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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
★経営のための会計★
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ようこそお越しくださいました。ありがとうございます。
「道しるべ」でお好きなカテゴリーをお選びいただき、お時間の許す限りごゆっくりおくつろぎください。
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常に「今なり」、最後が最善 [2023年03月22日(Wed)]
『内村鑑三所感集』より――
最善の最後
信者の生涯は始めは悪くして終りは善くある、
終りに近づくぼどますます善くある

生命の夕暮れになればなるほど、
かれはなにものかかれの心の奥深きところに結実しつつあるを感ずる。
人あり、
かれにその生涯の中に最も愉快なりし時はいつか? と聞くならば、
かれは常に「今なり」と答うるのである。
しかしてかれの最後(ラスト)が最善(ベスト)である
あたかも年末のクリスマスがかれにとり最も喜ばしきときであるように、
かれの生涯の終りがかれにとり最も感謝多き時である
しかしてかれが特別に感謝して止まざることは、
かれの生涯の計画がことごとく失敗であって、
かれの計画に反せし神の御計画がかれの身において成ったことである。
「このゆえにわれ
 懦弱(よわき)と凌辱(はずかしめ)と空乏(ともしき)
 迫害(せめ)と患難(なやみ)に遭うを楽しみとせり
」。
信者にはこんな感謝があるのである。
(1917/12)

雨上がりの朝、アジサイの芽吹き、
新芽に生き生きと葉の水滴が鮮やかです。
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メダカも目を覚ましたようです

Haste not, Rest not.
「急がず、休まず」新渡戸稲造


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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
幸福の泉 [2023年03月20日(Mon)]
『内村鑑三所感集』より――
幸福の泉
満足の人とは独立の人である、不平の人とは依頼の人である
神と自己(おのれ)とに頼って生存する人には
この世ははなはだ愉快なるところである。
しかるにこの明白な原理を知らないで、
他人に恩恵を求めてその与えられざるを怒り、
常に世の無情を憤りながら憂き日月を送る者は実に愚かなる者である。
幸福は常にわが腕と心とにある
これを他人の手に求めてわれらに来るものは
ただ失望と恥辱と不平とのみである


丹後ウルトラマラソン
還暦を過ぎて61歳の初挑戦は13時間53分42秒で完走を果たし、
翌62歳の二度目の挑戦は13時間58分57秒。
残りわずか1分3秒とはいえ完走を果たし、
70歳でタイタン達成も夢ではないと意気込むも、
コロナ禍で2年連続で開催されず。

3年ぶりに開催の昨年は、
私にとって高齢者デビュー戦(65歳)でしたが、
諸事情あって心と身体が調わず、
第二関門(54.6キロ)をクリアするも、
碇高原アタックを断念して収容バスに乗りました。

先日、本年開催の案内ハガキが届きましたが、
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諸事情あって今年は参加できないとハガキを破り捨てたつもりが、
昨日、もろもろ片づけていると捨てずに残っていました。

復帰レースに決定ひらめき
―― 2023年9月17日、6カ月、26週、180日

・チャンスは一度きり(二度ない、今ここ自分に全力投球)
・先のことは分からず(タイタンのカウントダウンは不要)
・初心忘るべからず(初心に感謝し、初心を重ねて行く)

諸事情あってすっかり遠のいているので、まずは足馴らし
そして、来月からは下記に参加
・第2日曜は武庫川SCのロード記録会で3時間走
・第4日曜は長居わーわーずの伴走練習会
(追記)・長居で秘密の特訓LSD(毎月開催・日程未定)

七七日、百ケ日、初盆、そして丹後(9/17)

Haste not, Rest not.
「急がず、休まず」新渡戸稲造


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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
ただ一輪の草花にしても [2023年03月13日(Mon)]
先日(3/7)見事な花を咲かせた椿は散りました。
KIMG3485.JPG(3/7)

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穏やかな陽気に、
ほかのツボミが次々と花を咲かせてくれ、いずれも見事です。
KIMG3505.JPG(3/11)

椿のほかにも、沈丁花やスミレなど花を咲かせていました。
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ただ一輪の草花にしても、
私心なく、自然に、素直に花を咲かせている
わけです。
そういった花の姿をみて、
もちろん何も感じないという人もいるでしょうが、しかし、
素直な心になりたいというつよい願いをもっている人の場合には
あるいはそこに何らかの偉大なヒントを
見出すかもしれない
と思うのです。
第5条「自然と親しむ」/素直な心を養うための実践10ヶ条
松下幸之助『素直な心になるために』
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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
不便だけど不幸じゃない [2023年03月08日(Wed)]
実家の南側の庭の椿、
一気に花を咲かせてくれました。
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それにしても、ツボミを膨らませてから
花を咲かせるまでこんなに日数を要するとは・・・
じっくり力を蓄えただけあって見事です。

(↓)2週間前の2月22日
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大自然の恵みを心から信じ、
時の来るを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい

着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。
待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない。
冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。
――「時を待つ心」/松下幸之助『道をひらく』

文藝春秋(2023/2)の記事が目に留まりました。

たしかに、不便だから工夫もするし、新しい知恵も生まれる。
そして不便を分かち合い、楽しく心豊かに暮らす喜び。
ぐっち、はるかさん、ひなちゃん、お幸せに四つ葉

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
天与の尊い道に生きる [2023年03月05日(Sun)]
内村鑑三「天職発見の途」1913.10.10
己が天職を知らんと欲するもの多し、
言ふ、我にして若し我が天職を知ることを得ん乎、
我は我が全力を注ぎて之に当たらんと。
人よ、汝は汝の天職を知るを得るなり、
汝は容易に之を発見するを得べし。
汝の全力を注ぎて汝が今日従事しつゝある仕事に当るべし、
然らば遠からずして汝は汝の天職に到達するを得べし、
汝の天職は天よりの声ありて汝に示されず、
汝は又思考を凝らしてこれを発見する能はず、
汝の天職は汝が今日従事しつゝある職業に由つて汝に示さるゝなり、
汝は今や汝の天職に達せんとして其途中に在るなり、
何ぞ勇気を鼓舞して進まざる、
何ぞ堕想に耽(ふけ)りて天職発見の時期を遅滞せしむるや

智者あり、曰く
  凡て汝の手に堪(たふ)ることは力を尽くして之を為すべし
と(伝道之書9章10節)、
此外別に天職発見の途あるなし、
平々担々たる途なりと雖も其終点は希望の邑(まち)なり、
感謝と歓喜との京城(みやこ)なり

手の及ぶことはどのようなことでも
力を尽くして行うがよい

コヘレトの言葉 9章10節(聖書協会共同訳)

天職を発見するの法は
今日目前の義務を忠実に守ることであります、
左すれば
神は段々と我等各自を神の定めし天職に導き給ひます、
要するに天職は之に従事するまでは
発見することの出来るものではありません、
予め天職を見付け置いて
然る後に之に従事せんと思ふ人は
終生、其天職に入ることの出来ない人であります

凡て汝の手に堪ふることは力を尽くして之を為せ
(伝道之書9章10節)との聖書の教訓が、
之が天職に入るための唯一の途であります、
我等は
時々刻々と我等の天職に向つて導かれて行く者であります、
或る一時の黙示に接して活然として天職を覚る者ではありません

内村鑑三「如何にして我が天職を知らん乎」1904.8.18

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練り切りの男雛/和菓子処 喜楽さん

松下幸之助『道をひらく』より――
「道」
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩む
ことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか
自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではないか
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる


大切なことは、
やはりどのような境遇にいようとも、
精いっぱい人事を尽くすことではないでしょうか。
自分の人生にはどうにもならない面もあるということを知った上で、
信念を持って、自分自身の歩みを力強く進めていく

そうすれば、
大きな成功をおさめても有頂天にならないし、
失敗しても落胆しない

あくまで淡々となすべきことをなしていけるのではないか。
「運命を生かす」/松下幸之助『人生談義』

とかく、わたくしどもは、
結果を求めることばかり焦って、脚下がお留守になり、
今日のつとめを怠りがちでありますが、そこに失敗の原因があります

その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります。
「太閤さんの心がけ」/山田無文『愛語』


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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
小なるつとめ小ならず [2023年03月03日(Fri)]
矢内原忠雄『内村鑑三とともに』より――
「後世への最大遺物」
考えてみると、われわれの生涯はものを考えることではない。
考えていても世の中は少しもよくならない。
実行しなければいけない。
何でもいいから手近なことを実行することだ

いくら考えましても、あるいは祈りましても、
実行しないならば、自分の生涯は勇ましくも高尚にもならないし、
この世は少しも善くならないのであります。
事業と言うと大げさに聞こえますけれども、
われわれの生活に実践するということであります。

