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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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存亡禍福は皆己に在るのみ [2022年06月11日(Sat)]
高田郁さんの『あきない世傳・金と銀』をご紹介いただき、
第一巻から既刊の第12巻まで一気に読了。
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色々と学びや気づきが多く、ページの上端や下端は折れだらけ。
本年2月刊行の第12巻の最後は、カーライルの「衣裳哲学」が思い出され、
第13巻の発売が今から楽しみで待ち遠しいです。

衰颯的景象 就在盛満中
発生的機緘 即在零落内
(あきない世傳K p.152)
故君子 居安宜操一心以慮患 処変当堅百忍以図成
(『菜根譚』前集118)
衰颯の景象は、すなわち盛満の中に在り。
発生の機緘は、すなわち零落の内に在り。
故に、君子は安きに居りては、よろしく一心を操りて、もって患いを慮り、
変に処しては、まさに百忍を堅くして、もって成るをはかるべし。
―― 衰える兆しは、盛んなころからある。
芽の出るいとなみは、落ちぶれたときに起こる。
だから人間は無事な時から、覚悟してまさかに備え、
不幸があったら、忍びに忍んで盛り返すこと。
(魚返善雄訳)

孔子曰、存亡禍福、皆在己而已。
存亡禍福は皆己に在るのみ) 
「禍福は、向こうから訪れるのではなく、
ただ人間がそれを招くものである」

徳者事業之基
未有基不固 而棟宇堅久者
心者後裔之根
未有根不植 而枝葉栄茂者 (あきない世傳K p.200)
(『菜根譚』前集157)
徳は、事業の基なり。
未だ基固からずして、棟宇の堅久なるものはあらざるなり。
心は、後裔の根なり。
未だ根植わらずして、枝葉の栄茂せるものはあらざるなり。
―― 人格が事業の土台。
土台がダメでいて、建物の丈夫なためしはない。
心が子孫の根になる。
根がダメでいて、枝葉のしげるためしはない。
(魚返善雄訳)

人生の目的はどこにあるのでしょうか、
もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私はやはり真正面から、
それは心を高めること、魂を磨くことにあると答えたいのです。
昨日よりましな今日であろう、今日よりよき明日であろうと、
日々誠実に努める
その弛まぬ作業、地道な営為(えいい)、つつましき求道(ぐどう)に、
私たちが生きる目的や価値がたしかに存在しているのではないでしょうか。
現世とは心を高めるために与えられた期間であり、
魂を磨くための修養の場
である。
人間の生きる意味や人生の価値は 
心を高め、魂を錬磨することにある。
まずは、そういうことがいえるのではないでしょうか。
俗世間に生き、さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、
やがて息絶えるその日まで、
(う)まず弛(たゆ)まず一生懸命生きていく

そのプロセスそのものを磨き砂として、
おのれの人間性を高め、精神を修養し、
この世にやってきたときよりも高い次元の魂をもってこの世を去っていく

私はこのことより他に、人間が生きる目的はないと思うのです。
稲盛和夫『生き方』

松下幸之助『道をひらく』より――
「心を通わす」
古人曰く、人生はあざなえる縄の如し。
まことにこの世の中、長い人の歩みのなかには、
よいこともあればわるいこともある。
うれしいこともあれば悲しいこともある。
そして、よいと思ったことが実はわるくて、
わるいと思ったことが実はよくて、
つまりはあれこれと思いまどうことは何もなくて、
はじめから素直に謙虚に歩んでおればそれでよかった
と、
人の知恵の浅はかさに、いまさらのように胸打たれることがしばしばある。

はじめからしまいまで徹底的にわるいということもなければ、
また徹底的によいということもないのである。
それでもなお人は、わるいと思うときには自分で自分の心を閉ざし、
よいと思うときにはまたおごりの心で人をへだてる。
心を閉ざし、人をへだて、心と心とが通い合わぬ姿からは、
おたがいに協力も助け合いも生まれてはこない

心ひらかぬ孤独の人びとばかりになるであろう。

有為転変のこの世の中、よいときにもわるいときにも、
いかなるときにも素直に謙虚に、おたがいに心を通わし、
思いを相通じて、協力し合っていきたい
ものである。

「心配またよし」
何の心配もなく、何の憂いもなく、何の恐れもないということになれば、
この世の中はまことに安泰、きわめて結構なことであるが、
実際はそうは問屋が卸さない。
人生つねに何かの心配があり、憂いがあり、恐れがある

しかし本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを
懸命にそしてひたすらに乗り切って、刻々と事なきを得てゆくというところに、
人間としての大きな生きがいをおぼえ、人生の深い味わいを感じる

ということが大事なのである。
この心がまえがなければ、この世の中はまことに呪わしく、
人生はただいたずらに暗黒ということになってしまう。

憂事に直面しても、これを恐れてはならない。しりごみしてはならない
「心配またよし」である。
心配や憂いは新しくものを考え出す一つの転機ではないか、
そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。力をしぼる。知恵をしぼる
するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである。
新しい道がひらけてくるのである。
まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、
人の世の味わいは限りもなく深いといえよう。

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生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸
「一日一生」
「生死事大」
「一期一会」
「脚下照顧」
「日々是好日」
「今日是好日」
「日々是新」
朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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