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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
★経営のための会計★
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ようこそお越しくださいました。ありがとうございます。
「道しるべ」でお好きなカテゴリーをお選びいただき、お時間の許す限りごゆっくりおくつろぎください。
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「希望」でなく「希願」 [2021年12月03日(Fri)]
先々週の金曜日(11/19)、
大谷翔平さんが大リーグMVPを満票で受賞した日
KIMG0751_3 (2).JPG
下は岩手日報の号外(11/19)、上は翌日の朝刊(11/20)
KIMG0752_2 (2).JPG

花巻からレンタカーを借りて一関市東山町の松川を訪れました。

石と賢治のミュージアムの敷地内に「農民芸術概論綱要」の碑がありました。
が、ほかの碑と違って、説明書きなどなく、ひっそり置かれていました。
KIMG0463_2.JPG

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』より――
「農民芸術の製作」
……いかに着手しいかに進んで行ったらいいか……
世界に対する大なる希願をまづ起せ
強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ

感受の後に模倣理想化冷く鋭き解析と熱あり力ある綜合と
諸作無意識中に潜入するほど美的の深と創造力はかはる
機により興会し胚胎すれば製作心象中にあり
練意了って表現し 定案成れば完成せらる
無意識即から溢れるものでなければ多く無力か詐偽である
髪を長くしコーヒーを呑み空虚に待てる顔つきを見よ
なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

その時は気づかず、戻ってブログの記事を書いた時にも気づかず、
記事を公開した後にあらためて記事を見て気づきました。
原文は「希願」なのに、碑は「希望」です。

調べてみると、
東北砕石工場の工場主だった鈴木東蔵さんの実子の実さんが、
遠野高校の校長在任中に卒業記念として制作されたものの、
一字違いのため譲り受けて私邸に設置されたとのこと。
(原子内貢『宮沢賢治詩碑・平成30年度最新版』)

その碑が、石と賢治のミュージアムに移設されたのでしょうか。
いずれにせよ、一字の違いのおかげで、
賢治が「希望」でなく「希願」の言葉に込めた思いを
考えることができました。

あらためて手元の辞書を調べると、
「祈願」はあっても、「希願」はなく、
「希望」や「願望」はあっても、「希願」はありません。

そこで、それぞれの語義を確認すると、
希う(こいねがう)切に望む
願う(ねがう)こうありたいと切に考える
望む(のぞむ)欲しいと願う、当てにする
(注)「願う」が心の中で物事の成就を切望するのに対し、
「望む」は現在と将来に期待や見込みを立て、それを当てにする

心の中か、公言するかの問題ではなく、
切に考えて実現させるか、期待や見込みを当てにするか

その意味では、「根拠なき願望」というのはおかしな話で、
願望」ならば根拠があって当然でしょうから、
「根拠なき希望」と言うべきかも

もし強い願望を抱いて、自分の夢をあきらめなければ、
なんとか実現できるよう、さらに良い方法を
考え続けていくことができる
のです。
心の奥底からこうありたいという強い願望を持てば、
人の心は、眠っている間でさえも、
なんとか壁を取り除こうと考えるようになるのです。
このようにして、信じらないほどの創造力が生まれてくるのです。

状況の奴隷になってしまうと、状況が悪いことを理解し、
自分の夢が非現実的であったという結論をだすだけになって
しまいます。しかし強い願望を持っている人は、
問題を解決するために創意工夫と努力を始め
目的に到達するまで、決してあきらめないのです。

目的に向かって進んでいく人、挫折を重ねていく人、そして
だらだらと一生を終えてしまう人の、一番の大きな差は、
この願望の強さなのです。
稲盛和夫『成功への情熱―PASSION―』

大谷翔平さんの大リーグ挑戦は、
「世界に対する大なる希望」ではなく、
世界に対する大なる希願」であり、
その希願を成就すべく、
強く正しく生活」し「苦難を避けず直進」した、
その結果として、今回の大リーグMVP受賞ひらめき
そして一時の結果に「慢心することなく」、さらなる努力を積み重ねる足跡

世界に対する大なる希願をまづ起せ
強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
KIMG0463_2.JPG

念のため、遠野高校に設置された賢治像の碑は「希願」ですぴかぴか(新しい)
◆「農民芸術概論綱要」碑/ 宮澤賢治の詩の世界

KIMG0359_2.JPG
宮沢賢治を訪ねて(2021.11/17〜21)足跡
◆未知なる道を探索して歩き進む/2021.11.15
◆永久の未完成、終わりはない/2021.11.24
◆鹿踊りの、ほんとうの精神/2021.11.25
◆芸術をもてあの灰色の労働を燃せ/2021.11.25
◆すべてのいのちはつながっている/2021.11.25
◆銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱/2021.11.25
◆グスコーブドリのまち・一関市東山町/2021.11.25
◆きれいにすきとおった風をたべ/2021.11.26
◆下ノ畑ニ居リマス/2021.11.26
◆賢治さんのお墓にお参り/2021.11.26
◆賢治の心 受け継ぎて/2021.11.26
◆岩手山を望む(御所湖)/2021.11.26
◆ごく強力な鬼神たちの棲みか/2021.11.26
◆岩手山銀河ステーション天文台/2021.11.26
◆よだかの星は今でも燃えています/2021.11.26
◆すべてはつながっている「自他不二」/2021.11.27
◆昨日の為に働くか、明日の為に働くか/2021.11.28
◆とにかく読む、読んで知ることだ/2021.12.1

P1010817.JPG
足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
とにかく読む、読んで知ることだ [2021年12月01日(Wed)]
月末の昨日(11/30)、仕事の道すがらに出会った古本屋さん。

アマゾンは先に求める本があって検索するし、
ブックオフもオンラインで注文した本を受け取りに店舗に立ち寄るだけ。
特に目当ての本があるわけでないのに、
リアルな古本屋さんのお店に入ったのは久しぶり、いつ以来か。

順に棚を巡り、目に留まった本は、
昭和52年11月30日発行の「宮沢賢治(文芸読本)」
KIMG0789_2.JPG

44年前のこの日(11/30)に発行された本で、
当時20歳だった私も2ヶ月後には高齢者の仲間入り。
「運命的な出逢い」を感じて買い求める。

谷川徹三「ある手紙」(昭和10年2月・朝日新聞)より――
僕はこの頃宮沢賢治という人の童話集に夢中になっている。
君は名前も知らないだろう。
一般には全く知られてない人だからね。
(…)
僕はもっと早くこの人を知りたかった。
この人が生きていたら逢って見たかったね。

―― そうだ、この人は死んでいるんだ。
ずっと肺が悪くて去年の秋亡くなったのだ。
(…)
とにかく読むことだ。読んで知ることだ。
この人が世に知られないたった一つの理由は
機会がなくてみんなに読まれなかったことだと僕は思っているからね。

ほかも読み応えある内容ばかりで運命的な出逢いの期待を裏切らず。
ワンコインで買えてありがたい限りです。

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宮沢賢治を訪ねて(2021.11/17〜21)足跡
◆未知なる道を探索して歩き進む/2021.11.15
◆永久の未完成、終わりはない/2021.11.24
◆鹿踊りの、ほんとうの精神/2021.11.25
◆芸術をもてあの灰色の労働を燃せ/2021.11.25
◆すべてのいのちはつながっている/2021.11.25
◆銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱/2021.11.25
◆グスコーブドリのまち・一関市東山町/2021.11.25
◆きれいにすきとおった風をたべ/2021.11.26
◆下ノ畑ニ居リマス/2021.11.26
◆賢治さんのお墓にお参り/2021.11.26
◆賢治の心 受け継ぎて/2021.11.26
◆岩手山を望む(御所湖)/2021.11.26
◆ごく強力な鬼神たちの棲みか/2021.11.26
◆岩手山銀河ステーション天文台/2021.11.26
◆よだかの星は今でも燃えています/2021.11.26
◆すべてはつながっている「自他不二」/2021.11.27
◆昨日の為に働くか、明日の為に働くか/2021.11.28