誰でも手近な、自分の手の届く範囲で、
善きことと思うことをしなければならない。

自分の手の届く範囲で、
やろうと思うならば誰にも比較的簡単にできることでありまして、
しかもそれが今日の日本に最も必要なことであります


今日、それはわれわれの義務であり、責任である。
実行の時期である。

たったひとりでも実行できないわけではない。

手近なところになすべき仕事は山ほどころがっている。

事業の価値をその規模の大小ではかることは間違いであります。
事業の価値はその品質にある。その精神にある。

己のために他人を利用しようという考えは、
ただにキリスト教の敵であるのみならず、
人類を破壊するものであります。
自分は他人のために生活するんだ、人類のため生活するんだ、
という考えは、国民を建設し、世界を建設する考えであります

神のためということがわからなければ、
せめて他人のため、人類のために生きるということだけでも、
わかって頂きたいと思うのであります。

小なるつとめ小ならず、世を蓋うとても大ならず、
小はわが意をなすにあり、大はみむねによるにあり。

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また一輪咲きました(3/3)
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(2/23)
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(2/18)

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
良いときも、悪いときも、いかなるときも [2023年03月01日(Wed)]
松下幸之助『道をひらく』より――
「心を通わす」
古人曰く、人生はあざなえる縄の如し。
まことにこの世の中、長い人の歩みのなかには、
よいこともあればわるいこともある。
うれしいこともあれば悲しいこともある。
そして、よいと思ったことが実はわるくて、
わるいと思ったことが実はよくて、
つまりはあれこれと思いまどうことは何もなくて、
はじめから素直に謙虚に歩んでおればそれでよかったと、
人の知恵の浅はかさに、いまさらのように胸打たれることがしばしばある。

はじめからしまいまで徹底的にわるいということもなければ、
また徹底的によいということもない
のである。
それでもなお人は、
わるいと思うときには自分で自分の心を閉ざし、
よいと思うときにはまたおごりの心で人をへだてる。
心を閉ざし、人をへだて、心と心とが通い合わぬ姿からは、
おたがいに協力も助け合いも生まれてはこない。
心ひらかぬ孤独の人びとばかりになるであろう。

有為転変のこの世の中、
よいときにもわるいときにも、いかなるときにも
素直に謙虚に、おたがいに心を通わし、思いを相通じて、
協力し合っていきたい
ものである。

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(2/21)
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(3/1)
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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
小事か大事かに関係なく、常に忠である [2023年02月28日(Tue)]
新渡戸稲造『人生読本』より――
「何よりも職務に忠実なれ」
(…)
約束は約束、
如何につまらない約束でも、その約束を守るにあらざれば、
他のことに口をきく権利はあらざるものゝ如く思ふ。
世間には、豊太閤が藤吉郎時代既に天下を呑むの野心を懐いたことを
講談に聞き、或は書物で読んで、細事を顧みなかった如く推量して、
我も天下国家の大事に当たらんと企てゝ、
些細な約束を顧みる遑なき如くいふ人あるも、
彼らは、藤吉郎が信長の草履を懐に入れて暖めた、
その小さなことに気をつけたことを忘れてはならぬ

聖書にも教ゆる如く、
小なるものに忠なるものは、大なるものに忠ならん

ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。
ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である
日本聖書協会『共同訳 新約聖書』ルカ 16:10

とかく、わたくしどもは、
結果を求めることばかり焦って、脚下がお留守になり、
今日のつとめを怠りがちでありますが、そこに失敗の原因があります

その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります。
太閤さんの心がけ」/山田無文『愛語』

ドラッカー『プロフェショナルの条件』より――
紀元前440年ころ、彼(ギリシャの彫刻家フェイディアス)
アテネのパンテオンの屋根に建つ彫刻群を完成させた。
それらは今日でも西洋最高の彫刻とされている。
だが、彫像の完成後、フェイディアスの請求に対し、
アテネの会計官は支払いを拒んだ。
彫像の背中は見えない。誰にも見えない部分まで彫って、
 請求してくるとは何ごとか
」といった。
それに対して、フェイディアスは次のように答えた。
そんなことはない。神々が見ている
(…)
今日に至るも、私は到底そのような域には達していない。
むしろ、神々に気づかれたくないことをたくさんしてきた。しかし私は、
神々しか見ていなくとも、完全を求めていかなければならない
ということを、その時以来、肝に銘じている。

「神々しか見ていなくとも、
完全を求めていかなければならない」


成功している小売業は、
細部に並々ならぬ注意を払っている

創業当時はとりわけそうだろう。
1日ごとに良い結果を出していかなければ、
閉店のリスクをおかすことになる。
スターバックスのパートナー(従業員)の多くは
細部への配慮を失ってしまった
ハワード・シュルツ『スターバックス再生物語』

何万もの店で、何百万杯ものコーヒーを提供しているのだから、
一杯くらいコーヒーがちゃんとしていなくても、
一人くらい不適格な店長がいても、
一軒くらい立地の悪い店舗があっても、
大したことがないと思うようになる。
そうした「ひとつ」は蓄積されていくことを忘れていたのだ。
ハワード・シュルツ『スターバックス再生物語』

『二宮翁夜話』の 1-14 より――
翁曰、
大事をなさんと欲せば、小さなる事を怠らず勤むべし、
小積りて大となればなり。
小人の常、大なる事を欲して、小さなる事を怠り、
出来難き事を憂ひて、 出来易き事を勤めず。
夫故、 終に大なる事をなす事あたはず

夫、大は小の積んで大となる事を知らぬ故なり
譬ば百万石の米と雖も、粒の大なるにあらず。
万町の田を耕すも、其の業は一鍬づゝの功にあり

千里の道も一歩づゝ歩みて至る。
山を作るも一簣の土よりなる事を明かに弁へて、
励精小さなる事を勤めば、大なる事必なるべし。
小さなる事を忽せにする者、大なる事は必ず出来ぬものなり


たとえ、どんな細かいところでも、目に見えない部分でも
ごまかしたり、手を抜いたりしてはいけないのである。
それでよしとするなら、
企業全体の体質、従業員一人ひとりの体質が、
たちまちにして、取り返しのつかないもののになっていく
だろう。
本田宗一郎『私の手が語る』

宗一郎は逆に、
一つの細部からその奥の真理(つまり神)を見よう、
とつねに考えていたようだ。
一つの切れ端にしかすぎないかもしれないものにも注意を怠らず、
それを糸口に
背後にある大きな真理の構図を考えようとする姿勢
である。
伊丹敬之『人間の達人 本田宗一郎』

松下幸之助『実践経営哲学』より――
「必ず成功すると考えること」
(…)
物事がうまくいったときに、
それを自分の力でやったのだと考えると、
そこにおごりや油断が生じて、つぎに失敗を招きやすい。
実際、成功といっても、それは結果の話であって、
その過程には小さな失敗というものがいろいろある

それらは一歩過てば大きな失敗に結びつきかねないものであるが、
おごりや油断があると、そういうものが見えなくなってしまう。
けれども「これは運がよかったから成功したのだ」と考えれば、
そうした小さな失敗についても、一つひとつ反省することになってくる。

反対に、うまくいかなかったときに、
それを運のせいにして「運が悪かった」といことになれば
その失敗の経験が生きてこない
自分のやり方に過ちがあったと考えれば、
そこにいろいろ反省もできて、同じ過ちはくり返さなくなり、
文字どおり「失敗は成功の母」ということになってくる


そして、そのように
失敗の原因はわれにあり」という考えに徹するならば、
そうした原因を事前になくしていこうという配慮ができる
ようにもなる。
だから、それだけ失敗も少なくなって
どういう状況下にあっても
経営が順調にいくという姿になってくる
わけである。

―― 小事を疎かにし、研鑽を怠り、失敗に学ばず、過ちを繰り返し、
さらに、過ちに自ら気づかず、気づこうともせず、
指摘された過ちには理屈の通らぬ言い逃れで開き直り、
自らを省みず、謙虚に学ばず、あげくに逆ギレ、
そんな組織に明日などあるはずがない ――「末路憐れ」爆弾

「至道無難、唯嫌揀択」(信心銘)
小事か大事かに関係なく、常に忠である/至道は難しくない

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大自然の恵みを心から信じ、
時の来るを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい

着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。
待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない。
冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。
――「時を待つ心」/松下幸之助『道をひらく』

将来をあらかじめ見据えて、
点と点をつなぎあわせることなどできません。
できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。
だから、我々は、いまやっていることが
いずれ人生のどこかでつながって実を結ぶと信じるしかない

運命、カルマ…、何にせよ
我々はは何かを信じないとやっていけないのです。
私はこのやり方で後悔したことはありません。
むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。
Stay Hungry. Stay Foolish.
Steve Jobs, CEO of Apple Computer, on June 12, 2005.

