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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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ようこそお越しくださいました。ありがとうございます。
「道しるべ」でお好きなカテゴリーをお選びいただき、お時間の許す限りごゆっくりおくつろぎください。
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リーダーシップの本質は変わらない [2014年05月09日(Fri)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
Honda.jpg
赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
エピローグ「変わる時代、変わらぬリーダーシップ」より

宗一郎のリーダーシップの本質は、二つあるようだ。
一つは、を向いたリーダーシップで、つねに前途に可能性を探り続ける姿勢である。
他人が障害制約を見る場面で、宗一郎は可能性を発見しようとした峻烈なまでに厳しい態度で仕事に臨み、つねに新しい道を探そうとした

Where others see only the wall, I see doors.
他の人たちには壁しか見えない場所に、
私はドアを見る。
(O.P.ジンダル)

宗一郎のリーダーシップのもう一つの本質は、後ろを向いたリーダーシップで、後ろからついてくる人たちへの「目配り、気配り、思いやり」である。
それを背中で示していた。だから、人々は宗一郎が仕事にはきわめて厳しくても、やはりついていきたくなるのである。

つねに未来志向で可能性を探り続ける宗一郎は、それゆえに峻烈でもあった。妥協を許さなかった。手も出た。だが一方で、宗一郎の背中は広かった。温かかった。
気配りに溢れた、だが峻烈なまでの未来志向温かい背中と、厳しい手。その矛盾しかねない二つのリーダーシップの本質が、ごく自然に同居していたのが、宗一郎であった。

時代が変わっても、国が変わっても
本当にすばらしいリーダーシップの本質に変わりはない。(p.371〜3)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
ぜひご一緒に四つ葉
 
「他人に迷惑をかけるな」 [2014年05月08日(Thu)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
Honda.jpg
赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第十八章「男の涙」より

1954年の経営危機のときである。
「いよいよ会社がだめだ」と嘆く宗一郎に、
それを聞いたさちが
「つぶれてもいいよ。大八車でもまた引けばいい」というと、
宗一郎は男泣きに泣いて、こういった。
「俺はいい。しかし従業員がいる。
その家族がいる。彼らが路頭に迷うじゃないか」
(p.340)

宗一郎は「本当に申し訳ない」という気持ちで一杯だったのだろう。
働く人々、裏方の人々のことを真剣に心にかける人だった
その思いが、ときに男の涙となることがあった。(p.345)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第十八章」からとびっきりをご紹介
よろしければご一緒に四つ葉
 
いかに世の中に奉仕したか [2014年05月07日(Wed)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
Honda.jpg
赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第十七章「タダの人間」より

社長という「機能的存在」の位置づけについて、宗一郎は
「課長、部長、社長も、包丁、盲腸、脱腸と同じだ。要するに符丁なんだ。命令系統をハッキリさせるために符丁があるんで、人間の価値とはまったく関係ない。人間の偉さというのは、いかに世の中に奉仕したかということだ」(p.326)


1954年の経営危機の際に、従業員と一丸となって深夜までエンジントラブルの解決に努力していたときの話である。深夜まで残業している社員たちにうどんが振る舞われると、宗一郎も社員が列を作って待っているその最後に並ぶ。
さすがに社員が「社長、前へどうぞ」というのだが、
宗一郎は「おれもみんなと同じように並ぶ」(p.326)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第十七章」からとびっきりをご紹介
よろしければご一緒に四つ葉
 
「志の香気」 [2014年05月05日(Mon)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
Honda.jpg
赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第十六章「言葉の電磁力」より

「何世紀にもわたってつかいこまれてきた言葉のなかに、人間の深い知恵が宿っているところも好きだ。
なるほどな、と納得するたびに、言葉がもっているいのちのようなものを感じるのである」(p.304)


宗一郎の電磁力ある言葉の多くを、私はこの本のあちこちで引用している。
おそらく読者もまた、宗一郎の電磁力を受けたであろう
(…)
宗一郎の言葉の大きな特徴は、短かくポイントをずばりとついていると同時に、表現がじつに平たくてわかりやすいことである。その上に、いっている内容そのものが、論理的にも心理的にも多くの人が納得しやすい平明さがある。
(…)その上に、論理的に正しく、人の情にも訴える内容なら、なおさら受け手の「身体に入る」可能性は高い。それこそ、言葉の電磁力というものである。(p.306〜8)

はい、本田さんの言葉の一つひとつ、そして写真の一枚一枚が、
魂を揺さぶり、私の心に沁みこみ、しっかりと身体に入りました。


「明日のことをいうやつはバカだというけれど、そうじゃない。
明日の約束をしないやつに希望は沸いてこないんです」

「みんなが欲しがるだけに、欲のないのはきれいで強いんです」

明日の希望をもつ欲を持たないようにする。そんな志の香りがある。(p.318)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第十六章」から3つご紹介
よろしければご一緒に四つ葉
 