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
昨日の為に働くか、明日の為に働くか [2021年11月28日(Sun)]
彼等の労作は、
明年の為めに今年働き、明日の為めに今日労するものではない
昨年の為めに今年働き、昨日の為めに今日労する者である。
(あに)憐れむべき境遇ではないか

鈴木東蔵『農村救済の理論及び実際』p.15
農村救済の理論及実際.jpg

この本の著者「鈴木東蔵」は、下の集合写真で後列中央のひげの男性で、
その向かって右のネクタイ姿は「宮沢賢治」です。
(さらに向かって右は「偶然居合わせた魚屋さん」とのこと)
KIMG0448_2.JPG
(別ウィンド表示)


撮影は昭和6(1931)年3月で、
当時、鈴木東蔵は39歳で、宮沢賢治は34歳です。
宮沢賢治は1933年9月21日に37歳で亡くなっているので、
この写真は宮沢賢治が亡くなる2年半前に撮影されたものです。

当時、賢治は病気療養中の身でしたが、
縁あってこの工場(東北砕石工場)で働き、
タンカル(炭酸カルシウム)とネーミングしたり、
広告文を作ったり、自ら名刺を持って営業の出張したり…

ところが、不思議なことに、
晩年の賢治がこの工場で頑張っていたことはあまり書かれていません。
たとえば、門井慶喜さんの直木賞受賞作の『銀河鉄道の父』でも、
農学校を退職して羅須地人協会を立ち上げて一人暮らしの話は登場しますが、
その後の東北砕石工場での賢治の奮闘努力や
父政次郎のもろもろの金銭的支援や精神的な支えについて
書かれていません。

宮沢賢治のイメージが崩れるからなのか、
あの「雨ニモマケズ」の詩が「手帳」に書かれたのも、
この当時のことと言われるのに、不思議です。

私自身、東北砕石工場での宮沢賢治について知りませんでした。
賢治の弟の宮沢清六さんが書かれた『兄のトランク』を読むまでは…

その工場のために働く決心を固め昭和六年の春から
その東北採石工場の技師として懸命に活動をはじめた
宮沢清六『兄のトランク』

まさに、先ほど紹介した集合写真が撮られた時期です。

また、宮沢賢治の石碑について、
最初に建てられたのは羅須地人協会の詩碑「雨ニモマケズ」ですが、
KIMG0514_2.JPG(羅須地人協会の跡地)
二番目に建てられた「まづもろともに」を知りました。
KIMG0470_2.JPG(一関市東山町)
第二次大戦後の混沌、虚脱の中にあった東山の青年たちが
東北砕石工場との関係で縁があった宮沢賢治の精神を指標として
村の復興を願い、賢治の碑を建立しようと企画した

それが全村あげての運動となったという。
碑文の選定と揮毫は谷川徹三に依頼し、町を見下ろす高台に建立された。

まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて
無方の空にちらばらう

しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

そして、谷川徹三の『宮沢賢治の世界』を読み、
当初は出かける予定のなかった一関市東山町松川の東北砕石工場を
今回の「宮沢賢治を訪ねてイーハトーブ岩手県を巡る旅」の
最初の目的地に、急遽、変更しました。

前知識で、デクノボーのモデルと言われる斎藤宗次郎に興味を持ち、
花巻の街中ぶらり散策で「求康堂跡」を訪ねたり、
花巻博物館で過去に開催された「斎藤宗次郎−花巻時代の足跡−」の
図録を買い求めて読んだりしました。

確かに、斎藤宗次郎の生き様も素晴らしいものがありますが、
私の中で「デクノボー」は宮沢賢治そのものであり、
鈴木東蔵と出会ってからの賢治の生き様に
「よだかの星」を彷彿させるものを受け止めました。
KIMG0763_2.JPG
宮沢賢治『よだかの星』より――
よだかは、実にみにくい鳥です
(…)
よだかはもうすっかり力を落してしまって
はねを閉じて、地に落ちて行きました
そしてもう一尺で地面にその弱い足がつくというとき、
よだかは俄かにのろしのようにそらへとびあがりました

そらのなかほどへ来て、よだかはまるで鷲が熊を襲うときするように、
ぶるっとからだをゆすって毛をさかだてました。
それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫びました
その声はまるで鷹でした。野原や林にねむっていたほかのとりは、
みんな目をさまして、ぶるぶるふるえながら、
いぶかしそうにほしぞらを見あげました。
夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました
もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。
よだかはのぼってのぼって行きました
(…)
そしてよだかの星は燃えつづけました。
いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています

当時の宮沢賢治が使用していた手帳に書き留められていた詩が
胸を打ち、魂を揺さぶられます。
KIMG0447_2.JPG
あらたなる
よきみちを得しといふことは
たゞあらたなる
なやみのみちを得しといふのみ

このことむしろ正しくて
あかるからんと思ひしに
はやくもこゝにあらたなる
なやみぞつもりそめにけり

あゝいつの日かか弱なる
わが身
恥なく生くるを得んや
野の雪はいまかゞやきて
遠の山藍のいろせり

手帳にはタンカルの採算のことなども書かれていますし、
鈴木東蔵と交わされた書簡は最後まで仕事のことを気にかけています。
(↓)展示されていた書簡の複製のうち一番最後、亡くなる前月
昭和8年8月4日(書簡No.482)
KIMG0427_2.JPG(別ウィンド表示)

まさに、「よだか」であり、「デクノボー」です。

当時の「東北砕石工場」に興味を持ってネットで検索すると、
鈴木東蔵が本を出版していたことを知り、
国立国会図書館のデジタルコレクションを確認すると、
以下の二冊の本が公開されていました。
農村救済の理論及び実務』(大正6(1917)年出版)
理想郷の創造』(対象9(1920)年出版)

早速、『農村救済の理論及び実際』を読みましたが、
農村救済の理論及実際.jpg
冒頭に紹介した言葉も、
松下幸之助さんが「借入の返済は過去の経営」と説いたように、
稲盛和夫さんが「金策に走り回って自転車操業しているようでは
本当の経営を行っているとは言えない」と説いたように、
間違いなく、真理です。
そのほかも含めて、素晴らしい内容の本でした。

100年以上も前に出版された本ですが、
この記事の最初に紹介した集合写真より14年前だから、
鈴木東蔵は当時まだ25歳です。
岩手毎日新聞に掲載したものをまとめて本として出版というから、
実際に書いたのはさらに若い。
尋常高等小学校を卒業後、家庭の事情で旧制中学に進学できず、
村役場の用務員として働きながら学び続け、
そしてこれだけの本を20歳代前半で世に出したというからスゴイです。

こんな志高い鈴木東蔵だからこそ、宮沢賢治と出会い、
そして、宮沢賢治は「デクノボー」になり
「よだかの星」として「今でもまだ燃えている」のでしょう。
KIMG0443_2.JPG

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
KIMG0772_3.JPG

以下、ご参考までに
◆『宮沢賢治と東北砕石工場の人々』の著者、伊藤良治氏の連載記事
「この土を この人たちが この石灰で」/日本石灰協会
・宮澤賢治と炭酸石灰(1)
・宮澤賢治と炭酸石灰(2)
・宮澤賢治と炭酸石灰(3)
・宮澤賢治と炭酸石灰(4)
◆宮沢賢治が技師として働いた町/東北地質調査業協会
◆賢治、再び石へ向かう/星空紀行/NHK

KIMG0359_2.JPG
宮沢賢治を訪ねて(2021.11/17〜21)足跡
◆未知なる道を探索して歩き進む/2021.11.15
◆永久の未完成、終わりはない/2021.11.24
◆鹿踊りの、ほんとうの精神/2021.11.25
◆芸術をもてあの灰色の労働を燃せ/2021.11.25
◆すべてのいのちはつながっている/2021.11.25
◆銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱/2021.11.25
◆グスコーブドリのまち・一関市東山町/2021.11.25
◆きれいにすきとおった風をたべ/2021.11.26
◆下ノ畑ニ居リマス/2021.11.26
◆賢治さんのお墓にお参り/2021.11.26
◆賢治の心 受け継ぎて/2021.11.26
◆岩手山を望む(御所湖)/2021.11.26
◆ごく強力な鬼神たちの棲みか/2021.11.26
◆岩手山銀河ステーション天文台/2021.11.26
◆よだかの星は今でも燃えています/2021.11.26
◆すべてはつながっている「自他不二」/2021.11.27

