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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

宮 直史さんの画像
★経営のための会計★
★経営のための会計★
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そんなときに、どう考え、どう処置するか [2021年02月21日(Sun)]
月刊PHPの先月号(2021/2)の「私の信条」は、
八天堂の森光孝雅さんの「逆境で気づいた感謝報恩の心」でした。

あのくりーむパンが、倒産寸前の崖っぷちからの大逆転で生まれたことは、
知る人ぞ知る話で私も知っていました。絶頂期から奈落の底に落とされ、
弁護士事務所で民事再生の手続き書類を渡されたところに
自分の弟さんから救いの手が差し伸べられ、
様々な制約の中で選択と集中で経営に取り組む。

その過程に学ぶことが多いのですが、弁護士事務所に行くきっかけが
銀行の次長さんだっとは、今回の記事で初めて知りました。

 「社長、この事態をわかっていますか?」
激しい口調で私を問い詰めたのは、弊社を担当する銀行の次長さんです。
(…)
冒頭の言葉を投げつけられたのは、その時です。
「明日、一緒に行ってください」
翌日、行き先も知らされずに出かけたのは、
広島市内の弁護士事務所でした。
「こちらが民事再生の破産手続きの書類です」
弁護士の言葉に、倒れそうになりました。
そんな時、
(…)
心を入れ替えた私は、皆さんに感謝し、その恩に報いるべく
社員とともに必死で励みました
。(…)

テーマとしては「地獄に仏」で「感謝報恩」「至誠一貫」、
「困っても困らず」で「窮すれば変ず、変ずれば通ず」でしょうが、
ビックリしたのは問答無用の死刑宣告
ずいぶん手荒いことをするものと思いました。

結果として、これを機に逆転劇が始まり、万事塞翁が馬になるのですが、
銀行による死刑宣告は「銀行自身の債権保全のため」だったのか、
それとも真に「お客様のことを思って」の行動だったのか、
気になるところです。
どちらにせよ、今となっては社長にとって何ごとも「感謝」でしょうが、
「何をするか」より「何のためにするか」が大事とあらためて思いました。

大切なことは、主人が何をしたかではなく、
何のためにしたかということではございませんか。
あなたたちのような木偶の坊にはおわかりいただけないでしょうが…
映画『雨あがる』(山本周五郎原作)

今月(2021年2月)で131号になる「八天堂便り」、
その真摯な経営姿勢に多くの気づきと学びを得られて勉強になります。

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「困っても困らない」
ひろい世間である。長い人生である。
その世間、その人生には、
困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。
程度の差こそあれ、だれにでもある。自分だけではない。
そんなときに、どう考えるか、どう処置するか
それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かがきまるといえる。
困ったことだ、どうしよう、どうしようもない、そう考え出せば、
心が次第にせまくなり、せっかくの出る知恵も出なくなる。
今まで楽々と考えておったことでも、
それがなかなか思いつかなくなってくるのである。
とどのつまりは、原因も責任もすべて他に転嫁して、
不満で心が暗くなり、不平でわが身を傷つける

断じて行えば、鬼神でもこれを避けるという。
困難を困難とせず、思いを新たに、決意をかたく歩めば、
困難がかえって飛躍の土台石となるのである。
要は考え方である。決意である。困っても困らないことである
人間の心というものは、孫悟空の如意棒のように、まことに伸縮自在である。
その自在な心で、困難なときにこそ、
かえってみずからの夢を開拓するという力強い道を歩みたい。

「心配またよし」
何の心配もなく、何の憂いもなく、何の恐れもないということになれば、
この世の中はまことに安泰、きわめて結構なことであるが、
実際はそうは問屋が卸さない。
人生つねに何かの心配があり、憂いがあり、恐れがある。
しかし本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを
懸命にそしてひたすらに乗り切って、
刻々と事なきを得てゆくというところに、
人間としての大きな生きがいをおぼえ、
人生の深い味わいを感じるということが大事なのである。
この心がまえがなければ、この世の中はまことに呪わしく
人生はただいたずらに暗黒ということになってしまう
憂事に直面しても、これを恐れてはならない。
しりごみしてはならない。「心配またよし」である。
心配や憂いは新しくものを考え出す一つの転機ではないか、
そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。
力をしぼる。知恵をしぼる

するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが
生み出されてくるのである。新しい道がひらけてくるのである

まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、
人の世の味わいは限りもなく深いといえよう。

何事でも感謝の心を持つことが大切だということだと思います。
感謝の心を持てば、それはいろいろな形になって自分に返ってきます。
その自分に返ってくることを期待して感謝の心を持つというのではいけませんが、
自分の置かれた立場なり他人からの恩恵なりに素直に感謝できる人、
言いかえれば喜びを知る人というのは、非常にしあわせな人だと思います

これは、商売に限らず、私たちの人生すべての面にもあてはまる、
人間としての大事な基本と言えるのではないでしょうか。
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
この時にこそ、すべてのものに幸あれ [2021年02月15日(Mon)]
昨日(2/14)は長居公園で伴走練習。ほぼ半年ぶりでしたが、
伴走練習会わーわーずの皆さんと久しぶりに再会したり、
互いにエールを交わしたりと楽しい一日でした。

おかげで、お天気に負けないぐらい気分も晴れ晴れでしたが、
過信は禁物です。暑い中のランにもかかわらず、
水分やエネルギーの補給が十分でなかったようで、
ラン後の銭湯でのぼせてしまいました。
風呂上がりに、お風呂をご一緒したブラインドさんの
お世話もできずにぼーっとしている私を見かねて、
見知らぬ方が親切にも、自販機で冷えたポカリスエットを
二つ買って私たちに渡してくださいました。
お礼の言葉もポカリの代金もお返しできず申し訳なかったですが、
心から感謝です。銭湯の方も番台からかけつけて、
冷たいタオルやバスタオルをかけて横になるよう勧めてくださり、
おかげでしばらくして元気復活しましたが、
日頃からもっと自分の身体を労わらなければと反省です。

昨夜のNHKのスポーツニュース、
野村克也さんが亡くなられて一年ということで、
野村さんの座右の銘「希望に起き、努力に生き、感謝に眠る」を
紹介していましたが、そんな日々を送りたいものと心に沁みました。

「朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠る」

朝に発意、昼に実行、夕べに反省
日々のそうした地道な活動の積み重ねが商売繁盛につながっていく。
松下幸之助「商いの心得十カ条」第十条

きょう一日を振り返ってみると、反省すべきことがいくらでもある。
その反省に徹したとき、あらゆる面に革新が生まれてくる。
松下幸之助・述 『松翁論語』

プロ棋士の夢を断たれてから、ぼくはいっさいの自信を失っていた。
自信とは、文字どおり自分への信頼である。
介護のおかげで、ぼくは自信を取り戻すことができた。
心境の変化は、将棋にも劇的に表れた。
今泉健司『介護士からプロ棋士へ』

一昨日(2/13)、ワークマンでランニングシューズを新調。
服部緑地に出かけると、中学生でもナイキの厚底を履いてるのを見て、
負けてたまるかと自宅近くのワークマンへ。
IMG-9077.jpg

お目当ての厚底は税込1,900円にまったく文句なし、
靴底にはWとMの字の滑り止めがびっしりです。
軽量150グラムのランニングシューズ税込980円に、
長袖の速乾ストレッチシャツも税込980円でわくわくワークマン
IMG-9078.jpg

IMG-9082.jpg

昨日の長居公園では、税込980円の軽い方を履いて出かけましたが、
軽さを実感し、自宅から最寄り駅まで歩いて15分ほどを小走りジョグ、
黒色なら仕事とかでも気軽に使えそうです。
私の幅広の足にはホールド感も悪くなく、
あとはスピードを上げたとき、そして長い距離を走った時に
脚にどの程度の負担があるかでしょうか。
耐久性も気になるところですが、レースや練習中に
クツの底がいきなり抜けても困るけど、
もっと過酷な工事現場とかでも使われるワークマンですから、
そんな心配は無用でしょう。
以上、個人的な感想をご参考までに。

昨日はゆっくりペースの伴走で2時間ほど走りましたが、
足に疲れなく痛みもありません。
日々の練習で足を馴らし、月末予定のオンラインのフルで
今回購入のいずれかを履いて走る予定です。

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「この時に幸あれ」
きょうはきのうのつづきではない。照る陽、吹く風に変わりはなくとも、
きのうの風ときょうの風はちがう。すでにその味わいは変わっている。
すべてが刻々に変わっているのである。同じ姿は一つとしてない
刻々に変化している。それでいいのである。
それがあたりまえである。自然の理である。
ただ自然の理の変わりようは、それが生成発展の理に立つ
変わっていくことが、そのまま新たな発展を生み出す理法なのである
赤子が元気な声で泣き出す。
きのうまでいわば無であったような存在が、
きょうは元気に手足をバタつかせ、大声で泣きわめいている。
眼を見はるような変化のなかでの、新たな人生の誕生である。
この子らの前途を何ものがさえぎることができようか。
たとえさまざまの困難があったとしても、この子らは
これをのりこえのりこえ元気で人類の運命をあゆみ出す。
ふまれてもふまれても、頭をもたげる野生のタンポポのように

それが自然の理である。人類の歴史である
激動のこのとき、激変のこの時代、変わることを恐れてはならない
すべてが発展への理に立つのである。
この時にこそ、すべてのものに幸あれ


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
誇りと心意気、泣き言はいわない [2021年02月14日(Sun)]
山本周五郎『ちゃん』より――
(…)
重吉のまわりで、冬は足踏みをしていた。
季節はまぎれもなく春に向かっていた。
霜のおりることも少なくなり、風の肌ざわりもやわらいできた。
梅がさかりを過ぎ、沈丁花が咲きはじめた。
歩いていると、ほのかに花の匂いがし、
その匂いが、梅から沈丁花にかわったこともわかる。ーー
けれども、そういう移り変わりは重吉には縁が遠かった。
いま、昏れがたの街を歩いている彼には、
かすかな風が骨にしみるほど冷たく、道は凍ててるように固く、
きびしい寒さの中をゆくように、絶えず胴ぶるいがおそってきた。
------------------
「おらあ、それをいのちに生きて来た」と重吉は云った。
身についた能の、高い低いはしょうがねえ、けれども、
低かろうと、高かろうと、精いっぱい力いっぱい、
ごまかしのない、嘘いつわりのない仕事をする、
おらあ、それだけを守り本尊にしてやって来た

ところが、それが間違いだっていうんだ、
時勢が変った、そんな仕事はいまの世間にゃあ通用しねえ、
そんなことをしていちゃあ、女房子が可哀そうだっていうんだ」
重吉は顔をあげ、唇をゆがめながら、少し意地悪そうな調子で云った、
「いまは流行が第一の世の中だ、
めさきが変わっていて安ければ客は買う、
一年も使ってこわれるかあきるかすれば、また新しいのを買うだろう、
これが当世だ、しょせんは火鉢は火鉢だって」
おめえ、どう思う」と重吉は喜助を見た、
そんなこっていいと思うか、みんなが流行第一、売れるからいい、
儲かるからいいで、まに合わせみたいな仕事ばかりして、
それでまっとうにゆくと思うか、ーー それあ、いまのまに合う、
そういう仕事をすれあ、金は儲かるかもしれねえ、
現におめえも知ってるとおり、(…)
------------------
「おめえたちは」と重吉はしどろもどろに云った、
「おめえたちは、みんな、ばかだ、みんなばかだぜ」
「そうさ」と良吉が云った、
「みんな、ちゃんの子だもの、ふしぎはねえや」
おつぎが泣きながらふきだし、次に亀吉がふきだし、
そしてお芳までが、わけもわからずに笑いだし、
お直は両手でなにかを祈るように、しっかりと顔を押えた。
------------------
いうまでもなく、一家はその長屋を動かなかった。
お直と良吉の意見で、重吉は「五桐」の店をひき、
自分の家で仕事をすることにした。
(…)いずれにせよ、やってみるだけの値打はある
ということになったのであった。
それが思惑どおりにゆくかどうかは、誰にも判断はつかないだろう。
長屋の人たちはうまくゆくように願った。かれらはみな
重吉とその家族を好いていたからーー
(…)
山本周五郎『泣き言はいわない』

本日、2月14日は山本周五郎さんのご命日

松下幸之助『道をひらく』より――
「時を待つ心」
何ごとをなすにも時というものがある
時 ― それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。
冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。

わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しない
であろう。

時を得ぬ人は静かに待つがよい。大自然の恵みを心から信じ、
時の来るを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る

待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない
冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。

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和佐遊園(松下幸之助翁生誕の地)2010.4.3

松下幸之助『道をひらく』より――
「道」
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか
自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではないか
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ

それがたとえ遠い道のように思えても
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる
深い喜びも生まれてくる

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
石もダイヤもみんなほんとうの宝になる [2021年02月07日(Sun)]
月曜日の夜に放送のNHK『逆転人生』
1月25日放送の「西成高校の挑戦」に魂を揺さぶられました。

どうやって子どもたちを学校に通わせるか、ではなく、
「どうすれば子どもたちに学校へ通ってもらえるか」

実のところ、番組冒頭の再現シーンでそんな会話が出た時、
えらい大変な学校やなと他人事で見ていましたが、
西成高校の先生と子どもたちの「心が通い合う」姿に、
校長先生が番組の最後に語られた「伴走」の真髄を受け止めました。

