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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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真剣勝負で昨日の自分に負けない [2022年07月01日(Fri)]
パナソニックミュージアムで昨日(6/30)まで開催の特別展
「松下幸之助『日々是新』〜誰にも負けない立派な仕事をするために〜」
KIMG2139.JPG

KIMG2154.JPG  KIMG2150.JPG

これは損得の問題ではない産業人としての使命なのである。
われわれの使命は、事業を大きくするとか利益を追うことではない。
社会に貢献することである。
この使命をわれわれが真剣に果たしていけば
当然社会の支持を得て報酬をいただけるはずである。
われわれが伸びるか伸びないかは、すべて社会が決定してくれる。
事業というものは、力でできるとか、
資本が大きいからできると考えるのは間違いである。
やはり、縁あってその企業に集まった従業員一人ひとりが、
ほんとうに産業人の使命を体で自覚し、
責任ある仕事をそれぞれの持ち場で遂行していってこそ、
社会から報酬が得られる

私は、ただそれだけを考えて、何の迷いもなくやってきたのである。
高橋荒太郎『語り継ぐ松下経営』

「よそさまに負けない」
  →「誰にも負けない」
     →「昨日の自分にも負けない
        →「日々是新」
           →「毎日が真剣勝負


僕は日々走りながら、あるいはレースを積み重ねながら、
達成規準のバーを少しずつ高く上げ、
それをクリアすることによって、自分を高めていった。
少なくとも高めようと志し、そのために日々努めていた。
僕はもちろんたいしたランナーではない。走り手としては 
きわめて平凡な――むしろ凡庸というべきだろう――レベルだ。
しかしそれはまったく重要な問題ではない
昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、
それが何より重要なのだ

長距離走において勝つべき相手がいるとすれば
それは過去の自分自身なのだから
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

KIMG2155.JPG(2022.6.30)

松下幸之助『道をひらく』より――
「真剣勝負」
剣道で、面に小手、胴を着けて竹刀で試合をしている間は、
いくら真剣にやっているようでも、まだまだ心にスキがある。
打たれても死なないし、血も出ないからである。
しかしこれが木刀で試合するとなれば、いささか緊張せざるを得ない。
打たれれば気絶するし、ケガもする。死ぬこともある。
まして真剣勝負ともなれば、一閃(せん)が直ちに生命(いのち)にかかわる。
勝つこともあれば、また負けることもあるなどと
呑気なことをいっていられない

勝つか負けるかどちらか一つ。負ければ生命がとぶ。
真剣になるとはこんな姿をいうのである。

人生は真剣勝負である。だからどんな小さな事にでも
生命をかけて真剣にやならければならない
もちろん窮屈になる必要はすこしもない。しかし、
長い人生ときには失敗することもあるなどと呑気にかまえていられない。
これは失敗したときの慰めのことばで、
はじめからこんな気がまえでいいわけがない。
真剣になるかならないか、その度合によってその人の人生はきまる
大切な一生である。尊い人生である。今からでも決しておそくはない。
おたがいに心を新たにして、
真剣勝負のつもりで、日々にのぞみたい
ものである。

稽古という「古(いにしえ)を稽(かんが)える」おこないは、
単純な反復練習とは一線を画す
極端ないいかたをすれば、
稽古は、本番のための準備ではない
すべての稽古は本番である
有松遼一『舞台のかすみが晴れるころ』

松下幸之助『道をひらく』より――
「仕事というものは」
仕事というものは勝負である
一刻一瞬が勝負である。だがおたがいに、
勝負する気迫をもって、日々の仕事をすすめているかどうか
まず普通の仕事ならば、ちょっとした怠りや失敗があったとしても、
別に命を失うというほどのことはない。
それでも、ともかく日は暮れて、その日の仕事はまず終わる。
だから、つい気がゆるむ。油断する。
きょうはきのうのくりかえし、あすもまた同じで、
別段とくに変わったこともなし。しかし、これではいい知恵はうかばない。
創意も生まれなければ、くふうも生まれない。
そして何の緊張もないかわりに、何の喜びもない
ということになる。

平穏無事なときには、これでも日はすごせるが、
しかしいつもそうはまいらない。
わが国の情勢は、世界の動きとともに今や刻々と変わりつつある。
一刻の油断もならぬ状態におかれている
このときにこそ、勝負する大勇気をもって仕事にあたらねば、
それこそ真の繁栄は生まれないで
あろう。
仕事を勝負と心得る人と心得ない人とのちがいが、
ハッキリとあらわれてくるときではなかろうか。

日に新たであるためには、
いつも「なぜ」と問わねばならぬ。
そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める。
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、
「なぜ」と問うタネは随処にある

それを見失って、
きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、
十年一日の如き形式に堕したとき、
その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる。
繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである。
松下幸之助『道をひらく』

松下幸之助『道をひらく』より――
「何でもないこと」
何事においても反省検討の必要なことは、今さらいうまでもないが、
商売においては、特にこれが大事である。
焼芋屋のような簡単な商売でも、一日の商いが終われば、
いくらの売り上げがあったのか、やっぱりキチンと計算し、
売れれば売れたでその成果を、売れなければなぜ売れないかを、
いろいろと検討してみる。そして、仕入れを吟味し、焼き方をくふうし、
サービスの欠陥を反省して、あすへの新しい意欲を盛り上げる
これが焼芋屋繁盛の秘訣というものであろう。

まして、たくさんの商品を扱い、たくさんのお客に接する商売においては、
こうした一日のケジメをおろそかにし、
焼芋屋ででも行なわれるような毎日の反省と検討を怠って
どうしてきょうよりあすへの発展向上が望まれよう
何でもないことだが、この何でもないことが何でもなくやれるには、
やはりかなりの修練が要る
のである。
平凡が非凡に通ずるというのも、この何でもないと思われることを、
何でもなく平凡に積み重ねてゆくところから、
生まれてくるのではなかろうか。

走り終えて
自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか

それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。
同じことが仕事についても言える
自分の設定した基準に到達できているかいないかというのが
何よりも大事になってくるし、
それは簡単には言い訳のきかないことだ。
他人に対しては何とでも適当に説明できるだろう
しかし自分自身の心をごまかすことはできない
モチベーションは自らの中に静かに確実に存在するものであって、
外部にかたちや基準を求めるべきではない

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

KIMG2159.JPG
祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え
夏越(なごし)の大祓/千里の氏神様・上新田天神社
(2022.6.30)
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「日々是好日」
「今日是好日」
「日々是新」
朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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