P1010817.JPG
足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

IMG-9307.jpg
「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
すべてはつながっている「自他不二」 [2021年11月27日(Sat)]
宮沢賢治を訪ねてイーハトーブ岩手県を巡る旅(11/18〜21)

宮沢賢治の童話を読むことを勧められたのがきっかけです。
さらに、童話を読んだ後、機会があれば、
ぜひ宮沢賢治さんの生家を訪ねられたらいいですよと言われました。
9月末のことでした。

今さら童話なんてと思いながらも、月が替わって10月の最初の週末、
「丹後でウルトラ旅ラン」に『銀河鉄道の夜』を持っていき、
テントの灯りの中で読みました。

なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでも
それがただしいみちを進む中でのできごとなら、
峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

正直なところ、よく分かりませんでした。
けど、不思議な物語の中に心惹かれるメッセージがいくつかあって、
それをきっかけに、図書館で絵本を借りて読むようになり、
すっかり宮沢賢治の世界に魅せられてしまいました。
そして、東京出張の機会に、花巻へ足を延ばすことにしました。

出かけてよかったです。
最晩年の賢治が取り組んだ東北砕石工場とか、
花巻の胡四王山や下ノ畑や農学校跡の公園とか街の中とか
岩手山の焼走りの熔岩流とか、歩いていると感じること多々あり。

また、複製とはいえ、賢治の肉筆で書かれた手帳や書簡などを
それが書かれた場所(花巻や陸中松川)で見ると、
その思いが伝わって魂を揺さぶられ、
本で写真を見たり活字で読んだりするのは違いました。

そして、私の中でバラバラだった宮沢賢治の世界が、
点と点がつながっていくように感じます。

すべてはつながっている
人と人はもとより、動物も、花や木も、石や岩も、山も、
風も、ヒデリも、雨も、雪も、星も、銀河も、、、
人間社会だけでなく
自然も、宇宙も、あらゆるものがつながっている

賢治が説く「世界」とはそういうことで、
すなわち「銀河系」なのか...
ーー いのちは自分のものではない

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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『狼森と笊森、盗森』、『カイロ団長』、『どんぐりと山猫』、
『オツベルと像』、『グスコーブドリの伝記』などなど

『鹿踊りのはじまり』で語られる「鹿おどりのほんとうの精神」も
・「傍観」から「観察」に変わり、
・「相手と向き合う」から「相手の立場に立つ」になり、
・ さらに「自他不二」「自他一如」になる

「すべてはつながっている」ということは、
すべてのいのちがつながっている」ということで、
無益な殺生や環境破壊を戒めるだけでなく、
他人をして無益な殺生や環境破壊を行わしめないということか...

そして「すべてのいのちがつながっている」のだから、
永久の未完成これ完成である」であり、
このことは自分の生涯の話ではないということか...
(「よだか」は死んだ今でもまだ燃えている)

そしてよだかの星は燃えつづけました。
いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています
宮沢賢治『よだかの星』
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だからこそ、いのちある限り、精一杯生き抜くひらめき

世界に対する大なる希願をまづ起せ
強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて
無方の空にちらばらう

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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(別ウィンド表示)


そして、人に対してはもとより、動物や自然に対しても、傲岸不遜にならず、
自らの「慢」を戒め、謙虚に、正しく直く、そして心あたたかく
『貝の火』、『注文の多い料理店』などなど

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ

サウイフモノニ ワタシハナリタイ
宮沢賢治「雨ニモマケズ」


巨きな人生劇場は
時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……ひらめき
われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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色々な出会いがあり、多くの気づきを得たことに心から感謝。
機会があれば、季節を変えてぜひまた訪れたいです。

そうそう、今回の旅行中にこんな素晴らしい出会いもありました。
大谷翔平さんの大リーグMVP受賞を報じる岩手日報ぴかぴか(新しい)
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下は号外(11/19)、上は翌日の朝刊(11/20)
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翌日の朝刊(11/20)
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上下とも、翌日の朝刊(11/20)

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宮沢賢治を訪ねて(2021.11/17〜21)足跡
◆未知なる道を探索して歩き進む/2021.11.15
◆永久の未完成、終わりはない/2021.11.24
◆鹿踊りの、ほんとうの精神/2021.11.25
◆芸術をもてあの灰色の労働を燃せ/2021.11.25
◆すべてのいのちはつながっている/2021.11.25
◆銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱/2021.11.25
◆グスコーブドリのまち・一関市東山町/2021.11.25
◆きれいにすきとおった風をたべ/2021.11.26
◆下ノ畑ニ居リマス/2021.11.26
◆賢治さんのお墓にお参り/2021.11.26
◆賢治の心 受け継ぎて/2021.11.26
◆岩手山を望む(御所湖)/2021.11.26
◆ごく強力な鬼神たちの棲みか/2021.11.26
◆岩手山銀河ステーション天文台/2021.11.26
◆よだかの星は今でも燃えています/2021.11.26

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
よだかの星は今でも燃えています [2021年11月26日(Fri)]
宮沢賢治を訪ねてイーハトーブ岩手県を巡る旅の最終日、
今回の旅のおさらいに「宮沢賢治記念館」へ(2021.11.21)
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色々と展示されていましたが、やはり、活字になったものより、
手帳や原稿、書簡、そして羅須地人協会で使用した教材など、
賢治自身の「肉筆」によるものが心を打ちます。

その中で最も私の心に残ったのは「宮沢賢治の最後の手紙」。
賢治が亡くなる10日前に、花巻農学校の教え子に宛てた手紙です。

記念館の館内は写真撮影が禁じられていたので
メモすればよかったのですがメモせず、
空港で搭乗前にネット検索すると
花巻東高校の旧サイトに記されていました。
花巻東高校では書家によるパネルが校内に掲げられているようです。

宮沢賢治全集「書簡」より――
(昭和8〈1933〉年9月11日 柳原昌悦あて封書)
(…)
私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病、
「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。
僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが
何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、
じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲けり、いまにどこからか
じぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ

空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず
幾年かが空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては
たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得る
といったやうな順序です。
あなたは賢いしかういふ過りはなさらないでせうが、
しかし何といっても時代が時代ですから充分にご戒心下さい。
風のなかを自由にあるけるとか、
はっきりした声で何時間も話ができるとか、
じぶんの兄弟のために何円かを手伝へるとかいふようなことは
できないものから見れば神の業にも均しいものです。
そんなことはもう人間の当然の権利だなどといふやうな考では
本気に観察した世界の実際と余り遠いものです
どうか今のご生活を大切にお護り下さい。
上のそらでなしに、しっかり落ちついて
一時の感激や興奮を避け、楽しめるものは楽しみ
苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう
いろいろ生意気なことを書きました。病苦に免じて赦して下さい。
それでも今年は心配したやうでなしに作もよくて
実にお互心強いではありませんか。
また書きます。

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宮沢賢治『よだかの星』より――
よだかは、実にみにくい鳥です。
(…)
よだかはもうすっかり力を落してしまって、
はねを閉じて、地に落ちて行きました。
そしてもう一尺で地面にその弱い足がつくというとき、
よだかは俄かにのろしのようにそらへとびあがりました

そらのなかほどへ来て、よだかはまるで鷲が熊を襲うときするように、
ぶるっとからだをゆすって毛をさかだてました。
それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫びました。
その声はまるで鷹でした。野原や林にねむっていたほかのとりは、
みんな目をさまして、ぶるぶるふるえながら、
いぶかしそうにほしぞらを見あげました。
夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。
もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。
よだかはのぼってのぼって行きました。
(…)
そしてよだかの星は燃えつづけました。
いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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世界に対する大なる希願をまづ起せ
強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて
無方の空にちらばらう

しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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(別ウィンド表示)


巨きな人生劇場は
時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……ひらめき
われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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宮沢賢治を訪ねて(2021.11/17〜21)足跡
◆未知なる道を探索して歩き進む/2021.11.15
◆永久の未完成、終わりはない/2021.11.24
◆鹿踊りの、ほんとうの精神/2021.11.25
◆芸術をもてあの灰色の労働を燃せ/2021.11.25
◆すべてのいのちはつながっている/2021.11.25
◆銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱/2021.11.25
◆グスコーブドリのまち・一関市東山町/2021.11.25
◆きれいにすきとおった風をたべ/2021.11.26
◆下ノ畑ニ居リマス/2021.11.26
◆賢治さんのお墓にお参り/2021.11.26
◆賢治の心 受け継ぎて/2021.11.26
◆岩手山を望む(御所湖)/2021.11.26
◆ごく強力な鬼神たちの棲みか/2021.11.26
◆岩手山銀河ステーション天文台/2021.11.26

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
岩手山銀河ステーション天文台 [2021年11月26日(Fri)]
宮沢賢治を訪ねてイーハトーブ岩手県を巡る旅、
本日(11/20)のフィナーレは「岩手山銀河ステーション天文台」
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昨日(11/19・金曜)は満月で部分月食でしたが、
残念ながら、11月から3月までは土曜日のみ開館です。

「SL銀河」も週末運行で、どちらにしようか悩みましたが、
やはり、作りモノより、ホンモノの銀河ということで天文台を選択。
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最初に、「土星」を見せてくださいました。
土星の輪もはっきり見え、四つの衛星も見えました。

次に、「木星」で、縞模様も確認できましたが、
衛星で確認できたのはタイタンのみ。
いやいや、丹後ウルトラマラソンの「タイタン」へ希望の星ですぴかぴか(新しい)
さらに、
こと座の恒星「ベガ」を見せていただき、
「海王星」と続き、そして「アンドロメダ銀河」。
かつてはアンドロメダ星雲と言ってたと思うのですが、
今は星雲でなく「銀河」。はるばる足を延ばした甲斐ありました。
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「銀河」を見て大満足でしたが、
最後に、十六夜の「月」を見せていただきました。
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世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

世界に対する大なる希願をまづ起せ
強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて
無方の空にちらばらう

しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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巨きな人生劇場は
時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……ひらめき
われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
ごく強力な鬼神たちの棲みか [2021年11月26日(Fri)]
岩手山の南に位置する「御所湖」から小岩井農場を抜けて、
東南の柳沢口にある「岩手山神社」にお参りし、
そして「焼走り熔岩流」へ。
着いたのは3時半でしたが、
岩手山の北東に位置することもあり、
すでに日陰になって、熔岩流はよく見えませんでした。
けど、逆に、そんな中で観察路を巡ったおかげで、
宮沢賢治の『鎔岩流』の世界を味わえました。
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観察路から振り返ると、八幡平の山並み

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火山塊(ブロック)の苔ぴかぴか(新しい)

宮沢賢治『春と修羅』より――
「鎔岩流」
喪神のしろいかがみが
薬師火口のいただきにかかり
日かげになつた火山礫堆(れきたい)の中腹から
畏るべくかなしむべき砕塊熔岩(ブロツクレーバ)の黒
わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから
なにかあかるい曠原風の情調を
ばらばらにするやうなひどいけしきが
展かれるとはおもつてゐた
けれどもここは空氣も深い淵になつてゐて
ごく強力な鬼神たちの棲みか
一ぴきの鳥さへも見えない
わたくしがあぶなくその一一の岩塊(ブロツク)をふみ
すこしの小高いところにのぼり
さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
雲はあらはれてつぎからつぎと消え
いちいちの火山塊(ブロツク)の黒いかげ

貞享四年のちいさな噴火から
およそ二百三十五年のあひだに
空氣のなかの酸素や炭酸瓦斯
これら清洌な試薬によつて
どれくらゐの風化が行はれ
どんな植物が生えたかを
見やうとして私の来たのに対し
それは恐ろしい二種の苔で答へた
その白つぽい厚いすぎごけの
表面がかさかさに乾いてゐるので
わたくしはまた麺麭ともかんがへ
ちやうどひるの食事をもたないとこから
ひじやうな饗応ともかんずるのだが
(なぜならたべものといふものは
 それをみてよろこぶもので
 それからあとはたべるものだから)
ここらでそんなかんがへは
あんまり僭越かもしれない
とにかくわたくしは荷物をおろし
灰いろの苔に靴やからだを埋め
一つの赤い苹果(りんご)をたべる
うるうるしながら苹果に噛みつけば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
野はらの白樺の葉は紅や金やせはしくゆすれ
北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる
  (あれがぼくのしやつだ
   青いリンネルの農民シヤツだ)
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(別ウィンド表示)


地理院地図_焼走り溶岩流.jpg
「三ツ森山」/地理院地図

それから俄かに立って一目散に遁げ出しました。
三つ森山の方へまるで一目散に遁げました。
土神はそれを見て又大きな声で笑いました
(…)
まるで一目散に走って行きました。
息がつづかなくなってばったり倒れたところは
三つ森山の麓でした。
土神は頭の毛をかきむしりながら草をころげまわりました。
それから大声で泣きました
宮沢賢治『土神ときつね』より

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
岩手山を望む(御所湖) [2021年11月26日(Fri)]
花巻でランチを済ませ、高速道路で盛岡へ。
正面に岩手山を見ながら快適ドライブ。

途中、御所湖に立ち寄って一服。岩手山の眺望が見事です。
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そらの散乱反射のなかに
古ぼけて黒くゑぐるもの
ひかりの微塵系列の底に
きたなくしろく澱むもの
岩手山」/宮沢賢治『春と修羅』

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正面は七ツ森
地理院地図_七ツ森.jpg
「七ツ森」/地理院地図

宮沢賢治『山男の四月』より――
ところがここは七つ森。ちやんと七つつ、森がある。
松のいつぱい生えてるのもある、坊主で黄いろなのもある。
そしてここまで来てみると、おれはまもなく町へ行く。
町へはひつて行くとすれば、化けないとなぐり殺される。

宮沢賢治『おきなぐさ』より――
私は去年のちょうど今ごろの
風のすきとおったある日のひるまを思い出します。
それは小岩井農場の南
あのゆるやかな七つ森のいちばん西のはずれの西がわでした。
かれ草の中に二本のうずのしゅげが、
もうその黒いやわらかな花をつけていました。
まばゆい白い雲が小さな小さなきれになって砕けてみだれて、
空をいっぱい東の方へどんどんどんどん飛びました。
お日さまは何べんも雲にかくされて銀の鏡のように白く光ったり、
またかがやいて大きな宝石のように蒼の淵にかかったりしました。
山脈の雪はまっ白に燃え、眼めの前の野原は黄いろや茶の縞になって
あちこち掘り起こされた畑は
鳶いろの四角なきれをあてたように見えたりしました。

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今回は小岩井農場には立ち寄らず、巌手山神社にお参り。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
賢治の心 受け継ぎて [2021年11月26日(Fri)]
続いて、花巻駅の駐車場に車を預けて街の中をぶらり散策

まずは、駅から「虔十公園林」の碑がある桜台小学校へ
途中、未来都市銀河地球鉄道の壁画の前を通るも、
日中で白い輪郭しか見えない(夜になると幻想の世界になるらしい)

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宮沢賢治『虔十公園林』より――
「伐らなぃ」虔十が顔をあげて少し怖そうに云いました。
その唇はいまにも泣き出しそうにひきつっていました。
実にこれが虔十の一生の間の
たった一つの人に対する逆らいの言だったのです。
(…)
「その虔十という人は少し足りないと私らは思っていたのです。
いつでもはあはあ笑っている人でした。
毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見ていたのです。
この杉もみんなその人が植えたのだそうです。
ああ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。
ただどこまでも十力の作用は不思議です