「愚直」に一歩一歩、「積小為大」ひらめき

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

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「日々是好日」
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「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
Be just and fear not [2023年02月27日(Mon)]
『フェアトレードのおかしな真実
――僕は本当に良いビジネスを探す旅に出た』
原題:Unfair Trade: The Shocking Truth Behind 'Ethical' Business
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エシカルビジネス(倫理的なビジネス)がテーマですが、
よくある安直な啓蒙本や暴露本の類とは違い、
章(本当に良いビジネスを探す旅)を追って問題意識を高め、
問題の本質から深く考えさせられました。

「最終的には、私たち全員が責任を担うのだ」
『フェアトレードのおかしな真実』

私たちに問われるのは、まやかしや誤魔化しに惑わされず、
正しい「事実認識」と「思考」、そして「行動」

本田宗一郎『夢を力に』より――
(…)
(こういう)愚劣なことをしている経営者が多いようだ。
ふだんは経営者と従業員は一心同体だなどとおだてておいて、
困ってくると旧軍隊のように転進とかなんとか言って
ごまかし通そうとする
私はつねづね従業員は全部経営者である、
だから経営に参加する権利と義務があると言っている。
生産調整をしなくてはならぬようなときにも、
はっきり実情と今後の対策を明示して
全社員がいっしょに困難を克服することにしている。
こういう姿が真の労使一体というのではないかと思う。
(…)
私はアプレ事業家などと言われているが、アプレもアバンもない、
事業というものは、いうまでもなく
世間の多くの人の支持がなければできるものではない

製品をこよなく愛してくれるお客さん、
アドバイスを与えてくれた友人知己、
ピンチの際にもよく力を貸してくれた銀行、協力工場、販売店、
それに若き従業員たちの後ろ盾も忘れることはできない。

弱点の末の末まで隠し得ないことを心得れば
大いに気が澄んで来る

隠さんとする人はただ一人だがこれを見る人は幾千万人ある。
また隠さんと欲する心を示すものは、
目、口、鼻など頭の頂上より足の爪先に至るまで、
一つとして我々の性質を現す機会とならぬものはない。
これを隠さんとするも、これらの機関はほとんど裏切りするかのごとく、
我々の心情を現すものである。かく考えると、あくせくとして、
あるものを無しと言い、無いものを有ると見ても、
とうてい永続せぬものである。早晩その真相は暴露される

むろんこれ(隠さない)がために迷惑を受け、
他人より多く笑われ、他人より一層多く非難されることもある。
しかし常に心に戸閉まりし、つねに隠さんとする重荷がないだけ気軽で、
大なる利益がある。要するに心のうちさえさっぱり晴れているなら、
何事に逢っても怖いことも恐ろしいこともなくなる

ゆえに人の前に出るにあたり怖気が起こったならちょっと退いて、
「己の心に忌しい点があるか」と反問するが肝腎である。
臆病なる僕に一大興奮剤となった教訓は
沙翁(シェイクスピア)Be just and fear not の一言である。
「心に忌しい点あるか」と反問せよ/新渡戸稲造『自警録』

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

抑々(そもそも)真の成功は各自内部の建造にあって、
その標準は各自の内面的感情に存するものと思ふ。
内に自ら顧みて恥ずかしくないと思ふならば、
それが即ち成功といふべきものではないか

慾を棄つれば、赤貧が成功である。
名に執着しなければ微賤が成功である。
(…)
意思は須らく堅固なるべし。
然し意思は馬力の如きものであって、
その強さは尊ぶけれども、その御し方、向け方を過れば、
折角生まれた人間も生まれ甲斐なく終わらしめるのみならず、
その害毒を後世にまで残すことは、世の罪悪史を見れば最も明かである。
ゆゑに、我輩の考へでは、
意思は単に強きをのみ以て尊しとするべきではなくして、
意思を左右する動機如何が先決問題であらねばならぬ

「意思の鍛錬」/新渡戸稲造『人生読本』

意思の方向性(動機)を自らに問い「動機善なりや、私心なかりしか
そして、意思の力で「不屈邁進

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
道は遠きにあるものではない [2023年02月25日(Sat)]
ツボミが膨らんでも、花を咲かせるまで容易ではないですが、
おかげで、たとえわずかでも日一日と膨らませている姿に感動です。
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3日前の22日
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何ごとをなすにも時というものがある。
時 ―― それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。

冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。 
わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しない
であろう。
時を得ぬ人は静かに待つがよい。
大自然の恵みを心から信じ、時の来るを信じて、
着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。
時期は必ず来る。

待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない。
冷たいのではない。
静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。
「時を待つ心」/松下幸之助『道をひらく』

トマス・カーライル『サーター・リサータス.(衣服哲学)』の
第2巻・第9章「永遠の肯定(The Everlasting Yea)」
――「私の考へではこれがこの書物の真髄であると思ふ
新渡戸稲造『衣服哲学講義』

Our Life is compassed round with Necessity; yet is the meaning of Life itself no other than Freedom, than Voluntary Force: thus have we a warfare; in the beginning, especially, a hard-fought battle.

人生といふものは
必要(Necessity)といふ境遇の中に囲まれてゐるけれども、
 (Necessityに抑へられてゐる間は本当の味が無い)、
人生の本当の意味はFreedomすなわちvoluntary Forceで、
自己自分の判断でやり、責任をもって自分でやること
である。
人生に於て強制されてやるのはNecessityといふものである。
戦争なかるべからず、初めのうちはなほさうだらう
新渡戸稲造『衣服哲学講義』

必然がわれわれの人生を取り巻いている、
しかも、人生そのものの意義は、自由にほかならない、
自発的力にほかならない。
というわけで、われわれは闘わなければならない。
特に初めは苦戦をしなくてはならない。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

So true is it, what I then said, that the Fraction of Life can be increased in value not so much by increasing your Numerator as by lessening your Denominator. Nay, unless my Algebra deceive me, Unity itself divided by Zero will give Infinity. Make thy claim of wages a zero, thou hast the world under thy feet.

人生といふ分数は分子を増すことによってより、
分母を減ずることによって、其の価を大きくすることができる。
慾の方を減らせば分配が殖える。
もし慾を零にしたならばその零で割れば答は無限大になる
零はプラスでも零だ。マイナスでも零だ。
みな上の方の品物とか名誉とか冨とかいふものを仰ぎ視てゐるから、
infinity(無限)にまでは行かない。
お前の慾を零にすれば分子は只の一であっても、直ちにinfinityになる。
だから汝の要求を零にせよ。さすれば
世界全体が自分のものになったといふものだ

新渡戸稲造『衣服哲学講義』

私がかつていったこと、すなわち、人生という分数は、
その分子の数を増すよりも、むしろその分母を減ずることによって、
その数値を増すことができるということは、あくまでも真理である。
いや、私の代数学が私を騙さないならば、
一(イチ)そのものでも、ゼロで割れば無限大になる。
そうならばお前の賃金の要求をゼロにせよ。
お前は世界を足下に踏み抑えることになる。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

But indeed Conviction, were it never so excellent, is worthless till it convert itself into Conduct.

Conviction(確信)なるものは、
行為に現れるまでは理屈だ。しゃべっている間は理屈だ
新渡戸稲造『衣服哲学講義』

しかしまったく、確信は、たといいかにすぐれた確信でも、
変じて行為となるまでは、無価値である。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

Nay properly Conviction is not possible till then; inasmuch as all Speculation is by nature endless, formless, a vortex amid vortices: only by a felt indubitable certainty of Experience does it find any centre to revolve round, and so fashion itself into a system.

いや、すべての思索が、本来、限りがなく、形がなく、渦巻の中の渦巻であり、
感じ取られた疑うべからざる経験の確実性によってのみ、
それは、回転の軸となる中心を見出し、自ら体系を形づくるのである限り、
確信は、行為に化するまでは、存在不可能である
宇山直亮訳『衣服の哲学』

Most true is it, as a wise man teaches us, that Doubt of any sort cannot be removed except by Action.”

ある賢人(ゲーテ)が教えているとおり、
いかなる種類の疑惑も、行為によるのでなければ、除くことができない
ということはきわめて真実である。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

"Do the Duty which lies nearest thee," which thou knowest to be a Duty! Thy second Duty will already have become clearer.

一番汝に近い義務をやれ
さうすればその次の義務は自ら明らかになってくる。
新渡戸稲造『衣服哲学講義』

お前が義務なりと心得る「最も手近の義務をなせ。」
お前の次の義務は、その時には、すでに明らかになっているであろう。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

I too could now say to myself: Be no longer a Chaos, but a World, or even Worldkin. Produce! Produce! Were it but the pitifullest infinitesimal fraction of a Product, produce it, in God's name! 'Tis the utmost thou hast in thee: out with it, then. Up, up! Whatsoever thy hand findeth to do, do it with thy whole might. Work while it is called Today; for the Night cometh, wherein no man can work.

自分は今はかういふことを言ひ得るやうになった。
混沌たる勿れ。自ら宇宙となれ。大きな宇宙でなく小さくてもよい。
調和した完成した円満な宇宙となれ、
何でもよい、作れ! 創造せよ!

