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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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ぼちぼちがいちばんや [2023年05月06日(Sat)]
城山三郎さんの『打たれ強く生きる』
IMG-0074.jpg

先日、実家の本棚を整理した時に見つけたのですが、
奥付を見ると昭和60年1月10日発行で、昭和61年1月30日の16刷。
私にとって20代最後の誕生日で、
半年後の7月23日に父が心筋梗塞で死亡。
色んなことが思い出され、過ぎし日を振り返りながら読み直しました。

その中から「ぼちぼちが一番」
(前略)
たまたまつけたテレビで、枝雀がアナウンサーに質問されるままに、
自分の芸や人生について答えていた。
自分のことは、自分がいちばん長いつきあいやから、
 自分がいちばんよう知ってる
」といい、
ぼちぼちがいちばんや」ともいった。
いい言葉だと思った。
(中略)
人生あわてても仕方がない。
まわりはどうあろうとも、自分は自分で、
たったひとつしかない人生を大事に見つけて歩いて行く
それも、家康さんのように
「重荷を負うて遠き道を歩む」などと気負うこともない。
人生はそれほどたいしたものではない。
ごく素直に、ぼちぼちと歩けばいい
また、ぼちぼちだからこそ、歩き続けられるのではないか。

ぼちぼちとは、ともかく、前に向かって歩いていることである。
自分のペースで歩き続けているということである。
マスコミの脚光を浴び、ライバルに負けまいと、急成長し、
急破綻して行った数多くの人たちを、わたしは思い浮かべずには居れない。
それは、マスコミの世界でも、また経営者の世界でも、同様であった。

川上哲治さんは、勝つためのゲーム展開としては、
切れてはいるが、つながっている感じが大切」という。
これも一種の「ぼちぼち」ではないか。
経済学者ワルラスが好んだという言葉がある。
静かに行く者は健やかに行く。健やかに行く者は遠くまで行く
わたしもこの言葉が大好きで、ひそかにこれまでの人生の支えとしてきた。
これからもそうして行きたい。

横を見る(他者を過剰に意識する)ことを止めて
前を向いて(自分の頭で考え抜く)歩き続ける

北御堂さんの今月の言葉(2016/8)
s20160801.jpg
「下見て満足、同じで安心、
 上見てねたみと愚痴が出る」

えろう悔やみなはるな。
いや、人間、上を見ればきりがない、下を見ても際限(ほうず)がない。
箱根山、駕籠に乗る人乗せる人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人、
各々その分に応じて楽しみもあれば苦しみもある。
ひとの花は赤う見えるが人情じゃ、
あんた方そうしてマメで稼ぎなはる姿を見て、
羨ましゅうてたまらぬ人も世になんぼあろうやら知れぬ。
年寄りや足弱の苦難を助けて己れの暮らしを立てる、立派な稼業じゃ
卑下せんと稼業大事に励みなされ
(たばこ)の火/上方落語

matsushita_13.jpg
 自分では確かにこの道が正しいと
 思ったことなのに、
 なお「他の人に何か言われはしないか」と
 気に病んで、
 足踏みしていることはないか。
 むろん独断に陥ってはならないが、
 一方で、他人の眼にとらわれず、
 自らの信じた道を歩む強さを持ちたい


 Ask advice,
 but do what you think is right
.

松下幸之助日々のことば「道をひらく」より


<世間八法>
誰かに批判されて悩む。
誰かに賞賛されて有頂天になる。
失敗して落ち込む。
成功して喜ぶ。
貧しくなって失意の底に沈む。
財をなしてしあわせだと思う。
人に認められてもらえずに鬱々とする。
名を立てて満足する。

これに対して、ダライ・ラマ法王は
―― 四つの対句はいずれも自然なことに思えます。しかし、
心の訓練を積んだ人にとって、これらは間違った反応です。
賞賛されても、批判されても、
感情を交えずに、その真の意味を評価するべき
です。
正しい目的または動機は、
批判や賞賛を避けたりはしません
正しいことをするのが目的なのですから。

ローレンス・ファン・デン・ムイゼンバーグさんは、
―― これらはすべて自然な反応のように見えるが、
心の訓練を行っていない人間はしばしば状況を読み違える
ということに注目していただきたい。
その一方で、心の訓練をしている人間は、
この瞬間的な分別を避けることができるようになる。
正しい選択は、
現実を見る能力、建設的な解決法を生み出す能力、
落ち着いた冷静な心での決断力にかかっている。

『ダライ・ラマのビジネス入門』“THE LEADER'S WAY” より


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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺
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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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