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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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義を見て為さざるは勇なきなり [2022年06月22日(Wed)]
先週末から封切り公開(6/17〜)の映画『峠』について、
司馬遼太郎の原作を図書館で借りて読了。

司馬遼太郎『峠』よりーー
「おれでも吉原に馴染みの女がいるぜ。
 しかし火事を見ても走らない」
「それはあなただからです。河井継之助なら走ります
 げんに走っています」
「王陽明もか」
「ええ、王陽明も走ります
佐吉がおもうに、
走ることは儒教の根本義である仁というものである。
儒教では惻隠の情というものを重くみる。
道をあるいていて、見知らぬ子供が河に落ちた。
どんな悪人でもそんな場に通りあわせれば捨てておかず、
なんらかの手段でたすけようとする。
人間がうまれながらにもっている痛わしく感ずる心〈惻隠の情〉こそ
仁の原始形態である、と孟子も説いている。
継之助はそれを感ずると同時に
かれの信条らしく行動したのであろう。
その行動は純粋気質から発しており
高山の湖のように透明度の高いものだ、と佐吉は思う。
だから走ったのですよ

義を見て為さざるは勇なきなり〔論語〕
(なすべきことと承知しながら為さざるは、勇気がないからだ)

九に曰く、
信はこれ義の本なり。事ごとに信あるべし
それ善悪成敗はかならず信にあり。
群臣とも信あるときは、何事か成らざらん。
群臣信なきときは、万事ことごとくに敗れん
------------------------
まこと<信>は人の道<義>の根本である。
何ごとをなすにあたっても、まごころをもってすべきである

善いことも悪いことも、成功するのも失敗するのも、
かならずこのまごころがあるかどうかにかかっているのである。
人びとがたがいにまごころをもって事にあたったならば、
どんなことでも成しとげられないことはない。
これに反して人びとにまごころがなければ、
あらゆることがらがみな失敗してしまう
であろう。
『十七条憲法』/日本の名著2「聖徳太子」

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「知恵は無限」
人間の知恵というものは、
しぼればいくらでも出てくるものである。
もうこれでおしまい、もうこれでお手上げ、などというものではない。
なすべきことをなさねばならぬ」という強い決意の上に立って、
正義感と勇気に燃えたならば
、そこに思いもかけぬ知恵がわき出て、
思いもかけぬ道がひらけてくるのである。
もちろん、一人の人の知恵には、そこにおのずから限りがある。
しかし、わからぬことは他人に聞くという謙虚さがあったならば、
それらの他の知恵がわが知恵の上に限りなく加わって、
やはり知恵は無限にひろがってゆくと言えよう。

つまり、なすべきことをなすという勇気と、
人の声に私心なく耳を傾けるという謙虚さがあったならば、
知恵はこんこんとわき出てくるのである。
わが知恵の乏しきを嘆く前に、
この勇気と謙虚さを、あわせ持っていたか、三省、四省してみたい。
そして、もうこれでおしまいなどと、安易に言うのはやめにしたい。
知恵は無限にわき、無限に集まるのである。

自己欺瞞なくして希望はないが、
勇気は理性的であり、あるがままにものを見る
希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い
希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、
それをやり遂げるには勇気がいる
「希望ではなく勇気」『エリック・ホッファー自伝』

実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである。
有能な実行家は
いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ
現実の新しい動きが看破されれば
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ
物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である。
小林秀雄『無私の精神』

「万物万象はわが心に帰す」
「だから心をつねに曇らさずに保っておくと、物事がよくみえる
学問とはなにか。
心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である」
司馬遼太郎『峠』

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明日は雨になるか、それとも晴れるか、
望むと望まざるとに関わらず、いずれそうなる。
「今」なすべきことを為し、なすべからざることをしない

「無用でしょう」継之助はいった。
武士の旅立ちにふりかえるということがあってはならない。
司馬遼太郎『

かれは商人や工人の感覚で藩の近代化を図ったが、
最後は武士であることのみに終始した。
武士の世の終焉にあたって、
長岡藩ほどその最後をみごとに表現しきった集団はない。
運命の負を甘受し、
そのことによって歴史にむかって語りつづける道を選んだ。
『峠』という表題は、そのことを、
小千谷の峠という地形によって象徴したつもりである。
書き終えたとき、悲しみがなお昇華せず、
虚空に小さな金属音になって鳴るのを聞いた。
◆榎峠と司馬遼太郎の碑/河井継之助記念館
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「日々是好日」
「今日是好日」
「日々是新」
朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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