たとへそれがProductの何万分の一、何億万分の一の
微々たるものであってもよい。神の名に於て作れ!
それがお前の為し得る最上の仕事だ。
さらばそれを行へ!
おまへの手の見出すところの為すべきことを全力を以て為せ
今日といわれる間に働け。夜が来れば誰も働くことはできないから。
新渡戸稲造『衣服哲学講義』

私もまた、私自身に向って、こういうことができる。
もう混沌であることをやめ、一つの世界―小世界でもよい―になれ。
生み出せ! 生み出せ!
一つの産物の、最もつまらぬ微小な一かけらでもよいから、
神の名にかけて、産み出せ!
それはお前のもつ最大限度である。では、それを出せ。起て、起て!
お前の手でやれる仕事は、なんでもよい、全力を尽くしてやれ。
今日と呼ばれる日の中に、働け。
誰も働くことのできない夜が訪れるからである。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ
ということを「葉隠」は主張している。
われわれはきょう死ぬと思って仕事をするとき、
その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない

現代に生きる「葉隠」/三島由紀夫『葉隠入門』

私は17歳のときに
「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」
という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、
私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
もし今日が最後の日だとしても、
今からやろうとしていたことをするだろうか
」と。
「違う」という答えが何日も続くようなら、
ちょっと生き方を見直せということです。
自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。
(…)
あなた方の時間は限られています。
だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。
スティーブ・ジョブズ「ハングリーであれ。愚か者であれ」

◆台湾民主化の父・李登輝氏の遺言「大切なことは武士道にある」
/日経ビジネスオンライン


「確信はいくら立派なものでも、
行為に移されるまでは何の役にも立たない」

「確信はそれまではあり得ない。
なぜならば、すべての思弁は本来果てしなく、
形が定まらず、渦巻きにすぎないからである」

「立て、立て、
何でもおまえのできることを、全力をもってなせ。
今日といわれる間に働け。
夜が来れば誰も働くことはできない」

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
真面目なる信徒 [2023年02月24日(Fri)]
生まれてこの方、自己流で泳いできましたが、
思うところあって年明けから自宅近くの市民プールの水泳教室へ、
55歳以上の中高齢者クラスに参加。
回を重ねるごとメキメキ上達!と言いたいところですが、
世の中、そんな甘い話はなく、
せっかく教えていただいても理解できずに手と足がバラバラで
動きはぎこちなく、無駄に力が入って力が抜けず、トホホ

新参者ゆえ、進んで最後尾に並び、
ほかの皆さんの泳ぎに対するコーチの指導を見て
学びながら練習を続けているのですが、
私の前に泳がれるのが御年85歳のご婦人で、
力を感じさせない泳ぎが美しく見事。

そんなこんなで、
20年後に自分もあんな泳ぎができることを夢見て、
4月からの新年度の水泳教室に継続して参加すべくエントリー。
当選しますように!

内村鑑三『後世への最大遺物』より――
(…)
この一年の後にわれわれがふたたび会しますときには、
われわれが何か遺しておって、
今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、
今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、
また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、
しかしそれよりもいっそう良いのは
後世のために私は弱いものを助けてやった、
後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、
後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、
後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、
後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、
という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。
この心掛けをもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、
われわれの生涯は決して五十年や六十年の生涯にはあらずして

実に水の辺ほとりに植えたる樹のようなもので
だんだんと芽を萌ふき枝を生じてゆくものであると思います。
けっして竹に木を接つぎ、木に竹を接ぐような
少しも成長しない価値のない生涯ではないと思います。
(…)
われわれは神がわれわれに知らしたことを
そのまま実行いたさなければなりません。
こういたさねばならぬと思うたことは
われわれはことごとく実行しなければならない。
もしわれわれが正義はついに勝つものにして
不義はついに負けるものであるということを
世間に発表するものであるならば

そのとおりにわれわれは実行しなければならない
これを称して
真面目なる信徒と申すのです。
われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに
後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも、
アノ人はこの世の中に活きているあいだは
真面目なる生涯を送った人である
といわれるだけのことを後世の人に遺したい
と思います。


他の人の行くことを嫌うところへ行け。
他の人の嫌がることをなせ。
メリー・ライオン
Go where no one else will go.
Do what no one else will do.
Mary Lyon

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「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
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柳はみどり 花はくれなゐ [2023年02月23日(Thu)]
椿が二輪、花を咲かせ、その手前にはつぼみが二輪。
雪が舞う中、花は語らず。
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「花語らず」柴山全慶老師
花は黙って咲き
黙って散って行く
そうしてふたたび枝に帰らない
けれども
その一時一処に
この世のすべてを托している

一輪の花の声であり
一輪の花の真である
永遠にほろびぬ生命のよろこびが
悔なくそこに輝いている

「無為自然」

「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る
(人法地、地法天、天法道、道法自然

北側の庭に続いて、南側の庭でもツボミを膨らませてきました。
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北側の庭の椿(↓)は紅一色ですが、南側の椿(↑)は斑入りだったような…
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元は同じツバキの株分けなのに不思議です。

不審花開今日春
(いぶかし はなひらく こんにちのはる)

―― 不審は「いぶかしい」という意味で、
この語は人智を超えた自然の偉大さ、不思議さに感動する心

―― 不審とは、いぶかしく思う心、不思議だなぁ…と思う心なわけですが、
花が一輪開くのを見て、生命の、大自然への畏敬の念を持つ心、
今という時を大切に思う心

「そめ色の 山もなき世に おのづから
 柳はみどり 花はくれなゐ
「人住まぬ 山里なれど 春くれば
 柳はみどり 花はくれなゐ
(新渡戸稲造『自警録』より)

新渡戸稲造『人生読本』より――
「正直の根本観念」
(…)
柳は己れに正直を尽くしてみどりなるべく、
花は己れに対して正直を守りて紅なるべく、
人各々天賦の性質と技能を有する
これを名づけて使命といふ。
この使命を果たすのが、即ち己れに正直なる所以である
己れに顧みて潔よくば、千万人と雖も我往かんと力むる所に
正直者の偉大さがある
たゞこの力を致すにしても、一応顧慮せざるべからざることは、
これがため世を害するや、他人に迷惑を掛けるや、
却って誤解を醸して自己の目的を達するを損ずるや、
実行に先たちて篤と思慮分別を費やさねばならぬ。
正直の根本義は己れに対する義務で、天賦の使命を完ふするにあるが、
その実施の途は社会を通らずしては行はれぬ

一本調子の正直者は愛すべきも、
婉曲的な周囲の状況に順応して己れの天命を尽くす者も
必ず不正直とは呼び難い、
人を量るにこれらの点に気を付けざれば人を過まり己れを過まる。

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
学び、のちに学びほぐす [2023年02月18日(Sat)]
鶴見俊輔『新しい風土記へ 鶴見俊輔座談』の
「徳永進・生き死にを学びほぐす」より――
「対談を終えて考えた」
 (…)
 その患者は自分ががんだと知っている。しかし、
信頼する医者にがんではないといってもらいたいのだ。
 医者は「あなたはがんです」というのが正しいのかもしれない。
しかし、徳永が「がんではありません」というのは、
死に臨む人が語り残したことばをくみ取り、学んだからである。
 戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。
私が大学生であると知ると、「私は大学でたくさんのことを学んだが、
そのあとたくさん、学びほぐさなければならなかった」といった。
学び(ラーン:Learn)、のちに学びほぐす(アンラーン:Unlearn)。
「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。
型通りにセーターを編み、
ほどいて元の毛糸に戻して自分の体に合わせて編みなおす

という情景が想像された。
 大学で学ぶ知識はむろん必要だ。しかし覚えただけでは役に立たない。
それを学びほぐしたものが血となり肉となる

 徳永は臨床の場にいることによって、「アンラーン」した医者である。
アンラーンの必要性はもっと考えられてよい
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木へんに「春」と書いて「椿」
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The first story is about connecting the dots.
(…)
You can't connect the dots looking forward;
you can only connect them looking backwards.

So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
You have to trust in something ― your gut, destiny, life, karma, whatever.
This approach has never let me down,
and it has made all the difference in my life.