「この工場は、歩が生きている」 [2014年05月04日(Sun)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
Honda.jpg
赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第十五章「思考の文法」より

「私は、しばしば歴史の定説とされるものに疑問をなげかけてみる。一人の技術屋として、もし自分がそこにいたら、どのように生計を立て、どのように考え、行動するかという想像を、なるべく理論的に組み立てるのである。
そこで納得がいかないときは定説とされている歴史のなかに、きっと何かが不足しているのではないかと思うのだ」
「何かが不足している」とは論理の全体像のどこかが欠けているということである。だからそれを補ってきちんと全体像をつくりたい、と宗一郎は思う。しかもその補い方は、自分の身をその現場に置いてみて、生計をどう立てるかまで考えて、360度の視野で現場を想像し、論理を作る
まさに、「360度の論理」を三現主義(現場、現物、現実)で求める宗一郎の文法の典型例である。(p.288)


「たとえ、どんな細かいところでも、目に見えない部分でもごまかしたり、手を抜いたりしてはいけないのである。…それでよしとするなら、企業全体の体質、従業員一人ひとりの体質が、たちまちにして、取り返しのつかないものになってゆくであろう」(p.291)


本筋は何か、本来の目的は何かを考えていれば、3行でわかるのである。それが、シンプルに考えるということの宗一郎流なのであろう。
しかし、凡人はシンプルには考えられない人が多い。その理由は、本来の目的をきちんと考えない上に余計な知恵に負けて、不必要なものをゴテゴテとくっつけるからだ、と宗一郎はこう言っている。
「とにかくみんな頭が良すぎるから、物事を複雑に考えすぎる。
    いってみれば知恵負けするわけである」(p.298)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第十五章」から3つご紹介
よろしければご一緒に四つ葉


ホンダの工場で働く人々を見た升田幸三(第四代将棋名人)が
この工場は、歩が生きている」と宗一郎に言うと、
宗一郎は「私なんざ桂馬でね。桂馬の横っ飛び、歩の餌食」と混ぜっ返した。
(p.294)

升田幸三著『歩を金にする法』本
(小学館文庫)

歩が金になり、金の働きをするようになるところに、将棋のおもしろさがある」ひらめき
 
経営を哲学する [2014年05月03日(Sat)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
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赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第十四章「哲学の人」より

世間がわからないのに仕事をするというのは、地盤のやわらかいところに物を建てるみたいなことだからやめた方がいい」(p.269)


「工場は組織だけで動くものではなく、基本は目に見えないカタチで働く、人間の一人ひとりに流れている思想である」(p.271)


哲学のない人は経営をやることができない。機械には燃料と潤滑油を与えれば動くが、哲学のない経営者のもとでは人はよく動かないからである」(p.278)
「とにかく、哲学のないところに技術屋もなければ企業もない。機械を動かすには技術が必要だし、人間を動かすスパナは哲学である」(p.272)


理念なき行動は凶器であり、
   行動なき理念は無価値である。
(p.280)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第十四章」から3つご紹介
よろしければご一緒に四つ葉
 
過去からの解放 [2014年05月02日(Fri)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
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赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第十三章「権威への反発」より

宗一郎は戦前、東海精機重工業というピストンリングを作る会社を経営していたが、この会社は戦争中にトヨタの資本参加があり、終戦時の1945年にはトヨタの子会社になっていた。ピストンリングはエンジンの重要部品でもあり、宗一郎は戦争中にその高い技術で浜松では有名な存在になっていたので、トヨタは終戦後もトヨタの仕事をしないかといってきた。
「トヨタでは私に手伝えといったが、もうトヨタの指令を受けるのはいやだし、私は生ける屍にはなりたくない。また格子なき牢獄に入るのもいやだから、俺は俺の個性で仕事をするんだという考えになっていた」
他人の権威への反発がこの決別の真因であろう。
それがこうした激しい表現になっている。(p.247〜8)


1985年に、ホンダが青山本社ビルを建設したときのことである。
社長引退後すでに12年が経っていた。
建物が完成に近づいて玄関付近が形を見せ始めた頃、
宗一郎が現場へ来ると、担当者に怒鳴り始めた。
「円柱とは権威の象徴だ。神社仏閣も、ギリシャの神殿も、入り口は円柱だ。
ホンダの顔ともいうべき玄関を円柱で飾るとは、ホンダが権威になったということを社会に宣言する気か。ホンダが権威になっていいのか
宗一郎の怒りはすさまじかった。
権威への反発を貫いてきた宗一郎には許せないことだった。(p.256)


宗一郎はつねに「過去」から解放されたかったようである。
「自分はこれまで思いきり生きてきた。とくに過去をふり返ることなく、
つねに現在未来に顔を向けてひた走りに走ってきたといってよい」
過去を否定しながら成長してきたのが、宗一郎の人生だった。(p.260)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第十三章」から3つご紹介
よろしければご一緒に四つ葉


