしろ、まずくいった方が面白いんだと考えて、
自分の運命を賭けていけば、いのちがパッとひらくじゃないか。
何かをつらぬこうとしたら、
体当たりする気持ちで、ぶつからなければ駄目だ

体当たりする前から、きっとうまくいかないんじゃないかなんて、
自分で決めて諦めてしまう。愚かなことだ。
ほんとうに生きるということは、自分で自分を崖から突き落とし
自分自身と闘って、運命をきりひらいていくことなんだ
それなのに、ぶつかる前から決めこんでしまうのは、
もうその段階で、自分の存在を失っている証拠じゃないか。

瞬間、瞬間に、生きる。岡本太郎
IMG-9281.jpg
岡本太郎『自分の中に毒を持て』

岡本太郎『自分の中に毒を持て』より――
「道で仏に逢えば、仏を殺せ」有名な言葉だ。ぼくも知っている。
確かに鋭く人間存在の真実、機微をついていると思う。
しかし、ぼくは一種の疑問を感じるのだ。
今日の現実の中で、そのような言葉をただ繰り返しただけで
果たして実際の働きを持つだろうか。とかく、
そういう一般をオヤッと思わせるような文句をひねくりまわして、
型の上にアグラをかいているから、
禅がかつての魅力を失ってしまったのではないか。
で、ぼくは壇上に立つと、それをきっかけにして問いかけた。
「道で仏に逢えば、と言うが、皆さんが今から何日でもいい、
京都の街角に立っていて御覧なさい。仏に出逢えると思いますか。
逢えると思う人は手を上げて下さい」
誰も上げない。
「逢いっこない。逢えるはずはないんです。
 では、何に逢うと思いますか」
これにも返事がなかった。坊さんたちはシンとして静まっている。
そこでぼくは激しい言葉でぶっつけた。
出逢うのは己自身なのです。自分自身に対面する。
 そうしたら、己を殺せ

会場全体がどよめいた。やがて、ワーッと猛烈な拍手。
これは比喩ではない。
人生を真に貫こうとすれば、必ず、条件に挑まなければならない
いのちを賭けて運命と対決するのだ。
そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。
己が最大の味方であり、また敵なのである
-----------------------
ぼくはいつでも最低の悪条件に自分をつき落とす。
そうすると逆にモリモリッとふるいたつ。
自分が精神的にマイナスの面をしょい込むときこそ、自他に挑むんだ。
ダメだ、と思ったら、じゃあやってやろう、というのがぼくの主義。
いつも言っているように、最大の敵は自分なんだ。
前に、禅宗の坊さんたちに「己を殺せ」と言った話をしたけれど、
あれは「禅」じゃなくて人生の極意なんだ。
自分を殺す、そこから自分が強烈に生きるわけだ。
それがほんとうに生きることなんだ
自信なんていうものは相対的価値観だ。
誰々よりも自分は上だ、とかいうものでしかない。そうじゃなくて、
人間は生死を越えた絶対感によって生きなければだめだ

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岡本太郎『自分の中に毒を持て』より――
この世に苦しみ悩んでいるのは決して自分だけじゃない。
世の中の人ほとんどが、おなじ悩みを持っていると言ってもいい。
不満かもしれないが、この社会生活以外にどんな生き方があるか。
ならば、まともにこの社会というものを見すえ、
自分がその中でどういう生き方をすべきか、
どういう役割を果たすのか、決めなければならない。
独りぼっちでも社会の中の自分であることには変わりはない。
その社会は矛盾だらけなのだから、そのなかに生きる以上は、
矛盾の中に自分を徹する以外ないじゃないか。
そのために社会に入れず、不幸な目にあったとしても、
それは自分が純粋に生きているから、不幸なんだ
純粋に生きるための不幸こそ
本当の生きがいなのだと覚悟を決めるほかない
自分はあんまり頭もよくないし、才能のない普通の人間だから
何も出来ないんじゃないか、なんて考えてるのはごまかしだ。
そういって自分がやらない口実にしているだけだ
才能なんてないほうがいい。才能なんて勝手にしやがれだ。
才能のある者だけがこの世で偉いんじゃない。
才能のあるなしにかかわらず、自分として純粋に生きることが
人間の本当の生き方