貧困家庭の子供たちの支援に限らず、
中小企業の経営支援、そして
すべてのビジネスに通じる大切なテーマと受け止めました。
――「どうすれば売れるか、どうすれば買えるか」、
  それとも「どうすれば買ってもらえるか、売ってもらえるか」
「どうすれば借りられるか、どうすれば貸せるか」、
  それとも「どうすれば貸してもらえるか、借りてもらえるか」

「どうすればできるか」に対して、
「どうすればしてもらえるか」は受け身で弱いイメージがありましたが、
西成高校の先生方の真心こもった熱意ある取り組みや
その先生の熱い思いに応える子どもたちの真摯な姿を見ていると、
むしろ力強く、そして希望を感じました。

その意味では、オリンピックの開催についても、
内村航平さんの「どうやったらできるかをみんなで考えてほしい」より、
新谷仁美さんの「アスリートとしては賛成だけど、
一国民としては反対という気持ちです」が大切なのかもです。

「お客様は来てくださらないもの」
「お取引先は売ってくださらないもの」
「銀行は貸してくださらないもの」
だからこそ、信用を大事にしなければならないのです。
来てくださらなくて当たり前のお客様に来ていただくために、
お取引先に売っていただくため、
銀行に貸していただくために、
精一杯の努力を日々傾けなくてはいけないのです。
信用の担保はお金やモノではありません。
人間としての誠実さ、真面目さ、真摯さがあって初めて、
信用していただける
のです。
伊藤 雅俊『ひらがなで考える商い』

松下幸之助『道をひらく』より――
「手を合わす」
うどんの値段は同じであっても、
客を大事にしてくれる店、まごころこもった親切な店には
人は自然に寄りついてゆく。その反対に、
客をぞんざいにし、礼儀もなければ作法もない
そんな店には、人の足は自然と遠ざかる
―― 生徒を大事にしてくれる先生、まごころこもった親切な先生には、
人は自然に寄りついてゆく。その反対に、
生徒をぞんざいにし、礼儀もなければ作法もない、
そんな先生や学校には、人の足は自然と遠ざかる。
客が食べ終わって出て行く後ろ姿に、
しんそこ、ありがたく手を合わせて拝むような心持ち

そんな心持ちのうどん屋さんは、必ず成功するのである。
こんな心がけに徹したならば、
もちろん、うどんの味もよくなってくる。
一人ひとりに親切で、一ぱい一ぱいに慎重で、
湯かげん、ダシかげんにも、親身のくふうがはらわれる。
そのうえ、客を待たせない。
たとえ親切で、うまくても、しびれが切れるほど待たされたら、
今日の時代では、客の好意もつづかない。
客の後ろ姿に手を合わす心がけには
早く早くという客の気持ちがつたわってくるはずである
親切で、うまくて、早くて、そして客の後ろ姿に手を合わす――
この心がけの大切さは、
何もうどん屋さんだけに限らないであろう。
おたがいによく考えたい。

石は石でいいんですよ、ダイヤはダイヤでいいんです
そして、監督者は部下の得意なものを早くつかんで、
伸ばしてやる、適材適所へ配置してやる。
そうなりゃ、石もダイヤもみんなほんとうの宝になるよ。
企業という船にさ 宝である人間を乗せてさ
舵を取るもの 櫨を漕ぐもの
順風満帆 大海原を 和気あいあいと 一つ目的に向かう
こんな愉快な航海はないと思うよ。
「得手に帆を上げ」/本田宗一郎『夢を力に』

この世の中はまさに無限の宝庫である。
すべての物はもちろんのこと、
マイナスでしかない人間など、本来この世にあろうはずがない
お互いに、もうすこし謙虚でありたい。
もうすこし勇気をもちたい。
そして、もうすこし寛容の心を持って、
すべての物が、すべての人が、時と処を得て、
その本来の値打ちが活かされるようつとめたいものである。
「無限の宝庫」/松下幸之助『続・道をひらく』

心身統一合氣道の五原則」
一、氣が出ている
二、相手の心を知る
三、相手の氣を尊ぶ
四、相手の立場に立つ
五、率先窮行(そっせんきゅうこう)

平和を求める祈り
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を 疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を 絶望のあるところに希望を
闇に光を 悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを わたしが求めますように
わたしたちは 与えるから受け ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に 永遠のいのちをいただくのですから

正月に今年の漢字一文字を「伴」にしましたが、
方向性に間違いなさそうです。
2021_伴.jpg
◆目標はサービス、正しいことをする
/2021.1.15


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない


この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
今日は自分の力を出しきれるかな? [2021年02月01日(Mon)]
「おまえのことはおまえがよく知っている。おまえができることもだ。
今日は自分の力を出しきれるかな?
ファウジャは一歩一歩を大切に、人生の道を歩いていきました
『100歳ランナーの物語、夢をあきらめなかったファウジャ』
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松下幸之助『道をひらく』より――
「勤勉の徳」
天災地変をまつまでもなく、粒々辛苦の巨万の富も、
事あらば一朝にして失われてしまうことがしばしばある。
形あるものはいつかは滅びるにしても、まことに
はかない姿であるといえよう。だがしかし、
身についた技とか習性とかは、これは生あるかぎり失われはしない。
たよりになるのは、やはり自分の身についた技、身についた習性
だから、何か一つでもいいから、
よき技、よき習性を身につけたいものであるが、
なかでもいわゆる勤勉の習性は、何にもまして尊いものに思われる。
勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む
人間のいわば一つの大事な徳である
徳であるかぎり、これを積むには不断の努力がいる
相撲に強くなるためには、不断に真剣なけいこを積まねばならないように、
勤勉の習性を身につけるためには、
まず日々を勤勉につとめる努力がいるのである。その努力が重なって
勤勉の習性が身につき、その習性からはじめて徳が生まれてくる

おたがいに勤勉の徳を積みたいものである。

Connecting the Dots.(点と点をつなげる)
将来をあらかじめ見据えて点と点をつなぎあわせることなどできません。
できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。
だから我々は、今やっていることが
いずれ人生のどこかでつながって実を結ぶと信じるしかない

Steve Jobs, on June 12, 2005

今日を完全に生きれば明日が見える。 
今日を懸命に生きる」/稲盛和夫『心を高める、経営を伸ばす』

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての「価値」をもたなくてはならない

――坂村真民さんが好きなゲーテの言葉――

松下幸之助発言集・第7巻の「誇りうる仕事の達人になろう」より――
「自分で自分をほめられるか」
私は、今も覚えておりますが、
ちょうど5、6人で仕事をしておりました時分に、
夏でしたから、仕事を終わって行水をいたします。
風呂もないことはありませんが、その当時は湯を沸かしまして、
たらいで行水をするということが、広い習慣になっておりました。
私は日いっぱい働いて、それから行水で汗を流すわけです。
その行水をしたときにふっと
きょうは、朝から自分ながらよくやったな
という感じがしたことを覚えておりますが、
そのときには非常に満ち足りた気分を味わったように思います
私はそのときに
ああ、きょうは自分ながらよくやったなあ」と、
自分で自分の仕事をたたえるような気分になって行水をつかっておった
そのときの心持ちというものは、
今も忘れることのできないうれしいものです。

人から評価してもらうということも、
むろんそれによっていろいろ感慨もありますけれども、それよりも
自分で自分をほめるとでも言いますか、
そういうような心境がずっと続いたならば
その人はいわゆる世の成功者であるという感じがいたします。
仕事の量ですとか、そういうものは第二にいたしまして、
どんな仕事でありましても、
私はそういう心境のもてる人は、必ずその仕事に、
小は小なりに大は大なりに立派な成果があがるものだと思います。

とかく、わたくしどもは、
結果を求めることばかり焦って、脚下がお留守になり、
今日のつとめを怠りがちでありますが、そこに失敗の原因があります。
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておる
のであります。
「太閤さんの心がけ」/山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』

松下幸之助『道をひらく』より――
「道」
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか
自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではないか
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ

それがたとえ遠い道のように思えても
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる
深い喜びも生まれてくる

人間は本来偉大なものである。みごとなものである。
しかしそのみごとさは、放っておいてはあらわれない
易きにつくのが人間の情であるとしても、
易きがままの日々をくり返すだけならば、そこにはただ、
人間としての弱さが露呈されるだけであろう。
おたがいに与えられた人間としての美しさをみがきあげるために
きびしさを苦痛と感じないまでに心を高めたいものである
心を高める」/松下幸之助『道をひらく』

さあ、前進あるのみexclamation
ライバルは過去の自分、昨日の自分です。
s-img454.jpg「限りなき魂の成長」

松下幸之助『道をひらく』より――
「一陽来復」
ひろい世の中、長い人生、いつも心楽しいことばかりではない。
何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、
これはこれでまことに結構なことであるけれど、
なかなかそうは事が運ばない。ときには悲嘆にくれ、
絶体絶命、思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。
しかし、それまたよし
悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、窮境に立って、
はじめて世間の味わいを学びとることができるのである。
頭で知ることも大事だが、
身をもって知るということが何よりも大事。
塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。
知るということにも、いろいろあるのである。
窮境に立つということは、
身をもって知る尊いチャンス
ではあるまいか。
得難い体得の機会ではあるまいか。
そう考えれば、苦しいなかにも勇気が出る。元気が出る。
思い直した心のなかに新しい知恵がわいてくる。
そして、禍いを転じて福となす
つまり一陽来復、暗雲に一すじの陽がさしこんで
再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくると思うのである。

毎日が新しく、毎日が門出、毎日が誕生日ひらめき
Every day is a new beginning.
img38.jpg


過ぎ去ったことは、もはや言うまい。かえらぬ月日にグチはもらすまい
そして、今まで他に頼り、他をアテにする心があったとしたならば、
いさぎよくこれを払拭しよう。
大事なことは、みずからの志である。みずからの態度である。
千万人といえども我ゆかんの烈々たる勇気である。実行力である。
志を立てよう。自分のためにも、他人のためにも、
そしておたがいの国、日本のためにも。
「志を立てよう」/松下幸之助『道をひらく』


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
なぜ走るのか? [2021年01月31日(Sun)]
朝から服部緑地で伴走練習、私にとって久々のガチランです。
東京出張(1/17〜22)でも毎朝走っていましたが、
その日の仕事のモチベーションを高めるためでしたし、
大阪に戻ってからは緊張からの緩和で
体調の変化を確認しながらのゆるゆるのお散歩ジョグでした。

そんなこんなで、本日の目標はゆっくりペースで20キロ、
平坦な一周2キロの八の字コースを10周です。
途中、トイレや給水で休憩しましたが、
何とか走り切ることができ、達成感で気分爽快です。

伴走でなければ服部緑地まで出かけていなかったでしょうし、
走りながら色々と話題をふってもらったり、
励ましていただいたりしなければ、
おそらく最後まで走り切れなかったでしょう。

ゆるゆるのお散歩ジョグでは達成感はなく、
前向きになれても「自分をほめる」気分になれず、
伴走練習に心から感謝です。
そして家に帰って体重を測ると62.4キロでした。
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なぜ走るのか?
江上剛さんの『56歳でフルマラソン、62歳で100キロマラソン』を読んで
共感しました。

マラソンをしている時には、
マラソンをしている自分に集中している。
作家であることも、家庭人であることも、
トラブルを抱えていることも、何も関係ない。
ただ走っているだけなのだ。
走るという「一」になっている。
自分に絡みついているあらゆるものを捨て去り、
ただ走ることだけに集中している。
なぜ走るのか?と問われたら、
足が動くからだ、としか答えようがない。
息が切れ、死ぬほど苦しいのに、なぜ走り続けるのかと言われると、
「志」ということになるだろうか。
とにかくゴールに行きつくまでは走り続けるのだ、ということを考える。
マラソンを方便としての「一」に使っているわけだ。
これは坐禅と同じだ。
マラソンには坐禅と同じ方便力がある。ただ走るだけ。
(…)
禅は、何か効用を求めてするようなものではない。
(…)
マラソンも同じだ。ただ走るだけなのに、
心の安らぎを得ることができる。
そのためにやっているわけではないのだが、
やっている最中は、坐禅であれば「坐る」ということに、
マラソンであれば「走る」ということに、
それぞれ「一」になることで心が安らぐのだ。

たしかに、毎朝のお散歩ジョグでも、
走りながら雑念が次々とでてくるのですが、
最近はそれが気にならず、集中しようとあえて意識しなくても
ただ走る状態になり、リラックスして心の安らぎを感じます。
これでもっと楽に走れたら云うことなしですが、
走ってしんどいのは変わりません。トホホ

そして江上剛さんの次の記述にも共感です。

いつまで走り続けられるかはわからない。
106歳まで生きたある医療品メーカーの会長は、
70代でマラソンを始め、97歳までフルマラソンを完走したという。
確か、ニューヨークマラソンだったか、
インド人のランナーは100歳を超えていたと思う。
(…)
なぜそんな高齢になっても走るのだろうか
(…)
高齢者が、健康のため、新しいコミュニティを求めるために
スポーツクラブに通う。走ることにも同じ意味合いがある。
健康のためであったり、新しい仲間を求めたり。
しかし、もう一歩進めて考えれば、精神性があるのではないか。
走るという極めてシンプルな運動を通じて、
自分を見つめたい、自分を確認したい、
自分はもっとやれるという自信を得たい。
そのために走っているように思える。
(…)
最後まで、自分のために走る
そして普段の練習が自分を裏切っていないことを確認するのだ。