まずは、点と点をつなげる、ということです。
(…)
将来をあらかじめ見据えて、
点と点をつなぎあわせることなどできません。
できるのは、後からつなぎ合わせることだけ
です。
だから、我々は、いまやっていることが
いずれ人生のどこかでつながって実を結ぶと信じるしかない

運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。
私はこのやり方で後悔したことはありません。
むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

Stay Hungry. Stay Foolish.
Steve Jobs, CEO of Apple Computer, on June 12, 2005.
ジョブズ氏スピーチ全訳メモ
米スタンフォード大卒業式(2005年6月)にて

“It is in Apple's DNA that technology alone is not enough.
− it's technology married with liberal arts, married with the humanities,
that yields us the results that make our heart sing
.”
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まど・みちお『いわずにおれない』より――
私の場合、詩は
「つくる」っちゅうより「生まれる」という感じがします。
たとえば、こんなことがありました。
テーブルの上に置かれていたリンゴを見て、
その美しさにハッとし、私の中の何かが震えた
なぜハッとしたんだろう、美しいと思ったんだろうと
追求していったら、そのうち
「リンゴが占めている空間は、ほかの何ものも占めることができない」
ということに気がついて、またハッとしたんですね。

水に砂糖を溶かせば同じ場所に水と砂糖が存在することになるし、
脳細胞にはいろんな記憶が同居していたりするけれど、
そういったことを除けば、ひとつのものがあるとき、
そこにはほかのものはあり得ない。
そういう「ものの存在のしかた」っちゅうものが、
すごく美しく荘厳に思えて、
その素晴らしさを言わずにおれなくなった
んです。

「リンゴ」
リンゴを ひとつ
ここに おくと
リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ
リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにも ない
ああ ここで
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ


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知識はむろん必要だ。しかし覚えただけでは役に立たない。
それを学びほぐしたものが血となり肉となる。
アンラーン(学びほぐす)の必要性はもっと考えられてよい。
鶴見俊輔

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「日々是好日」
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「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
「生きる」と「生かす」ではまったく違う [2023年02月09日(Thu)]
大田堯・中村桂子『百歳の遺言』より――
(大田)中小企業家同友会という組織のなかの勉強好きの人たちとも
付き合ってきました。ところが、
この同友会の経営方針というのが「人を生かす経営」というのです。

人は生きるのであって、生かすことはできないと言い続けていますが、
いまだに「生きる」に変えることができないのです。
(中村)生き方が、なかなか自動詞にならないのですね。
同じ動詞でも使役動詞と自動詞ではずいぶん違いますから。
生きると生かすではまったく違いますね。
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頂門の一針「生きると生かすではまったく違うひらめき
・「人を生かす経営」か「人が生きる経営」か
・「人を生かす会計」か「人が生きる会計」か
・「食べさせる」か「食べる」か
・「手伝わせる」か「手伝う」か
・「遊ばせる」か「遊ぶ」か
・「学ばせる」か「学ぶ」か
・「人を生かす力」か「人が生きる力」か

社員が主役!」と言うなら、
主語は社員で自動詞の「生きる」にならなきゃウソということか

・目指す経営は「人を生かす経営」か、「人が生きる経営」か
・求める力は「人を生かす力」か、「人が生きる力」か

・「やらせる」「やらされる」ではなく「やる」
・「させる」「させられる」ではなく「する」

・「説得」より「納得」
・「教育」より「学習」
・「上から下へ教え諭す」ではなく「自発的な学びを助ける」

「生きる」ことは「学ぶ」こと
「楽しんでこそ学習あり」
人生は学びに始まり、学びに終わる
(学ぶのをやめたら「終わった人」ということか)

人は「なる」もので、「つくる」ものではない
「ひとづくり」ではなく「ひとなる」を目指す
成る(なる)、実が成る(成長)
生る(なる)、実が生る(結実)

(大田堯・中村桂子『百歳の遺言』)

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実家の庭では、梅が次々と花を咲かせ、椿も咲きだしました
(2023.2.8)

大事なのは好き嫌いじゃなくて、出会ったことに、
どう意味を持たせていけるか。可能性を見出せるか。
可能性はもともと「ある」ものじゃなくて、
「生む」もの
なんです。(有森裕子)

★ 人は「生きる」のであって、「生かす」ことはできない(大田堯)
★「生きる」と「生かす」ではまったく違いますね(中村桂子)
★ 人は「なる」もので、「つくる」ものではない(大田堯)
★ 可能性は「ある」ものじゃなくて、「生む」もの(有森裕子)ひらめき

可能性は「ある」もの → 自分を「生かす」→「ひとづくり」
   → 自分さがし、自分づくり、自分を育てる

さがしものは何ですか? 見つけにくいものですか?
カバンの中も机の中も探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか?
井上陽水「夢の中へ」

可能性は「生む」もの → 自分が「生きる」→「ひとなる」
   →「至道無難」「一日暮らし」「日日是好日」


★ すべてを力に変える(有森裕子)ひらめき
  ――「すべてが力に変わる」ではない

働き方が「変わる」のか、働き方を「変える」のか
考え方が「変わる」のか、考え方を「変える」のか
生き方が「変わる」のか、生き方を「変える」のか

「どう変わるか」ではなく「どう変えるか」
「どう変えてくれるか」ではなく「どう変えるか」
 ――「主人公」は自分ひらめき

「私は変わった。変わるように努力したのだ」
On Growing and Changing
福原義春

盛永宗興『お前は誰か』より――
君たちは今、自分で自分の虜になっている。
自分で自分を決めてしまっている。
そうして、本当の自分を追究しようとしない
「お前は誰か」「盛永宗興です」
それで答えになったと思い込んでいる。
「お前はどういう人間だ」といわれて、
「おれは短気者だ」と答えれば、
それで自分を表現できたと思っている。
しかし、本当の自分というのは、
そんな凍った状態のものではなく
て、
自由自在に、川となり海となり、
あるいは泉となり池となり、水蒸気となり雨となり、
雪となり氷となることのできるものではないのか。
それこそが、自己本来の〈いのち〉の姿であったはず。
 ……
自分の中には、何ものにも縛られることなく、
生き生きとものごとに対応できる、
巨大な力が隠されている。
だから、誰に見限られようと、
自分が自分を見限ったり、自分が自分を裏切ったり、
自分が自分に愛想をつかしたりすることだけは、
やめてもらいたい


自分の人生の、主人公になろう
自分の行く道を、自分の意志で選ぶ人になろう。
自由に、積極的に、人生を美しいものにしよう。
既存のルールや常識に縛られない人になろう。
自分の行く道は、自分で決めた方が、楽しいに決まっている。
人生のドライバーになろう。
Be a driver.

(MAZDA・2014)

・「ならせる」「ならされる」ではなく、
  自分の人生の主人公(ドライバー)に「なる
・「やらせる」「やらされる」ではなく「やる
・「させる」「させられる」ではなく「する

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「一日一生」
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なめたらあかん [2023年02月06日(Mon)]
先日、年齢を一つ重ねた自分へのお祝いに
中村桂子『老いを愛づる』を買い求めて読みました。

やさしい(易しいでなく、優しい)言葉で読み手に語りかける文章に
心は穏やかで平安に。
また、新たな気づきも多く、なるほどと納得の話も多々あり。

たとえば同窓会の件も「そんな時代もあったね」といつか話せる日が
今来たと思えば納得です。
バカボンのパパの「これでいいのだ」も
足るを知る」を説いていると思うと侮れないです。
ウルグアイ大統領だったムヒカさんのメッセージ
貧しい人とは少ししか持っていない人ではなく、
 無限の欲があり、いくらあっても満足しない人だ

「自分は貧しいとは思っていない。
 いまあるもので満足しているだけなんだ。
 私が質素でいるのは、自由でいたいからなんだ」
なども、考えればバカボンのパパの「これでいいのだ」です。
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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

あらためて、ほんとうの幸せや豊かさについて深く考えることができ、
たとえば、諸事情あってエントリー済みのマラソン大会の出走を
すべて手放したことも、私にとって「豊かな時間と幸せの選択」として
自らの意思決定は間違っていなかったと……

そして昨日(2/5)は、アフガニスタンで井戸を掘り、
用水路を作り上げた医師・中村哲さんの映画
荒野に希望の灯をともす』にガツンと一撃くらわされました。
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映画を観るきっかけは、
中村桂子さんの『老いを愛づる』に中村哲さんが二度も登場。そこで、
おススメの『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』を買って読んだのですが、
中村哲さんの生きざまに魅せられました。
――「困っている人がいたら手を差し伸べる――それは普通のことてす
  (いやいや、普通のレベルが普通じゃないです)
「病気になった人を高い薬を使って治すよりも、
 病気にならないほうがはるかに経済的でもあるし、
 患者さんも助かる」
 ――「百の診療所より一本の用水路をひらめき
「希望はけっして人の世界にはなく、自然の恵みにあるのだ」
などなど

――「雨ニモマケズ」の英訳はいくつかあるのですが、
そのどれもが「マケズ」をそのまま否定形で訳していて、
「ちょっと違うな」と思っていました。
だからぼくの訳は、“Strong in the rain”で始まっています。
「強い」という意味の“Strong”で、
よし、やるぞ」という感じを出したかったんです。
それは賢治の願望であり、祈りでもあったから。
ロジャー・パルバース「私の大好きな宮沢賢治」
/NHK『ラジオ深夜便』 2009年9月号

雨ニモマケズ        Strong in the rain
風ニモマケズ        Strong in the wind
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ  Strong against the summer heat and snow
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイイ

北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ

また、同じく中村桂子さんの『老いを愛づる』に紹介の
まど・みちおさんの『どんな小さなものでも みつめていると
宇宙につながっている―詩人まど・みちお 100歳の言葉―
』より――

