認識いかん
[2022年12月12日(Mon)]
松下幸之助『道をひらく』より――
「一陽来復」

2022/12/10
松下幸之助『続・道をひらく』より――
「無限の宝庫」
以下、『老子』の第11章――
(書き下し)
福永光司『老子(上)』朝日文庫
加島祥造『タオー老子』ちくま文庫



松下幸之助『続・道をひらく』より――
「年の暮れ」

「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

愚直に一歩、一歩、もう一歩
「一陽来復」
ひろい世の中、長い人生、
いつも心楽しいことばかりではない。
何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、
これはこれでまことに結構なことであるけれど、
なかなかそうは事が運ばない。
ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、
思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。
しかし、それまたよし。
悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、
窮境に立って、はじめて世間の味わいを
学びとることができるのである。
頭で知ることも大事だが、
身をもって知るということが何よりも大事。
塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。
知るということにも、いろいろあるのである。
窮境に立つということは、
身をもって知る尊いチャンスではあるまいか。
得難い体得の機会ではあるまいか。
そう考えれば、
苦しいなかにも勇気が出る。元気が出る。
思い直した心のなかに新しい知恵がわいてくる。
そして、禍いを転じて福となす、つまり一陽来復、
暗雲に一すじの陽がさしこんで、
再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくると思うのである。
いつも心楽しいことばかりではない。
何の苦労もなく何の心配もなく、ただ凡々と泰平を楽しめれば、
これはこれでまことに結構なことであるけれど、
なかなかそうは事が運ばない。
ときには悲嘆にくれ、絶体絶命、
思案にあまる窮境に立つこともしばしばあるであろう。
しかし、それまたよし。
悲嘆のなかから、人ははじめて人生の深さを知り、
窮境に立って、はじめて世間の味わいを
学びとることができるのである。
頭で知ることも大事だが、
身をもって知るということが何よりも大事。
塩の辛さはなめてみてはじめてわかる。
知るということにも、いろいろあるのである。
窮境に立つということは、
身をもって知る尊いチャンスではあるまいか。
得難い体得の機会ではあるまいか。
そう考えれば、
苦しいなかにも勇気が出る。元気が出る。
思い直した心のなかに新しい知恵がわいてくる。
そして、禍いを転じて福となす、つまり一陽来復、
暗雲に一すじの陽がさしこんで、
再び春を迎える力強い再出発への道がひらけてくると思うのである。

