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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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言うべきを言い、正すべきを正す [2022年04月02日(Sat)]
新渡戸稲造『武士道』の
第9章「忠義」(The Duty of Loyalty)より――
西洋の個人主義は父と子、夫と妻に対して別々の利害が認むるがゆえに、
人が他に対して負う義務を必然的に著しく減ずる。
しかるに武士道においては、家族とその成員の利害は一体である、
―― 一にして分かつべからざるものとなす。この利害を
武士道は愛情と結びつけた―― 自然に、本能的に、不可抗的に。
それゆえに、もしわれわれが自然愛(動物でさえもつところの)によりて
愛する者のために死ぬとも、それが何であるか。
「汝らおのれを愛する者を愛すとも、何かの報いをか得べき。
 取税人もしかするにあらずや」。
-------------------------
武士道は我々の良心を主君の奴隷となすべきことを要求しなかった
(…)
主君の気紛れの意志、もしくは妄念邪想のために
自己の良心を犠牲にする者に対しては、 武士道は低き評価を与えた

かかる者は「侫臣(ねいしん)」すなわち腹黒き阿諛(あゆ) をもって
気に入ることを求むる奸徒(かんと)として、
あるいは「寵臣(ちょうしん)」 すなわち卑屈なる追従によりて
主君の愛を盗む嬖臣(へいしん)として賎しめられた。
(…)
臣が君と意見を異にする場合、彼の取るべき忠義の途は
あらゆる手段をつくして君の非を正すにあった。
容れられざるときは
主君をして欲するがままに我を処置せしめよ。かかる場合において、
自己の血を濺いで言の誠実を表わし
これによって主君の明智と良心に対し最後の訴えをなすは、
武士の常としたるところであった。
生命はこれをもって主君に仕うべき手段なりと考えられ、
しかしてその理想は名誉に置かれた。したがって
武士の教育ならびに訓練の全体はこれに基づいて行なわれた
のである。

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朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな。ひらめき
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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