ここはもういつまでも子供たちの美しい公園地です。
どうでしょう。ここに虔十公園林と名をつけて
いつまでもこの通り保存するようにしては」
(…)
虔十のうちの人たちはほんとうによろこんで泣きました。
全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、
さわやかな匂、夏のすずしい陰、月光色の芝生が
これから何千人の人たちに
本当のさいわいが何だかを教えるか数えられませんでした。
そして林は虔十の居た時の通り
雨が降ってはすき徹る冷たい雫をみじかい草にポタリポタリと落し
お日さまが輝いては新らしい奇麗な空気をさわやかにはき出すのでした。

いしずえ固く みなともに
賢治の心 受け継ぎて
正しく直くあたたかく

学びの窓に希望あれ
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桜台小学校校歌

タイミングよく、週末運行の「SL銀河」が花巻駅に向かったので見送る。
もしかしてSLの後方に写っている林が「虔十」が植えた林か?
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主役の蒸気機関車は「最後尾で逆走」です。
汽笛一声花巻駅を出発し、
釜石線を走る雄姿を見送りたいところですが、
今回は先があるのでまたの機会に...
(SL銀河について2023年春で運行終了が発表されました)

汽車の逆行は希求の同時な相反性
こんなさびしい幻想から
わたくしははやく浮びあがらなければならない
「青森挽歌」/宮沢賢治『春と修羅』

KIMG0623_2.JPG(求康堂跡)

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(宮沢賢治生家)

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街なかの各所に空き地多し

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
賢治さんのお墓にお参り [2021年11月26日(Fri)]
続いて、ぎんどろ公園へ。
花巻農学校の跡地です。

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(別ウィンド表示)

まことひとびと/索むるは
青きGossan/銅の脈
わが求むるは/まことの/ことば
雨の中なる/真言なり

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風の又三郎群像
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(別ウィンド表示)

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ギンドロ(銀白楊)の木

公園からすぐ近くの身照寺さんへ。
賢治さんのお墓にお参り。
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お線香に火をつけ、お供えして合掌。
お墓の前に設置された椅子に腰掛けていると、
お墓の横のふくろうに赤とんぼがとまり、
続いて、別の赤とんぼが賢治さんの墓にとまり、
まったりほのぼの気分。
お参りを済ませて写経を頂戴しました。
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幸福足跡

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
下ノ畑ニ居リマス [2021年11月26日(Fri)]
続いて、羅須地人協会の跡地へ
お目当ては「雨ニモマケズの詩碑」ですが、
駐車場から詩碑までの通りにも
いくつかの碑が設置されて文学散歩道。

そして、詩碑の手前に建つ桜地人館には、
賢治の「母」の詩碑あり。
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(別ウィンド表示)

雪袴黒くうがちし うなゐの子瓜食みくれば
風澄めるよもの山はに うづまくや秋の白雲
その身こそ瓜も欲りせん 齢弱き母にしあれば
手すさびに紅き萱穂を つみつどへ野をよぎるなり

雨ニモマケズの詩碑は、
賢治が亡くなって3年後の昭和11年に建てられたこともあって、
高村光太郎の文字は読み取れません。
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「下ノ畑ニ居リマス」
下ノ畑に居るので出直してくださいということか、
それとも、用があるなら下ノ畑までお越しくださいということか、
あるいは、しばらくお茶でも飲んで待っててくださいということか、
けど、そんなことにお構いなく、
賢治さんが下ノ畑に居られるなら訪ねよう、と思ってしまいます。

というわけで、下ノ畑へ
吹く風の冷たさに、いつしか賢治の例のポーズに
襟を立て、両手を後ろで組み、前かがみでうつむき加減に一歩一歩
ちなみに、賢治さんの例のポーズ、
賢治さんお気に入りのベートーヴェンの真似だったとか...

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世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
きれいにすきとおった風をたべ [2021年11月26日(Fri)]
宮沢賢治を訪ねてイーハトーブ岩手県を巡る旅
花巻を拠点にレンタカーで南へ、北へ
昨日(11/19)は一関市東山町松川まで出かけましたが、
本日は朝から花巻を巡ってから、午後は岩手山へ(2021.11/20)

宿を出て、まずは、胡四王山(こしおうざん)
朝の澄みきった大気が心地よく、
早池峰山(はやちねさん)を仰ぎ見る。
北上山地の最高峰(1917m)で賢治の作品に度々登場。
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わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむ
ことができます。
宮沢賢治『注文の多い料理店』序

振り返ると、岩手山(いわてさん)
岩手県最高峰(2038m)でこちらも賢治の作品に度々登場。
岩手山の雄大な姿に見惚れて、
手前の木の枝に鳥が止まっていたとは気づかず

またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、
かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで
虹や月あかりからもらってきたのです
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、
十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、
もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです

ほんとうにもう、
どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、
わたくしはそのとおり書いたまでです。ですから、
これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、
ただそれっきりのところもあるでしょうが、
わたくしには、そのみわけがよくつきません。
なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません。
宮沢賢治『注文の多い料理店』序

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
グスコーブドリのまち・一関市東山町 [2021年11月25日(Thu)]
花巻からレンタカーを借り、宮沢賢治を訪ねて60キロ。
一関市東山町の松川へ(2021.11/19)

東日本大震災の1年後に仕事で一関へ来た時に
平泉の中尊寺を訪ねたり、
JR大船渡線で気仙沼まで足を伸ばしたりしましたが、
当時の私に宮沢賢治の世界はなく
陸中松川に立ち寄ることはありませんでした。

最晩年の宮沢賢治が病と闘う療養中の身でありながら
技師として取り組んだ「東北砕石工場」に非常に強い興味を持ち、
今回の旅ではまず最初に訪れることにしました。
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宮沢賢治が当時使用していた手帳に書き留められていた詩に
魂が揺さぶられます。
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あらたなる
よきみちを得しといふことは
たゞあらたなる
なやみのみちを得しといふのみ

このことむしろ正しくて
あかるからんと思ひしに
はやくもこゝにあらたなる
なやみぞつもりそめにけり

あゝいつの日かか弱なる
わが身
恥なく生くるを得んや
野の雪はいまかゞやきて
遠の山藍のいろせり

◆『宮沢賢治と東北砕石工場の人々』の著者、伊藤良治氏の連載記事
「この土を この人たちが この石灰で」/日本石灰協会
・宮澤賢治と炭酸石灰(1)
・宮澤賢治と炭酸石灰(2)
・宮澤賢治と炭酸石灰(3)
・宮澤賢治と炭酸石灰(4)

館内では、宮沢賢治が鈴木東蔵に宛てた書簡が展示されていました。
複製とはいえ、「肉筆」の葉書や封書は、本の活字で読むのとは違います。
中には、病床にあって家人が代筆したものもあり、胸を打ちます。

こちらは展示された書簡のうち一番最後、亡くなる前月のもの
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昭和8年8月4日(書簡No.482)

そして、こちらは賢治の父が賢治の死を知らせる葉書です。
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(別ウィンド表示)


世界に対する大なる希願をまづ起せ
強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ

宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて
無方の空にちらばらう

しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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(別ウィンド表示)


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「南無妙法蓮華経」

旧・東山町は1994(平成6)年に旧東北砕石工場が町に寄贈されたのを機に、
翌95年に「グスコーブドリの町」宣言。
(1995年といえば1月17日に阪神淡路大震災が起きた年です)

「これからの仕事は 
あなたは直感で私は学問と経験で
あなたは命をかけて、わたくしは命を大事にして
ともにこのイーハトーヴのためにはたらく
ものなのです。」
グスコンブドリの伝記』

「それはいけない。きみはまだ若いし、
いまのきみの仕事にかわれるものはそうはない。」
私のようなものは、 
これからたくさんできます

私よりもっともっとなんでもできる人が、
私よりもっと立派にもっと美しく、
仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」
『グスコーブドリの伝記』