明日からGW後半、お天気に恵まれるようですが晴れ
特に外出する予定もなく、読書三昧
まずは、司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』本
nanohana.jpg

 
自分のために働くことが絶対条件 [2014年05月01日(Thu)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
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赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第十二章「人を喜ばせたい」より

どんな人であれ、皆とても大切で、思いやりをもって接しなければならないということだよ」
「そういうことをやると相手を尊重したという気持ちで私は満足して、かえって興が乗ってくるね。
人の喜びは自分の喜びなんです」(p.231)
 仕事を離れたさまざまな人間関係の場では、目配り、気配り、思いやりで、人を喜ばせるべく最大限の努力を払う。(p.239)


宗一郎が「三つの喜び(造って喜び、売って喜び、買って喜ぶ)」を言い出した当時(1951年)、まだホンダは創業後わずか3年のホヤホヤの中小企業だった。
その社長が、利益でもなく、成長でもなく、技術でもなく、
喜び」をキーワードに会社のモットーを作ったのである。(p.232)


つまり、仕事という宗一郎にとってもっとも大切かつ神聖な局面では、
宗一郎は妥協をしない。自分のために仕事をする
仕事のプロセスの苦労は自分のためなのである。
しかし、仕事の結果としては人を喜ばせるようなものでありたい。
プロセスと結果、その仕分けをしっかりしたいのである。(p.239)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第十二章」から3つご紹介
よろしければご一緒に四つ葉


「自分のためにプレイをしていましたか? チームのためにプレイをしていましたか?」
と、イチローが王監督に現役時代のころを尋ねると――
自分のためにやるからこそ、チームのためになるんじゃないか。
自分のためにやる人が、いちばん、自分にきびしいから」

『イチロー262のNextメッセージ』野球より
 
何ものにもとらわれず、シンプルな理で考える [2014年04月30日(Wed)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
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赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第十一章「童心を去らず」より

これ(スクラップ)をなくさなければ、我国の300万トンの鉄鋼を充分に使えない。こういう建前から言って、工作機によらない生産をしよう。いわゆるモールドの生産、型の生産、これをしなければいかんということに気がつきまして、(…)。
エンジンを日本で一番最初にオール・ダイカストにしたのは私だと思っております」(p.224)
――1948年暮れ、中小企業庁が主催して中小企業の経営者たちを集めた座談会での発言

1946(昭和21)年9月に本田技術研究所を開設、48年9月に法人化される前のこと。

「ウチはダイキャストでやる!」
ダイキャストは、砂型鋳造と違って、金型をつくらなければならない。
町工場が生産する程度の台数じゃとても採算が取れないから、
普通の人ならそんなことは考えもしない
「何が何でもダイキャスト!」

どう見ても大量生産工場からはほど遠い粗末な町工場の中で、誇大妄想と言われそうな生産手段が、冒険を承知でスタートした。
原材料から直ちに製品への方法として、削粉を出さず、材料も 少なくて済み、工程が少なく、美観のダイキャスト鋳造が社長の持論だった。
理想は大きいが、 先立つお金がない。金型屋さんに相談すると、ひと型50万円も取られる。 自分たちで何とかするしかない

「同じ苦労をするなら、先に苦労しろ。 
資源のない国の人間が削り屑を出すような仕事をするな
苦労は前工程でやれ。
後工程の加工が要らなけりゃ、資源の無駄がなくなる
ここで精度が出せれば、そのための時間も人手も機械も要らないじゃないか 」
(p.165)

◆限りない夢、あふれる情熱[第1回]ひらめき
/語り継ぎたいこと/Honda


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第十一章」からとびっきりをご紹介
よろしければご一緒に四つ葉


アダムとイブにしても、赤ん坊や幼い子どもたちにしても、
もともとは素直な心をもって生まれているのです。
ところが、年を経て体験をつむにつれて、
いろいろな考えや心が積みかさねられてきて、
往々にしてその素直な心が表面に出にくいようになってくるわけです。
松下幸之助著『素直な心になるために本
序章より
 
生きた哲学を使える人になってほしい [2014年04月29日(Tue)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
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赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第十章「超高速現場学習」より

 宗一郎は晩年に至るまで、ホンダが作った修理工の育成学校(現・ホンダテクニカルカレッジ)での卒業式の祝辞で卒業生にこう語り続けたのである。

「自動車修理の仕事に従事して、お客さんと接したとき、
車をなおしたうえで、その人の不安怒りを取り除いてやることができたら、それはすばらしいことである。
親切というかたちで、そういう生きた哲学を使える人になってほしい」(p.205)