小さい子を喜ばそうとして
お子さまランチの旗を使うようなことをすれば、
子どもにこびることになります。
子どもだって人間。同じ「人間」の部分で仕事をすれば、
相手の心に響かないはずはありません

子どもが一生懸命考えて「ああ、これだ!」と分かるような
難解さがあることが、本当に「やさしい」ことだと思うのです。

子どもと思ってなめたらあかん!ってことか
同様に、
小さいと思ってなめたらあかん
弱いと思ってなめたらあかん
中小企業と思ってなめたらあかん
小規模マンションと思ってなめたらあかん
田舎と思ってなめたらあかん
海外の僻地と思ってなめたらあかん
……
なめたらあかん、なめたらあかん、素直に謙虚にひたむきにるんるん

小さいほど大きくて、
大きいほどちっぽけである。

小さいものほど
大きな理由がある


小さければ小さいほど、それは大きなモノになる。
そして、その小さなモノを見た時に、胸をつかれたように驚いて。
・・・なんでもないものの中に、
こんなに素晴らしい内容があったのかと、
そんな驚きを感じる
ことが、詩を書く心、絵を描く心です。
私たちがアートと言い慣らしているものを全ては、
そうした感情につき動かされて生み出されたものだと思うのです。

再び、映画『荒野に希望の灯をともす』より――

「人は見ようとするものしか見えない」ひらめき
中村哲/映画『荒野に希望の灯をともす』

なめたらあかん、なめたらあかん、素直に謙虚にひたむきにるんるん

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「今からでも」
新しい年の新しい思いに、あれこれと心をふくらまし、
一年の計は元旦にありと、あれこれともり沢山の計画を立て、
ことしこそはと誓ってみたり決意をしてみたり。
そんなこんなの正月の夢も、いつのまにか日々の惰性に流されて、
ことしもやっぱりもとのもくあみ。もとのまま。

計画の立てかたが悪かったのか、力以上に望みすぎたのか、
それともしょせんは自分の意志が弱かったのか。
そんな迷いの末に、
いやいや世の中が悪いのだ、こんなはずではなかったのだと、
ついグチも出て、他に罪をかぶせて、なすべきこともつい怠りがち。

これもまた人の世の常ではあろうが、
これでついウカウカの日々では、歳月があまりにも惜しい。
まだまだ年のはじめ、今からでもおそくない
ともかくも今日が年のはじめで、あしたもまた年のはじめ
毎日が年のはじめで、だから毎日計画を立てなおして、
毎日思いを新たにして、毎日誓いを立ててみて……。
グチは言うまい。今からでもおそくない。
今からでもおそくない
のである。


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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
商売の尊さと喜び [2023年01月29日(Sun)]
昨日(1/28・土曜日)の夕方4時頃、ぶらり千里中央へ。
冷たい雨まじりの雪が吹く中
モノレールの駅から北大阪急行に向かう連絡通路では、いつもと変わらず
ビッグイシューの最新号を手に掲げて販売しておられました。

松下幸之助さんが「峠の茶屋」で説くおばあさんを彷彿させる姿に感銘し、
ビッグイシューの最新号を買わせていただきました。
――「当たり前が当たり前でなく、それゆえ有り難いひらめき

お茶を売って金を儲けるということだけから見れば、
この茶店はおばあさんのたんなる暮らしの手段にすぎず、
旅人たちと別になんの約束もしていないのだから、
自分の都合が悪ければ、いつ休んでもいいようなものである。
だが、このおばあさんには、そんな味気ない考えは、
すこしもなかった
と思われる。

千里中央で販売しておられる入沢さんのビッグイシューは、
手書きの感謝のメッセージが添えられています。
A4のコピーで、今回は感謝の言葉に続いて
・「七福神の出身地」
・「長ネギの青い部分の簡単レシピ」
・「恵方巻の歴史」が記されていました。

松下さんが「峠の茶屋」で説かれるように、
入沢さんの姿には「たんに雑誌を売ってお代を頂くという以上の、
誠実な奉仕の気持ちがあふれている
」のを受け止め、
「商売の尊さと喜び」についてあらためて深く考えさせられました。

そこになんだか、儲けということを超えた、
イソイソとした姿
が浮かび上がってくるのである。
商売の尊さと喜びは、
こんなところにあるのではなかろうか。

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パナソニックミュージアム(2023.1.12)

そして、千里中央で入沢さんから買い求めたビッグイシューの最新号、
国際記事の「レフェットリオ、魂を満たす食事とは?」に
インパクトを受けました。

「世界のベストレストラン50」で2016年と18年に世界一に輝いた
「オステリア フランチェスカーナ」のオーナーシェフ、
マッシモ・ボットゥーラに対するインタビュー。

フードロス削減と貧困問題を同時に取り組むコミュニティ食堂
「レフェットリオ」について、その思想に色々と考えさせられました。

記事を読んで、まず考えさせられたのは、
「レフェットリオ」をオープンするアイデアは、
2015年に開催されたミラノ万博のテーマがきっかけで、
(ちなみに、テーマは「地球に食料を、生命にエネルギーを」)
そのきっかけが単なるテーマ以上のもので、
自らに問いかけ、出した答えがこの行動だった
とのこと。

一方、2025年に開催される関西万博。
実のところ、私にとって地元開催なのに関心なく、
テーマも知らず、自ら問いかけて考えたことはありませんでした。
(ちなみに、テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」)

また、先日のニュースで報じられたところによると、
万博に出展を予定していた大阪外食産業協会は、
「資金集め難航で出店辞退も検討したが、
 面積を3分の1に規模を大幅に縮小して出展」とのこと。

しかし、肝心要の話は、出展か否かや、出展の規模ではなく、
出展の「中身」や「閉会後の展開」ではないかと・・・

ミラノと大阪は姉妹都市のはずですが、
「商売」や「食」に対する意識や思想がまったく違います。
残念ながら、ミラノに感じる「哲学」を大阪は感じさせない・・・
(私が感じないだけか、感じさせないよう仕向けられてるのか)

この活動は、慈善事業ではなく文化なのです。
持続可能で包摂的な未来を創るためには、
みんなが一緒になって未来の姿を想像し、
そこに向ってともに行動を起こさなければなりません。

食べ物の質以上に問われるべきは、
人間としての尊厳であり、食べ物への敬意です。
食に向き合う姿勢は、
私たちの価値観や文化を反映するもの
です。
自分自身が食べる時も、家族に食べさせる時も、
地域の人に食べてもらう時も、何の違いもありません

食は、私たちに単なる栄養以上のものを与えてくれます。
食は楽しみであり、文化の架け橋であり、
お互いの距離を縮めてくれます。
料理を作り提供し食べること自体が、発見であり、創造であり、
信頼関係を築く手段ともなります。

家を失い弱い立場にある人にとって、
食は生きるために必要なだけでなく、
人間として不可欠なものです。
思いやりや、やさしさをもって他者に受け入れられた実感は、
単に栄養を摂取することより、
もっと大切なニーズ
を満たしてくれます。

料理人であるということは、
持続可能な道を切り開く素晴らしい機会
恵まれているということです。食材に敬意を表し、
種まきから食卓まで一連のサイクルを大切にしてこそ、
一流人の料理人と言えるでしょう。

などなど、3ページのインタビュー記事には、
私自身の仕事や生活に関して教えられることがたっぷりでした。

ご参考までに
「料理王国」のサイトから
なぜこのプロジェクトに取り組むのか?
その根底にあるものとは?

「フォーブスジャパン」のサイトから

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盆栽を地植えした実家の梅の木
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(2023.1.22)
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(2023.1.28)
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困難に出会われたとき、瑞巌老師はいつでも、
いま自分がやらなければならない一番の本筋を考えられたのです。
どうやって食べ物を探そうか、どうやって金を探そうかではなくて、
自分が出家した以上、僧侶として何ができるのか、
何が一番自分の本筋の仕事であるのか
食べられるか食べられないかではなく、
それを考えてなさったことが、
やはり瑞巌老師が大成なさった一番の基礎にあると思います。
盛永宗興老師の『お前は誰か』


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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
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「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
たがいに助け合いながら生きている [2023年01月17日(Tue)]
白石あづささんの『佐々井秀嶺、インドに笑う』、
佐々井師の波乱万丈の人生にインパクトを受けましたが、
「おわりに」に記されたバングラデッシュ人の幸せのシステムにも
考えさせられました。

この「おわりに」を書く直前に、
イスラム教徒の多いバングラデッシュで旅行取材していたのですが、
日本語通訳さんが
「一日に5回も仕事を中断して世界平和を祈ると、
日本人は『効率悪い』っていうんだけど、あれ逆。
一度、リセットされるから効率が上がるんだ」
と言うのを聞いて、今なら少し分かる気がします。

