余命宣告されたら
[2022年11月20日(Sun)]
先週日曜日(11/13)は父の誕生日で生きていたら93歳ですが、
昭和61年7月に56歳で亡くなり、
当時20代だった私も父が亡くなった年齢をすっかり越して、
今年の命日には37回忌の供養をしました。
―― 盛年不重來(盛年重ねて来らず)
がんサバイバークラブの連載コラム「闘病記紹介」が目に留まりました。
今までに紹介された中から以下の3冊を選んで読みました。
★金子直史『生きることばへ 余命宣告されたら何を読みますか?』、
https://www.gsclub.jp/tips/15288
★山口雄也さんの『「がんになって良かった」と言いたい』
https://www.gsclub.jp/tips/15538
★大久保淳一『いのちのスタートライン』(文庫本)
https://www.gsclub.jp/tips/16218
まず最初に手にしたのは、
私と名前が同じ(読みは違う)金子直史さんの
『生きることばへ 余命宣告されたら何を読みますか?』。
ページを開いて、まえがきの2行目に
「直史が亡くなりました」

直史さんが亡くられた1年後に本書が出版された重みを受け止めて、
ほかの2冊を先に読むことにしましたが、
山口雄也さんの『「がんになって良かった」と言いたい』も、
著者の山口さんは本が出版された翌年に逝去。
ある意味、この2冊はお二人の「遺書」とでも言うべきか。そこで、
大久保淳一さんの『いのちのスタートライン』から読むことにしました。

闘病記は壮絶で色々と感じること多々あり、
また、マラソンやウルトラのスタートラインに再び立つことを目指し、
そして素晴らしいタイムで完走を果たされたことにも感銘。
しかし、それにも増して
「文庫版あとがき」に記された「NPO法人5years」の取り組みや
大久保さんのメッセージに得るものが多かったです。
以下、本書の「文庫版あとがき」から――
2冊目は山口雄也さんの『「がんになって良かった」と言いたい』。

『がんになってよかった』ではなく、
『「がんになって良かった」と言いたい』ということで、
「がんになって良かった」は山口さんの本心ではないということか。
大久保淳一さんの『いのちのスタートライン』にも、
「ガンになって良かった」と記されていますが、
同じ「がんになって良かった」でもずいぶん印象が違います。
(そもそも、本のカバー表紙の写真がまったく違う)
また、「スタートライン」についても、
本書で「デイ・ゼロ」の意味するところを知り、
スタートラインとはそういうことかと知らされました。
そして3冊目は、金子直史さんの『生きることばへ』
副題は「余命宣告されたら何を読みますか?」
余命宣告を受けた直史さんは、
再び記事を書きたいと願って編集委員に戻り、
週イチの連載を書き始め、全30回を書き上げて亡くなる。
本書のメインは、その連載記事と闘病日記ですが、
あちらの直史さんはこうだが、
こちらの直史さんはどうだ?、どうする?、
と、生きることに覚悟を求められ続けて一気に読了。
3冊の闘病記はそれぞれにインパクトあり、
この3冊に出会えたことに感謝です。
闘病記に限ることではないですが、
本を読んだり話を聞いたりして、
可哀想とか、感動したとかは、まだまだ「他人事」。
「我が事」として受け止め、自分の頭で考えて、
意識や行動を変えてこそ闘病記を読む値打ちがあるのでしょう。
もし、今、自分が「余命宣告」されたら、




川西一庫ダム周遊マラソン大会(2022.11.20)

