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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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ただ一粒の米の中にも [2022年10月10日(Mon)]
森盲天外『一粒米』に
新渡戸稲造が寄せた「序」より――
(…)
一粒の米と雖も受くる人が受くれば万斛の米に優るの滋養と為る。
吾人は世を心無く渡りて人生の真意を知らず
薄禄を得れば安心し世間に少し名でも聞こゆれば自負し、
名利を以って成功と心得るのみならず、
己が名利を獲んが為めには人を害するまで野卑な心も起り易い此世の中に、
人生の目的は明徳である、
人生の最大要務は万物の向上を助長するにあり、
之を遂ぐるには犠牲を要し、
犠牲の目的は人生の円満を期するのだと絶叫する教導者は有り難い。
(…)
吾等はなまじい。眼があればこそ疑惑の念に駈られ、
事の軽重をも判断せずに銘々の主張に執着し己れの好む者を正道とし、
気に合はぬを邪道と呼んで、
一旦己れと所信を異にするものあれば仇敵の如くに視て、
狭き世の中を一層狭め、短き命を一入(ひとしお)縮めるが、
霊的の眼を具へた人は肉眼が無くも道を外づさぬ
双脚のみ頼って進む者は、
広き街路に出れば兎角踉蹌(ろうそう)として歩みばこそ
あれもこれも己れの進行を障害するものと心得れど
霊光に照らさる人は独立直行して道幅は踵の踏む丈けあれば
細き道を辿って目的地に達する

(…)
森氏の精神的経験は眼の有無に依らぬ、
是れ氏の教訓の広く吾人を益する所以である。
此度此書を公にせらるゝにつき、
序文を求められしに僕は喜んで之れに応じたが、
此れは普通の序文とは違い
精神界の後進者が、
先進者に対する敬畏と感謝の意を表する辞である

 明治41年3月8日  新渡戸稲造 識

新渡戸稲造をして自らを精神界の後進者と言わしめる盲天外の『一粒米』に
魂を揺さぶられ、多くの教示を得ました。

予は日に三度の食を貪りながら、
此の大々的真理の存在することに気付かず無意味に経過して居た、
慈母の家庭に於ける教訓を受けても、
実に無意識であった、只徒に合掌低頭するのみであったことを、
今更の如く愧(はづ)かしく感じた事である。
謂ふこと勿れ一粒米は植物なりと、
謂ふこと勿れ一粒米は草の実なりと。
彼が進化し向上し来るならば、已に植物でない、草の実でない、
即ち今の我となって居るのである

然らば、是に合掌し低頭するも、一粒米其物に払ふの敬意ではない
進化の天即其物に払ふの尊敬である
さらば一粒米に払ふの尊敬は、
是れ吾人の屈服でない、吾人の汚辱でないことを覚知し得るではないか。
森盲天外『一粒米』
KIMG2697.JPG

彼れ一粒米に口なく声なけれども、彼は確に斯の如く云って居る。
日々我が眺望底に於て、
彼が向上の手段を実行して居る其行動が、
確かに此くと説明して居るのである。
眼あるものは見よ、耳あるものは聞け、
彼が向上するの手段を実行するの這裡(なか)に、
無口の言がある、無声の声がある

森盲天外『一粒米』

彼一粒米が犠牲となって、吾人の生命となったのは、
彼が新なる生命を造ったのである。
決して人の為にしたのでない、
一粒米彼自身の向上を遂げたのである。
夫れ故に彼の新たなる生命は、
人となつて尚ほ向上せんことを欲しつゝあるものなることを
思はなければならぬ

さるからに、彼が犠牲は、人間となったのを以て、
尚ほ満足するのではなからう、
向上に向上を遂げて、人世といふ無窮無限の大円満を、
成就せんとして居るものであることを思はなければならぬ。
是を以て吾人は彼の犠牲に由って新たなる生命を造り、
已に吾人となって居るのであるから、
吾人は彼の犠牲を讃嘆し、感謝すると同時に、吾人の向上を遂げて、
彼が犠牲の希望を満足させなければならぬ。
我にして此の念なくば、彼が犠牲の精神を空しく終らしむるのである

若し其精神を空しく終つたならば、
犠牲も犠牲でない、却て我の殺生となったのである

依て吾人の向上は、取りも直さず、
犠牲となりし一粒米の新たなる生命を向上させて、
其希望を満足せしむるものと云はなければならぬ。
故に三度食する毎に是に向かつて、合掌低頭しては、其犠牲を感謝し、
是と同時に我の向上を遂ぐべく誓はなければならぬのである。
君子は其独を慎むと、夫れ是を謂ふ乎

森盲天外『一粒米』

KIMG2685.JPG
求むれば 我が身世にふる 道もがな
ただ一粒の米の中にも
森盲天外

盲目の境遇に於てすら、猶ほ此の光明を認むることができる。
若し世の具眼者にして、夫れ此の無尽燈を発見せば、
盲目の境遇に勝る、最も大なるものがあるであらう

世に失望し、煩悶する人よ、決して自ら棄てゝはならぬ、
無尽の光は常に人世を照して、燦然として輝いて居るのである。
森盲天外『一粒米』


何事でも感謝の心を持つことが大切だということだと思います。
感謝の心を持てば、それはいろいろな形になって自分に返ってきます。
自分に返ってくることを期待して感謝の心を持つというのではいけませんが
自分の置かれた立場なり他人からの恩恵なりに素直に感謝できる人
言いかえれば喜びを知る人というのは、非常にしあわせな人だと思います。
これは、商売に限らず、私たちの人生すべての面にもあてはまる
人間としての大事な基本と言えるのではないでしょうか。
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』より

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「日々是好日」
「今日是好日」
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
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日新、日日新」/土光敏夫先生記念苑

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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