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岡本太郎『自分の中に毒を持て』より――
よく、あなたは才能があるから、岡本太郎だからやれるので、
凡人には難しいという人がいる。
そんなことはウソだ
やろうとしないから、やれないんだ。それだけのことだ。
もう一つ、うまくやろう、成功しようとするから、逆にうまくいかない

人生うまくやろうなんて、利口ぶった考えは
誰でも考えることで、それは大変いやしい根性だと思う。
繰り返して言う。
世の中うまくやろうとすると、
結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。
一応世間体もよく、うまくはいくかもしれないが、
本当に生きているのではない
流されたままで生きているにすぎない
そして非常に悪いことは、
自分は本当に純粋にこういうことをしたいと思っているが、
それを世の中は許してくれない、
しかも、自分はさまざまな悪条件の中にあるので、
もし違ったところで生活していれば、出来るかもしれないが、
今の状況では、というようにやたらに障害の項目を並べたてることだ。
それは、弁解のために、自分に言って聞かせ、他人に納得させるために
盛んに障害を言いたてているにすぎない


IMG_2874.jpg

岡本太郎『自分の中に毒を持て』より――
たしかに今日の小市民生活は物質的には恵まれている。
暮しは昔に比べてはるかに楽になってはいるが、
そのために生命の緊張感を失い、逆に空しくなっている。
進歩だとか福祉だとかいって、誰もがその状況に甘えてしまっている。
システムの中で、安全に生活することばかり考え、
危険に体当たりして生きがいを貫こうとすることは稀である。
自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。
己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、
生きぬかなかければならない

今日のすべてが虚無化したこの時点でこそ
かつての時代よりも一段と強烈に挑むべきだ
強烈に生きることは常に死を前提にしている
死という最もきびしい運命と直面して、
はじめていのちが奮い立つのだ。死はただ生理的な終焉ではなく、
日常生活の中に瞬間瞬間にたちあらわれるものだ。
この世の中で自分を純粋に貫こうとしたら、
生きがいに賭けようとすれば、必ず絶望的な危険をともなう。
そのとき「死」が現前するのだ。
惰性的にすごせば死の危機感は遠ざかる。しかし空しい
死を畏れて引っ込んでしまっては、生きがいはなくなる。
今日はほとんどの人が、
その純粋な生と死の問題を回避してしまっている。
だから虚脱状態になっている
のだ。
個人財産、利害得失だけにこだわり、
またひたすらにマイホームの無事安全を願う、
現代人のケチくささ。卑しい。小市民根性を見るにつけ、
こんな群れの延長である人類の運命などというものは、
逆に蹴とばしてやりたくなる。
人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ
死ぬのもよし、生きるもよし。
ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。
現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。

P1030315.jpg
生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸

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東福寺の塔頭、芬陀院(雪舟寺)2016.4.30

「最大の敵は自分」「己を殺せ」
「己を殺す決意と情熱を持って危険に対面」
―― 自分と「命懸けの真剣勝負」で闘って瞬間瞬間に生きる位置情報ということか

松下幸之助『道をひらく』より――
「真剣勝負」
剣道で、面に小手、胴を着けて竹刀で試合をしている間は、
いくら真剣にやっているようでも、まだまだ心にスキがある
打たれても死なないし、血も出ないからである。
しかしこれが木刀で試合するとなれば、いささか緊張せざるを得ない。
打たれれば気絶するし、ケガもする。死ぬこともある。
まして真剣勝負ともなれば、
一閃(せん)が直ちに生命(いのち)にかかわる。
勝つこともあれば、また負けることもあるなどと
呑気なことをいっていられない。
勝つか負けるかどちらか一つ。負ければ生命がとぶ。
真剣になるとはこんな姿をいうのである。
人生は真剣勝負である。だから
どんな小さな事にでも、生命をかけて真剣にやならければならない
もちろん窮屈になる必要はすこしもない。しかし、
長い人生ときには失敗することもあるなどと呑気にかまえていられない。
これは失敗したときの慰めのことばで、
はじめからこんな気がまえでいいわけがない。
真剣になるかならないか、その度合によってその人の人生はきまる
大切な一生である。尊い人生である。今からでも決しておそくはない
おたがいに心を新たにして
真剣勝負のつもりで、日々にのぞみたいものである


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。