――不安や怒りなどの「感情」を、喜びの感情に変える、ということかひらめき
不満が満足になって新たな価値を創造し、蓄積されて信頼となる

「帰る時には笑顔で帰っていただくようにするのが、修理屋なんです。
 物を作れば良い、物をちゃんと直せば良いと言うだけでは、
余りにも人間的ではない


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第十章」からとびっきりをご紹介
よろしければご一緒に四つ葉


 
私を未来へ進ませる力 [2014年04月28日(Mon)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
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赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第九章「手で考える」より

「この手で、この身体で物をつくり、身体で考えることによって新しい論理が開けてゆく」(p.179)


既存の論理についての知識が豊富な人は、ついつい既存の論理に頼りがちになる。あるいは、新しい試みが失敗するだろうという論理ばかりを既存の枠組みの中でつくるようになる
だから、試みなくていい、と自己弁護をする。
「やってみもせんで、何がわかる」
「おまえ、やってみたことあるのか。すぐやってみろ
(p.180〜1)

「未来を知ろう、未来へ進もうということを、私はそっくり他人に教わろうとも思わず、本に書かれたものをそのまま鵜呑みにはしなかった
それらは他人の過去だということを知っていたからだ」
教わった知識、つまり他人の過去は、自分の手で確認し「手で考える」プロセスを経なければ、未来へ進むには役に立たない、と宗一郎はいいたいのである。(p.187)

「私にあるのは、教わって知った知識とともに、
実行して知った知識、つまり経験である。
このふたつが、私を未来へ進ませる力になっているのだ」
ひらめき


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第九章」から3つご紹介
よろしければご一緒に四つ葉
 
我慢より工夫 [2014年04月27日(Sun)]
NHK-Eテレの白熱教室<お金と感情と意思決定の白熱教室>TV

今回放送の第4回(4/25)は「セルフコントロール」がテーマで、
「セルフコントロールのための環境づくり」について示唆に富む内容でした。

岡田斗志夫さんの『レコーディング・ダイエット決定版』本の「卒業試験問題」
――大阪出張新幹線の時の誘惑に勝つ、というか切り抜ける方法は?

もう、「誘惑に負けないぞ!」などというムダな決心はやめよう
そういう「できない決心」をしても、自分が傷つくだけだもんな。
それより、もっと工夫を考えよう
決心や意志力ではなく、もっと簡単な方法
(…)
誘惑に100%と勝とうと考えてはいけない。
「誘惑されにくい環境を作る」ことに意識と行動を集中すること。
(…)
我慢より工夫、こんな発想の転換を試してみてほしい
(…)
私たちは、ついつい、「意思の力で行動を変えよう」と発想してしまう。
でも、実は効果があるのは「環境を変えることにより行動を変える」ことだ。
(同書の「終章」より)

なるほどひらめき『レコーディング・ダイエット』の論理は明快です。


今回のアリエリー教授のレッスンの中で紹介されたフォルクスワーゲンのCM
Can we get more people to choose
the stairs by making it fun to do?


The Fun Theory 1 - Piano Staircase/Volkswagen

アリエリー教授のレッスンを受けている時は、なるほど!と思いました。

しかし、確かに、一時的には人々の行動が変わるかもしれませんが、
いかにして、せっかく変わった行動を持続し、良き「習慣」として定着させるか
ちなみに、今、このエスカレーターと階段の利用状況はどうなんだろうか?

――世界を変える設計は容易ではありません。でも私たちにはテクノロジーがあるぴかぴか(新しい)

人を誘惑して人の弱さにつけ込む世界を作るか、
それとも人に良き行動を促す世界を作るか、
どちらを選ぶかは君たち次第だ。

(今回の番組の最後のメッセージ)
 
「創業者の夢に羅針盤が加わった」 [2014年04月26日(Sat)]
明日(4/27)は松下さんのご命日です。
松下さんは1989年4月27日、94歳の生涯を閉じられました。

松下幸之助歴史館では、今年も「メモリアルウィーク特別展」が開催されています。
P1020260.jpg
今日も松下さんが出迎えてくださいましたひらめき

今年は松下さんの生誕120年を記念して、松下さんが受けられた叙勲や褒章が歴史館の2階に特別に展示(こちらの展示は本日まで)。ありがたく拝見させていただきました。

今年の特別展のテーマは「松下幸之助が目指したもの」
bnr_kikaku2014t.jpg


パナソニックの社長に津賀さんが就任された2012年からの「特別展」、さらには年末年始のお休みを挟んで開催の「企画展」では、松下さんが常々訴えかけてこられた「商いの心」や「自主責任経営」がテーマでした。

今年の特別展では、パナソニックさんが新たに制定されたブランドスローガン
A Better Life, A Better Worldを受けて、
その原点である松下さんの創業の「志」や「使命感」がテーマです。