これに対して、さすがアマゾンのAIくんはお利口さんです。
100歳のインド人ランナーの物語を書いた絵本を紹介してくれました。
『100歳ランナーの物語、夢をあきらめなかったファウジャ』ひらめき
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早速に買い求めて、今日届いたので読みましたが、魂を揺さぶられました。
81歳で初めてインドの故郷を離れてイギリスで子どもたちと暮らし始めるも、
言葉も通じず鬱々していたが、ある日、テレビで走る人たちを見て、
自分もターバンをまいた姿で公園を走るようになり、
フルマラソンを走る「目標」を立てて
89歳でロンドンマラソンを完走。
その後もロンドンマラソンに5回出場し、毎回、記録を更新グッド(上向き矢印)
93歳でニューヨークマラソンに出走するも、記録はこれまで最悪バッド(下向き矢印)
自信が揺らぐも「新しい目標」を立てる。
―― 100歳でフルマラソンを完走する位置情報
そして2011年10月16日、トロント・ウォーターフロントマラソンで完走
タイムは 8時間11分5秒9でした。
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(絵本カバーの裏面)
さらに、2012年4月22日のロンドンマラソンでは 7時間49分21秒ぴかぴか(新しい)
100歳で自己ベスト更新とは見事です。

絵本の監修は金哲彦さん。金哲彦さんがこの絵本に寄せた
純粋になにかを好きになる心が壁をのりこえる力になる」と題する一文で、
最後に記されたメッセージに激しく同意です。
ファウジャと同じことはできません。
でも、ファウジャのような純粋な心になることは
きっとだれにでもできる。この絵本を読むとそう思えるのです。

先日、長岡三重子さんが亡くなられました。享年106歳。
長岡さんは数々の世界記録をマークし国内最高齢の現役スイマーで、
私が長岡さんを知ったのは2014年のお正月の朝日新聞でした。
生まれて初めてプールに入ったのが80歳
見よう見まねの背泳ぎで25メートル泳げるようになるまで1年
84歳で日本記録を出し、87歳から2年に一度の世界大会に出場
90歳になる年に銀メダル3個を取るも、
「金を取りたい」と翌年からコーチの指導を受け、
95歳になる年に200メートル背泳ぎで6分24秒の自身初の世界記録を達成
99歳で背泳ぎ、自由形、平泳ぎの95〜99歳部門で11個の世界記録を持つ
情熱と努力があれば夢はかなえられる」が口癖だ

生きるとはつまり、
生きることの問いに正しく答える義務、
生きることが各人に課す課題(使命)を果たす義務、
時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
ヴィクトール・フランクル『夜と霧』

人間としての存在や人生の充実ということに関して言えば、
老いにつけ若きにつけ
今、自分がおのれの命といかにかかわり、
どのような姿勢で生きているかを問い続けるか否か
が問題なのであり、
言い換えれば、毎日毎日が人生の一大事の連続なのであろう。
大西良慶、平櫛田中『人間ざかりは百五歳』

人生を川の流れにたとえれば、
渓流からはじまり、やがて川となって流れ、死の大海へと注ぎます。
川を流れているときは自分も他人も流れていますから、
どのような姿で流れているのか、よくわからないものです。
そこで、ときにはよどみにとどまり、
あるいはよどみから岸に上がって流れている姿を見てみるといいのです。
これが、人生の作戦の見直しです。修正も加速も可能です。
あなたがあなたを見つめる。自分のいのちを実感する
悔やんだとしても、そういう自分であると知れば打つ手もあります。
よく生きるとは、このよどみの使いようではないかと思えます。
日野原重明『与命』

「山へなぜ登るのか」と聞かれたら、
私は「そこに山があるから」とは答えません。
人間だから」といいたいのです。
西堀榮三郎『五分の虫にも一寸の魂』

さあ、前進あるのみexclamation、ライバルは過去の自分です。
s-img454.jpg「限りなき魂の成長」

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「春がきた」
春がきた。
夏がきて秋がきて、冬がきてまた春がきた。
同じことのくりかえしのようにも見えるけれど、
樹々は一まわり大きくなった。
それぞれに、それだけ生長している。
決して同じではない。くりかえしではない。

山にのぼる道が、ぐるりぐるりと山をまわっている。
東に行ったら西に行って、また同じ東の景が見えてきて、
同じところをぐるぐる回っているように思えるけれど、
ぐるりとまわったら、一段も二段も高くなっている。
決して同じ道のくりかえしではない。

毎日が同じことのくりかえしのように思えることがある。
しかし、きのうよりはきょうの方が、
それだけの体験を深め、それだけ賢くなっているのである。
人生には、日とともに高まりはあっても、くりかえしはない。

世界の動きが、また同じくりかえしのように見えることがある。
しかし決してくりかえしではない。
さまざまの歴史の体験を経て、
人類は一段一段、賢くなっているのである。

くりかえしと思ったとき、進歩への道をみずから閉ざす
くりかえしはないのである。

毎日が新しく、毎日が門出、毎日が誕生日ひらめき
Every day is a new beginning.
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とかく、わたくしどもは、結果を求めることばかり焦って、
脚下がお留守になり、今日のつとめを怠りがちでありますが、
そこに失敗の原因があります

その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります。
山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
心の庭を整えて耕す [2021年01月30日(Sat)]
松下幸之助『人生心得帖』より――
「年齢と持ち味」
60歳を過ぎるころから私も、
どことはなしに疲れやすくなって、
体力の衰えというものを感じることが多くなりました。
それ以来、自分ではまだまだ元気なつもりでいても、
やはり年には勝てんな、と思いつつ、
折々に考えてきたことがあります。
それは、人間というものは、
年とともにどう変わっていくのだろうかということです。
まず、体力はどうか、といえば、(…)
それでは知力の方はどうか。(…)
(…)
このように、豊かな経験、旺盛な知力、体力というように、
それぞれが発揮する持ち味は年齢によって違いますが、
老いも若きも、その年齢による違いを尊重し合い、
それぞれを生かし合っていく。そういうところから、
より力強い社会の働きというものも
生み出されてくるのではないかと思うのです。
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年齢について、法律は「出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス」と定め、
たとえ夜に生まれても、その日から0歳になるので、
1年後の誕生日の前日の24時0分0秒に1歳になります。
そのため、4月1日生まれの人は進学で早生まれ扱いになり、
所得税の扶養家族に係る12月末現在の年齢の要件も
1月1日の誕生日で判定です。
誕生日の前日の24時に年齢が上がるなら、
年越しの鐘を撞いてカウントダウンで祝うのも乙なものかもです。…

ジェームズ・アレン『原因と結果の法則』より――
「第2章 環境に対する思考の影響」
人間のマインドは美しく耕され整備された庭、あるいは、
野放しにされた荒れ放題の庭にたとえることができます。
良く耕された庭であろうと、野放しにされた庭であろうと、
そこには確実に何かが芽生えてきます。
もし、そこに役に立つ種が蒔かれなければ、
役に立たない雑草の種が増殖し、
雑草が生い茂ってしまうことでしょう。
庭師はその地所を耕して雑草を取り除いて、
必要とする花や果実を育てます
。それと同じように、
私たち人間は自分のマインドという庭から、
謝った考え、役に立たない考え、不純な考えをすべて
取り除く必要があります。
こうしてマインドを耕すことによって、
役に立つ正しくて純粋な思考という美しい花や
すばらしい果実を、完璧に育てなければなりません。
こようなことを追求して行くうちに、私たちは遅かれ早かれ、
自分が自分の魂の庭の主任庭師であり、自分が自分の人生に
全責任を負ている監督であることを発見する
のです。
(…)

何はともあれ、前期高齢者までラストワンイヤー、
たとえ体力や知力は年齢とともに衰えても、
魂は限りなき成長を目指したいもの。
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自分の心の庭を整えて耕すため。
まずは、自分の机の上や身の回りから
積み上げられた本や書類など片付けました。
おかげで部屋は明るく広くなり、景色が変わってスッキリ。
何ごとも「脚下照顧」です。

禅寺の玄関にはよく「照顧脚下」と板に書いて張ってあります。
あれは脚下を気をつけよということであります。
禅僧は玄関からあがるときには後むきにあがって、
自分の履物を人に直してもらわなくてもよいように、
またどんな暗闇でもちゃんと履けるようにしてあがります。
このように玄関の履物が整然として乱れぬことを、
照顧脚下と申すのであります。
盗人でも玄関の履物がよくそろえてある家には入らぬと申しますが、
玄関の履物が調えられておることは
その家人の心が調えられておることであり、
履物の乱れておることはその家人の心が乱れておる証拠であります。
そこで心が調えられればおのずから脚下が調えられ、
脚下を調えてゆくことがやがて心を調えることになる
のです。
山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』

とかく、わたくしどもは、結果を求めることばかり焦って、
脚下がお留守になり、今日のつとめを怠りがちでありますが、
そこに失敗の原因があります

その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります。
山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
春を待つ心 [2021年01月29日(Fri)]
松下幸之助『人生談義』より――
「春を待つ心」
一年で寒さがいちばん厳しいいまの季節、
皆さんいかがお過ごしてしょうか。
この寒さもあと少しで峠を越え、
やがて南のほうから春のたよりが聞かれることでしょう。
桜の花のつぼみが色づきふくらみ始めるのも、
もうまもなくだと思います。ところで、
こうした冬から春への移り変わりを眺めていると、
時といういわば目に見えない大自然の力というものを
感じさせられます。
春になればらんまんと咲く桜花といえども、
冬の間は花を咲かすことはできない。いかに望もうと、
冬が過ぎ春が到来するまで待たなければ、
花ひらくことができないのです。
もっとも、桜はただ単に待っているのではないと思います。
冬の厳しい寒さをじっと耐え忍びつつ
一瞬の休みもなく、ひたすらに力をたくわえている
そうした営みがあればこそ、春の到来と共に
一気に美しい花を咲かせることができるのだと思うのです。
それが自然界の姿であり、自然の理というものでしょうが、
お互いの仕事や人生においても、
冬の桜のように耐えて時を待たねばならないことが、
往々にしてあるのではないでしょうか。
(…)

この後、松下さんのお話は
1929(昭和4)年の苦境を乗り越えられたエピソードに続きます。

そして「春を待つ心」の最後
(…)
これは、ぼくの体験の中の一つの事例にすぎませんが、
お互いの人生においては、このように
耐えて時を待つことによって好ましい結果に結びつくことが、
少なくないのではないか
と思うのです。
皆さんの中には、何かをやり始めたけれど、
つらいことやままならぬことがつづいて、
「もう投げ出してしまいたい」とか、あるいは、
「何も悪いことなどしていないのに、どうして自分だけが
 こんなつらい目にあわなければならないのだろう」とか、
悩んだ経験をお持ちの方があると思います。
いや、いま現に悩んでいる方もあるでしょう。
そうしたときにやはり大切なのは
桜が力をたくわえつつ冬の寒さに耐えているように、
努力を重ねつつ、苦しさ、つらさに耐え、
時が来るのを待つ
ことではないでしょうか。
もちろん、世の中には成るものと成らないものがあります。
いくら時を待っても人間の力ではどうしようもないこともある
でしょう。しかし、たとえ成るものであっても
時が来ないために成らないという場合が少なからずある
ですから、つらく、苦しいというときにも、
いたずらにあせることなく、静かに時を待ち、自分を磨いてゆく

そうした姿が人間として尊く、大切なことではないか
という気がするのです。そして、そうした人たちには
必ずや春の陽光が暖かくふりそそくのではないでしょうか
まだしばらくは厳しい寒さがつづくことでしょう。
お互い、風邪には十分用心しつつ、
ときには肌さす寒さの中に自分の身体をさらして、
春を待つ桜の心に思いを馳せてみたいものだと思います。
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アメリカのバイデン大統領が、先週の就任演説(2021/1/20)で
引用された聖書の言葉も心に沁みました。
My fellow Americans in the work ahead of us, we are going to need each other. We need all of our strength to preserve − to persevere through this dark winter. We are entering what may be the toughest and deadliest period of the virus. We must set aside politics and finally face this pandemic as one nation, one nation.
And I promise you that this as the Bible said weeping may endure for a night but joy cometh in the morning. We will get through this together, together.
米国民の皆さん、私たちはこれから仕事を進めていく上で、互いを必要とする。この暗い冬は全力を出さなければ耐え抜けない。新型コロナウイルスとの戦いで、これから私たちが迎える日々は、最も手ごわく命を脅かされるものになるかもしれない。政治を脇に置いて、遅ればせながらも国が一丸となって、この世界的大流行に向き合わなくてはならない。
聖書も言う通り、こう約束したい。夕べは涙のうちに過ごしても、朝には喜びの歌がある。私たちは力を合わせて切り抜けていく。力を合わせるのだ。

フェデリコ・バルバロ訳『聖書』より――
旧約聖書の「詩編」の30編6節
主の怒りは一瞬で、その恵みは生涯におよぶ。
たそがれどきには涙の訪れ、あかつきには歓喜の叫びがある

