上下四維等匹なし
[2022年12月04日(Sun)]
予期せぬ事故(11/23)から1週間が経った先週木曜日(12/1)、
縫合を抜糸。頭も足も傷は大丈夫ですが、足の腫れがひかず、
診察後、近くの神社にお礼参りと完全治癒を祈願。

怪我や病気など予期せぬことが起きると、
身体が不自由なこともさることながら、
予定していた様々なことに支障が出るのが難儀です。
あらためて「明日あり」でなく「明日なき」で「今ここに集中」し、
「なすべきをなす、なすべからずをなさず」と思うのですが、
肝心の問題は「自分が今ここでなすべきことは何か」の見極めです。
河野太通『床の間の禅語』より――
「日日是好日」や「足るを知る」について、
単に、現状是認でないことは分かっているつもりでしたが、
時も含めてすべてのものは
「比べるものがない、それしかない、何ものにも替えがたい、
尊厳にして絶対的なもの」であり、
そしてそれゆえ、
過去や今にとらわれることなく(裂古破今)、
本質を追究し、脚下を看て(看脚下)一歩一歩「歩む」ということか。

「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

愚直に一歩、一歩、もう一歩
縫合を抜糸。頭も足も傷は大丈夫ですが、足の腫れがひかず、
診察後、近くの神社にお礼参りと完全治癒を祈願。

怪我や病気など予期せぬことが起きると、
身体が不自由なこともさることながら、
予定していた様々なことに支障が出るのが難儀です。
あらためて「明日あり」でなく「明日なき」で「今ここに集中」し、
「なすべきをなす、なすべからずをなさず」と思うのですが、
肝心の問題は「自分が今ここでなすべきことは何か」の見極めです。
My third story is about death.
When I was 17, I read a quote that went something like:
"If you live each day as if it was your last,
someday you'll most certainly be right."
It made an impression on me, and since then, for the past 33 years,
I have looked in the mirror every morning and asked myself:
"If today were the last day of my life,
would I want to do what I am about to do today?"
And whenever the answer has been "No" for too many days in a row,
I know I need to change something.
When I was 17, I read a quote that went something like:
"If you live each day as if it was your last,
someday you'll most certainly be right."
It made an impression on me, and since then, for the past 33 years,
I have looked in the mirror every morning and asked myself:
"If today were the last day of my life,
would I want to do what I am about to do today?"
And whenever the answer has been "No" for too many days in a row,
I know I need to change something.
3つ目の話は死についてです。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、
その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、
私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
「もし今日が最後の日だとしても、
今からやろうとしていたことをするだろうか」と。
「違う」という答えが何日も続くようなら、
ちょっと生き方を見直せということです。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、
その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、
私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。
「もし今日が最後の日だとしても、
今からやろうとしていたことをするだろうか」と。
「違う」という答えが何日も続くようなら、
ちょっと生き方を見直せということです。
Steve Jobs ”Stay Hungry. Stay Foolish” June 12, 2005
毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ
ということを「葉隠」は主張している。
われわれはきょう死ぬと思って仕事をするとき、
その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
現代に生きる「葉隠」/三島由紀夫『葉隠入門』
毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ
ということを「葉隠」は主張している。
われわれはきょう死ぬと思って仕事をするとき、
その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
現代に生きる「葉隠」/三島由紀夫『葉隠入門』
河野太通『床の間の禅語』より――
上下四維等匹なし――上下四維に優劣はない。
そもそも上とか下とか、
東西南北、四方八方という方角に、上等下等の区別はない。
西が良くて、東が悪いというようなことはない。すべて平等だ。
今日は良い日、今日は悪い日などというが、それは比べるからである。
今日一日というものは、過ぎ去ったら、またと来ない。
今日は良い日であろうが、悪い日であろうが、
絶対的なものです。等匹がない。
(…)
比べるものがない、それしかない、何ものにも替えがたい。
すべてのものは尊厳にして絶対的なものです。
毎日毎日がそうですし、私たち自身もそうです。
そもそも上とか下とか、
東西南北、四方八方という方角に、上等下等の区別はない。
西が良くて、東が悪いというようなことはない。すべて平等だ。
今日は良い日、今日は悪い日などというが、それは比べるからである。
今日一日というものは、過ぎ去ったら、またと来ない。
今日は良い日であろうが、悪い日であろうが、
絶対的なものです。等匹がない。
(…)
比べるものがない、それしかない、何ものにも替えがたい。
すべてのものは尊厳にして絶対的なものです。
毎日毎日がそうですし、私たち自身もそうです。
「日日是好日」や「足るを知る」について、
単に、現状是認でないことは分かっているつもりでしたが、
時も含めてすべてのものは
「比べるものがない、それしかない、何ものにも替えがたい、
尊厳にして絶対的なもの」であり、
そしてそれゆえ、
過去や今にとらわれることなく(裂古破今)、
本質を追究し、脚下を看て(看脚下)一歩一歩「歩む」ということか。
考えれば考えるほど、正しく生きてきた自信がない。
神様が、もしもう一度、私にチャンスを与えてくれるのであれば、
今度は、後悔しないように正しく生きてみせる。
そう誓いながら、病室のベッドの中で、うずくまっていた。
大久保淳一『いのちのスタートライン』
神様が、もしもう一度、私にチャンスを与えてくれるのであれば、
今度は、後悔しないように正しく生きてみせる。
そう誓いながら、病室のベッドの中で、うずくまっていた。
大久保淳一『いのちのスタートライン』

「吾唯足知」(ワレタダタルコトヲシル)/龍安寺

「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

愚直に一歩、一歩、もう一歩

この続きはまたいつか
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。

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会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。