2022/12/10
松下幸之助『続・道をひらく』より――
「無限の宝庫」
この世の中に存在するものは、一つとしてムダなものはない。
ムダだと思うのは、その活かし方、使い方を知らないだけ。
活かし方を知らなければ、すべてのものがマイナスになる。
ムダだ、マイナスだと頭をかかえてばかりいたら、
不満に心が暗くなり、せっかくの天与の贈物も猫に小判。
黄金は、猫にとっては何の役に立たない無用の物かもしれないが、
その活かし方を知っている人間にとっては、天下の大宝。
その価値を知らぬ猫の愚を笑いたくもなるが、
笑ってばかりもいられないのがお互いの姿であろう。
無用と思われていたカビのようなものでも、これを有効に使えば、
貴重な働きをすることがわかってきた今日、
この世の中はまさに無限の宝庫である。
すべての物はもちろんのこと、
マイナスでしかない人間など、本来この世にあろうはずがない。
お互いに、もうすこし謙虚でありたい。
もうすこし勇気をもちたい。
そして、もうすこし寛容の心を持って、
すべての物が、すべての人が、時と処を得て、
その本来の値打ちが活かされるようつとめたいものである。
ムダだと思うのは、その活かし方、使い方を知らないだけ。
活かし方を知らなければ、すべてのものがマイナスになる。
ムダだ、マイナスだと頭をかかえてばかりいたら、
不満に心が暗くなり、せっかくの天与の贈物も猫に小判。
黄金は、猫にとっては何の役に立たない無用の物かもしれないが、
その活かし方を知っている人間にとっては、天下の大宝。
その価値を知らぬ猫の愚を笑いたくもなるが、
笑ってばかりもいられないのがお互いの姿であろう。
無用と思われていたカビのようなものでも、これを有効に使えば、
貴重な働きをすることがわかってきた今日、
この世の中はまさに無限の宝庫である。
すべての物はもちろんのこと、
マイナスでしかない人間など、本来この世にあろうはずがない。
お互いに、もうすこし謙虚でありたい。
もうすこし勇気をもちたい。
そして、もうすこし寛容の心を持って、
すべての物が、すべての人が、時と処を得て、
その本来の値打ちが活かされるようつとめたいものである。
もちろん中小企業の弱体性というものはあります。
けれども弱体性だけを認識して悲観するのと、
中小企業の長所というものを認識して勇気をもつというのと、
2つあるわけです。
前のほうはやっぱりうまくいかない。
景気に非常に押されるわけです。
あとのほうはむしろ面白くやっている。
だから認識いかんですよ。
「経営の醍醐味が味わえるという中小企業のよさ」
『松下幸之助・経営の真髄』より
けれども弱体性だけを認識して悲観するのと、
中小企業の長所というものを認識して勇気をもつというのと、
2つあるわけです。
前のほうはやっぱりうまくいかない。
景気に非常に押されるわけです。
あとのほうはむしろ面白くやっている。
だから認識いかんですよ。
「経営の醍醐味が味わえるという中小企業のよさ」
『松下幸之助・経営の真髄』より
以下、『老子』の第11章――
(書き下し)
(…)
有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。
有の以て利を為すは、無の以て用を為せばなり。
福永光司『老子(上)』朝日文庫
(…)
すべて形有るものが役に立つのは、
形無きものがそれを支える役割を果たしているからだ。
すべて形有るものが役に立つのは、
形無きものがそれを支える役割を果たしているからだ。
加島祥造『タオー老子』ちくま文庫
(…)
私たちは物が役立つと思うけれど
じつは物の内側の、何もない虚のスペースこそ、
本当に役に立っているのだ。
私たちは物が役立つと思うけれど
じつは物の内側の、何もない虚のスペースこそ、
本当に役に立っているのだ。



松下幸之助『続・道をひらく』より――
「年の暮れ」
何となく心せわしくなってきた。
毎年のことで、別にどうということはないようにも思うのだが、
やはり年の暮れというと落ち着かない。
あれもかたづけておきたい。これも始末をしておきたい。
別にウカウカすごしてきたつもりではないけれども、それでも
何となくその日その日をウカウカすごしてしまったような
悔いにおそわれるこの年の暮れである。
だがしかし、こんな思いがあればこそ、
この一年のしめくくりもできるのであろう。
年内余日もないきょうこのごろではあるけれど、
今からでもおそくない。できる限りのことはしておこう。
及ばずながらもやってみよう。
今や一日が尊く、一時間が貴重なのである。
そんななかでも、世と人に対する感謝の気持ちだけは忘れまい。
この一年、ともかくもすごし得たのは、自分ひとりの力ではない。
あの人のおかげ、この人のおかげ、
たくさんの人のたくさんの善意と好意のおかげである。
時にやり切れない思いに立ったこともあろうけれど、
最後はやっぱりこの感謝の思いにかえりたい。
それでこそのこの年の暮れである。
毎年のことで、別にどうということはないようにも思うのだが、
やはり年の暮れというと落ち着かない。
あれもかたづけておきたい。これも始末をしておきたい。
別にウカウカすごしてきたつもりではないけれども、それでも
何となくその日その日をウカウカすごしてしまったような
悔いにおそわれるこの年の暮れである。
だがしかし、こんな思いがあればこそ、
この一年のしめくくりもできるのであろう。
年内余日もないきょうこのごろではあるけれど、
今からでもおそくない。できる限りのことはしておこう。
及ばずながらもやってみよう。
今や一日が尊く、一時間が貴重なのである。
そんななかでも、世と人に対する感謝の気持ちだけは忘れまい。
この一年、ともかくもすごし得たのは、自分ひとりの力ではない。
あの人のおかげ、この人のおかげ、
たくさんの人のたくさんの善意と好意のおかげである。
時にやり切れない思いに立ったこともあろうけれど、
最後はやっぱりこの感謝の思いにかえりたい。
それでこそのこの年の暮れである。

「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

愚直に一歩、一歩、もう一歩

この続きはまたいつか
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。

会計は算術ではなく、思想である

会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。