バイデン大統領は、昨年11月の勝利宣言(2020/11/7)でも
聖書の言葉を引用しておられました。
And to those who voted for President Trump, I understand your disappointment tonight. I've lost a couple of elections myself. But now, let's give each other a chance. It's time to put away the harsh rhetoric. To lower the temperature. To see each other again. To listen to each other again. To make progress, we must stop treating our opponents as our enemy. We are not enemies. We are Americans.
The Bible tells us that to everything there is a season - a time to build, a time to reap, a time to sow. And a time to heal. This is the time to heal in America.
トランプ米大統領に投票した人々は今夜、落胆しているだろう。私自身も(大統領選への立候補で)2度撤退している。今度はお互いに機会を与えよう。暴言をやめて冷静になり、もう一度向き合い、双方の主張に耳を傾けるべきだ。前に進むために、互いを敵とみなすのはやめなければいけない。私たちは敵ではない。私たちは米国人だ。
聖書は全てのことに季節が巡っていると教えてくれる。立て直し、稲穂を刈り取り、種をまき、傷を癒やす時だ。米国の傷を癒やす時が来た。

フェデリコ・バルバロ訳『聖書』より――
旧約聖書の「コヘレットの書(伝道の書)」の第3章
この世には、すべてに時があり、それぞれ時期がある
生まれる時、死ぬ時がある、
植える時、抜く時がある。
殺す時、治す時がある、
倒す時、建てる時がある。
泣く時、笑う時がある、
嘆く時、踊る時がある。
石を投げる時、拾う時がある、
抱擁する時、抱擁をやめる時がある。
さがす時、失う時がある、
守る時、捨てる時がある。
裂く時、縫い合わせる時がある、
黙る時、話す時がある。
愛する時、憎む時がある、
戦う時、和睦する時がある。
(…)

松下幸之助『道をひらく』より――
「時を待つ心」
何ごとをなすにも時というものがある
時 ― それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。
冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。

わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しない
であろう。

時を得ぬ人は静かに待つがよい。大自然の恵みを心から信じ、
時の来るを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る

待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない
冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。

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和佐遊園(松下幸之助翁生誕の地)2010.4.3

中央集権的でいくつもの階層がある企業
官僚的で内向きで、コストが高く反応時間が遅い組織にはもう意味がない
こんな会社はもはや有益な模範を提供しない。
それは、国際化の度合いが低く、
売り手寡占市場で、変化の速度が遅かった時代に花開いた組織だ。
これから先の数十年、
ますます経済競争が激しくなる時代に勝利する企業は、
1920年代から60年代にかけての松下電器にますます似てくるかもしれない

ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長――人間・松下幸之助の研究』
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人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
自利利他円満、共存共栄の花が咲く [2021年01月23日(Sat)]
松下幸之助『道をひらく』より――
「生かし合う」
人間の生命は尊い。
尊いものは誰もが尊重しなければならぬ。
ところが、自分の生命の尊いことはわかっても、
他人の生命もまた尊いことは忘れがちである。
ともすれば私心に走り私利私欲が先に立つ
つまり、自分にとらわれるということで、
これも人情としてやむをえないことかもしれない。
しかし、これではほんとうに、
おたがい相互の繁栄は生まれないであろう。
人間本来の姿は生かされないであろう。
やはり、ある場合には自己を没却して、まず相手をたてる。
自己を去って相手を生かす
そうした考えにも立ってみなければならない。
そこに相手も生き、自己も生きる力強い繁栄の姿がある。
尊い人間の姿がある。
自己を捨てることによってまず相手が生きる
その相手が生きて、自己もまたおのずから生きるようになる。
これはいわば双方の生かし合いではなかろうか。
そこから繁栄が生まれ、ゆたかな平和と幸福が生まれてくる。
おたがいに、ひろく社会の繁栄に寄与するため、
おたがいを生かし合う謙虚なものの考え方を養いたい

(まこと)の商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり
石田梅岩

コロナ感染拡大に伴う緊急事態宣言下、一週間の東京出張でしたが、
富士山に見守られて充実した日々を送ることができました。

日曜日(1/17)、東京に向かう新幹線の車中の友は、
目黒の星付きイタリアンレストランのオーナーシェフ村山さんの本
『なぜ星付きシェフの僕がサイゼリヤでバイトするのか?』
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本場イタリアで8年間修業して帰国後、
2011年5月(東日本大震災の年)に自分の店を構えて
9年連続で一ツ星を獲得した村山さんが、
お店の休日にサイゼリヤでバイト。
生活費稼ぎが目的ではなく、サイゼリヤに経営を学ぶためですが、
その結果、お店のスタッフ1人当たり売上高は2.2倍、一方、
1人当たり労働時間は4割減で、人時生産性は3.7倍に劇的に改善
さらに、昨年の緊急事態宣言下の3〜5月も
スタッフの命を第一に優先しながら商売を続けて黒字を達成です。

コロナ禍で苦境の飲食業界にあって、
村山さんの謙虚に学ぶ姿勢見事な経営の舵取りに深く感銘し、
東京出張の機会に再び読んでいたのですが、
本から目を上げると車窓から富士山が飛び込んできて、
村山さんのお店に食べに行くことを思いつきました。
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ネットで検索すると、あいにくと日曜日は定休日。
平日の夜は緊急事態宣言下で出歩けず、
土曜日のランチなら金曜日に後泊すれば行けるので
善は急げとフェイスブックのメッセンジャーでお店に問い合わせ。
日曜日は休業だから返事は月曜日になると思っていたら、
お店から早速に丁寧なお返事をいただきました。

残念ながら23日の土曜日は満席とのこと。
お店で食事を楽しむことは叶いませんでしたが、
お店が休みなのにクイックレスポンス
そして真心こもった丁寧な対応はさすがです。
いつの日かお店に寄せていただいて、
楽しく食事させていただくのが今から待ち遠しいです。

三鷹の山本有三記念館へ
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心に太陽を持て
―― 自ら光る(自行)という意味では「一隅を照らす」に通じる?

そして月曜日(1/18)、
感染防止のためマスクを二枚重ねにして研修スタート。
金曜までの5日間、一日6時間の研修で、
参加者に問いかけて考えてもらう時間はあっても、
転記や計算といった単純作業やグループワークの時間はなく、
学んだことを各自の現場で実践活用していただくことが目標です。
―― アウトプットで求める成果を高めるためのインプット

大学校から10月中旬に連絡いただいた時は、
受講生のソーシャルディスタンスを確保するため、
二つの教室に分かれて開催とのことでしたが、コロナ第3波。
今月6日に連絡いただいた時には申込者は15名で教室は一つになり、
さらに7日の緊急事態宣言でキャンセルが相次いで、
最終的に参加者は9名になりました。

大学校の他のコースもキャンセルが相次いで参加者が少なく、
来週以降は長期コースを除いて中止とのことで、
今週の研修が短期コースとしては今年度最後になるようです。
『最後の授業』とあれば黒板に何か書き残しますか。
――「中小企業バンザイexclamationコロナに負けてたまるかexclamation」とか

研修初日から色々と熱心にご質問いただきました。
二日目にはマスクのカンパもいただき、ありがたい限り。
最終日にはイラスト入りのメッセージカードまで頂戴しました。
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とても嬉しいです。自分へのご褒美に、
頂戴したカードを入れる額を買い求めました。

終わってみれば研修中に7名の方と名刺交換、参加者の8割です。
私にとっても、学びや気づきが多い充実した5日間になりました。

初日の研修後にいただいた質問の一つが、別の研修で
人件費の変動費化で収益構造を改善することを学ばれたとのこと。
たしかに固定費の変動費化で損益分岐点を引き下げられますが、
経営判断として正しいか疑問です。リーマンショックの時に
パート従業員を正社員にされたエーワン精密さんの事例などを
紹介して、私の回答とさせていただきました。

いまだに、目先の数字のつじつま合わせを説くとは正直ビックリです。
損益分岐点に限らず、キャッシュフローや生産性、労働分配率など、
いずれも物事の本質を追究することが肝要です。
(1)数字の求め方でなく、数字の意味するところを理解する
(2)数字の評価ではなく、数字の背後にあるものを読み解く
(3)個々にバラバラでなく、数字の相互の繋がりを読み解く

研修中、村山さんの本やサイゼリヤさんなどの取り組みを紹介して、
その取り組みの「意味するところ」を共に学びました。
そして、研修の最終日(1/22)には、でんかのヤマグチさんや
奈良のとんかつ屋「まるかつ」さんの取り組みを紹介。


昨年、緊急事態宣言が発令されたのは4月7日のこと。
まるかつさんは緊急事態宣言が発令される前の3月30日で
通常営業(店内でのお食事の提供)を自主的に取りやめられて
3月31日からは持ち帰り専門のお店になられました。
そして緊急事態宣言が解除された5月14日以降も、自主的に
持ち帰り専門を続けられました(9/2より店内営業を再開)。
そしてそして来月(2021/2)には、
2号店を生駒市にオープンの予定で着々と準備されています。

同じ情勢の中で、みな同じように困っているかというと
決してそうではありません

ある企業は、2割なら2割の賃上げをしても、
それを生産性の向上でカバーして悠々とやっている。
一方は四苦八苦している。
ある商店では比較的安く売っているけれども、
利益は適正に取っているのに、
別のところでは、高く売っても利益があがらない。
そういったことが同じ業種の中でもしばしば見られます
どうして、そういう差が出てくるのでしょうか。それはひと言でいえば、
その必要性を感じていた、察知していたということではないかと思います。
「命をかける真剣さ」/松下幸之助『経営心得帖』

そして、昨日(1/22)大阪に戻る新幹線の車中の友は、
「日経ビジネス」と「Wedge」の最新号。
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どちらの特集も、対象は違えども、
正しいことをする」がテーマと受け止めました。

以上、今週一週間の出張で感じたことのあれこれを思いつくままに。
その結論は、
目先の数字に囚われた「短期的な利己」ではなく、
小回りを利かせた密なる心の通い合いで「心の距離は限りなく密」にし、
社会にとって正しい「持続的な利益」を追求して「自利利他円満」です。
求めるものは「最大」や「最高」「最良」ではなく「最適化」であり、
役所の要請や法律の規制、休業補償の有無で自らの行動を判断するのでなく、
社会と「調和」して自ら積極的に変化して成長し続ける姿であり、
自分たちの主体的な判断で行動して「約束」を守って「責任」を果たし、
―― 自分との約束、共に働く仲間との約束、お客様との約束、社会との約束などなど
結果の喜びを共に働く仲間やお客様や社会と分かち合う自律」です。

忘己利他(もうこりた)

自利利他円満(じりりたえんまん)

共存共栄ということでなくては、
真の発展、繁栄はありえない。
それが自然の理であり、社会の理法なのである。
自然も人間社会も、共存共栄が本来の姿なのである。
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

関係先の犠牲においてみずからの発展をはかるようなことは
許されないことであり、それは結局、自分をも損なうことになる

やはり、すべての関係先との共存共栄を考えていくことが大切であり、
それが企業自体を長きにわかって発展させる唯一の道
である
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』



10年前の富士山(2011.1.23)七面山

中央集権的でいくつもの階層がある企業
官僚的で内向きで、コストが高く反応時間が遅い組織にはもう意味がない
こんな会社はもはや有益な模範を提供しない。
それは、国際化の度合いが低く、
売り手寡占市場で、変化の速度が遅かった時代に花開いた組織だ。
これから先の数十年、
ますます経済競争が激しくなる時代に勝利する企業は、
1920年代から60年代にかけての松下電器にますます似てくるかもしれない

ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長――人間・松下幸之助の研究』
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人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
金の値打ちを生かして使う [2021年01月22日(Fri)]
松下幸之助『人生談義』の「お金というもの」より――
「不自由の中で知る値打ち」
お金の値打ちを知るということは非常にむずかしいことですね。
お金というのは、必要以上に持っていると、気が大きくなって
目的以外のことにも使ってしまう
。ぼくの経験からいえば、
むしろお金に不自由しているときのほうがいいですね。
資本を持って仕事を始めても、
資金がなくなって困るようになって初めて真剣になるし、
お金の値打ちというものがわかるのです。
そうなれば、使うにしても真剣ですよ。
だから、お金の値打ちがそのまま光るのです。
ぼくが商売をやっていて、どんなところに品物を売ったかというと、
お金をたくさん持っている人よりも、
たとえば夫婦一緒に働いて、かたい生活をしているところでしたね。
そういう人の方がお金の価値をよく知っていて、
長い目で見たらよいお得意さんになりました


「銀行とのつきあい」
企業経営においては、銀行がたやすく金を貸してくれる場合は
危険
だと見なければなりませんね。
銀行がしぶってしぶって貸してくれている間はうまくいく。
しかし、銀行がどうぞお金を使ってくださいと言うときには、
よほど注意しなければなりません。
いつも間違いなくやっている人でも、
つい気が大きくなって失敗することになりがちですな。ほんとうは、
たやすく金がはいるということほど危険なことはないのですよ。

「お金には労苦がこもっている」
お金というものには、その中にさまざまな人の労苦がこもっている、
ということだと思います。
一個の百円玉にも、人びとの苦心の働きが込められている。
あらゆる人びとの働きの一部が百円玉なのだから、
そのつもりで大事に使わなければいけない

そんな気持ちを基本に持っていることが必要だと思います。
まあとにかく、お金の使い方はむずかしいものですね。
その人の人格が反映するのですから……。
だから大事に使わなければならない

