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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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そういう意味合いで一筋に考える [2022年04月19日(Tue)]
吉田悦之『宣長にまねぶ』より――
結局は、
高い目標が有るか否かである。
志を立てて、目的を完遂しようとしたとき
それまでバラバラだった知は、
統合される。あるいは方向性を持ち出す。
KIMG1614_2.JPG

宣長にとって、生きるとは「考える」ことであった。
吉田悦之『宣長にまねぶ』

小林秀雄『考えるという事』より――
(本居宣長)の説によれば、
「かんがふ」は、「かむかう」の音便で、
もともと、むかえるという言葉なのである。
「かれとこれとを、比校(アヒムカ)へて思ひめぐらす意」と解する。
それなら、私が物を考える基本的な形では、
「私」と「物」とが「あひむかふ」という意になろう。
「むかふ」の「む」は「身」であり、
「かふ」は「交ふ」であると解していいなら、
考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、
物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、
物を身に感じて生きる、そういう経験をいう

実際、宣長は、
そういう意味合いで、一と筋に考えた
彼が所謂「世の物しり」をしきりに嫌いだと言っているのも、
彼の学問の建前からすると、物しりは、
まるで考えるという事をしていない
という事になるからだろう。

「考える」とは、
自分が身をもって相手と交わることだ。
だから、考えるとは、つきあうことなのです。
ある対象を向こうへ離して、
こちらで観察するのは考えることではない

対象と私とがある親密な関係に入り込む
それが考えることなのです。
人間について考えるというのは、
その人と交わることです

小林秀雄『学生との対話』

KIMG1535_2.JPG

朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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