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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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その時その時、その場その場に全力を注ぐ [2022年07月12日(Tue)]
リレーフォーライフ神戸のチャリティウォークイベント、
「セルフウォークリレー」に参加して、
Screenshot_20220710-192144_2.png
以前なら、
まだ雨が降ってないのに今にも降りそうだからとか、
コロナワクチンを接種して筋肉痛だからとか、
体温を測ってないけど微熱っぽいからとか、
別に用がなくても連絡があるかもとか、
自分に言い訳をてんこ盛りで走らなかったのが、
えらいもので、「誰かのため」に走るとなると
言い訳無用で走っている自分がいました


今朝、枝の葉先にぶらさがったセミの抜け殻に気づきました。
KIMG2263.JPG
地面から1メートル近くあるでしょうか。
ずいぶん高く、そして葉の先端まで、
ご苦労なことで思わずセミの抜け殻に合掌。

しかし、おそらく、セミは「誰かのために」やっていない。
自分に言い訳するのは論外だが、
誰かのためにするとか、感動を与えるとか、
ご満足いただくとか、喜んでいただくとかなんてことを
意識することも邪道で、他人の評価などにとらわれず、
「無心」で自然体に今なすべきをなす
、ということか。

観世寿夫『心より心に伝ふる花』より―
自然の花は、見せるために咲いているのではない
自から然るべきところ―空間―に、然るべき時節―時間―に、
花開くのである。つまり自然に
それを、さまざまな発見の仕方をした人間がさまざまにめでるわけである。
宇宙的時空の絶対的必然の瞬間に、ふと、咲く、
誰かのためにではない
、それが「花」だ。
役者も舞台の上でそういう状態で存在できないものか。
役者も見せようと思って舞台に上がってはだめだ。
多岐にわたる観客の中の誰に向けて見せようと思うなど本当は出来ないこと。
しかも観客に対して演技するという絶対条件は果たさなければならない。
時節当感(感に当る)」と世阿弥が言うのもここのことだろう。
必要なものが要求されるとき生まれ出づる
花は花のタイミングで咲き、人は人のそれぞれの条件で行動する
その咲いた「花」と人との出会い一期一会である。

IMG-7884.jpg
自然は急がない」山本有三

無心招蝶  花は無心にして蝶を招き
無心尋花  蝶は無心にして花を尋ぬ
花開時蝶来  花開くとき 蝶来たり
蝶来時花開  蝶来たるとき 花開く 
吾亦不知人  吾もまた 人を知らず
人亦不知吾  人もまた 吾を知らず
不知従帝則  知らずして 帝則に従う

完全に自分を忘れ、自分は何もないとわかれば、
そこに、すべてから解放された自由な自分が発見されます。
何ものからも解放された、いわゆる無心の境地です。
その時その時、その場その場に全力を注いで、あとに何も残さない
そういう自由な心境というものがわかるならば、
結局それが人生の最高のものではないかと思いますね。
山田無文・中内功『あきないと禅』
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「日々是好日」
「今日是好日」
「日々是新」
朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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