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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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そこに劇は起らず、何も生れない [2022年04月20日(Wed)]
吉田悦之『宣長にまねぶ』より――
結局は、
高い目標が有るか否かである。
志を立てて、目的を完遂しようとしたとき
それまでバラバラだった知は、
統合される。あるいは方向性を持ち出す。
KIMG1614_2.JPG

宣長にとって、生きるとは「考える」ことであった。
吉田悦之『宣長にまねぶ』

「考える」とは、
自分が身をもって相手と交わることだ。
だから、考えるとは、つきあうことなのです。
ある対象を向こうへ離して、
こちらで観察するのは考えることではない

対象と私とがある親密な関係に入り込む
それが考えることなのです。
人間について考えるというのは、
その人と交わることです

小林秀雄『学生との対話』

小林秀雄『学生との対話』の
池田雅延「問うことと答えること」より――
……ちかごろはみな、録音機のマイクを平気で人につきつける。
そうすることでもう人間同士の会話は成り立たなくなっていることに
誰も気づいていない。会話とは、当事者同士で創作する言葉の劇だ
そこに機械が入りこむともうだめだ
話す側は、聴く側が耳を機械に預けて虚ろになっていることを
すぐさま感知するから

聴く側の表情や目の色に触発されて考えるということがなくなる
頭のなかに出来上っている意味内容を吐き出すだけになる
聞くほうも聞くほうだ、あとで録音を聞けばよいと思っているから
身を入れて聞かない

そこに劇は起らない、そこからは何も生れない……、
そう言っていました。

君は今日、僕の話が聞きたいと言ったね、
だから僕は、君と話そうと思って待っていた、
なのになんだい、
君は僕の話を機械に聞かせているじゃないか

僕は、君に聞いてほしい言葉は持っているが、
機械に聞かせる言葉など持っていないからね。

KIMG1525_3.JPG

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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