それから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、
その秋はほぼ普通の作柄になりました。
そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの
たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、
たくさんのブドリやネリといっしょに、
その冬を暖かいたべものと、明るい薪で
楽しく暮らすことができたのでした。
『グスコーブドリの伝記』

巨きな人生劇場は
時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……ひらめき
われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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施設の敷地内には「これは素樸なアイヌ風の木柵であります」の詩碑も
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(別ウィンド表示)

これらは素樸なアイヌ風の木柵であります
えゝ
家の前の桑の木を
Yの字に仕立てて見たのでありますが
それでも家計は立たなかったのです
四月は
苗代の水が黒くて
くらい空気の小さな渦が
毎日つぶつぶそらから降って
そこを烏が
があがあ啼いて通ったのであります
どういふものでございませうか
斯ういふ角だった石ころだらけの
いっぱいにすぎなやよもぎの生えてしまった畑を
子供を生みながらまた前の子供のぼろ着物を綴り合せながら
また炊爨と村の義理首尾とをしながら
一家のあらゆる不満や慾望を負ひながら
わづかに粗渋な食と年中六時間の睡りをとりながら
これらの黒いかつぎした女の人たちが耕すのであります
この人たちはまた
ちゃうど二円代の肥料のかはりに
あんな笹山を一反歩ほど切りひらくのであります
そして
ここでは蕎麦が二斗まいて四斗とれます
この人たちはいったい
牢獄につながれたたくさんの革命家や
不遇に了へた多くの芸術家
これら近代的な英雄たちに
果して比肩し得ぬものでございませうか


世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱 [2021年11月25日(Thu)]
朝の散歩から戻り、風呂から上がって帰り支度をしていると、
花巻東高校出身の大谷翔平さんが大リーグでMVP、しかも満票ですぴかぴか(新しい)

インタビューに応える大谷さんの姿を見て、
旅館の湯治部の廊下に掲げられていた宮沢賢治の言葉に納得です。

われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱であるひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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巨きな人生劇場は
時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……
われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

無料送迎シャトルバスで新花巻駅へ
(つづく)

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
すべてのいのちはつながっている [2021年11月25日(Thu)]
花巻南温泉郷の無料送迎シャトルバスで、
新葉巻駅から「西の山の中の湯の湧くとこ」へ(2021.11/18)

腹の痛いのにもきけば傷もなおる。鉛の湯の入口に
なめとこ山の熊の胆ありという昔からの看板もかかっている。
宮沢賢治『なめとこ山の熊』

今宵の宿は「鉛温泉」藤三旅館の湯治部いい気分(温泉)
すべて源泉100%のかけ流し、加熱も加水も循環もなし。
中でも、天然岩をくりぬいた深さ125cmの「白猿の湯」が有名。
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浴場内は撮影禁止
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個人的には、「桂の湯」の露天風呂からさらに一段下がった露天風呂が、
川にも近くて、まったり寝そべっていると最高でした。
昨夜はあいにくのお天気で満天の星を仰ぎ見ることは叶わず、
けど一夜明けて今朝は、澄みきった青空に流れる雲を仰ぎ見ながら、
まったり至福の時を過ごして極楽、極楽

朝、旅館の周りをぶらり散策
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宮沢賢治『なめとこ山の熊』より――
「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。
おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。
ほかの罪のねえ仕事していんだが
畑はなし木はお上のものにきまったし
里へ出ても誰れも相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ
てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ
やい。この次には熊なんぞに生れなよ」
そのときは犬もすっかりしょげかえって眼を細くして座っていた。
(略)
熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。
旦那は町のみんなの中にいるからなかなか熊に食われない。けれども
こんないやなずるいやつらは
世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく

僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が
二度とつらも見たくないようないやなやつにうまくやられることを
書いたのが実にしゃくにさわってたまらない


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「ナメトコ山」/地理院地図

すべてのいのちはつながっている
自他不二」「自他一如」自分と他人は別でなく、
無益な殺生行わず、また他人をして無益な殺生をさせない

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ [2021年11月25日(Thu)]
新花巻駅の駅前広場には、「セロ弾きのゴーシュ」も出迎えひらめき
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宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』より――
(…)
ゴーシュははじめはむしゃくしゃしていましたが
いつまでもつづけて弾いているうちに
ふっと何だかこれは鳥の方が
ほんとうのドレミファにはまっているかなという気がしてきました。
どうも弾けば弾くほどかっこうの方がいいような気がするのでした
えいこんなばかなことしていたら
 おれは鳥になってしまうんじゃないか
。」
とゴーシュはいきなりぴたりとセロをやめました。
するとかっこうはどしんと頭を叩かれたようにふらふらっとして
それからまたさっきのように「かっこうかっこうかっこう
かっかっかっかっかっ」と云ってやめました。
それから恨めしそうにゴーシュを見て
なぜやめたんですかぼくらならどんな意気地ないやつでも
 のどから血が出るまでは叫ぶんですよ。」と云いました。
「何を生意気な。こんなばかなまねをいつまでしていられるか
 もう出て行け。見ろ。夜があけるんじゃないか。」
ゴーシュは窓を指さしました。東のそらがぼうっと銀いろになって
そこをまっ黒な雲が北の方へどんどん走っています。
「ではお日さまの出るまでどうぞ。もう一ぺん。ちょっとですから。」
かっこうはまた頭を下げました。
黙れっ。いい気になって。このばか鳥め
 出て行かんとむしって朝飯に食ってしまうぞ。」
ゴーシュはどんと床をふみました。
(…)
その晩遅くゴーシュは自分のうちへ帰って来ました。
そしてまた水をがぶがぶ呑のみました。それから窓をあけて
いつかかっこうの飛んで行ったと思った遠くのそらをながめながら
「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。
 おれは怒ったんじゃなかったんだ
。」と云いました。

いまわれらにはただ労働が生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
(…)
いまやわれらは
新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

何ごとも「働くことは芸術である」という意識で取り組めば、
稲をつくることも、野菜を育てることも、すべての労働は芸術であり、
そこには「不断の潔く楽しい創造」がある。
ゴーシュの「セロ」も然り、私の「ラン」も然り、ということか
(つづく)

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
鹿踊りの、ほんとうの精神 [2021年11月25日(Thu)]
東京出張から足を延ばして新花巻へ(2021.11/18)
花巻といえば「宮沢賢治」
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そして「花巻から世界へ」大谷翔平・菊池雄星ぴかぴか(新しい)
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プロ野球で躍動する花巻ゆかりの選手たち/新花巻駅の待合室

駅前の広場に設置の自販機、「鹿踊り」で出迎えひらめき
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宮沢賢治『鹿踊りのはじまり』より――
そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあいだから、
夕陽は赤くななめに苔の野原に注ぎ、
すすきはみんな白い火のようにゆれて光りました。
わたくしが疲れてそこに睡りますと、
ざあざあ吹いていた風が、だんだん人のことばにきこえ
やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行われていた鹿踊りの、
ほんとうの精神
を語りました。
(…)
あるとき嘉十は、栗の木から落ちて、少し左の膝を悪くしました。
そんなときみんなはいつでも、西の山の中の湯の湧くとこへ行って
小屋をかけて泊って療すのでした。
(…)
けれども嘉十はぴたりとたちどまってしまいました。
それはたしかに鹿のけはいがしたのです。
(…)
嘉十はよろこんで、そっと片膝をついてそれに見とれました
(…)
嘉十はにわかに耳がきいんと鳴りました。そしてがたがたふるえました。
鹿どもの風にゆれる草穂のような気もちが
波になって伝わって来たのでした。
嘉十はほんとうにじぶんの耳を疑いました。
それは鹿のことばがきこえてきたからです。
(…)
嘉十はもうあんまりよく鹿を見ましたので、
じぶんまでが鹿のような気がして、いまにもとび出そうとしましたが、
じぶんの大きな手がすぐ眼にはいりましたので、
やっぱりだめだとおもいながらまた息をこらしました。
(…)
はあと嘉十もこっちでその立派な太陽とはんのきを拝みました
(…)
北から冷たい風が来て、ひゅうと鳴り、
はんの木はほんとうに砕けた鉄の鏡のようにかがやき、
かちんかちんと葉と葉がすれあって音をたてたようにさえおもわれ、
すすきの穂までが鹿にまじって一しょにぐるぐるめぐっているように
見えました

嘉十はもうまったくじぶんと鹿とのちがいを忘れて
「ホウ、やれ、やれい。」と叫けびながら
すすきのかげから飛び出しました。
(…)
そこで嘉十はちょっとにが笑いをしながら、
泥のついて穴のあいた手拭をひろって
じぶんもまた西の方へ歩きはじめたのです。
それから、そうそう、
苔の野原の夕陽の中で、わたくしはこのはなしを
すきとおった秋の風から聞いたのです。

「傍観」から「観察」に変わり、
そして「相手と向き合う」から「相手の立場に立つ」になり、
さらに「自他不二」「自他一如」ということか?