「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

愚直に一歩、一歩、もう一歩
昭和61年7月に56歳で亡くなり、
当時20代だった私も父が亡くなった年齢をすっかり越して、
今年の命日には37回忌の供養をしました。
―― 盛年不重來(盛年重ねて来らず)
一日難再晨(一日(いちじつ)再び晨(あした)なり難し)
及時當勉勵(時に及んで当に勉励すべし)
歳月不待人(歳月は人を待たず)/陶淵明
及時當勉勵(時に及んで当に勉励すべし)
歳月不待人(歳月は人を待たず)/陶淵明
がんサバイバークラブの連載コラム「闘病記紹介」が目に留まりました。
今までに紹介された中から以下の3冊を選んで読みました。
★金子直史『生きることばへ 余命宣告されたら何を読みますか?』、
https://www.gsclub.jp/tips/15288
★山口雄也さんの『「がんになって良かった」と言いたい』
https://www.gsclub.jp/tips/15538
★大久保淳一『いのちのスタートライン』(文庫本)
https://www.gsclub.jp/tips/16218
まず最初に手にしたのは、
私と名前が同じ(読みは違う)金子直史さんの
『生きることばへ 余命宣告されたら何を読みますか?』。
ページを開いて、まえがきの2行目に
「直史が亡くなりました」
直史さんが亡くられた1年後に本書が出版された重みを受け止めて、
ほかの2冊を先に読むことにしましたが、
山口雄也さんの『「がんになって良かった」と言いたい』も、
著者の山口さんは本が出版された翌年に逝去。
ある意味、この2冊はお二人の「遺書」とでも言うべきか。そこで、
大久保淳一さんの『いのちのスタートライン』から読むことにしました。
闘病記は壮絶で色々と感じること多々あり、
また、マラソンやウルトラのスタートラインに再び立つことを目指し、
そして素晴らしいタイムで完走を果たされたことにも感銘。
しかし、それにも増して
「文庫版あとがき」に記された「NPO法人5years」の取り組みや
大久保さんのメッセージに得るものが多かったです。
以下、本書の「文庫版あとがき」から――
自分を評価する時、強いとか弱いとかではなく、
一生懸命に生きていればそれでいいのではないか。
身体や心が十分でない時、
それでも何とかしたいと自分なりにもがき一生懸命であれば、
行動や結果が伴わなくとも、それでいいと思う。
安易に自分を責めてはいけない。
弱いと感じる時こそ、自分に価値を見出してほしい。
人生には、いつでも何度でもチャンスがある。
試練に直面し、失敗し、くじけそうな日が続いても、
逃げないで踏ん張っていれば、いつか再び光が見えてくると信じている。
だから、簡単にあきらめてはいけない。
そのためには「打たれ強く生きる」ことが何よりも大切ではなかろうか。
どんな能力よりも、この「打たれ強く生きる」力が人生には必要だと思う。
ガンになって良かった。
失ったものよりも、得たもののほうが遥かに大きいと常日頃から言っている。
でも、病気なんて、二度とご免だ。
それでも、いつかまた、想像もしない深い谷底に突き落とされるかもしれない。
だから、いま、やりたいことに、どんどんチャレンジして、
仕事も、マラソンも、その他も、80歳で人生のピークを迎えられたらと思っている。
いま、その挑戦の真っ最中だ。
一生懸命に生きていればそれでいいのではないか。
身体や心が十分でない時、
それでも何とかしたいと自分なりにもがき一生懸命であれば、
行動や結果が伴わなくとも、それでいいと思う。
安易に自分を責めてはいけない。
弱いと感じる時こそ、自分に価値を見出してほしい。
人生には、いつでも何度でもチャンスがある。
試練に直面し、失敗し、くじけそうな日が続いても、
逃げないで踏ん張っていれば、いつか再び光が見えてくると信じている。
だから、簡単にあきらめてはいけない。
そのためには「打たれ強く生きる」ことが何よりも大切ではなかろうか。
どんな能力よりも、この「打たれ強く生きる」力が人生には必要だと思う。
ガンになって良かった。
失ったものよりも、得たもののほうが遥かに大きいと常日頃から言っている。
でも、病気なんて、二度とご免だ。
それでも、いつかまた、想像もしない深い谷底に突き落とされるかもしれない。
だから、いま、やりたいことに、どんどんチャレンジして、
仕事も、マラソンも、その他も、80歳で人生のピークを迎えられたらと思っている。
いま、その挑戦の真っ最中だ。
考えれば考えるほど、正しく生きてきた自信がない。
神様が、もしもう一度、私にチャンスを与えてくれるのであれば、
今度は、後悔しないように正しく生きてみせる。
そう誓いながら、病室のベッドの中で、うずくまっていた。
大久保淳一『いのちのスタートライン』
神様が、もしもう一度、私にチャンスを与えてくれるのであれば、
今度は、後悔しないように正しく生きてみせる。
そう誓いながら、病室のベッドの中で、うずくまっていた。
大久保淳一『いのちのスタートライン』
2冊目は山口雄也さんの『「がんになって良かった」と言いたい』。
『がんになってよかった』ではなく、
『「がんになって良かった」と言いたい』ということで、
「がんになって良かった」は山口さんの本心ではないということか。
大久保淳一さんの『いのちのスタートライン』にも、
「ガンになって良かった」と記されていますが、
同じ「がんになって良かった」でもずいぶん印象が違います。
(そもそも、本のカバー表紙の写真がまったく違う)
また、「スタートライン」についても、
本書で「デイ・ゼロ」の意味するところを知り、
