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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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道は遠きにあるものではない [2023年02月25日(Sat)]
ツボミが膨らんでも、花を咲かせるまで容易ではないですが、
おかげで、たとえわずかでも日一日と膨らませている姿に感動です。
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3日前の22日
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何ごとをなすにも時というものがある。
時 ―― それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。

冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。 
わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しない
であろう。
時を得ぬ人は静かに待つがよい。
大自然の恵みを心から信じ、時の来るを信じて、
着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。
時期は必ず来る。

待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない。
冷たいのではない。
静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。
「時を待つ心」/松下幸之助『道をひらく』

トマス・カーライル『サーター・リサータス.(衣服哲学)』の
第2巻・第9章「永遠の肯定(The Everlasting Yea)」
――「私の考へではこれがこの書物の真髄であると思ふ
新渡戸稲造『衣服哲学講義』

Our Life is compassed round with Necessity; yet is the meaning of Life itself no other than Freedom, than Voluntary Force: thus have we a warfare; in the beginning, especially, a hard-fought battle.

人生といふものは
必要(Necessity)といふ境遇の中に囲まれてゐるけれども、
 (Necessityに抑へられてゐる間は本当の味が無い)、
人生の本当の意味はFreedomすなわちvoluntary Forceで、
自己自分の判断でやり、責任をもって自分でやること
である。
人生に於て強制されてやるのはNecessityといふものである。
戦争なかるべからず、初めのうちはなほさうだらう
新渡戸稲造『衣服哲学講義』

必然がわれわれの人生を取り巻いている、
しかも、人生そのものの意義は、自由にほかならない、
自発的力にほかならない。
というわけで、われわれは闘わなければならない。
特に初めは苦戦をしなくてはならない。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

So true is it, what I then said, that the Fraction of Life can be increased in value not so much by increasing your Numerator as by lessening your Denominator. Nay, unless my Algebra deceive me, Unity itself divided by Zero will give Infinity. Make thy claim of wages a zero, thou hast the world under thy feet.

人生といふ分数は分子を増すことによってより、
分母を減ずることによって、其の価を大きくすることができる。
慾の方を減らせば分配が殖える。
もし慾を零にしたならばその零で割れば答は無限大になる
零はプラスでも零だ。マイナスでも零だ。
みな上の方の品物とか名誉とか冨とかいふものを仰ぎ視てゐるから、
infinity(無限)にまでは行かない。
お前の慾を零にすれば分子は只の一であっても、直ちにinfinityになる。
だから汝の要求を零にせよ。さすれば
世界全体が自分のものになったといふものだ

新渡戸稲造『衣服哲学講義』

私がかつていったこと、すなわち、人生という分数は、
その分子の数を増すよりも、むしろその分母を減ずることによって、
その数値を増すことができるということは、あくまでも真理である。
いや、私の代数学が私を騙さないならば、
一(イチ)そのものでも、ゼロで割れば無限大になる。
そうならばお前の賃金の要求をゼロにせよ。
お前は世界を足下に踏み抑えることになる。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

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「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

But indeed Conviction, were it never so excellent, is worthless till it convert itself into Conduct.

Conviction(確信)なるものは、
行為に現れるまでは理屈だ。しゃべっている間は理屈だ
新渡戸稲造『衣服哲学講義』

しかしまったく、確信は、たといいかにすぐれた確信でも、
変じて行為となるまでは、無価値である。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

Nay properly Conviction is not possible till then; inasmuch as all Speculation is by nature endless, formless, a vortex amid vortices: only by a felt indubitable certainty of Experience does it find any centre to revolve round, and so fashion itself into a system.

いや、すべての思索が、本来、限りがなく、形がなく、渦巻の中の渦巻であり、
感じ取られた疑うべからざる経験の確実性によってのみ、
それは、回転の軸となる中心を見出し、自ら体系を形づくるのである限り、
確信は、行為に化するまでは、存在不可能である
宇山直亮訳『衣服の哲学』

Most true is it, as a wise man teaches us, that Doubt of any sort cannot be removed except by Action.”

ある賢人(ゲーテ)が教えているとおり、
いかなる種類の疑惑も、行為によるのでなければ、除くことができない
ということはきわめて真実である。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

"Do the Duty which lies nearest thee," which thou knowest to be a Duty! Thy second Duty will already have become clearer.

一番汝に近い義務をやれ
さうすればその次の義務は自ら明らかになってくる。
新渡戸稲造『衣服哲学講義』

お前が義務なりと心得る「最も手近の義務をなせ。」
お前の次の義務は、その時には、すでに明らかになっているであろう。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

I too could now say to myself: Be no longer a Chaos, but a World, or even Worldkin. Produce! Produce! Were it but the pitifullest infinitesimal fraction of a Product, produce it, in God's name! 'Tis the utmost thou hast in thee: out with it, then. Up, up! Whatsoever thy hand findeth to do, do it with thy whole might. Work while it is called Today; for the Night cometh, wherein no man can work.

自分は今はかういふことを言ひ得るやうになった。
混沌たる勿れ。自ら宇宙となれ。大きな宇宙でなく小さくてもよい。
調和した完成した円満な宇宙となれ、
何でもよい、作れ! 創造せよ!

たとへそれがProductの何万分の一、何億万分の一の
微々たるものであってもよい。神の名に於て作れ!
それがお前の為し得る最上の仕事だ。
さらばそれを行へ!
おまへの手の見出すところの為すべきことを全力を以て為せ
今日といわれる間に働け。夜が来れば誰も働くことはできないから。
新渡戸稲造『衣服哲学講義』

私もまた、私自身に向って、こういうことができる。
もう混沌であることをやめ、一つの世界―小世界でもよい―になれ。
生み出せ! 生み出せ!
一つの産物の、最もつまらぬ微小な一かけらでもよいから、
神の名にかけて、産み出せ!
それはお前のもつ最大限度である。では、それを出せ。起て、起て!
お前の手でやれる仕事は、なんでもよい、全力を尽くしてやれ。
今日と呼ばれる日の中に、働け。
誰も働くことのできない夜が訪れるからである。
宇山直亮訳『衣服の哲学』

毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ
ということを「葉隠」は主張している。
われわれはきょう死ぬと思って仕事をするとき、
その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない

現代に生きる「葉隠」/三島由紀夫『葉隠入門』

私は17歳のときに
「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」
という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、
私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
もし今日が最後の日だとしても、
今からやろうとしていたことをするだろうか
」と。
「違う」という答えが何日も続くようなら、
ちょっと生き方を見直せということです。
自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。
(…)
あなた方の時間は限られています。
だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。
スティーブ・ジョブズ「ハングリーであれ。愚か者であれ」

◆台湾民主化の父・李登輝氏の遺言「大切なことは武士道にある」
/日経ビジネスオンライン


「確信はいくら立派なものでも、
行為に移されるまでは何の役にも立たない」

「確信はそれまではあり得ない。
なぜならば、すべての思弁は本来果てしなく、
形が定まらず、渦巻きにすぎないからである」

「立て、立て、
何でもおまえのできることを、全力をもってなせ。
今日といわれる間に働け。
夜が来れば誰も働くことはできない」

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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