松下さんの映像や展示パネルのメッセージを拝見して、
役割は違っても使命は同じ」「時代を超えても理念は変わらず」に納得し共感です。

その中から3つご紹介
「今度の見学で松下電器が従来考えもつかなかったところのものを知りました。
 でも、みなPHPの考えの範囲です。それで私はまことに意を強くしました。……」
――1951(昭和26)年、松下さんが世界的視野に立った経営の必要性を説き、みずからアメリカに視察。滞在先から会社に送られた16通の手紙の最後、第16信の力強いメッセージです。

創業者の夢に羅針盤が加わった
The founder's dream now had a model to follow.
――“戦前からの夢、住宅事業のスタート”のパネルに記されていた言葉です。

「お客様“一人ひとり”にとっての“より良い”くらしを、様々なパートナーと追求」
――津賀社長が映像の中で語られた、新しいスローガンの“A”と“Better”に込められた意味です。


志を立てて以て万事の源と為す。
(吉田松陰先生語録15/松陰神社)

計愈々違ひて志愈々堅し。
天の我れを試むる、我れ亦何をか憂へん。

(吉田松陰先生語録9/松陰神社)


中小企業大学校関西校の経営管理者研修の宮ゼミ、
来月のゼミ図書はコッターの『幸之助論』です
001.jpg
素直な心が道をひらく足跡
 
論理サイクルの高速化で「時間」の密度を濃くする [2014年04月25日(Fri)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
Honda.jpg
赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第八章「時間を酷使する」より

宗一郎は「時間を酷使する」といっていただけあって、時間をキーワードに現場と組織のあり方の改善をつねに考えていた人だった。時間をキーワードに考えることによって、生産性をよくする方法を思いつく人だった。
生産性をあげるための第一の鍵は「時間の短縮」である。(…)もう一つの鍵は「時間の同期化」でる。(…)
(…)
のちにトヨタ生産方式として有名になるような考え方を、1950年代から宗一郎は宗一郎なりのやり方で実行していた。そして、機械を買うカネがないと嘆く工場の連中に、部品の在庫を削減できればそのカネで機械を買える、と宗一郎はこういう
「それからしばらくたって、今度は機械を買いたいといってきた。だけど金がないから買いたくとも買えないとこぼし始めた。
そこで、機械のそばに20個も30個も積み上げてある部品は、タイミングが合っていれば1個あればいいものだ。それで2億ぐらいの金がすぐに浮くから、機械が買えるじゃないかといってやった。要するに、時間をうまく使うだけのことだ
時間というものは、実に大切なものである
(p.163〜6)

それにしても、なぜ宗一郎はこれほどまでに時間にこだわるのか。
そこには、宗一郎「個人」に起因する理由と、「組織」を動かす経営者としての理由と、二つのタイプの理由があったように思われる。
(…)
組織を動かす経営者として、宗一郎がことさらに時間にこだわった理由としては、二つのことがあったようだ。第一に、宗一郎がきわめて「理論尊重」の経営者だったこと。第二に、宗一郎が「組織の洪水」を起こしたがる経営者だったこと。
ともに、時間にこだわることからは迂遠な理由に聞こえそうであるが、宗一郎にとっては大切な理由だったと思われる。
(…)
宗一郎は合理性を重んじ、「理論」を大切にする人だった。
組織の中の一人ひとりが行う仕事が理論に適い、各人が論理的に正しいステップを踏んで仕事を行うことで、そうしたステップが論理的につながって一つのサイクルになる
だから、一つひとつのステップの時間短縮をやかましくいうのである。手抜きしてステップを飛ばしての時間短縮では、失敗する。論理的にそれがわかる。
だから、より多くの、より大きいことを組織としてやろうと思えば、一つひとつのステップを時間短縮して、論理のサイクルをより速く回すしかない。(p.166〜8)


宗一郎は「組織に洪水を起こす」経営者だった。(…)
川の洪水は、短時間に同じ場所に大量の水が降ることによって発生する。
組織の洪水は、働く人々の一人ひとりが仕事をスピードアップし、その上に各人がつねに他人の仕事との同期化を考えて、そしてそれらが集中的に起きて、はじめて洪水となる
「時間の短縮」という酷使と「時間の同期化」という酷使、二つの時間の酷使が同時に起きると、川も組織も洪水になる。
組織の洪水はまさに組織的な「時間の酷使」の極致である。だから、組織に洪水を起こしたい経営者としては、時間にこだわることが必須なのである。(p.168〜70)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第八章」から3つご紹介
よろしければご一緒に四つ葉

***************************************
zero.jpg
今週火曜日(4/22)の夜、
赤羽雄二さんの『ゼロ秒思考』の著者セミナーに参加しました。
http://diamond.jp/ud/bkseminar/5332729cb31ac90649000001

半端でない「思考のスピード感」に圧倒されながらも、単に「A4用紙を横において1分の時間制限の中でメモ書き」というテクニックを超越した「何か」を感じました。
残念ながら、その「何か」が何であるかは未だ掴めていませんが、本田さんが説く「理論とアイデアと時間を尊重」に通じるのではないかと…

