田中美術館(岡山・井原市)にて
[2012年03月31日(Sat)]
人間は、自分、あるいは今歩いている足もとを、常に自己に問うていなければならないと思っている。そして、自己への問いが、深ければ深いほど、大きければ大きいほど、かならず「道」はこたえてくれるものと思うのである。
人間としての存在や人生の充実ということに関して言えば、老いにつけ若きにつけ、今、自分がおのれの命といかにかかわり、どのような姿勢で生きているかを問い続けるか否かが問題なのであり、言い換えれば、毎日毎日が人生の一大事の連続なのであろう。
人間としての存在や人生の充実ということに関して言えば、老いにつけ若きにつけ、今、自分がおのれの命といかにかかわり、どのような姿勢で生きているかを問い続けるか否かが問題なのであり、言い換えれば、毎日毎日が人生の一大事の連続なのであろう。
『人間ざかりは百五歳』(大西良慶、平櫛田中・著)p.142〜3
朝から、JRを乗り継いで笠岡(岡山県)、さらにバスに乗り換えて井原(いばら)へ
夜来の冷たい雨も上がり、本日のお目当ては「田中(でんちゅう)美術館」...
平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)の代表作といえば、国立劇場のロビーに飾られている『鏡獅子』
田中美術館のお隣にある田中(でんちゅう)苑では、そのブロンズ像がお出迎えです。
以下、田中翁の「ことば」から、私のお気に入りをいくつか写経
自分たちの窮状を訴え、作品の売れない苦しさから、「何とかして売る道がつかないものでしょうか」とお尋ねしたときだった。私の作家生活において、生涯忘れることの出来ない言葉を聞いたのである。
「諸君は、売れるようなものをお作りになるから売れない。
売れないものをお作りなさい。必ず売れます」
目の洗われるような思いであった。売れるようなものを作ろうとするのは、もうすでにものにとらわれた姿である。何とかして売れるものをつくろうとすればするほど、心はくもる。そんな世事世俗にまみれた心から、良い作品は生まれるはずがない。そういう「はからい」は捨てよ、そして捨てようとする意識さえも捨てきれ――岡倉先生は、そこを突かれたのであろう。
そして次に口をついて出た言葉が胸に突き刺さった。
「あれでは、どこからでも勝手に射なさいと言いたくなる。
あんなことでは死んだ豚も射れない――」
目の眩むようなお言葉であった。初めて先生に認めていただいたと有頂天になっていた作品も、木っ端微塵に、みごとに砕け散ってしまったのである。いま思いかえせば、こうした徹底した厳しい批判で、私の一生の心を訓戒してくださったことと、頭の下がる思いがする。
木彫の仕事では、挽いたばかりの丸太が使えるわけではない。伐採してからのち、ある期間は置いておかねばならない。したがって、こういう仕事が入ったから、こういう作品を作りたいのでといって、それから求めたのでは間に合わない。それに、私としては、あと何年すればこの世とおさらばするということもべつに決めていないから、佳い材があれば当然、入手する。それが溜まってみなさんに、何歳まで仕事をするつもりなのかと、疑問を抱かせることになったのであろう。
「力は加えません。それで木が削れるのを“刀が切れる”というんです。
だから、わたくしたちは木を削る時間の2倍も3倍もの時間、刃物を研いでおります」
「今わからなくてもいい、自分の中にそれが出てくるまで、じっと大切にもっていなさい」と言い、京都や奈良などの古い良い彫刻を見るように勧めた。
「人間は思ったら直ちに実行せねばいけない。考えただけではやったことにならず、消えてしまうものです。いまやらねば、いつできるですよ。そして、わしがやらねばたれがやる、と自分で覚悟すること。これが人間の努力を確実にするものですよ」と、熱っぽく話した。
「これは私の姿なのです
尋牛七十年 白雲万里 山重々
死ぬ迄 牛を尋ねてうろうろするでせう」
「諸君は、売れるようなものをお作りになるから売れない。
売れないものをお作りなさい。必ず売れます」
目の洗われるような思いであった。売れるようなものを作ろうとするのは、もうすでにものにとらわれた姿である。何とかして売れるものをつくろうとすればするほど、心はくもる。そんな世事世俗にまみれた心から、良い作品は生まれるはずがない。そういう「はからい」は捨てよ、そして捨てようとする意識さえも捨てきれ――岡倉先生は、そこを突かれたのであろう。
『人間ざかりは百五歳』p.178〜9
そして次に口をついて出た言葉が胸に突き刺さった。
「あれでは、どこからでも勝手に射なさいと言いたくなる。
あんなことでは死んだ豚も射れない――」
目の眩むようなお言葉であった。初めて先生に認めていただいたと有頂天になっていた作品も、木っ端微塵に、みごとに砕け散ってしまったのである。いま思いかえせば、こうした徹底した厳しい批判で、私の一生の心を訓戒してくださったことと、頭の下がる思いがする。
『人間ざかりは百五歳』p.187〜8
木彫の仕事では、挽いたばかりの丸太が使えるわけではない。伐採してからのち、ある期間は置いておかねばならない。したがって、こういう仕事が入ったから、こういう作品を作りたいのでといって、それから求めたのでは間に合わない。それに、私としては、あと何年すればこの世とおさらばするということもべつに決めていないから、佳い材があれば当然、入手する。それが溜まってみなさんに、何歳まで仕事をするつもりなのかと、疑問を抱かせることになったのであろう。
『人間ざかりは百五歳』p.203〜4
「力は加えません。それで木が削れるのを“刀が切れる”というんです。
だから、わたくしたちは木を削る時間の2倍も3倍もの時間、刃物を研いでおります」
「今わからなくてもいい、自分の中にそれが出てくるまで、じっと大切にもっていなさい」と言い、京都や奈良などの古い良い彫刻を見るように勧めた。
『巧匠 平櫛田中』p.94
「人間は思ったら直ちに実行せねばいけない。考えただけではやったことにならず、消えてしまうものです。いまやらねば、いつできるですよ。そして、わしがやらねばたれがやる、と自分で覚悟すること。これが人間の努力を確実にするものですよ」と、熱っぽく話した。
「これは私の姿なのです
尋牛七十年 白雲万里 山重々
死ぬ迄 牛を尋ねてうろうろするでせう」
◆『尋牛』(じんぎゅう)/田中の作品(彫刻)/田中美術館
田中翁の生き様や作品を通じて、エネルギーをたっぷり注入
――ありがとうございます。
以下、旅のご参考までに
◆井原の野外彫刻マップ
彫刻のまち・・・まちじゅう美術館
◆井笠鉄道記念館/笠岡市<観光百科事典>
田中翁の生き様や作品を通じて、エネルギーをたっぷり注入
――ありがとうございます。
以下、旅のご参考までに
◆井原の野外彫刻マップ
彫刻のまち・・・まちじゅう美術館
◆井笠鉄道記念館/笠岡市<観光百科事典>