兄さんからもらった百万円と汗水たらしてつくった百万円。
同じ百万円でもその値打ちが大きく上がってきます。
「値打ちのある金」/松下幸之助『人生談義』

松下幸之助『道をひらく』より――
「同じ金でも」
同じ金でも、他人からポンともらった金ならば、
ついつい気軽に使ってしまって、いつのまにか雲散霧消。
金が生きない。金の値打ちも光らない。

同じ金でも、アセ水たらして得た金ならば、
そうたやすくは使えない。
使うにしても真剣である。慎重である。
だから金の値打ちがそのまま光る。

金は天下のまわりもの。自分の金のといっても、
たまたまその時、自分が持っているというだけで、
所詮は天下国家の金である。その金を
値打ちもなしに使うということは、
いわば天下国家の財宝を意義なく失ったに等しい。
金の値打ちを生かして使うということは、
国家社会に対するおたがい社会人の一つの大きな責任である。
義務である。

そのためには、金はやはり、
自分のあせ水をたらして、自分の働きでもうけねばならぬ。
自分のヒタイのアセがにじみ出ていないような金は、
もらってはならぬ。借りてはならぬ

個人の生活然り。事業の経営然り。そして国家の運営の上にも、
この心がまえが大事であろう。

なんぼ金もうけしようと思っても、
それに値するものがなければお金はついてきませんわ。
その人の仕事に社会的な価値があれば、
それにふさわしいお金がついてくる

それは、「おまえ、もっとしっかりやれよ」、
という世間の声とも解釈できますね。
「仕事の価値がお金を呼ぶ」/松下幸之助『人生談義』


「日経ビジネス」2020年9月28日号
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今回の「ゼロゼロ融資」は、
山一證券や拓銀が破綻した後の金融危機の「5千万円特別保証」や、
リーマンショック後の金融危機の「返済猶予」とは、
異質の問題を感じています。杞憂に終わればよいのですが…

資金を銀行から借り入れる場合には、
返済計画を明らかにしなければならない

当然、返済の支払いは元本に利子が加えられたものとなる。
一方、企業が直接事業から借入の返済にあてることができる原資は 
大きく2つの源がある。それは、
税金を支払ったあとの利益である「税引後利益」と、
会計上経費としているが
実際には手元にキャッシュとして残っている「減価償却費」である。
『稲盛和夫の実学』

銀行は「天気の良い日には傘を貸すが、雨が降れば傘は取り上げる」と
言われている。酷な話に思えるが、
お金を貸して取りはぐれたのでは銀行の経営が成り立たないので、
雨が降ったら借りた傘は取り上げられるというのは当たり前と考え、
どんなときでも自分の力で雨に濡れないようにしておかねばならない

つまり、「土俵の真ん中で相撲をとる」ような経営を
つねに心がけていなければならないのである。
『稲盛和夫の実学』

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夕暮れの富士山(2021.1.21)


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
What to Do,What Not to Do [2021年01月21日(Thu)]
松下幸之助『実践経営哲学』より――
「自然の理法に従うこと」
経営というものはまことにむずかしい。
いろいろな問題がつぎからつぎへと起こってきて、
それに的確に対処していかなくてはならない。
考えるべきこと、なすべきことがいろいろあり
それを過たないということは、確かに容易なことではない
しかしまた、考えようによっては、
経営はきわめてやさしいともいえる。というのは、それは
本来成功するようにできていると考えられるからである。

私は自分の経営の秘訣というようなことについて
質問を受けることがあるが、そういうときに
「別にこれといったものはないが、強いていえば
『天地自然の理法』に従って仕事をしていることだ」
という意味のことを答える場合がある。
天地自然の理法に従った経営などというと、
いかにもむずかしそうだが、たとえていえば
雨が降れば傘をさす」というようなことである。
雨が降ってきたら傘をさすというのは、
だれでもやっているきわめて当然なことである。
もしも、雨が降ってきても傘をささなければぬれてしまう。
これまた当然のことである。
(…)
そのように、私のいう『天地自然の理に従った経営』というのは、
当然なすべきことをなすということである。
それに尽きるといってもいいかもしれない。
その、なすべきことをキチンとなしていれば、
経営というものは必ずうまくいく
ものである。
その意味では、経営はきわめて簡単なのである。
いい製品をつくって、それを適正な利益をとって販売し、
集金を厳格にやる。そういうことをその通りやればいいわけである。
ところが実際の経営となると、そのとおりやらない場合も出てくる。
(…)
そういう例が世間には実際少なくない。
要するに、なすべきことをなしていない姿であり、それはすなわち、
天地自然の理に反した姿である。経営の失敗というのは、
すべてそういうところから出ているといってもいいであろう。

私自身についていえば、そういう点で、なすべきことをなし、
なすべからざることをしない
ようにということを心がけて、
ずっと仕事をしてきた。
時として判断を誤って、なすべきことをしなかったり、
なすべきでないことをしたりしたこともあった。
しかし、心がまえとしては、なすべきことをなし、
なすべからざることをしない
ということに
極力、努めてきたつもりである。

限りなき生成発展というのが、この大自然の理法なのである。だから、
それに従った行き方というのは、おのずと生成発展の道だといえよう。
それを人間の小さな知恵、才覚だけで考えてやったのでは、
かえって自然の理にもとり、失敗してしまう。大いに知恵を働かせ、
才能を生かすことも一面きわめて大切であるが、やはり根本は
人知を超えた大きな天地自然の理に従って経営をしていく
ということでなくてはならないのである。

素直な心になれば、物事の実相が見える。それに基づいて、
何をなすべきか、何をなさざるべきかということもわかってくる。
なすべきを行ない、なすべからざるを行なわない真実の勇気も 
そこから湧いてくる。
「素直な心になること」/松下幸之助『実践経営哲学』

松下幸之助 日々のことば「道をひらく」より――
「なずべきことをなす」(12日)
不安や焦り、あるいは恐れにとらわれて、
自分を見失ってはいないか。
一発逆転の妙手策ばかりを追いかけて、
今ここでなすべきことをおろそかにしてはいないか。
困難にあればこそなお勇気をもって
なすべきことをなすべきときにきっちりとなしていく
そのたゆみない歩みこそが
着実に成果を高め、成功にいたる道ではないか。

なすべきことをなすという勇気と、
人の声に私心なく耳を傾けるという謙虚さがあったならば、
知恵はこんこんとわき出てくるのである。
わが知恵の乏しきを嘆く前に、
お互いにこの勇気と謙虚さを、あわせ持っていたか、三省、四省してみたい
そして、もうこれでおしまいなどと、安易に言うのはやめにしたい。
知恵は無限にわき、無限に集まるのである。
「知恵は無限」/松下幸之助『続・道をひらく』

『松下幸之助 一日一話』より――
「なすべきことをなす」(8/25)
治にいて乱を忘れずということがある。太平のときでも、
乱に備えて物心ともの準備を怠ってはならないということで、
指導者としてきわめて大切な心がまえである。
とはいえ、人間というものは、とかく周囲の情勢に流されやすい。
治にあれば治におぼれ、乱に会えば乱に巻き込まれて
自分を見失ってしまいがちである。そういうことなしに、
常に信念を持って主体的に生きるためには、
やはり心静かに、われ何をなすべきかを考え
そのなすべきことをひたすらなしていくことが大切である。
指導者の要諦とは、見方によっては、
この「なすべきことをなす」ということに尽きるとも言えよう。



10年前の富士山(2011.1.22)七面山


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
経営のあらゆる面にダムをもつ、ダム意識 [2021年01月20日(Wed)]
松下幸之助『実践経営哲学』より――
「ダム経営を実行すること」
企業経営というものは
いついかなるときでも堅実に発展していくのが原則であり、
それはやり方次第で可能なことである。
そして、そのような企業にしていくために大切な考え方として、
「ダム経営」というものがある。
ダムというのは、あらためていうまでもなく、河川の水をせきとめ、
たくわえることによって、季節や天候に左右されることなく
常に必要な一定量の水を使えるようにするものである。
そのダムのようなものを、経営のあらゆる面にもつことによって、
外部の諸情勢の変化があっても大きな影響を受けることなく
常に安定的な発展を遂げていけるようにするというのが、
この「ダム経営」の考え方である。
設備のダム、資金のダム、人材のダム、在庫のダム、技術のダム、
企画や製品開発のダムなど、いろいろな面にダム、
いいかえれば余裕、ゆとりを持った経営をしていくということである。
(…)
いずれにしても、そのような経営のダムを随所に持つことによって、
外部の状況が少々変化しても、あたかも増水時にたくわえた水を
乾期に放流することによって水不足を防げるように、
その変化に迅速かつ適切に対応できる
したがって、常に安定した経営を続けることができるわけである。
ただ、ここで気をつけなくてはいけないのは、
設備のダムとか在庫のダムというものは、
いわゆる過剰設備、過剰在庫とは違うということである。
「これだけ売れるだろう」と考えて設備投資をし、製品をつくったら、
それがあまり売れずに在庫ができ、設備も遊んでいるというようなのは、
ダムでも何でもない。それは単に見通しを誤ったということであり、
そういう余剰は決して好ましいものではない。
私のいう経営のダムは、あくまで
「これだけは必要だろう」という的確な見通しにもとづいた上で、
その10%なり20%なりのゆとりをあらかじめもつようにする

ということである。つまり、
単なる過剰設備、過剰在庫などはいわば経営のムダであるけれども
「ダム」という考えにもとづいたものは、一見ムダのように見えても
経営の安定的発展を保障する保険料のようなもので
決してムダにはならないのである。
だから大切なことは、いろいろ形に現れた経営のダムもさることながら、
それ以前の「心のダム」というか、
「そのようなダムを経営のうちに持つことが必要だ」と考える
ダム意識」ともいうべきものである。
そういう「ダム意識」を持って経営をしていけば
具体的なダムというものは、その企業企業の実態に応じて
いろいろ考えられ、生み出されてくる
であろう。そして、そこから
いかなるときにも安定的に発展するダム経営の企業ができてくる
のである。

松下幸之助『指導者の条件』より――
「ダム経営」
(…)ダム経営というのは、
いいかえればある程度のゆとりをあらかじめ持つということである。
企業の経営であれば、100の資金が必要な場合は110の資金を用意する。
これが資金のダムである。あるいは
設備は90%の稼働率で適正な採算がとれるようにして、
10%の余裕を持つことによって、需要が急にふえても支障なく
供給できるような設備の面でのダムをつくる。さらには、
つねに適量の在庫を持って製品のダムとするなどが考えられよう。
そういうことが、景気、不景気に左右されない安定経営を生むことになる。
それと同じようなことが、国家経営、自治体、各種団体の経営にも
要求されてくると思う。そしてそういうことをしていくためには、
まず指導者が自分の心のうちに、いわば心のダムというものを
築くことが肝心
ではないかと思うのである。

『松下幸之助 一日一話』より――
「先見性を養う」(1/5)
先見性を持つことは指導者にとってきわめて大切なことだ。
先見性を持てない人は指導者としての資格がない
といってもいいほどである。
時代というものは刻々と移り変わっていく。
きのう是とされたことも、きょうは時代遅れだということも少なくない。
だから、その時代の移りゆく方向を見きわめ、変わっていく姿を
予見しつつ、それに対応する手を打っていくことによって、
はじめて国家の安泰もあり、企業の発展もある。
一つの事態に直面して、
あわててそれに対する方策を考えるというようなことでは、
物事は決してうまくいかない
。心して先見性を養いたいものである。


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去年の富士山(2020.1.30)多摩湖
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今年の富士山(2021.1.17)新幹線の車窓
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
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去年の富士山(2020.1.31)
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今朝の富士山(2021.1.20)


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
心は常に先憂で手を打つ [2021年01月19日(Tue)]
松下幸之助『道をひらく』より――
「巻頭言」
雨がふれば 人はなにげなく 傘をひらく
この 自然な心の働きに その素直さに
私たちは日ごろ あまり気づいてはいない
だが この素直な心 自然な心のなかにこそ
物事のありのままの姿 真実をつかむ
偉大な力があることを 学びたい
何ものにもとらわれない 伸びやかな心で
この世の姿と 自分の仕事をかえりみるとき
人間としてなすべきこと 国としてとるべき道
そこに おのずから明らかになるであろう

松下幸之助『指導者の条件』より――
「先憂後楽」
(…)
こうした姿(人びとが安心して自分の仕事や生活に打ち込める)を
生み出すには、指導者にいわゆる先憂後楽の心がなくてはならない。
先憂とは本来、人びとに先立って憂うということであろうが、
これを広くとれば、
つねに人びとに先んじてものを考え、いろいろ発想し
それに基づいて適切な手を打っていくということであろう。
難局に直面してこれを打開していくというところに、
指導者の手腕が求められる場合もある。
そういうことはもちろんきわめて大切であるが、
より大事なことはできるだけそうした難局に直面せずにすむように
あらかじめいろいろと手を打っておくことであろう。
たとえば今日の企業の経営者でも、そのように人びとに先んじて発想し、
手を打っていくことが求められている。
そういうことの責任自覚のない人は指導者として不適格だといえよう。

