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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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「天馬空を往く」(松下幸之助) [2011年12月31日(Sat)]
昭和35年(1960)12月27日に閣議決定された「国民所得倍増計画」。

松下幸之助さんは、これに対して、翌昭和36(1961)年、『文藝春秋』の12月号に
「所得倍増の二日酔い」と題して寄稿し、高度経済成長の行き過ぎを警告。

東京オリンピックの昭和39年(1964)を境に、その反動が現れ、一転して不況に・・・
家電業界も不況の波をかぶり、深刻な影響を受ける。
松下さんも、3年前の昭和36年(1961)に社長を退任していたが、熱海会談をきっかけに、
自ら営業本部長代行となって販売の第一線に立って陣頭指揮・・・

翌昭和40年(1965)、山陽特殊製鋼の倒産や山一證券の破綻など破綻が相次ぎ、
不況はますます深刻化。

こうした時期に、松下さんは同年2月に岡山で、「ダム経営と適正経営」と題して講演。
――「戦後20年たった今日のわが国は、もう戦後の非常時ではない。
   戦後の特殊事情のもとで許されてきた信用膨張、借金経営の姿を、
   安定した経営(自己資本による自主経営)の姿に移行させていかなければならない」
と論じ、その方策の1つとして「ダム経営」について発表。

京都の中小企業経営者が集まった講演会で、
松下さんは持論の「ダム式経営」の勧めを説いた。
松下さんの話が終わって、一人の経営者が質問した。
「たしかにダム式経営はすばらしいと思いますが、
 今、余裕のない零細企業はどうすればいいのでしょうか?その方法を教えて下さい」
この質問に松下さん答えて曰く、
「その答えは自分も知りません。
 しかし、まず、余裕のある経営が必要だと思わなあきまへんな」
松下さんの答えに、聴衆の多くは笑った。

聴衆であふれる会場で、
いちばん後ろの立ち見席で松下さんの話を聞いていた経営者がいた。
昭和34年に27歳で創業して4、5年、まだ経営の進め方に悩んでいた。
会場は松下さんの答えに笑い声に包まれていたが、
彼は身の震えるような感激と衝撃を受けた。

後年、松下さんと対談した際、彼はこう言っている。
 「そのとき、わたしはほんとうにガツーンと感じたのです。
余裕のない中小企業の時代から“余裕のある経営をしたい、おれはこういう経営をしたい”と、ものすごい願望をもって毎日毎日一歩一歩歩くと、何年か後には必ずそうなる。
“やろうと思ったってできませんのや。何か簡単な方法を教えてくれ”というふうな、そういうなまはんかな考えでは、事業経営はできない。“できる、できない”ではなしに、まず、“こうでありたい。おれは経営をこうしよう”という強い願望を胸にもつことが大切だ、そのことを松下さんは言っておられるんだ。そう感じたとき、非常に感動しましてね。
ただ多くの聴衆のなかには、そういう精神的なものについてはあまり好きではないものだから、何かもっと簡単な、アメリカ的な経営のノウハウでも教えてもらえるのではないかと期待していた人も多かったようですがね」

会場のいちばん後ろの立ち見席で松下さんの言葉に感動した経営者が、
若き日の稲盛さんです。

不況に明け暮れた昭和40年(1965)の大晦日、
松下さんはNHKの紅白歌合戦の審査員席にいた。
この年の紅白歌合戦の最高視聴率は78.1%、まさに国民的行事だった。
華やかな舞台に見とれて、あっという間の2時間半、
番組が終わると同時に会場から羽田空港へ。
元旦早々の仕事が大阪で控えていたので、0時1分発の飛行機に搭乗するためだった。

天空に飛び立ったとき、新しい年が静かに明け初めた。
 「今年はウマ年。
ウマ年生まれのぼくが、新たなウマ年がまさに明け初(そ)めんとするときに、
天空高く飛んでいる。まさに『天馬空を往く』の図ではないか。
こいつは縁起がいいぞ。数年続いた深刻な不況を脱し、
今年こそは『天馬空を往く』ような発展をしなければならない。
きっとできる」
 と、勇気がフツフツと湧いてくるのであった。
◆創業者揮毫天馬往空/松下幸之助歴史館電球

松下さんの天馬往空の揮毫には、
不況だからと自分で自分の限界をつくらず、
天馬が空を縦横に駆け巡るように、
存分に知恵や心を働かせて工夫し、
道を切りひらいていきたい炎

という強い願いが込められています。

その年の11月、全国の販売会社や代理店282社から、高さ約3メートル、重さ約2トンもあるブロンズ製の天馬像が贈られ、松下電器の本社中庭に設置された。
◆「天馬往空之像」が完成・1966(昭和41)年/松下幸之助の生涯

以下、参考図書本
『松下幸之助 夢を育てる』(松下幸之助著・日経ビジネス人文庫)
『松下幸之助 人生をひらく言葉』(谷口全平著・PHP文庫)
『エピソードで読む松下幸之助』(PHP総研編・PHP新書)
『経営の大原則』(江口克彦監修・PHP研究所)
『稲盛和夫の実学』(稲盛和夫著・日経ビジネス人文庫)
『高収益企業のつくり方』(稲盛和夫著・日本経済新聞社)

一燈を提げて暗夜を行く。
暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。

佐藤一斎・言志晩録13条)



神倉神社(新宮・和歌山)よりカメラ(2011.10.25)

良いお年をお迎えください富士山
 
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