私もまた、花巻南温泉郷の無料送迎シャトルバスに乗って
「西の山の中の湯の湧くとこ」へ向かいました。
(つづく)

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないひらめき
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
永久の未完成、終わりはない [2021年11月24日(Wed)]
東京出張の機会に上野の美術館のゴッホ展へ(2021.11/17)
お目当ては「糸杉」ぴかぴか(新しい)
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宮沢賢治の詩「春と修羅」より――
(…)
ZYPRESSEN 春のいちれつ
 くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ
(…)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(…)
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ

前に私の自費で出した「春と修羅」も、
亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、
これらはみんな到底詩ではありません。
私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、
或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、
境遇の許す限り、機会のある度毎に、
いろいろな条件の下で書き取って置く、
ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。
(大正14〈1925〉年2月9日 森佐一あて封書)
宮沢賢治全集「書簡」より

永久の未完成これ完成である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

こんな世の中に心象スケッチなんといふものを、
大衆めあてで決して書いてゐる次第でありません。
全くさびしくてたまらず、美しいものがほしくてたまらず、
ただ幾人かの完全な同感者から
「あれはさうですね。」といふやうなことを、
ぽつんと云はれる位がまづのぞみといふところです。
(昭和7〈1932〉年6月21日 母木光あて封書)
宮沢賢治全集「書簡」より

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新幹線の車窓より(2021.11.17)

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
未知なる道を探索して歩き進む [2021年11月15日(Mon)]
民族学博物館で開催中の特別展「さわる!触の大博覧会」
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『図録』の総論(広瀬浩二郎「未開の知に触れる」)より――
アントニオ猪木がプロレスを引退する時に朗読した「道」という詩がある。
「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。
 踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
 迷わず行けよ。行けばわかるさ。」
アントニオ猪木は格闘家としてさまざまな挑戦を続けてきた。
異種格闘技戦など、「道なき道=未知なる道」を歩んできたともいえる。
挑戦することによって自分は成長してきたのだという自負が
「道」の詩に凝縮されている。猪木の生き方(行き方)は、
確認型ではなく探索型だろう。(以下、略)


遠藤周作『影に対して』で、主人公の母が
主人公に宛てた手紙に記した言葉を思い出しました。
――「海の砂浜は歩きにくい。
歩きにくいけれどもうしろをふりかえれば、
自分の足あとが一つ一つ残っている。
そんな人生を母さんはえらびました
あなたも決して アスハルトの道など歩くような
つまらぬ人生を送らないで下さい。」

なお、アントニオ猪木が引退式で朗読した「道」という詩ですが、
清沢哲夫氏の詩の改変とのこと。ご参考までに
「道」
此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ
危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ

(初出は昭和26年10月『同帰』、清沢哲夫「無常断章」より)
◆レファレンス事例詳細/国立国会図書館

民博で開催中の特別展「さわる!触の大博覧会」に
先週の日曜日(11/7)に行ってきましたが、
一昨日の土曜日(11/13)に再び出かけました。

前回は「単独」で鑑賞でしたが、
二度目の今回は、伴走練習の仲間で全盲の視覚障害者をお誘いし、
「さわる」達人とご一緒だったので、
前回以上に多くの気づきを得て、とても有意義でした。
以下、そのメモ...φ(.. )

「さわる」に三つあり
 ★「見てさわる」
 ★「見ないでさわる」
 ★「見えないからさわる」

★「見てさわる」・・・ 広瀬先生が説かれる「確認型」の鑑賞
★「見えないからさわる」・・・「探索型」の鑑賞(無視覚流鑑賞

両者は根本的に違う。
「確認型」は、まず「視覚」によって情報を得て、
既に得た情報をさわって確認する。
いわば「追認」であり、視覚によって情報を得たことで
「分かったつもり」になって思考停止。新たな知覚が働かない。

視覚によって得た情報で「分かったつもり」になり、
さわれるのに「さわらない」。
分かったつもりで「分かったわけじゃない」のに行動しない

インプットされた知識は増えるが、新たな気づき(発見)は生まれない
「新たなインプット」に対して「新たなアウトプット」がない、
ということは、生産性が低いどころか、まったくゼロ

たとえば、「等身大の木彫りの人物彫刻」が展示されていることは、
見れば分かる(視覚で認知)。
そして、展示の説明書きを見て読むことで、
その彫刻が「耳なし芳一」であることを知る。なるほどと納得し、
耳なし芳一ってどんな物語だったっけ、作者は小泉八雲だったよね、
などなど、展示された彫刻とは直接関係のない話に展開。

さらに展示の説明書き(墨字であれ点字であれ)を注意深く読むと、
その木彫りの彫刻について右手だけが素材が違うことを知る。
「へぇー、そうなんだ」と知り、右手を「さわって確認」するか、
それとも「さわらず」に通り過ぎて次の展示に進むか。

「さわれば分かり、さわらなければ分からないことがある」のに、
読んで得た知識で「分かったつもり」になって行動せず、モッタイナイ
一方、右手だけさわって素材の違いを確認し、
なるほどと納得して「分かったつもり」になるのも、モッタイナイ

展示の説明書きや音声ガイドが提供する情報に頼ることなく、
「虚心坦懐」に「素直な心」で展示物に向き合う
と、
右手だけさわって終わることはない(はず)。

展示物の全体をくまなくさわって「探索」し、
右手の素材の違いとは別の新たな気づきに出会う(発見)。

たとえば、頭をさわれば坊主頭であることに気づき、
そして耳のないことに気づく。さらによく注意してさわる(触察)と、
ただ耳がないのではなく、耳が引きちぎられていることに気づく。

「耳なし芳一」だから坊主頭で、目が見えないから杖をついていて、
そして右手だけ素材が違うことは、展示の説明書きを見ることで分かるし、
さわることで「確認」できるが、それ以上の気づき(発見)はない。

新たな気づき(発見)は「探索」から生まれる
そして、出展作品のタイトル「てざわりの旅」になるほどと納得する。

民博では、初代館長の梅棹忠夫さんの方針で、
展示品の多くはガラスケースに入れられずに露出して展示され、
一方、展示の解説の説明書きは「必要最小限」にとどめられている。
――「あえて不親切」

博物館というところは、知的欲望を開発する場なのです。
『梅棹忠夫のことば』(小長谷有紀編)

美術展でも、せっかくの作品を尻目に殺して、
説明書きに目を向けて読んだり、
音声ガイドに耳を傾けたりする人のなんと多いことか・・・(自戒)

各種の分析データを含めて「情報の多さ」が本当によいことか自問。
―― 過多な情報や過去の経験などの先入観に囚われて
分かったつもりで思考停止では、
知的欲望の開発」も「未知の探索」もなされず、
新たな気づき(発見)は生まれない。

ならば、新たな気づきを得るには、情報が少ない方がいいのか。
「否」
情報が多いことが問題ではなく、過多な情報に囚われて
得た情報で分かったつもりになる自分に問題あり。
―― 問われるのは、得た情報に対してパッシブ(受け身)か、
それとも、アクティブ(未知の探索)か