「貧しい国なのに、市民に悲壮感がないのは、祈っているから?」
と質問すると、
誰かがたいてい助けてくれるから不安がない
と意外な答えが返ってきました。
福祉が充実しているわけでもないのに、なぜかと聞くと、
イスラム社会には、稼いだ年収から使った生活費を差し引いたお金の
2.5%を税金とは別に困っている人に寄付する仕組みがある
そうです。

しなくてもバレないけど、神様との契約だからみんな守っている。
慈善団体に寄付してもいいけど、朝夕、モスクで顔を合わせていれば、
失業したり困っている人に何となく気が付く
その人にそっとお金を渡してもいい。そうすると
その人が商売を始められて、また困っている人を助けられる。
ここがポイントなんだけど、
あげたりもらったりしたことは、お互い速攻で忘れるきまり。
アラーもそう言っている。
他宗教でも他国の人でも困っていれば助けるよ」

宗教はさておき、そんな幸せのシステムを
遵守しているバングラデッシュ人に負けた気がするのと同時に、
佐々井さんがせっせと各村に簡素な寺を建て、
神も仏もありません。
 泣いてすがるんじゃなくて、寺に集まり相談し合え

と説法しているのを思い出しました。


バングラデッシュ人の「幸せ」のシステムに完敗です。

幸せのシステムといっても「制度」ではなく、
神様との契約といっても
「お天道様は良いことも悪いこともすべてお見通し」で、
他者から義務づけられたものではなく「自分との約束」といった感じか。

「困った時はお互いさま」というか、「持ちつ持たれつ」というか、
互いに顔の見える関係で助け合い
そして、助けたことに見返りを求めない「陰徳善事」。
助けられた方はその恩に報いるべく「報恩感謝」で頑張り、
今度は自分が助ける側になってしっかり恩返し。
―― 倍返し、3倍返しで「幸せ」のネズミ算ぴかぴか(新しい)

それに引き換え、
「もらえるうちに、つくらなきゃ!」(マイナンバーカードの広告)
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国の制度ですらこんな状態
―― 自分にとって得か損か、貰えるものならもらわな損
すべてにおいて「自分さえよければいい」
自己中心で「他人のことなどお構いなし」の「利己」。

バングラデッシュより経済的に豊かなはずなのに、
実のところ、豊かではない。―― これでいいのかと自省。

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―― いくら稼いで金を残しても子孫は使ってしまう。
いくら本を残しても読まぬ。
それよりは、人知れず善行を行い、陰徳を積むことだ。(陰徳善事)
それが子孫繁栄の方策だぞ、
ということが書いてある。
誰にもわかる徳目だが、行う人は少ない。
白隠は徳を「悳」と書く。
善行善心のことである、それが「直き心」である。
◆白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ
/Bunkamura


助け合っていくということは、
みなが実力を持つことです。
みなが助け合うということは、
お互いが実力を持つことをお互いに助け合うということです。
実力をなくした者を助け合うというようなことじゃない
実力を持つようにお互い助け合いをする
これが、私は共存共栄だと思うのですね。
これでなくては世の中はうまくいかないと思います。
みんながそれぞれの職責を全うして、
自分の仕事をやっていこうという場合にこそ、
その実力の上に共存共栄の花が咲く
と私は思いますね。
松下幸之助・1964(昭和39)年

司馬遼太郎 『21世紀に生きる君たちへ』より――
(…)
君たちは、いつの時代でもそうであったように、
自己を確立せねばならない。
―― 自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。そして、すなおでかしこい自己を

21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、
君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、
よい方向に持っていってほしいのである。
(…)
自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助けあって生きている
のである。
(…)
人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくり、
たがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して
孤立して生きられるようにはつくられていない
。このため、
助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。

助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、
いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」
みな似たような言葉である。
(…)

大きな犠牲と引き換えに「本当に大切なもの」を学んだあの日から
28年目の朝を迎えるにあたって合掌

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梅一輪 一輪ほどの暖かさ(2023.1.15)
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冬籠りのメダカたちも元気です

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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私の今年の一文字「慈」 [2023年01月04日(Wed)]
明けましておめでとうございます。
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2023.1.1
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年始恒例の私の漢字一文字、ことしは「慈」ですひらめき
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母の木彫りの「慈」(日頃は実家の玄関の壁に掲げられています)

一切の生きとし生けるものは、
幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ
何びとも他人を欺いてはならない。
たといどこにあっても
他人を軽んじてはならない。
互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
この慈しみの心づかいをしっかりとたもて
「慈しみ」/中村元-訳『ブッダのことば』

悪事を己に向かえ 好事を他に与え
己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり
伝教大師『山家学生式』

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


――「雨ニモマケズ」の英訳はいくつかあるのですが、
そのどれもが「マケズ」をそのまま否定形で訳していて、
「ちょっと違うな」と思っていました。
だからぼくの訳は、“Strong in the rain”で始まっています。
「強い」という意味の“Strong”で、
よし、やるぞ」という感じを出したかったんです。
それは賢治の願望であり、祈りでもあったから。
ロジャー・パルバース「私の大好きな宮沢賢治」
/NHK『ラジオ深夜便』 2009年9月号

雨ニモマケズ        Strong in the rain
風ニモマケズ        Strong in the wind
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ  Strong against the summer heat and snow
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテイル

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ

ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ

素直な心になれば、物事の実相が見える。
それにもとづいて、何をなすべきか、
何をなさざるべきかということも分かってくる。
なすべきを行い、なすべからざるを行わない真実の勇気も
そこから湧いてくる。さらには、
寛容の心、慈悲の心というものも生まれて、だから
人も物もいっさいを生かすような経営ができてくる。また、
どんな情勢の変化に対しても、柔軟に、融通無碍に順応同化し、
日に新たな経営も生み出しやすい。
「素直な心になること」/松下幸之助『実践経営哲学』


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大阪国際空港・A滑走路(2022.12.30)

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
新しい年に向けてテイクオフ(続) [2022年12月31日(Sat)]
昨日(12/30)の東証大納会で
締めくくりの鐘を打ち鳴らした脚本家の三谷幸喜さんのスピーチ、
「鎌倉時代は先が読めないという意味で
現代とすごく近いような気がしております。
僕らもこの一寸先は闇の世の中を
これから一歩一歩着実に
進んでいかなければいけないなというふうに思っています。
1歩進んで2歩下がる、
これだとどんどん後ろに下がっちゃうんで、良くありません。
2歩進んで2歩下がる、
これだとほとんど足踏み状態なので、これも良くありません。
3歩進んで2歩下がる、
これです、皆さん、3歩進んで2歩下がる、
少しずつですが、1歩ずつ前に向かって歩いていきましょう。

来年の干支は兎です。
兎というのは、非常に危機管理能力が発達しておりまして
寝ている時もずっと目を開けていると言われております。
僕らもしっかりと目を開けて
少しずつ前向きに新しい未来へ進んでいきたいと思っております。
きっとそこには、
今と違う素晴らしい景色が広がっていると思っております。」



うーん、大納会の打鐘のゲストは三谷幸喜さんということで
そのスピーチを楽しみにしていたのですが、
あまりに普通でインパクトなし。
―― 今年の年末の株価は4年ぶりに前年を下回ったというのに……

「鎌倉時代に限らず、いつの時代も先は読めません
一寸先は闇か、光か、だれもわからない
そんな世の中を
『1歩進んで2歩下がる』だと3歩しか歩いていない。
『2歩進んで2歩下がる』では4歩で、
『3歩進んで2歩下がる』だと5歩です。
一寸先は闇か、それとも光か、先が読めないのだから、
大切なのは、結果として下がってるか、足踏みか、前進かではなく、
「今を歩き続ける」こと
です。

来年は卯年ですが、うさぎは危機管理能力が発達して
寝ているときも目を開けている。
我われもしっかり目を見開いて現実から目を逸らさず、
闇雲に前へ前へと進むのではなく、
立ち止まるべき時は立ち止まり、後進すべき時は後進し、
そして、乗り越えるべき危機にも立ちすくむことなく、
しっかり足踏みして(時には後ろに引き下がり)助走をつけ、
力強くジャンプして飛躍しましょう
。」


三歩進んだと思ったら、四歩下がる。そんな毎日である。
だが、思うようにいかないことは、悪いことばかりではない。
思う通りにいかないからこそ、思わぬ方向に道が開ける

速く進みたければ一人で歩め。
遠くまで行きたければ、みんなで歩め。
これは、アフリカのことわざだという。
三歩進んだと思ったら、四歩下がる。その七歩の歩みを、
僕は書き残すようにしている。
速く進めないことにもどかしさを感じながらも、
何が「進む」なのかを決めつけている自分の思い込みを、
解きほぐしてくれているのが子どもたちなのだと気づく。
森田真生『偶然の散歩』
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何度も転び、そのたびにまた立つ。
そうして試行錯誤を繰り返しながら、
僕たちは歩くことを全身で体得してきた。
転ぶたび、そして立つたびに、人の身体は賢くなっていくのだ。
あっちへ走り、こっちへと駆け、
ズデンと転んではぎゃあと泣きながら、
子どもは身体の知性を鍛える。
それに比べ、ちっとも転ばなくなってしまった自分は、
どこか停滞しているのかもしれない
とも思う。
(…)
転んでも転んでも立ち上がるしぶとさ。それと同時に、
立ち上がってもなお、いつでも転べる勇気と身軽さ