論理サイクルの高速化で「時間」の密度を濃くする

――最終目標は、意識せずに自然体で常にできることですが、
  まずは、セミナーで教わったことを忠実にメモ書きを続けます。

「やっているだけ知っている」 [2014年04月24日(Thu)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
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赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第七章「失敗の哲学」より

宗一郎はようするに、いろいろと試すのである。
試すことが多ければ、当然に打率も低くなる。しかし、かりに打率が低くても、成功もあるし、「失敗してもそこに残るもの」がある。宗一郎はそう考えていたのであろう。それが、宗一郎の失敗の哲学であった。
失敗から残るものの第一は、失敗したアイデアは論理が成立しなかったという事実そのものである。その論理はもう試す必要はなくなり、仮説として捨てればいいのだから、将来また悩まなくていい。
失敗は反省を促す。その反省から得る教訓や経験知も意義が大きい。それが失敗の第二の意義である。
「試して失敗して、「俺はどうして失敗したんだろう」ということで考え、その理由に気づいた時がいちばん身にしみるんだ。失敗するのがこわいんだったら、仕事をしないのが一番だ。君たちが定年でやめるとき、「皆さんのおかげで大過なくすごすことができました」というようなバカな挨拶をせんでもらいたいな」(p.137〜8)


失敗は、それをバネと糧にして新しい挑戦を続ける勇気と機会のある人間にとっては、進化のチャンスである。
人生は見たり、聞いたり、試したりの三つの知恵でまとまっているが、その中で一番大切なのは試したりであると僕は思う。ところが、世の中の技術屋というもの、見たり、聞いたりが多くて、試したりがほとんどない。
僕は見たり聞いたりするが、それ以上に試すことをやっている。その代わり失敗も多いありふれたことだけど、失敗と成功はうらはらになっている。喜びと悲しみが同居しているように、成功と失敗は同居している。
それだけに、失敗の回数に比例して、成功しているともいえる。
みんな失敗を厭うもんだから成功のチャンスも少ない。ホンダが伸びた伸びたって、最近みんなが不思議がるが、タネを明かせばこれ以外にない
やっているだけ知っているということだ」
宗一郎は「ありふれた」というが、この考え方は決してありふれた考え方ではない。
宗一郎の失敗の哲学は、成功するためには失敗するしかない、ということなのである。そして、失敗してもすぐに変えればいい、という哲学なのである。
そういう哲学がもてる最大の理由は、失敗したあとの対応についても宗一郎らしい哲学があり、かつ対応能力への自信があるからである。
己の能力だけでなく、最後の防波堤があった。それが、名パートナー藤澤武夫である。かれが、宗一郎が大きな失敗をしたときでもホンダを破綻からまもるべく動いてくれるという信頼があったのである。(p.141〜2)


「会社がつぶれて失業した人たちが、何か救済策を講じてkくれと要求するが、僕にはそういった消極的な態度がうなずけない。もし僕がそういう立場におかれれば(…)
一つの問題も、考え方によって、ものすごくたくさんの解釈ができる。だが、暗い淵にどんどんはまりこんでいくような解釈を下すことは反対だ。
僕はどんなに大きな失敗をしても、大地をふんまえてグッと立ち上がるような解釈をすることにしている。
それでなければ、つぎの段階への新しいエネルギーは引き出せない」
大地をふんまえるとは、本質に立ち返るということと、ちょっとやそっとでは揺らがないスタンスをもつ、ということであろう。そして、ありうる解釈の中で明るいものを目ざす。こうして、失敗からすらエネルギーを引き出して、グッと立ち上がる
とにかく、前向きでネアカな人なのである。ただ、最後には明るい解釈をするにしても、宗一郎は深く反省する人でもあった。その反省のタメがあるからこそ、新しいエネルギーが生まれてくるのであろう。(…)
深い反省のあとは、明るい解釈で改善のアイデアが次々と出てくるのが、宗一郎であった。失敗の苦しみの中で、なんとかせねばと考える。その苦しいときの知恵が重要なのである。そこから創意工夫も生まれるし、苦しむことから根性も生まれる。
だから宗一郎は、
創意工夫は苦し紛れの知恵である
としばしばいっていたのである。(p.143〜4)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第七章」から3つご紹介
よろしければご一緒に四つ葉


 
「そこには理論がある」 [2014年04月23日(Wed)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
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赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第六章「つねに挑戦、やらまいか」より

1954年6月14日、宗一郎はイギリス・マン島のTTレースの会場で、茫然としていた。
(…)
「スピード、スケールがケタはずれなんですよ。腰を抜かすほど驚いた。
ガッカリして、これはえらいことになったな、と思うと同時に、よおし、人が出来ることならおれもできる、とムラムラッと闘志がわきましたね。
しまった、と、このやろう、と二つのものが一緒にわきたってきた」(p.121〜2)