『松下幸之助 一日一話』より――
「先憂後楽」(1/29)
「先憂後楽」ということは、天下の人びとに先んじて憂い、
天下の人びとに後れて楽しむという、
為政者の心構えを言った昔の中国の人の言葉だそうである。
しかし私は、この先憂後楽ということは、
単に為政者だけでなく、お互い企業の経営者としても、
ぜひとも心がけなくてはならない大切なことだと考えている。
もちろん経営者とて、ときに休養し、遊ぶこともあるが、
そのようなときでも全く遊びに心を許してしまわず、
心は常に先憂ということでなくてはならない。それは言いかえれば、
人よりも先に考え、発意、発想することだとも言える。経営者というものは
たえず何かを発想していなくてはいけないと思うのである。

松下幸之助『道は無限にある』より――
すべて物事は用意周到に計画を立てていったならば、
いわゆる失敗というものはほとんど無い、といってもいいと思うのです。
ところが実際には次つぎと失敗があるというのは、
これはやはりなすべきことを十分に考えていない、
また考えてもなすべきことをしていない

というところに多く原因があるように思うのです。
だから、反省すべき点は他に求めずして、
自分にあると考えねばならない。
(…)
それだけの用意周到さをもって、ものを深く掘り下げて考え、
そして自分はこう思うが、なお多くの人はどう考えるか、
自分の考えが人に受け入れられるかどうか、ということを考える。
そして再三再四、自分の考えに過ちがないか足らざるものはないかと
くり返し反省していかなければならないと思うのです。
そういう点に熱意をもち、努力を重ねたならば、
物事というものはあまり行きづまることもないのではないかと思うのです。


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今朝の富士山、合掌(2021.1.19)


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
雨の日に傘がない [2021年01月18日(Mon)]
松下幸之助『道をひらく』より――
「巻頭言」
雨がふれば 人はなにげなく 傘をひらく
この 自然な心の働きに その素直さに
私たちは日ごろ あまり気づいてはいない
だが この素直な心 自然な心のなかにこそ
物事のありのままの姿 真実をつかむ
偉大な力があることを 学びたい
何ものにもとらわれない 伸びやかな心で
この世の姿と 自分の仕事をかえりみるとき
人間としてなすべきこと 国としてとるべき道が
そこに おのずから明らかになるであろう

「雨が降れば」
雨が降れば傘をさす。
傘がなければ風呂敷でもかぶる。
それもなければぬれるしか仕方がない。
雨の日に傘がないのは、
天気のときに油断して、その用意をしなかったからだ。
雨にぬれて、はじめて傘の必要を知る
そして次の雨にはぬれないように考える。
雨があがれば、何をおいても傘の用意をしようと決意する。
これもやはり、人生の一つの教えである。

わかりきったことながら、
世の中にはそして人生には、
晴れの日もあれば雨の日もある。
好調の時もあれば、不調の時もある。
にもかかわらず、晴れの日が少しつづくと、
つい雨の日を忘れがちになる。
好調の波がつづくと、ついゆきすぎる。油断する

これも、人間の一つの姿であろうか。
このことをいましめて昔の人は「治にいて乱を忘れず」と教えた。
仕事にしても何にしても、この道理はやはり一つである。

雨が降れば傘をさそう。
傘がなければ、一度はぬれるのもしかたがない。
ただ、雨があがるのを待って、
二度と再び雨にぬれない用意だけは心がけたい

雨の傘、仕事の傘、人生の傘、
いずれにしても傘は大事なものである。

「ダムの心得」
雨が降る。山に降る。
降った雨は地にしみこみ、谷水となり、川となり、
平野をうるおして海に流れる。
この流れがうまくゆけばよいけれど、
ちょっと狂えば洪水となり、また反対にかんばつとなる。
流しっ放し、使いっ放しの結果である。

そこでダムを考える。
流しっ放しをせきとめて、せきとめ溜めたその水を有効に使う。
ゆとりをもって適時適切に放出する。人間の知恵の進歩であろう。
川にダムが必要なように、
暮らしにもダムがほしい。物心ともにダムがほしい
ダラダラと流れっ放し、使いっ放しの暮らしでは
まことに知恵のない話

大河は大河なりに、小川は小川なりに、
それぞれに応じたダムができるように、
人それぞれに、さまざまな知恵を働かせれば、
さまざまのダムができあがるはず
である。
個人の暮らしの上だけではない。
商売の上にも、事業の経営のうえにも、
このダムの心得がぜひほしい。そしてさらに大事なことは、
国家の運営にあたっても、このダムをぜひつくりたい。
国家と国民の安定した真の繁栄のために。


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冬なのに雪がない(2021.1.17)


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
明日ありと思う心の仇桜 [2021年01月17日(Sun)]
大きな犠牲と引き換えに、本当に大切なものを学んだあの日から26年。
30代だった私もまもなく64歳、26年後には90歳か…
このまま、ついウカウカの日々を過ごしていては申し訳ないです。

明日ありとおもうこころのあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは
(親鸞聖人が9歳で得度された時に詠まれた歌)

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「今からでも」
新しい年の新しい思いに、あれこれと心をふくらまし、
一年の計は元旦にありと、あれこれともり沢山の計画を立て、
ことしこそはと誓ってみたり決意をしてみたり。
そんなこんなの正月の夢も、いつのまにか日々の惰性に流されて、
ことしもやっぱりもとのもくあみ。もとのまま。

計画の立てかたが悪かったのか、力以上に望みすぎたのか、
それともしょせんは自分の意志が弱かったのか。そんな迷いの末に、
いやいや世の中が悪いのだ、こんなはずではなかったのだと、
ついグチも出て、他に罪をかぶせて、なすべきこともつい怠りがち。

これもまた人の世の常ではあろうが、
これでついウカウカの日々では、歳月があまりにも惜しい。

今からでもおそくない
ともかくも今日が年のはじめで、あしたもまた年のはじめ
毎日が年のはじめで、だから毎日計画を立てなおして
毎日思いを新たにして、毎日誓いを立ててみて……。
グチは言うまい。今からでもおそくない
今からでもおそくないのである。

今日の富士山、新幹線の車窓から
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この時期に雪のない富士山、ビックリです。

三鷹駅から玉川上水沿いの「風の散歩道」をぶらり
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山本有三記念館
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「路傍の石」
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「心に太陽を持て」
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「自然は急がない」
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「君たちはどう生きるか」

たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、
ほんとうに生かさなかったら、
人間、生まれてきたかいがないじゃないか。
山本有三『路傍の石』

松下幸之助『道をひらく』より――
「時を待つ心」
何ごとをなすにも時というものがある。
時 ― それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。
冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。

わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しない
であろう。

時を得ぬ人は静かに待つがよい。大自然の恵みを心から信じ、
時の来るを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る
。時期は必ず来る。

待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない
冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
目標はサービス、正しいことをする [2021年01月15日(Fri)]
年始恒例の私の漢字一文字、ことしは「伴」です。
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先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか。
イエスは言われた。
心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい

これが最も重要な第一の戒めである。第二もこれと同じように重要である。
隣人を自分のように愛しなさい
この二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているのだ。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・36〜40

「共存共栄」ということは、
相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていくということである。
まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかもしれないが、
少なくとも、こちらの利益とともに
相手の利益をも同じように考える
ことである。
それが相手のためであると同時に、大きくは自分のためにもなって
結局、双方の利益になるわけである。
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

自利利他円満(じりりたえんまん)

先義後利(先義而後利者栄)
義を先にして利を後にする者は栄える


まずは奉仕せよ、サービスをせよ、
身心をこめての投資をまずはかれ

お互いに与え合ってゆくなかに、共存共栄が生まれ
人としての成功も生まれてくる
「まず奉仕せよ」/松下幸之助『続・道をひらく』

『ザッポス伝説2.0 ハピネス・ドリブン・カンパニー』より――
「私たちは行動を起こすべきです。大きなニーズがあるんです」
(ザッポスの財務部門のエグゼクティブ)は言いました。
とにかくやってみればいい」「今後は誰かに許可を取る必要もない
自己管理型の組織モデルへの移行が前向きな変化であることを、
私は初めて、本当の意味で理解しました。
上の人に報告する必要もなく、このアイデアを自由に追求できるのです。
ゆっくりと、しかし確実に、私のビジョンを信じてくれる人を集めて
小さなチームを結成
しました。
(…)
ナイキは私たちのミッションを信頼してくれました。それは、
あらゆる能力を持つアスリートにサービスを提供するというナイキの
ミッションとも一致します。
以来、私たちは、ナイキのチームと緊密な関係を築き、
何万人という顧客の人生に触れてきました。
(…)ナイキにとっては、彼らの言葉を借りれば、
ビジネスではなく正しいことをしているだけです。
(…)
「顧客や、この分野に詳しい人の助言に耳を傾けることが、
 とても重要でした」
(…)
これらの経験を通じて、ザッポスという大きな会社の中で
自分たちのスタートアップを経営している感覚がさらに強まりました。
スタートアップである私たちは、
支出に対して非常に慎重かつ意図的であり、
潜在的な投資リターンの機会を分析しながら、
あらゆる場面で「より少ないものから多くの成果」を実践しています。
いちばんエキサイティングなのは、私たちが行うすべての良いことが、
世の中のためになるだけでなく、会社のためにもなることです。
ザッポスを象徴する価値観を集約して行動に移すことが
ビジネスとして成立するのです。
初年度の売上は数百万ドルに達しました
人を大切にするブランドやコミュニケーションとの連携が原動力となり、
ほぼすべてがクチコミと草の根のマーケティングでした。
(…)
あまりの急成長で、どこまで大きくなるのか予測できないほどです。
正直なところ、ほぼ完全に新しい市場を創出して利益を上げることは、
私たちの目標ではありませんでした。私たちの目標はサービスです
これらの製品を必要としている人が
簡単にそれを見つけられるようにすることです。
人々の生活に影響を与えたいのです。
服が着やすくなる選択肢を顧客に提供することのように、
シンプルな方法で実現できることを学びました。
(…)
「一日の終わりにいつも思います。一週間がもう一日あればいいのに
 やらなくてはいけないことがたくさんあるのです。
 昔は時計を見つめて『もう帰ってもいいかな』と考えていたのに
 そんな感覚を思い出せなくなりました」
(…)
一人を助けて、多くの人を助ける
素晴らしい働き方です。
素晴らしい生き方です。
-----------------
<ザッポスのコア・バリュー>
1.サービスを通して「ワオ!」という驚きの体験を届ける
2.変化を受け入れ,変化を推進する
3.楽しさとちょっと変なものを創造する
4.冒険好きで、創造的で、オープン・マインドであれ
5.成長と学びを追求する
6.コミュニケーションにより,オープンで誠実な人間関係を築く
7.ポジティブなチームとファミリー精神を築く
8.より少ないものからより多くの成果を
9.情熱と強い意志を持て
10.謙虚であれ

求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。 
叩きなさい。そうすれば、開かれる。 
誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。
あなたがたの誰が、
パンを欲しがる自分の子どもに、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、
天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい
。これこそ律法と預言者である。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・7〜12

中央集権的でいくつもの階層がある企業
官僚的で内向きで、コストが高く反応時間が遅い組織にはもう意味がない
こんな会社はもはや有益な模範を提供しない。
それは、国際化の度合いが低く、
売り手寡占市場で、変化の速度が遅かった時代に花開いた組織だ。
これから先の数十年、
ますます経済競争が激しくなる時代に勝利する企業は、
1920年代から60年代にかけての松下電器にますます似てくるかもしれない

ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長――人間・松下幸之助の研究』
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お互いがそれぞれの立場で
自分の責任(社会的責任)を強く自覚し、
真の自主独立の精神に立った上で他とも協力し行動する

それがその人の生きがいにも通じ、世の中を豊かにする基本。
「一人ひとりが責任者」/松下幸之助『人生談義』


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
エンドツーエンドの財務システム [2021年01月14日(Thu)]
年始恒例の私の漢字一文字、ことしは「伴」です。
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先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか。
イエスは言われた。
心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい

これが最も重要な第一の戒めである。第二もこれと同じように重要である。
隣人を自分のように愛しなさい
この二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているのだ。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・36〜40

「共存共栄」ということは、
相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていくということである。
まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかもしれないが、
少なくとも、こちらの利益とともに
相手の利益をも同じように考える
ことである。
それが相手のためであると同時に、大きくは自分のためにもなって
結局、双方の利益になるわけである。
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

自利利他円満(じりりたえんまん)

先義後利(先義而後利者栄)
義を先にして利を後にする者は栄える


まずは奉仕せよ、サービスをせよ、
身心をこめての投資をまずはかれ

お互いに与え合ってゆくなかに、共存共栄が生まれ
人としての成功も生まれてくる
「まず奉仕せよ」/松下幸之助『続・道をひらく』

『ザッポス伝説2.0 ハピネス・ドリブン・カンパニー』より――
CFOツールという、新しいエンド・ツー・エンドの財務システム
設計しています。
自分が昔ながらの管理職になることは考えたこともないけれど、
気がついたら新しいビジネスを立ち上げていたという社員が、
このツールを使えば
ハンドルから両手を放しても予算編成ができる」でしょう。
リードリンク(サークルの仕事を管理)が自分の予算を簡単に管理できる
ようにして、顧客がつくる予算編成(CGB)をスムーズに機能させる
ためのシステムです。

プロジェクトの当初の目標は社内の顧客に「ワオ!」を提供し、
財務の透明性を高め、
24時間365日利用できるシステム
を作ることでした。
さらに、直感的に使えるものでなければなりません。
(…)
新しい財務システムは敬遠されがちですが、
すべての人にとってわかりやすい簡潔なものを目指しました。
(…)
小規模なビジネスが(大規模なビジネスも)使うあらゆるもの
――経営資源計画、財務、採用、人事、給与、仕入、在庫、
  買掛金、売掛金、レポート作成など――が、
一つのオンラインツールに統合されたシステム
を作るのです。
誰も作ったことのないものになるでしょう