そのどちらも失わないでいたいと思う。
森田真生『偶然の散歩』


松下幸之助『道をひらく』より――
一陽来復
ひろい世の中、長い人生、
いつも心楽しいことばかりではない。
何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、
これはこれでまことに結構なことであるけれど、
なかなかそうは事が運ばない。
ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、
思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。

しかし、それまたよし
悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、
窮境に立って、はじめて世間の味わいを
学びとることができるのである。
頭で知ることも大事だが、
身をもって知るということが何よりも大事
塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。
知るということにも、いろいろあるのである。

窮境に立つということは、
身をもって知る尊いチャンス
ではあるまいか。
得難い体得の機会ではあるまいか。
そう考えれば、
苦しいなかにも勇気が出る。元気が出る。
思い直した心のなかに新しい知恵がわいてくる。
そして、禍いを転じて福となす、つまり一陽来復
暗雲に一すじの陽がさしこんで、
再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくる
と思うのである。

もちろん中小企業の弱体性というものはあります。
けれども弱体性だけを認識して悲観するのと、
中小企業の長所というものを認識して勇気をもつというのと、
2つあるわけです。
前のほうはやっぱりうまくいかない。
景気に非常に押されるわけです。
あとのほうはむしろ面白くやっている。
だから認識いかんですよ。
「経営の醍醐味が味わえるという中小企業のよさ」
『松下幸之助・経営の真髄』より

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「年の暮れ」
何となく心せわしくなってきた。
毎年のことで、別にどうということはないようにも思うのだが、
やはり年の暮れというと落ち着かない。
あれもかたづけておきたい。これも始末をしておきたい。
別にウカウカすごしてきたつもりではないけれども、それでも
何となくその日その日をウカウカすごしてしまったような
悔いにおそわれるこの年の暮れ
である。
だがしかし、こんな思いがあればこそ、
この一年のしめくくりもできるのであろう。
年内余日もないきょうこのごろではあるけれど、
今からでもおそくない。できる限りのことはしておこう
及ばずながらもやってみよう。
今や一日が尊く、一時間が貴重なのである。
そんななかでも、世と人に対する感謝の気持ちだけは忘れまい
この一年、ともかくもすごし得たのは、自分ひとりの力ではない
あの人のおかげ、この人のおかげ、
たくさんの人のたくさんの善意と好意のおかげである。
時にやり切れない思いに立ったこともあろうけれど、
最後はやっぱりこの感謝の思いにかえりたい。
それでこそのこの年の暮れである。


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大阪国際空港・A滑走路(2022.12.30)

来年も良い年でありますようにひらめき

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
新しい年に向けてテイクオフ [2022年12月29日(Thu)]
一昨日(12/27)から朝日新聞の朝刊の(けいざい+)に連載の
「積乱雲のごとく」、読み応えあり。

楡周平さんの物流四部作(『ラストワンマイル』、『再生巨流』、
『ドッグファイト』、『バルス』)に勝るとも劣らぬ展開で、
まさに、事実は小説より奇なりです。

(…)
(主人公の義父)は、自分の会社の名を、こうしていた。
テイヘン
ドライバーは、世の中から便利に使われ、下に見られている。
いま俺たちは社会の底辺にいる。だが、はいあがってみせる
そんな自虐と決意がこもった社名だった。
松本(主人公)は、思いに打ちのめされた。
(…)
松本は震えた。今すぐ実行だ!
会社をつくった。社名は「CBcloud(シービークラウド)」。
CBとは航空管制官とパイロットとの間で使われる略語だ。意味は……
積乱雲!
すごい勢いで大きくなっていく積乱雲のごとく、
会社を急成長させて物流を支えたい。
「底辺にいるドライバーたち」の地位を高めたい。
収入を増やし、体を酷使している働き方を改革したい

(…)
「CBさんとともに、運送業界の地位を向上させたい。
 夢をかなえたい」
CBのサービスをつかう運送会社は2千社に近づき、さらに増えている
松本が思い描いたCBのごとく、積乱雲のごとく。

トラックの運転手の長時間労働が2024年に見直されます。
働きづめのドライバーの残業時間が規制される一方で、
ドライバー不足が深刻化して荷物が届かない「2024年問題」が
起こりかねないといわれています。
みなさん、ドライバーの仕事の大切さと大変さに思いをはせましょう。
すべてのドライバーたちに敬意をこめて



消費者が安い、早い、便利を追い求める限り、
企業はそれにこたえなければ生き残れない。
非正規労働者の需要を高めてんのは誰でもない。消費者なんだ
楡周平『バルス』

そうや、なにが出口戦略や!
事業再生であれ、なんであれ、
出口戦略なんてほざいている根性に明日はないパンチ

出口なんか求めてどないする!
求めるのは出口やない、テイクオフやexclamation
新しい年に向けてテイクオフひらめき

共存共栄ということでなくては、真の発展、繁栄はありえない
それが自然の理であり、社会の理法なのである。
自然も人間社会も、共存共栄が本来の姿なのである。
(…)
関係先の犠牲においてみずからの発展をはかるようなことは
許されないことであり、それは結局、自分をも損なうことになる

すべての関係先との共存共栄を考えていくことが大切であり、
それが企業自体を長きにわかって発展させる唯一の道である。
(…)
需要者の要請にこたえてコストダウンをしていくために、
仕入先に対して値段の引下げを要望する。
これは、どこでもよくあることである。しかし、
その場合に、ただ値引きを要求するだけではいけない。
値段を下げても、なおかつ先方の経営が成り立つ、いいかえれば、
先方の適正利潤が確保されるような配慮が必要
なのである。
(…)
一方、商品の販売を担当する得意先に対しては、
こちらも大いに勉強するとともに、
やはり必要な適正利益を取ってもらうようにする。
同時に、需要者にも、適正な価格で買ってもらえるように、
商品政策、販売政策を考えていく
。そのようにして、
ともどもに適正利益を得つつ共存共栄していくことが大切である
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

(まこと)の商人は、
先も立ち、我も立つことを思うなり
(石田梅岩)

松下幸之助『道をひらく』より――
一陽来復
ひろい世の中、長い人生、
いつも心楽しいことばかりではない。
何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、
これはこれでまことに結構なことであるけれど、
なかなかそうは事が運ばない。
ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、
思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。

しかし、それまたよし
悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、
窮境に立って、はじめて世間の味わいを
学びとることができるのである。
頭で知ることも大事だが、
身をもって知るということが何よりも大事
塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。
知るということにも、いろいろあるのである。

窮境に立つということは、
身をもって知る尊いチャンス
ではあるまいか。
得難い体得の機会ではあるまいか。
そう考えれば、
苦しいなかにも勇気が出る。元気が出る。
思い直した心のなかに新しい知恵がわいてくる。
そして、禍いを転じて福となす、つまり一陽来復
暗雲に一すじの陽がさしこんで、
再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくる
と思うのである。

もちろん中小企業の弱体性というものはあります。
けれども弱体性だけを認識して悲観するのと、
中小企業の長所というものを認識して勇気をもつというのと、
2つあるわけです。
前のほうはやっぱりうまくいかない。
景気に非常に押されるわけです。
あとのほうはむしろ面白くやっている。
だから認識いかんですよ。
「経営の醍醐味が味わえるという中小企業のよさ」
『松下幸之助・経営の真髄』より

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「年の暮れ」
何となく心せわしくなってきた。
毎年のことで、別にどうということはないようにも思うのだが、
やはり年の暮れというと落ち着かない。
あれもかたづけておきたい。これも始末をしておきたい。
別にウカウカすごしてきたつもりではないけれども、それでも
何となくその日その日をウカウカすごしてしまったような
悔いにおそわれるこの年の暮れ
である。
だがしかし、こんな思いがあればこそ、
この一年のしめくくりもできるのであろう。
年内余日もないきょうこのごろではあるけれど、
今からでもおそくない。できる限りのことはしておこう
及ばずながらもやってみよう。
今や一日が尊く、一時間が貴重なのである。
そんななかでも、世と人に対する感謝の気持ちだけは忘れまい
この一年、ともかくもすごし得たのは、自分ひとりの力ではない
あの人のおかげ、この人のおかげ、
たくさんの人のたくさんの善意と好意のおかげである。
時にやり切れない思いに立ったこともあろうけれど、
最後はやっぱりこの感謝の思いにかえりたい。
それでこそのこの年の暮れである。

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北野天満宮(2022.12.25)終い天神
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実家近くの氏神様、阿比太神社(2022.12.28)
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千里の氏神様、上新田天神社(2022.12.27)
来年も良い年でありますように!

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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