宗一郎にはパイオニア的な仕事も多かった。しかし、たんに冒険ではなく、そこには理論があるパイオニア精神のない人にはそれがわからず、ただ冒険と片づけるのだ、というのである。
「私にいわせれば、ちゃんと理論が成り立たなければ、何一つやっていないのだ。人が納得するより、自分自身が納得できてはじめて手をつけるというのが、私のやり方である。……いいかえれば、私は私なりに理論をもっているということである」(p.127)


たしかに宗一郎は、理論がなければ動かない理論つきの「やらまいか」なのであるが、しかしそれにしてもなぜか宗一郎は次々と「やらまいか」になってしまう。
その理由の一つは、企業の成長のおかげで次々と課題が生まれ、それに宗一郎が挑戦するからであろう。しかしそうした状況面での理由だけでなく、まるでやらまいかの燃料」とでもいうべきものが宗一郎に補給され続けていて、それが燃えているようである。
どうやら、三つの燃料があったようだ。第一に夢あるいは未来志向の気質第二に自分の能力への楽観第三に役割モデル(身近な目標人物)の存在、である。
(…)
「僕は、たとえロビンソン・クルーソーの孤島に流されても生き抜いていくつもりだし、瓦の上にまかれても、芽を出し花を咲かせる自信がある手(グー)
(…)
に突き動かされやればなんとかなるという自信もあり、そして郷土の見本にも後押しされる。こうしてやらまいか精神は燃え続けたのである。(p.129〜33)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第六章」から3つご紹介
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「死ねといわれれば死ぬのか」 [2014年04月22日(Tue)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
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赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第五章「仕事には厳しい」より

宗一郎の人と組織への思いの中心には、つねに仕事があった。
仕事を裏方で支えてくれる人こそ大切だ。仕事をする場では誰もが平等だ。人間の尊厳を持てるような仕事の場にしたい。仕事を顧客を喜ばすためにしたい。
宗一郎は仕事が本当に好きだったのである。
(…)
「じゃ 何がおもしろいんですか」
一瞬の間を置き、あなた(宗一郎)はわたし(城山三郎)の耳に口を寄せ、ささやいた。
「仕事 本当におもしろいのは 仕事だけ」(p.101〜2)


それどころか、ハイヤーの運転手にも厳しかった。社用車の運転手ではない。
宗一郎は社長車をもたず、基本的には自分のクルマを自分で運転した。しかし、外部の会合などに行くときにはハイヤーを使う。そのハイヤーの運転手にも、「ただ運転するだけ」の運転手には厳しく、「もう来なくてもいい」と叱るのである。
(…)
ただ来るだけで人の言いなりになるつもりなら、死ねといわれれば死ぬのか、と宗一郎は厳しかった。宗一郎にとっては、仕事の本分をきちんと果たそうとする姿勢があるかないか、が問題だった。(p.105)


「私だってむやみに殴ったわけじゃない。何かをする時に論理がなくちゃならんはずなのに、理屈に合わないことを平気でやられると、無性に腹が立ったんです
論理なしにやられたら、たまったものじゃないですよ」(p.107)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第五章」から3つご紹介
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「細心なれ」 [2014年04月21日(Mon)]
伊丹敬之著『人間の達人 本田宗一郎
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赤本(真っ赤な背表紙が印象的な『人間の達人』)の
第四章「人間理解のリアリスト」より

「経営でも同じことである。
大きなことでつぶれるという会社はまず少ない。たいていは気がつかないうちに、細かいことが積もり積もっていろんな問題が起きてつぶれるというのが多い。気がついたときには、もうお互いに絡まりあっていて、どれから直していいか手がつけられない
そこを手遅れにならないうちに一つ一つ適切な処置を取るのが、経営の専門家の仕事である。
ところがたいていの専門家は、その名前に反して、あんまり頭がよすぎるものだから、大きいところ、派手なことばかりねらいすぎる。いわゆる一発屋というやつだが、これでは永続きしない
細かいトレーニングを無視するから、いつか必ず破綻する」(p.86)


「大衆にアンケートを取って聞くことは参考になる。たとえば、自分の蒔いた種がどの程度大衆に受け入れられているか、また不満があるかといったものなら賛成だ。
しかし、未来のものについて、何だかんだとアンケートを取るのはおかしい。物をつくることの専門家が、なぜシロウトの大衆に聞かなければならないのだろうか。それでは専門家とはいえない。どんなのがいいかを大衆に聞けば、その時点でそれは古いことになってしまう。シロウトが知っていることなんだから、ニューデザインではなくなる。
大衆の意表に出ることが、発明、創意、つまりニューデザインだ。それを間違えて新しいものをつくるときにアンケートを取るから、たいてい総花式なものになるほかのメーカーのあとばかり追うことになる。つまり、職人になっちゃう。
(…)
だからそこだけを真似たんじゃ、生産量が違うんだから償却もケタ違いになる。うちの真似をしていたんじゃ、商売にならない。各自コストに見合うところで工夫するのが、本当のメーカといえる。それでこそ、明日が約束される
アンケートに頼っていては、発展がないということだ」(p.89)