スタートラインとはそういうことかと知らされました。
僕がこの日を忘れることはない。
新たなスタートラインに立つ。そんな立派な線ではない。
靴の踵で土のグラウンドに引いた、
自分にしかわからないぐにゃぐにゃのスタートラインだ。
スターティングブロックも、号砲もない。
それでも僕は静かに一歩を踏み出し、線を跨ぐ。
乾きかけた土を全身の重みで踏みしめる。
雨は止んだ。空は青い。
一滴、また一滴と注がれる真紅の血液に、僅かながら温もりを感じる。
新たなスタートラインに立つ。そんな立派な線ではない。
靴の踵で土のグラウンドに引いた、
自分にしかわからないぐにゃぐにゃのスタートラインだ。
スターティングブロックも、号砲もない。
それでも僕は静かに一歩を踏み出し、線を跨ぐ。
乾きかけた土を全身の重みで踏みしめる。
雨は止んだ。空は青い。
一滴、また一滴と注がれる真紅の血液に、僅かながら温もりを感じる。
デイ・ゼロ。
医療の世界は今日をそう呼ぶ。
全てがゼロになる日である。
原点であり、誕生であり、そして再出発点でもある。
一体僕はあとどれくらい生きられるのだろう?
山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』
医療の世界は今日をそう呼ぶ。
全てがゼロになる日である。
原点であり、誕生であり、そして再出発点でもある。
一体僕はあとどれくらい生きられるのだろう?
山口雄也『「がんになって良かった」と言いたい』
そして3冊目は、金子直史さんの『生きることばへ』
副題は「余命宣告されたら何を読みますか?」
余命宣告を受けた直史さんは、
再び記事を書きたいと願って編集委員に戻り、
週イチの連載を書き始め、全30回を書き上げて亡くなる。
本書のメインは、その連載記事と闘病日記ですが、
あちらの直史さんはこうだが、
こちらの直史さんはどうだ?、どうする?、
と、生きることに覚悟を求められ続けて一気に読了。
大切なのは「日常」だろう。
死は「日常」を突然まがまがしいものに変えるのかも知れない。
しかし、それは一瞬で、「日常」は再び息を吹き返す。
圧倒的なのは、この「日常」の持続なので、誰それさんの死は、
その日常にひとつのエピソードを付け加えるぐらいのものだろう。
その「持続する日常」というイメージに、
おれは救いを求めようとしているだけだろう。
だが、それがなぜ、救いとなるのか――。
多分、命が消えるとは思ってないからだろう。
命がもし、残るのだとしたら、
それはこの日常の中で繰り広げられた記憶の中だろうと、
おれは勝手に思っている。
きのう思った。
生きていることは素晴らしい。空も光も全てが素晴らしい。
そのことを知れたことは神に感謝だ。
その素晴らしさを、五体満足の時は、そうは意識していなかった。
それはとても勿体ないことだ。
しかし、今、この豊かで透明な時は間違いなく存在している。
そして、その「時」とは、
日々大きな力で流れていく日常の時間とは別のところ、
――それを超えたところにあるのだろう。
そして、今、たまたまおれは、そのような特別の「時」の中にいる。
ゆったりと…。不安もなく…。
その、満ち足りた「時」の中に、くるまれている。
そして、そのことを、とても確からしく感じている。
死は「日常」を突然まがまがしいものに変えるのかも知れない。
しかし、それは一瞬で、「日常」は再び息を吹き返す。
圧倒的なのは、この「日常」の持続なので、誰それさんの死は、
その日常にひとつのエピソードを付け加えるぐらいのものだろう。
その「持続する日常」というイメージに、
おれは救いを求めようとしているだけだろう。
だが、それがなぜ、救いとなるのか――。
多分、命が消えるとは思ってないからだろう。
命がもし、残るのだとしたら、
それはこの日常の中で繰り広げられた記憶の中だろうと、
おれは勝手に思っている。
きのう思った。
生きていることは素晴らしい。空も光も全てが素晴らしい。
そのことを知れたことは神に感謝だ。
その素晴らしさを、五体満足の時は、そうは意識していなかった。
それはとても勿体ないことだ。
しかし、今、この豊かで透明な時は間違いなく存在している。
そして、その「時」とは、
日々大きな力で流れていく日常の時間とは別のところ、
――それを超えたところにあるのだろう。
そして、今、たまたまおれは、そのような特別の「時」の中にいる。
ゆったりと…。不安もなく…。
その、満ち足りた「時」の中に、くるまれている。
そして、そのことを、とても確からしく感じている。
恐怖という点ではこれは死刑囚と同じだろうと思う。
違うだろうか――。
国家が罪を明示しての殺人と、
流れ弾に当たったような不条理な殺人は、
意味的には違うだろうが、
宣告された死を受け入れようとする不条理さは同じではないか。
ただし、死は全ての人間に予告もなしにやってくる。
金子直史『生きることばへ 余命宣告されたら何を読みますか?』
違うだろうか――。
国家が罪を明示しての殺人と、
流れ弾に当たったような不条理な殺人は、
意味的には違うだろうが、
宣告された死を受け入れようとする不条理さは同じではないか。
ただし、死は全ての人間に予告もなしにやってくる。
金子直史『生きることばへ 余命宣告されたら何を読みますか?』
3冊の闘病記はそれぞれにインパクトあり、
この3冊に出会えたことに感謝です。
闘病記に限ることではないですが、
本を読んだり話を聞いたりして、
可哀想とか、感動したとかは、まだまだ「他人事」。
「我が事」として受け止め、自分の頭で考えて、
意識や行動を変えてこそ闘病記を読む値打ちがあるのでしょう。
もし、今、自分が「余命宣告」されたら、

