CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
★経営のための会計★
★経営のための会計★
ようおこし (^_^)
ようこそお越しくださいました。ありがとうございます。
「道しるべ」でお好きなカテゴリーをお選びいただき、お時間の許す限りごゆっくりおくつろぎください。
道しるべ★カテゴリー
Google

WWW このブログ
<< 2021年01月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新の記事
最新のコメント
https://blog.canpan.info/miya38ts/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/miya38ts/index2_0.xml
なぜ走るのか? [2021年01月31日(Sun)]
朝から服部緑地で伴走練習、私にとって久々のガチランです。
東京出張(1/17〜22)でも毎朝走っていましたが、
その日の仕事のモチベーションを高めるためでしたし、
大阪に戻ってからは緊張からの緩和で
体調の変化を確認しながらのゆるゆるのお散歩ジョグでした。

そんなこんなで、本日の目標はゆっくりペースで20キロ、
平坦な一周2キロの八の字コースを10周です。
途中、トイレや給水で休憩しましたが、
何とか走り切ることができ、達成感で気分爽快です。

伴走でなければ服部緑地まで出かけていなかったでしょうし、
走りながら色々と話題をふってもらったり、
励ましていただいたりしなければ、
おそらく最後まで走り切れなかったでしょう。

ゆるゆるのお散歩ジョグでは達成感はなく、
前向きになれても「自分をほめる」気分になれず、
伴走練習に心から感謝です。
そして家に帰って体重を測ると62.4キロでした。
IMG-9062.jpg

なぜ走るのか?
江上剛さんの『56歳でフルマラソン、62歳で100キロマラソン』を読んで
共感しました。

マラソンをしている時には、
マラソンをしている自分に集中している。
作家であることも、家庭人であることも、
トラブルを抱えていることも、何も関係ない。
ただ走っているだけなのだ。
走るという「一」になっている。
自分に絡みついているあらゆるものを捨て去り、
ただ走ることだけに集中している。
なぜ走るのか?と問われたら、
足が動くからだ、としか答えようがない。
息が切れ、死ぬほど苦しいのに、なぜ走り続けるのかと言われると、
「志」ということになるだろうか。
とにかくゴールに行きつくまでは走り続けるのだ、ということを考える。
マラソンを方便としての「一」に使っているわけだ。
これは坐禅と同じだ。
マラソンには坐禅と同じ方便力がある。ただ走るだけ。
(…)
禅は、何か効用を求めてするようなものではない。
(…)
マラソンも同じだ。ただ走るだけなのに、
心の安らぎを得ることができる。
そのためにやっているわけではないのだが、
やっている最中は、坐禅であれば「坐る」ということに、
マラソンであれば「走る」ということに、
それぞれ「一」になることで心が安らぐのだ。

たしかに、毎朝のお散歩ジョグでも、
走りながら雑念が次々とでてくるのですが、
最近はそれが気にならず、集中しようとあえて意識しなくても
ただ走る状態になり、リラックスして心の安らぎを感じます。
これでもっと楽に走れたら云うことなしですが、
走ってしんどいのは変わりません。トホホ

そして江上剛さんの次の記述にも共感です。

いつまで走り続けられるかはわからない。
106歳まで生きたある医療品メーカーの会長は、
70代でマラソンを始め、97歳までフルマラソンを完走したという。
確か、ニューヨークマラソンだったか、
インド人のランナーは100歳を超えていたと思う。
(…)
なぜそんな高齢になっても走るのだろうか
(…)
高齢者が、健康のため、新しいコミュニティを求めるために
スポーツクラブに通う。走ることにも同じ意味合いがある。
健康のためであったり、新しい仲間を求めたり。
しかし、もう一歩進めて考えれば、精神性があるのではないか。
走るという極めてシンプルな運動を通じて、
自分を見つめたい、自分を確認したい、
自分はもっとやれるという自信を得たい。
そのために走っているように思える。
(…)
最後まで、自分のために走る
そして普段の練習が自分を裏切っていないことを確認するのだ。

これに対して、さすがアマゾンのAIくんはお利口さんです。
100歳のインド人ランナーの物語を書いた絵本を紹介してくれました。
『100歳ランナーの物語、夢をあきらめなかったファウジャ』ひらめき
IMG-9064.jpg