「一つのことを調べるにしても、それにからまるファクターの裏の裏まで見透かしてやらないととんでもない結論がでてくる。それ(市場調査)を一つの参考意見として見るならいいが、市場調査だけを首っ引きで見なければならないような経営者なら、市場調査はやらない方がいい。
市場調査をやるなら、モノゴトを静止的でなく流動的にとらえられる人すべてのファクターを現実の生々しいぬくもりを持たせたまま抽象化できる能力のある人がやるべきだし、それを見る経営者は、それ以上に能力のある人でなければ数字にのまれること請け合いである。
だから僕は、市場調査を、過去の足跡をたしかめること、自分の意見を大勢の社員に納得させる場合の手段として使うこと以外には考えていない。
別ないい方でいうと、市場調査は、僕のイメージを補足して豊富化する手段ではあるが、僕の方針の決定項ではあり得ないということである」(p.89)


魂を揺さぶり心に深く沁みる宗一郎の珠玉の言葉ぴかぴか(新しい)
本日は「第四章」から3つご紹介
よろしければご一緒に四つ葉
 
「経営は論理の積み重ね」 [2014年04月20日(Sun)]
小倉昌男 経営学』(日経BP)よりメモ

経営は論理の積み重ねである
したがって、「論理的思考」ができない人に、経営者となる資格はない。
また、経営者は「自立の精神」を持たねばならない。これまで護送船団を組んだ行政や政治家の力に守られてよしとする経営者がどれほど多かったことか。しかし今、社会はボーダーレス化が進んでおり、どこに競争相手がいるかわからない。常に論理的に考え、攻める姿勢が必要なのだ。
併せて経営者には「高い倫理観」を持ってほしい。社員は経営者を常に見ている。トップが自らの態度で示してこそ企業全体の価値観も高まると、私は信じている。(p.271)


経営者にとって一番必要な条件は、論理的に考える力を持っていることである、
なぜなら、経営は論理の積み重ねだからである。
(…)
要するに、自分の頭で考えないで他人の真似をするのが、経営者として一番危険な人なのである。論理の反対は情緒である。情緒的にものを考える人は経営者に向かない。
論理的に考える人は、その結論を導き出した経緯について、筋道立てて説明することができる。また説明をしているうちに、考え方を論理的に整理することもある。他に対して説明する能力も、経営者にとって大事な資質である。(p.272〜4)


伊丹敬之先生が説く経営の三つの基本論理ひらめき
カネの論理(経済の論理)
情報の論理(見えざる資産の論理)
感情の論理(人間力学の論理)
 
日々記録を続ける力 [2014年04月19日(Sat)]
土曜日の朝日新聞の別冊(青のbe
本日(4/19)のフロントランナーはお好み焼き「千房」の中井社長、
元受刑者の社会復帰を雇用で支えておられます。

朝日新聞の記事からメモ

――元受刑者には金銭出納帳をつけさせています。

 仮出所して就職した時には更生を誓っても、そのうち誘惑に負けて、グラグラする者もいます。特に以前の悪い仲間が声をかけてきて、つきあいが復活すると危ない。金を返したの、もらったの、金の出入りにもやましいところが見えてきます。
 金銭出納帳は私の原点でもあります。でっち時代お金をためたくて、つけ始めました。それから十数年後、「千房」を創業するとき小さな取引があった信用組合が無担保で3千万円を融資してくれました。妻から私の金銭出納帳を見せられた信組の理事長が、私という人間を信用してくれたのです。


中井社長が独立されて6年目のこと、
それまで借りていた店の明け渡しを求められて追い詰められた時、80万円の預金しかないのに無担保で3000万円の融資を受けた有名なエピソードです。
融資を実行した信用組合の理事長は、中井社長が丁稚奉公時代に毎日つけておられた金銭出納帳を見て無担保で融資を実行。「千房」の一号店がここからスタートしました。

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レコーディング・ダイエットとは「記録することによるダイエット」であり、
記録するという行為の積み重ねによる自分の行動管理を目的とする。
(…)
毎日、欠かさず記録をつけるから、レコーディング・ダイエット。
けっして「食事記録」や「カロリー制限」が本質ではない。
メモをするというのも、自分の無意識に向かって手紙を書いているようなものだ
だからしっかり自分の手で書く必要がある
食べるものを写メで撮るだけでは(自分の)に届かないので、
効果が期待できない。
(手帳の「はじめに」より)
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