この素晴らしいサービスをザッポスのすべての人に提供したい
考えました。マネージャーの経験がないリードリンクでも、
熟練した専門家のようにプロジェクトを運営して、
サークルの財務を管理できるようになるのです。
このCFツールを使えば、リードリンクは
シニアリーダーや財務の承認なしに意思決定を行えます。
方向性を買えたり、予算を別の方法で配分したりする必要があると
リードリンクが判断したら、すぐに実行できます。
すべてがオンライン上なので、いつでも予算を更新できます。

さらに、組織全体の複数のシステムをつなげて
リードリンクが必要なものの大部分を
「ワンストップ」で調達できるようにします。
一方で、財務も必要なデータを得られるように、
レポートを適時出力する機能もあります。
私が最もクールだと思うのは、
このツールに透明性が組み込まれていることです。これにより、
全社員がすべてのサークルの財務を閲覧することができるのです。

では、CFOツールのビジョンは、顧客がつくる予算編成(CGB)と
市場ベースのダイナミクス(MBD)をどのように支えるのでしょうか。
顧客がつくる予算編成(CGB)では、
異なるサークルのリードリンク同士が、サービスの提供者
および顧客としてサービス契約を交わします

サービス契約は暗黙の仕事を明確に定義して
サークルに期待することを整理するので
想定外がなくなり、互いに責任を果たしやすくなります
(…)
これによって年単位の予算編成プロセスが不要になり、
リードリンクの予算編成プロセスも、
帳簿の収支を合わせるのと同じぐらい簡単に変更できます。
社員の日常生活と同じように、
銀行口座の残高がマイナスにならなければ、すべてうまくいきます

-----------------
<ザッポスのコアバリュー>
1.サービスを通して「ワオ!」という驚きの体験を届ける
2.変化を受け入れ,変化を推進する
3.楽しさとちょっと変なものを創造する
4.冒険好きで、創造的で、オープン・マインドであれ
5.成長と学びを追求する
6.コミュニケーションにより,オープンで誠実な人間関係を築く
7.ポジティブなチームとファミリー精神を築く
8.より少ないものからより多くの成果を
9.情熱と強い意志を持て
10.謙虚であれ

求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。 
叩きなさい。そうすれば、開かれる。 
誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。
あなたがたの誰が、
パンを欲しがる自分の子どもに、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、
天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい
。これこそ律法と預言者である。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・7〜12

「部門経営」とは、
この現場各部門を管理の場ではなく、
経営の場として構築しようというものである。
管理者である課長も経営者に変革・変身してもらわなければならない。
そうすることによって経営の活性化と働き甲斐のある職場を実現し、
自主責任経営の理念の実践の場たらしめよう
というのが私の主張である。
小川守正『実践経営学―松下幸之助に学んだ自主責任経営とは』

中央集権的でいくつもの階層がある企業
官僚的で内向きで、コストが高く反応時間が遅い組織にはもう意味がない
こんな会社はもはや有益な模範を提供しない。
それは、国際化の度合いが低く、
売り手寡占市場で、変化の速度が遅かった時代に花開いた組織だ。
これから先の数十年、
ますます経済競争が激しくなる時代に勝利する企業は、
1920年代から60年代にかけての松下電器にますます似てくるかもしれない

ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長――人間・松下幸之助の研究』
s-img454.jpg

お互いがそれぞれの立場で
自分の責任(社会的責任)を強く自覚し、
真の自主独立の精神に立った上で他とも協力し行動する

それがその人の生きがいにも通じ、世の中を豊かにする基本。
「一人ひとりが責任者」/松下幸之助『人生談義』


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
それでもわざわざやるのか?Of course! [2021年01月13日(Wed)]
年始恒例の私の漢字一文字、ことしは「伴」です。
2021_伴.jpg

先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか。
イエスは言われた。
心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい

これが最も重要な第一の戒めである。第二もこれと同じように重要である。
隣人を自分のように愛しなさい
この二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているのだ。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・36〜40

「共存共栄」ということは、
相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていくということである。
まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかもしれないが、
少なくとも、こちらの利益とともに
相手の利益をも同じように考える
ことである。
それが相手のためであると同時に、大きくは自分のためにもなって
結局、双方の利益になるわけである。
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

自利利他円満(じりりたえんまん)

先義後利(先義而後利者栄)
義を先にして利を後にする者は栄える


まずは奉仕せよ、サービスをせよ、
身心をこめての投資をまずはかれ

お互いに与え合ってゆくなかに、共存共栄が生まれ
人としての成功も生まれてくる
「まず奉仕せよ」/松下幸之助『続・道をひらく』

『ザッポス伝説2.0 ハピネス・ドリブン・カンパニー』より――
ほとんどの企業にとって、
何もせずに、ただ今までどおりのビジネスを続けることは
まったく新しいことに挑戦するのと同じくらい危険です。
企業の平均寿命が15年だとすると、その結果はすでに見えています。
何も行動を起こさないということは、
最も可能性の高いシナリオを選択しているという意味です。
あなたの会社にのこされた時間は限られています
いずれ、ほぼ確実に、自分ではコントロールできない変化が起こるか
周りの世界が変わって、時代に取り残されるでしょう。
それなのに、多くの企業がこれまで成功してきたことを続けながら、
同時にイノベーションを起こそうとしないことが、
私には奇妙で不可解に思えるのです。
もっとも、組織構造の話はもう十分でしょう。
ここではザッポスで実際にエキサイティングなことが起きていて
さらにたくさんのことが起きる可能性が
目の前に広がっている
ことについて、話したいと思います。
(…)
懐疑的な人がたくさんいることは知っています。
彼に直接、話を聞きました。
世の中に典型的なヒエラルキーが値を張っているので、
人々は私たちがやっていることに対する疑問を隠そうともせず、
率直に問いただします。
「うまくいくと本気に思っているのか?」
「本当に可能なのか?」
「副業が十分なキャッシュフローを生んで、
 価値のあるビジネスになるはずがない。いい加減にしてくれ!」
「自己組織化のたわごとが本業をつぶすぞ!」
本業のかたわれで販促品を細々と売っても、微々たる金額にしか
ならないと思っているでしょう(実際はそんなことはありません)。
一人の才能ある社員が壁画を描いて得られる利益は、
些細なものに見えるでしょう。
企業の利益という大きな枠組みの中では、
取るに足らないものかもしれません
。ただし、ミゲルにとっても、
彼の美しいアート作品に囲まれて働いている私たちにとっても、
些細なことではけっしてありません。
懐疑的な人々が言いたいことはわかります。
「仮にすべてのアイデアが軌道に乗って、
 数十個、数百個のチームが会社に新しい利益をもたらしたとしても、
 この実験全体の結果がわかるのは何年も先になる。
 それでもわざわざやるのか?
ところが、何年もかかりませんでした。すでに結果がでています。
現実に結果が出ているのです。
関係者全員が真の意味でウィン-ウインなるような、
利益につながる「ワオ!」な結果
です。
この本ですべてを語ることは、まだできません。
私たちはまだ始めたばかりです。20年後、200年後には、
語るべき物語がたくさん生まれている
でしょう。
今の段階で語る結果は、取るに足りないものばかりです
-----------------
<ザッポスのコアバリュー>
1.サービスを通して「ワオ!」という驚きの体験を届ける
2.変化を受け入れ,変化を推進する
3.楽しさとちょっと変なものを創造する
4.冒険好きで、創造的で、オープン・マインドであれ
5.成長と学びを追求する
6.コミュニケーションにより,オープンで誠実な人間関係を築く
7.ポジティブなチームとファミリー精神を築く
8.より少ないものからより多くの成果を
9.情熱と強い意志を持て
10.謙虚であれ

求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。 
叩きなさい。そうすれば、開かれる。 
誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。
あなたがたの誰が、
パンを欲しがる自分の子どもに、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、
天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい
。これこそ律法と預言者である。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・7〜12

松下幸之助『実践経営哲学』の
「時代の変化に適応すること」より――
この社会はあらゆる面で絶えず変化し、移り変わっていく
だから、その中で発展していくには、
企業も社会の変化に適応し、むしろ一歩先んじていかなくてはならない
それには、きのうよりきょう、きょうよりあすへと
常によりよきものを生み出していくことである
きのうは是とされたことが、
きょうそのままで通用するかどうかは分からない。
情勢の変化によって、それはもう好ましくないということが
往々にしてあるわけである。もちろん
旧来のやり方でも好ましいものはそのまま続ければいいわけだが、
やはり時代とともに改めるべきは次々に改めていかなくてはならない。

いかに立派な経営理念があっても、実際の経営をただ十年一日のごとく、
過去のままにやっていたのでは成果はあがらない。
製品一つとっても、今日では次々と新しいものが求められる時代である。
だから正しい経営理念をもつと同時に、それにもとづく
具体的な方針、方策がその時々にふさわしい「日に新たなもの」で
なくてはならない
。この「日に新た」ということがあってこそ、
正しい経営理念もほんとうに永遠の命をもって生きてくる
のである。

松下幸之助『道をひらく』より――
「日に三転す」
この宇宙に存在するものは、すべて刻々に動いている。
万物流転 、きのうの姿は、もはやそのままではきょう存在しないし
一瞬一瞬にその姿を変えつつある。
いいかえればこれはすなわち日に新たということで、
日に新たな生成発展ということが、この宇宙の大原理であるといえよう。

人間もまたこの大原理のなかに生かされている。
きのうの姿はきょうはない。
刻々に移り変わって、 刻々に新たな姿が生み出されてくる
そこにまた人間社会の生成発展がある。

人の考えもまた同じ。古人は「君子は日に三転す」と教えた。
一日に三度も考えが変わるということは、すなわち
それだけ新たなものを見いだし、生み出しているからこそ
で、
これこそ君子なりというわけである。
日に一転もしないようではいけないというのである。

おたがいにともすれば、変わることにおそれを持ち、
変えることに不安を持つ。これも人間の一面であろうが、
しかしそれはすでに何かにとらわれた姿ではあるまいか。
一転二転は進歩の姿、さらに日に三転よし、四転よし
そこにこそ生成発展があると観ずるのも一つの見方ではなかろうか

中央集権的でいくつもの階層がある企業
官僚的で内向きで、コストが高く反応時間が遅い組織にはもう意味がない
こんな会社はもはや有益な模範を提供しない。
それは、国際化の度合いが低く、
売り手寡占市場で、変化の速度が遅かった時代に花開いた組織だ。
これから先の数十年、
ますます経済競争が激しくなる時代に勝利する企業は、
1920年代から60年代にかけての松下電器にますます似てくるかもしれない

ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長――人間・松下幸之助の研究』
s-img454.jpg

お互いがそれぞれの立場で
自分の責任(社会的責任)を強く自覚し、
真の自主独立の精神に立った上で他とも協力し行動する

それがその人の生きがいにも通じ、世の中を豊かにする基本。
「一人ひとりが責任者」/松下幸之助『人生談義』


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
官僚主義を排除してシンプルにする [2021年01月12日(Tue)]
年始恒例の私の漢字一文字、ことしは「伴」です。
2021_伴.jpg

先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか。
イエスは言われた。
心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい

これが最も重要な第一の戒めである。第二もこれと同じように重要である。
隣人を自分のように愛しなさい
この二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているのだ。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・36〜40

「共存共栄」ということは、
相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていくということである。
まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかもしれないが、
少なくとも、こちらの利益とともに
相手の利益をも同じように考える
ことである。
それが相手のためであると同時に、大きくは自分のためにもなって
結局、双方の利益になるわけである。
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

自利利他円満(じりりたえんまん)