ここにあるものを手がかりにここにないものを想う
その<想像>という心のたなびきが
どんどん短くなっているようにおもう

何かの情報やイメージが眼の前に現れたときに、
それをとくに吟味することもなく額面どおりに受け入れる
逆にあたまからそれにふれることを拒み、撥(は)ねつける
それにすぐさま同意する、あるいは反撥する
それに対して適切な距離というものがとれない。
それがどうしてそのようなかたちで現れてきたのか、
それがわたしにはすぐに見えない遠くのひとにとって
どのような意味をもつのかに、うまく想いをはせることができない。
鷲田清一『想像のレッスン』

★「見ないでさわる」・・・ まぶたを閉じたり、
アイマスクをしたりで「見えない世界」を疑似体験することで、
見えるありがたさをあらためて知るとともに、
見えない世界に生きる人が抱えておられる様々なご苦労を知る。
そして、ハンディキャップを超越して頑張る人たちの姿に深い感銘を受ける。

見て分かったつもりで「さわらない」よりは
「見てさわる」方がさわることで何らかの確認ができるし、
そこに新たな気づきが生まれるかもしれない。さらに、
「見ないでさわる」と別の新たな気づきが生まれるかもしれない。
が、疑似体験に満足しているだけで、果たして
その気づきから「知的欲望の開発」や「未知の探索」に踏み出せるか


今回の特別展に参加したことで生まれた新たな問題意識に対して、
誰もが幸せになる「ユニバーサル」について広瀬先生が説かれるように、
・「人に優しい」の上から目線でなく「人が優しい」とか、
・「障害/健常」の二項対立でなく「障害者・見常者」とか、
・ 障害と健常を隔てる「/」か、障害と見常を相互につなぐ「・」か
などなど、色々と自分の意識の中で注意して心がける必要ありです。

今回は、さわる達人と一緒に鑑賞することで、
「視覚」と「触覚」の違いがよく分かりましたが、
その一方で、触覚の「限界」も実感でき、
また、「群盲象を評す」といった諺が意味するところも納得です。
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―― ゴッホの「ひまわり」や、壁一面の大きな作品もさわれますが……

また、特別展の関連イベントにも参加。
前回は、70年代にTV放送の瞽女さんのドキュメンタリー映像を視聴。
そして今回は「身体で聴く土の音」に参加。
陶器で作られた様々な音具(おんぐ)を
叩いたり、転がしたりして奏でる土の音を「身体で聴く
触覚が手で触るだけではない」を実感。

色々と有意義で、実りの秋に相応しい収穫の多い一日でした。

下のYouTube動画「仏像触察映像」は、
国宝の正しいさわり方(作法と技法)のレクチャービデオ。


今回の特別展でも、会場に入ってまず最初に、
国宝の興福寺仏頭をたっぷり「触察」できます(観察でなく触察)。

「歴史にさわる」、「風景にさわる」、「音にさわる」、、
――「さわるとわかる、わかるとかわる!

ということは、
さわらなけれは分からない、わからないと変われないひらめき
―― それでも、さわらず、分かったつもりで通り過ぎていきますか?

「ぼくはきっとできるとおもう。
なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから。」
宮沢賢治『ポラーノの広場』

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(11/7)
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「星とたんぽぽ」金子みすゞ
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ

散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ

じゃあ秘密を教えるよ。
とてもかんたんなことだ。
ものごとはね、心で見なくてはよく見えない
いちばんたいせつなことは、目に見えない
サン=テグジュペリ『星の王子さま』(河野万里子訳)

「アラユルコト」ヲ
「ジブンヲカンジョウニ入レズ」ニ
「ヨク」「ミ」「キキ」シ「ワカリ」
ソシテ「ワスレズ」
東ニ・・・アレバ「行ッテ」・・・
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「雨ニモマケズ手帳」(佛立ミュージアムの展示)

あらゆることを(好き嫌い、得手不得手、個人集団社会自然宇宙)
自分を勘定に入れず(私心なく、無私、忘己利他、自他不二、自他一如)
よく(世間の常識や過去の経験など先入観や思い込みに囚われず)
見る(素直な心で物事の実相をありのままに見る)
聞く(虚心坦懐、謙虚に耳を傾ける)
分かる(相手の立場に立って理解する)
・そして忘れず(自らの心に深く受け止め)
・さらに「行って」なすべきことをなす

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
老いの悲劇 [2021年11月07日(Sun)]
遠藤周作『影に対して』より――
「アスハルトの道は
安全だから誰だって歩きます。
危険がないから誰だって歩きます。
でもうしろを振りかえってみれば、
その安全な道には自分の足あとなんか
一つだって残っていやしない

海の砂浜は歩きにくい。
歩きにくいけれどもうしろをふりかえれば、
自分の足あとが一つ一つ残っている。
そんな人生を母さんはえらびました。
あなたも決して
アスハルトの道など歩くような
つまらぬ人生を送らないで下さい」

遠藤周作『火山』より――
「哀しい山だねえ、
 火山というものは人間の人生と同じだよ」
「若い頃は情熱にまかせて火を吹く。溶岩を吐きだす。
 だが年が老いると昔のくらい罪を背負いながら
 こんなに静まりかえるんだからな」
だがねえ、人間は火山のようにはいかんよ
 俺たちは年をとった時自分の過去をふりかえって
 それが間違いだと気がついてもねえ」
「それが間違いだと気がついても……もう人生やり直す時間がない
 老いの悲劇とは結局、それじゃないのかね

これがこの物語の主人公である。
しかし 今この男について語るのは退屈なだけだ。
なぜなら 彼は時間を潰しているだけだから。
彼には生きた時間がない。
つまり彼は生きているとは言えないからである。
(…)
駄目だ、これでは話にならない。これでは死骸も同然だ
いや、実際この男は20年ほど前から死んでしまったのである。
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映画『生きる』

浜までは 海女も蓑着る 時雨かな」滝瓢水

いのちとは時間であること。
その時間に限りがあること。
その事実を知っている人間だけが
いのちの使いかたを自分で考え、変えることができます
日野原重明『与命』

毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ
ということを「葉隠」は主張している。
われわれはきょう死ぬと思って仕事をするとき
その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
現代に生きる「葉隠」/三島由紀夫『葉隠入門』

人間としての存在や人生の充実ということに関して言えば、
老いにつけ若きにつけ、
今、自分がおのれの命といかにかかわり、
どのような姿勢で生きているか
を問い続けるか否かが問題なのであり、
言い換えれば、毎日毎日が人生の一大事の連続なのであろう
大西良慶、平櫛田中『人間ざかりは百五歳』

松下幸之助『道をひらく』より――
「生と死」
人生とは、一日一日が、いわば死への旅路であると言えよう。
生あるものがいつかは死に至るというのが自然の理法であるかぎり、
ものみなすべて、この旅路に変更はない。
ただ人間だけは、これが自然の理法であることを知って、
この旅路に対処することができる。いつ死に至るかわからないにしても、
生命のある間に、これだけのことをやっておきたいなどと、
いろいろに思いをめぐらすのである。これは別に老人だけにかぎらない。
青春に胸ふくらます若人が、来るべき人生に備えていろいろと計画するのも、
これもまた死への準備にほかならないといえる。
生と死とは表裏一体。だから、生の準備はすなわち死の準備である
死を恐れるのは人間の本能である。
だが、死を恐れるよりも、死の準備のないことを恐れたほうがいい
人はいつも死に直面している。それだけに生は尊い。
そしてそれだけに、
与えられている生命を最大に生かさなければならないのである。
それを考えるのがすなわち死の準備である。
そしてそれが生の準備となるのである。
おたがいに、生あるものに与えられたこのきびしい宿命を直視し、
これに対処する道を厳粛に、しかも楽しみつつ考えたいものである。

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生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない。
(坂村真民さんが好きなゲーテの言葉)

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

松下幸之助『思うまま』より――
「歩一歩の歩み」
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば
往々にして失敗することにもなろう。
P1010032.JPG旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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