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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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「和敬清寂」の寂は何か? [2022年04月23日(Sat)]
お茶の心を表す「和敬清寂」について、
「和」、互いに心を開いて仲よく
「敬」、互いに敬い合って
「清」、心清らかに
までは分かるのですが、
「寂」、どんなときにも動じない心
となると、
なぜ寂が不動心なのかイマイチ納得できず、
違和感ありました。

これについて、裏千家16代家元 千宗室さんの
『自分を生きてみる・一期一会の心得』より――
では清寂の寂は何か?
よく、何ものにも動じない心などと訳されているのですが、
私にはいま一つピンと来ない。
この寂というのは、やっぱり侘しいイメージがある。
侘びやさび。滅びていくイメージがある。
ただし、滅びると取ってしまったら、悲しいものに聞こえる。
清寂の寂というのは、寂滅の寂。
私は、日を重ねていくということじゃないかととらえています。

毎日毎日をしっかり生きていく
その一日というのはまた、私一人が生きているのではない
あなたも生きている。
まわりの人も一緒に、この一日を生きている。
朝、目が覚める。
私が見ている太陽を他の人たちも見ている。
私が感じている爽やかな薫風なら薫風を、
まわりの人たちも感じている。
私が寝る時に他の人たちも眠りにつく。
自分一人が生きているんじゃなくって、
皆でその一日を生きている。同じように年を取っていく。
月が生まれ、満ち欠けていくのと同じように、
人とともに生きて、人とともに死んでいく。
それが寂ということではないでしょうか。

私が生きる。そして、あなたも生きる。
共に生きているということを感じ合うのが
「和敬清寂」の寂だと思う。
自分と和み、人と和もう
自分を敬い、人を敬おう
私の心に清らかなものがある。そして、
人の心にも清らかなものがあることを信ずる。
そして、共に生まれ、共に死んでいこう
そのことを認識すれば、答はどこにいくかというと、
この言葉は「一期一会」を置き換えていることになると、
私は思うのです。「和敬清寂」の根本精神は、
「一期一会」
ということではないかと。
ともにそこにいる、ともにそこにあるということです。

だから、喜びを感じ、喜びを分け合う
悲しみを感じれば、悲しみを分け合う
程度の差はあれども、
それらを分かち合っているという気持ちではないのでしょうか。
自分の心に敏感になり、人の心にも敏感になる
そういうことだと思うのです。その思いさえあれば、
お互い意見を戦わすことはあっても、諍いは減るはずなのです。
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宣長にとって、生きるとは「考える」ことであった。
吉田悦之『宣長にまねぶ』

「考える」とは、
自分が身をもって相手と交わることだ。
だから、考えるとは、つきあうことなのです。
ある対象を向こうへ離して、
こちらで観察するのは考えることではない

対象と私とがある親密な関係に入り込む
それが考えることなのです。
人間について考えるというのは、
その人と交わることです

小林秀雄『学生との対話』

先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか。
イエスは言われた。
心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい

これが最も重要な第一の戒めである。
第二もこれと同じように重要である。
隣人を自分のように愛しなさい
この二つの戒めに、
律法全体と預言者とが、かかっているのだ。
聖書協会共同訳「マタイによる福音書」7・36〜40

「共存共栄」ということは、
相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていく
ということである。
まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかも
しれないが、少なくともこちらの利益とともに
相手の利益をも同じように考える
ことである。それが
相手のためであると同時に、
大きくは自分のためにもなって、
結局、双方の利益になるわけである。
「共存共栄に徹すること」/松下幸之助『実践経営哲学』

「幸」というものは、
直接つかめるものではない。
人を幸せにすることの反応として、自分が幸せを感じる
周囲がすべて幸せになっていれば
当然、自分もいつのまにか幸せになっていく

これは、商売でいうと奉仕優先、消費者優先という思想である。
自分だけが幸せになりたいということで
人を押しのけてもと自分の利益ばかり追う自己優先の考え方は
こうした点からいっても間違っている
最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる
お互いの立場としては
社会が、お得意先が、さらに消費者が優先である。
これなくして企業の繁栄もないし
企業の繁栄なくしては、お互いの幸せもあり得ない
立石一真『人を幸せにする人が幸せになる』

世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない

自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』

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朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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