先義後利(先義而後利者栄)
義を先にして利を後にする者は栄える


まずは奉仕せよ、サービスをせよ、
身心をこめての投資をまずはかれ

お互いに与え合ってゆくなかに、共存共栄が生まれ
人としての成功も生まれてくる
「まず奉仕せよ」/松下幸之助『続・道をひらく』

『ザッポス伝説2.0 ハピネス・ドリブン・カンパニー』より――
顧客がつくる予算編成(CGB)は、この業界ではとても新しい概念です。
従来のヒエラルキー型の予算編成プロセスの官僚主義を排除して、
市場ベースのダイナミクス(MBD)を機能させるための手法です。
各部署(あるいはチーム、サークル)が上層部から年間予算をもらい、
組織図の上方にいる人が1年単位で予算を管理するというトップダウン型の
システムでなく、各サークルが自分たちの予算を管理
します。
私たちは、これらの予算を透明化して
アクセスしやすい、まったく新しいシステムを作りました
自己組織化を推進する動きの大半は、
不要な官僚主義を排除するという、一つの目的に集約されます。
(…)
目的は、物事を複雑にすることではありません。単純にすることです。
私たちは常に、不要な官僚主義を排除しようとしています。
うれしいことに、何かを変えてそれが機能しなかった場合、私たちは
元に戻すことも、さらに変えることも畏れません。
自分たちの間違いを正すために必要なことは何でもします。
そこに傲慢さはありません
。メンツを保つために、
あるいは誰かがそう言ったからというだけで、悪い計画に固執することも
ありません。試行錯誤。実験。そして前に進み続けます
(…)
彼ら(アマゾン)も大規模なヒエラルキー型システムの例外ではなく、
リソース(経営資源)配分についてダイナミックな意思決定を
下す能力が低下しています。
つまり、予算編成など、ヒエラルキー型の意思決定プロセスが、
組織の規模に追い付いていないのです。歴史的に見て、
ザッポスを含む大企業の予算編成プロセスは、基本的に年1回です。
毎年、年度末が近づくと、翌年の予算編成を行います。
しかし現実社会では、特に今日の世界では、
物事はそのようなプロセスよりはるかに速く変化
します。その変化に、
大規模な組織がリアルタイムに対応することは簡単ではありません。
しかし、顧客がつくる予算編成(CGB)のプロセスなら
はるかに速い対応が可能です。(…)
考え方はシンプルです。チームの人数が少なければ、
一つひとつの意思決定が迅速になります。
ただし、これを実践することは大きな挑戦です
私たちもまさに始めたばかりですが、わくわくしています。
-----------------
<ザッポスのコアバリュー>
1.サービスを通して「ワオ!」という驚きの体験を届ける
2.変化を受け入れ,変化を推進する
3.楽しさとちょっと変なものを創造する
4.冒険好きで、創造的で、オープン・マインドであれ
5.成長と学びを追求する
6.コミュニケーションにより,オープンで誠実な人間関係を築く
7.ポジティブなチームとファミリー精神を築く
8.より少ないものからより多くの成果を
9.情熱と強い意志を持て
10.謙虚であれ

求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。 
叩きなさい。そうすれば、開かれる。 
誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。
あなたがたの誰が、
パンを欲しがる自分の子どもに、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、
天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい
。これこそ律法と預言者である。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・7〜12

立石義雄『未来から選ばれる企業』――
組織が大きくなるにつれ、
会議や決裁の数も増え、管理職は官僚化する。
その結果、市場や顧客への対応が遅れたり、
技術や商品の開発スピードが鈍ったりします。それが大企業病です。
誰も大きな間違いを犯していないし、真面目に
仕事に取り組んでいるつもりになって自己満足に陥ってしまっています

生活習慣病のように痛みを感じなくなってしまっているのです。
気が付くと、市場や顧客から見放されてシェアが下がり、
それに対する対応力も欠けるといった状態に陥っています。
大きくなり過ぎたマンモスが環境に適応できず、
滅んでいったのに似ています。
(…)
創業者は「大企業病を治すには、中小企業に戻せばよい」と考え、
それまでの事業部制をさらに細分化した「小事業部制」を
導入したことがありました。
しかし、これは長続きしませんでした。いくら形を作り直しても、
その中で働く社員の意識が変わらないと、何も変わらない
からです。
小事業部制の下でも、社員や管理職の「もたれあいの風土」は、
残念なことにあまり改善されませんでした。
みんな「上からの指示を待っている」という状態でした。
(…)
自分が決められるのに失敗に対して責任を持ちたくない、
変化を恐れて新たな挑戦を避けたいから、
上司の決定に委ねて指示を待つようになってしまう
わけです。
現場にもっとも近い管理職は課長です。
課長が決められることは、たくさんあります。現場に近い課長が、
クイックアクションで素早い判断や指示ができれば、
それだけで市場に対してクイックレスポンスがとれます。
社内手続きに手間取って、市場やニーズの変化についていけない
というようなことは大幅に減るはず
です。
課長が自ら判断できるものは素早く判断する。
上の指示が必要なものは現場と経営と双方のコミュニケーションを
円滑に図ることで解決を早める。これが、
大企業克服の第一歩であると、私は確信しました。
しかし、課長の姿勢を変えることは、容易ではありません。
どんなに制度を変えても、課長本人の意識が変わらなければ、
実態は伴わない
からです。
(…)
目指す方向は「自律」です。私は大企業病克服の基本として、
最終的に三つの自律を求めることに至りました。
一つ目は経営と執行を分ける「経営の自律」、
二つ目は事業ごとに分権化を進める「事業の自律」、
そして三つめは会社と目標を共有しながらも
自己責任で自己実現を図る「個人の自律」です。
なかでも「個人の自律」がすべての基礎となると考えました。
そして私は、まず課長に「自律」を求めることにしたのです。
もちろん「個人の自律」は課長に限りません。
一般の社員も、他の管理職も、そして役員たちも「自律」は必要です。

課長、部長、社長も、包丁、盲腸、脱腸と同じだ。
要するに符丁なんだ。
命令系統をハッキリさせるために符丁があるんで、
人間の価値とはまったく関係ない。
人間の偉さというのは、いかに世の中に奉仕したかということだ
伊丹敬之『人間の達人 本田宗一郎』

中央集権的でいくつもの階層がある企業
官僚的で内向きで、コストが高く反応時間が遅い組織にはもう意味がない
こんな会社はもはや有益な模範を提供しない。
それは、国際化の度合いが低く、
売り手寡占市場で、変化の速度が遅かった時代に花開いた組織だ。
これから先の数十年、
ますます経済競争が激しくなる時代に勝利する企業は、
1920年代から60年代にかけての松下電器にますます似てくるかもしれない

ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長――人間・松下幸之助の研究』
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「部門経営」とは、
この現場各部門を管理の場ではなく、
経営の場として構築
しようというものである。
管理者である課長も経営者に変革・変身してもらわなければならない。
そうすることによって経営の活性化と働き甲斐のある職場を実現し、
自主責任経営の理念の実践の場たらしめようというのが私の主張である。
小川守正『実践経営学―松下幸之助に学んだ自主責任経営とは』

お互いがそれぞれの立場で
自分の責任(社会的責任)を強く自覚し、
真の自主独立の精神に立った上で他とも協力し行動する

それがその人の生きがいにも通じ、世の中を豊かにする基本。
「一人ひとりが責任者」/松下幸之助『人生談義』


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
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旧豊郷小学校足跡

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
すべての人をウィン-ウインにする [2021年01月11日(Mon)]
年始恒例の私の漢字一文字、ことしは「伴」です。
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先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか。
イエスは言われた。
心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい

これが最も重要な第一の戒めである。第二もこれと同じように重要である。
隣人を自分のように愛しなさい
この二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているのだ。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・36〜40

「共存共栄」ということは、
相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていくということである。
まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかもしれないが、
少なくとも、こちらの利益とともに
相手の利益をも同じように考える
ことである。
それが相手のためであると同時に、大きくは自分のためにもなって
結局、双方の利益になるわけである。
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

自利利他円満(じりりたえんまん)

先義後利(先義而後利者栄)
義を先にして利を後にする者は栄える


まずは奉仕せよ、サービスをせよ、
身心をこめての投資をまずはかれ

お互いに与え合ってゆくなかに、共存共栄が生まれ
人としての成功も生まれてくる
「まず奉仕せよ」/松下幸之助『続・道をひらく』

『ザッポス伝説2.0 ハピネス・ドリブン・カンパニー』より――
アマゾンによる買収も、私たちにとっては、
長期的な視点を維持するための戦略的な行動でした。
多くの投資家と仕事をしていると、短期的な話ばかりになりますが、
私たちはアマゾンが長期的な視点を持った企業であると知っていました。
最近は経営幹部との会合で、
「この新しいことをやってみるので、6年後に確認してください。
うまくいくかもしれないし、いかないかもしれませんが、
5、6年はわからないでしょう」と売り込みやすくなりました。
アマゾンは「おもしろそうだ!」と言ってくれます。
私たちは小さな会社ではありませんが、アマゾンに比べればちっぽけです。
限界を押し広げる柔軟性が高く、サービス第一という条件にかなう限り
私たちがやっていることはアマゾンにとっても価値があります
彼らは実際に、私たちの成功だけでなく
私たちの失敗からも学びたいと思っています

この本の前半で話したことの多くは、顧客サービスの核となる考え方です。
商品を購入する人だけでなく、
社員や取引先も含めた「顧客」について考えることは、
私たちが社内で行っていることにも当てはまります

ビジネスはすべての人をウィン-ウインにすることができ
ザッポスで起きることを
すべての人に優れたサービスを届けることにつなげるという考え方は

私たちが行っている先見性のある組織マネジメントと
すべてが結び付いている
のです。
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<ザッポスのコアバリュー>
1.サービスを通して「ワオ!」という驚きの体験を届ける
2.変化を受け入れ,変化を推進する
3.楽しさとちょっと変なものを創造する
4.冒険好きで、創造的で、オープン・マインドであれ
5.成長と学びを追求する
6.コミュニケーションにより,オープンで誠実な人間関係を築く
7.ポジティブなチームとファミリー精神を築く
8.より少ないものからより多くの成果を
9.情熱と強い意志を持て
10.謙虚であれ

求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。 
叩きなさい。そうすれば、開かれる。 
誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。
あなたがたの誰が、
パンを欲しがる自分の子どもに、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、
天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい
。これこそ律法と預言者である。
共同訳新約聖書「マタイによる福音書」7・7〜12

松下幸之助『社員稼業』より――
標題の「社員稼業」という言葉は、
あるいは聞きなれない言葉かとも思うが、
これはかつて私が松下電器の社員に向けて話したものである。
―― 1962年(昭和37)4月の新入社員研修の訓示で
「皆さんは社員という稼業の社長である」
「社員稼業」について一言でいうなら、
会社に勤める社員のみなさんが、自分は単なる会社の一社員ではなく、
社員という独立した事業を営む主人公であり経営者である、
自分は社員稼業の店主である、というように考えてみてはどうか、
ということである。そういう考えに立って、
この自分の店をどう発展させていくかということに
創意工夫をこらして取り組んでいく。
そうすれば、単に月給をもらって働いているといった
サラリーマン根性に終わるようなこともなく、
日々生きがいを感じつつ、
愉快に働くこともできるようになるのではないか。
自分が社員稼業の店主であるとなれば、
上役も同僚も後輩も、
みんなわが店のお得意でありお客さんである

そうすると、そのお客さんに対し、サービスも必要であろう。
第一、商品を買っていただかなくてはならない。
創意工夫をこらした提案を、誠意を持って売り込みに行く。
用いられたとなれば、わが店、わが稼業は発展していくわけである。
その発展は自分だけでなく、社内に及び、さらには世の中に広がっていく。
だからこの社員稼業に徹することは、
自分のためにも、会社のためにも、社会のためにもなる
わけである。

松下幸之助『人を活かす経営』より――
経営をしているか ―― それができるのが人間
昭和8年(1933年)12月のある日、私は会社で仕事をしているときに、
ふと思いついたことがあった。
会社の仕事、経営をよりよく進めていくために、これは大切なことである。
ぜひ、従業員たちへも伝えなければならない。
そう考えたので、さっそく、その日の終業のときに話した。
「みなさんは、一日の勤務を終えて、相当疲れておられるだろうが、
思いついたことがあるので、ちょっとお話し申し上げたい。
近ごろは、店の拡張された関係もあってか、
全体の人がただ仕事をするということにとらわれて、
もっと能率的にする方法はないかということには考えを及ぼさず、
ただ事務的に流れるようになってきた傾向がある。
こういうことではいけない。これでは決して進歩はのぞめない
われわれは、われわれの仕事を
どれも一つの経営と考えなければならない
どのような小さな仕事も、それが一つの経営であると考えるときには、
そこにいろいろな改良工夫をめぐらすべき点が発見され、
したがってその仕事の上に新しい発見が生まれるものである。
世間すべての人々が同じように努力しながら、
成功する人はまれであるのは、
今言った経営の観念に欠け、なんらの検討工夫をなさず、
ただ仕事に精を出しているにすぎないからである

本所(松下電器製作所)もそのような人びとの集団であるときは、
その将来もあやぶまれる。
一人で世間へ放り出しても立派に独立独歩することができ、
何をしても一人前にやって入れる人びとの集まりとなってこそ、
所期の目的が達せられるわけであり、かつ、
そのような経営者としての修養をつむことによって、
みなさん各自の将来もどのように力強いものとなるか考えねばならない」
私はこのとき、経営意識を持つというか、
どういう仕事をするにしても、ただ決められたとおり、
命じられたとおり、熱心に取り組んでいくというだけでなく、
自分なりによりよき姿を求めて、工夫をこらして
そこに変化、革新を生み出していくことの大切さを説いたのである。
そして、一人ひとりが
そういう経営意識を持った自分の仕事の経営者にならなければならない

ということである。
よりよき経営を進めることができるかどうかは、すべて
人にかかっている。経営のよろしきは人しだいである


中央集権的でいくつもの階層がある企業
官僚的で内向きで、コストが高く反応時間が遅い組織にはもう意味がない
こんな会社はもはや有益な模範を提供しない。
それは、国際化の度合いが低く、
売り手寡占市場で、変化の速度が遅かった時代に花開いた組織だ。
これから先の数十年、
ますます経済競争が激しくなる時代に勝利する企業は、
1920年代から60年代にかけての松下電器にますます似てくるかもしれない

ジョン・P・コッター『限りなき魂の成長――人間・松下幸之助の研究』
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お互いがそれぞれの立場で
自分の責任(社会的責任)を強く自覚し、
真の自主独立の精神に立った上で他とも協力し行動する

それがその人の生きがいにも通じ、世の中を豊かにする基本。
「一人ひとりが責任者」/松下幸之助『人生談義』


人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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