「自分はまもなく死ぬという認識が、
重大な決断を下すときに一番役立つのです」
重大な決断を下すときに一番役立つのです」
Stay Hungry. Stay Foolish.
Steve Jobs, CEO of Apple Computer, on June 12, 2005.
「ハングリーであれ。愚か者であれ」スティーブ・ジョブズ
◆スピーチ全訳/日経新聞
Steve Jobs, CEO of Apple Computer, on June 12, 2005.
「ハングリーであれ。愚か者であれ」スティーブ・ジョブズ
◆スピーチ全訳/日経新聞
毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ
ということを「葉隠」は主張している。
われわれはきょう死ぬと思って仕事をするとき、
その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
現代に生きる「葉隠」/三島由紀夫『葉隠入門』
毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ
ということを「葉隠」は主張している。
われわれはきょう死ぬと思って仕事をするとき、
その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
現代に生きる「葉隠」/三島由紀夫『葉隠入門』
明日ありとおもうこころのあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは
(親鸞聖人が9歳で得度された時に詠まれた歌)
夜半に嵐の吹かぬものかは
(親鸞聖人が9歳で得度された時に詠まれた歌)
たったひとりしかいない自分を、
たった一度しかない人生を、
ほんとうに生かさなかったら、
人間、生まれてきたかいがないじゃないか。
山本有三『路傍の石』
たった一度しかない人生を、
ほんとうに生かさなかったら、
人間、生まれてきたかいがないじゃないか。
山本有三『路傍の石』
川西一庫ダム周遊マラソン大会(2022.11.20)

「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「格致日新」

愚直に一歩、一歩、もう一歩

この続きはまたいつか
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。

会計は算術ではなく、思想である

会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。