早速に買い求めて、今日届いたので読みましたが、魂を揺さぶられました。
81歳で初めてインドの故郷を離れてイギリスで子どもたちと暮らし始めるも、
言葉も通じず鬱々していたが、ある日、テレビで走る人たちを見て、
自分もターバンをまいた姿で公園を走るようになり、
フルマラソンを走る「目標」を立てて
89歳でロンドンマラソンを完走。
その後もロンドンマラソンに5回出場し、毎回、記録を更新グッド(上向き矢印)
93歳でニューヨークマラソンに出走するも、記録はこれまで最悪バッド(下向き矢印)
自信が揺らぐも「新しい目標」を立てる。
―― 100歳でフルマラソンを完走する位置情報
そして2011年10月16日、トロント・ウォーターフロントマラソンで完走
タイムは 8時間11分5秒9でした。
IMG-9065.jpg
(絵本カバーの裏面)
さらに、2012年4月22日のロンドンマラソンでは 7時間49分21秒ぴかぴか(新しい)
100歳で自己ベスト更新とは見事です。

絵本の監修は金哲彦さん。金哲彦さんがこの絵本に寄せた
純粋になにかを好きになる心が壁をのりこえる力になる」と題する一文で、
最後に記されたメッセージに激しく同意です。
ファウジャと同じことはできません。
でも、ファウジャのような純粋な心になることは
きっとだれにでもできる。この絵本を読むとそう思えるのです。

先日、長岡三重子さんが亡くなられました。享年106歳。
長岡さんは数々の世界記録をマークし国内最高齢の現役スイマーで、
私が長岡さんを知ったのは2014年のお正月の朝日新聞でした。
生まれて初めてプールに入ったのが80歳
見よう見まねの背泳ぎで25メートル泳げるようになるまで1年
84歳で日本記録を出し、87歳から2年に一度の世界大会に出場
90歳になる年に銀メダル3個を取るも、
「金を取りたい」と翌年からコーチの指導を受け、
95歳になる年に200メートル背泳ぎで6分24秒の自身初の世界記録を達成
99歳で背泳ぎ、自由形、平泳ぎの95〜99歳部門で11個の世界記録を持つ
情熱と努力があれば夢はかなえられる」が口癖だ

生きるとはつまり、
生きることの問いに正しく答える義務、
生きることが各人に課す課題(使命)を果たす義務、
時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
ヴィクトール・フランクル『夜と霧』

人間としての存在や人生の充実ということに関して言えば、
老いにつけ若きにつけ
今、自分がおのれの命といかにかかわり、
どのような姿勢で生きているかを問い続けるか否か
が問題なのであり、
言い換えれば、毎日毎日が人生の一大事の連続なのであろう。
大西良慶、平櫛田中『人間ざかりは百五歳』

人生を川の流れにたとえれば、
渓流からはじまり、やがて川となって流れ、死の大海へと注ぎます。
川を流れているときは自分も他人も流れていますから、
どのような姿で流れているのか、よくわからないものです。
そこで、ときにはよどみにとどまり、
あるいはよどみから岸に上がって流れている姿を見てみるといいのです。
これが、人生の作戦の見直しです。修正も加速も可能です。
あなたがあなたを見つめる。自分のいのちを実感する
悔やんだとしても、そういう自分であると知れば打つ手もあります。
よく生きるとは、このよどみの使いようではないかと思えます。
日野原重明『与命』

「山へなぜ登るのか」と聞かれたら、
私は「そこに山があるから」とは答えません。
人間だから」といいたいのです。
西堀榮三郎『五分の虫にも一寸の魂』

さあ、前進あるのみexclamation、ライバルは過去の自分です。
s-img454.jpg「限りなき魂の成長」

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「春がきた」
春がきた。
夏がきて秋がきて、冬がきてまた春がきた。
同じことのくりかえしのようにも見えるけれど、
樹々は一まわり大きくなった。
それぞれに、それだけ生長している。
決して同じではない。くりかえしではない。

山にのぼる道が、ぐるりぐるりと山をまわっている。
東に行ったら西に行って、また同じ東の景が見えてきて、
同じところをぐるぐる回っているように思えるけれど、
ぐるりとまわったら、一段も二段も高くなっている。
決して同じ道のくりかえしではない。

毎日が同じことのくりかえしのように思えることがある。
しかし、きのうよりはきょうの方が、
それだけの体験を深め、それだけ賢くなっているのである。
人生には、日とともに高まりはあっても、くりかえしはない。

世界の動きが、また同じくりかえしのように見えることがある。
しかし決してくりかえしではない。
さまざまの歴史の体験を経て、
人類は一段一段、賢くなっているのである。

くりかえしと思ったとき、進歩への道をみずから閉ざす
くりかえしはないのである。

毎日が新しく、毎日が門出、毎日が誕生日ひらめき
Every day is a new beginning.
img38.jpg

とかく、わたくしどもは、結果を求めることばかり焦って、
脚下がお留守になり、今日のつとめを怠りがちでありますが、
そこに失敗の原因があります

その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります。
山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
| 次へ