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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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コロナに思う「心の通い合い」 [2022年02月11日(Fri)]
来週は出張の予定でしたが、諸事情あって中止になりました。
そこで、予約していた宿泊先や交通機関に連絡して、
予約のキャンセルを申し入れると、コロナに伴うキャンセルは、
取消し手数料の負担なく支払った全額が戻ってくるとのこと。

それはそれでありがたいことですが、いささか疑問に思うことあり。
また、キャンセルの手続きを通じて新たな気づきも得ました。

まず第一に、
台風や大雪など悪天候で運行停止の場合もキャンセル料は不要ですが、
悪天候の場合は列車にしろ飛行機にしろ動いていませんが、
コロナの場合は列車も飛行機も動いていて運行を停止していない。

悪天候の場合は予定した列車や飛行機に乗りたくても乗れないですが、
コロナの場合は運行停止でないので乗ろうと思えば乗れるわけで、
利用を取りやめたのは私の判断であり、私が決めたこと。

なのに、なぜ、私は規定のキャンセル料を払わなくてよいのか?

コロナで交通機関が運行停止とか、ホテルが営業停止とかであれば、
乗りたくても乗れない、泊まりたくても泊まれないので
キャンセル料不要の取扱いは理解できますが、そうではなく、
こちらが利用を取りやめたのにキャンセル料を負担しないでいいとは……

なぜ、規定のキャンセル料を請求しないのだろうか?
キャンセル料を受け取ることまかりならぬというお達しがあるのか、
そんなお達しがあるなら、受け取り損ねたキャンセル料について
何らかの補助なり助成なりがあるのだろうか、

もし補助や助成がないなら、
サービスを提供する側だけが犠牲を強いらることになるし、
補助や助成があるなら、本来なら私が負担すべきキャンセル料が
国民の税金で賄われているということなのか
……

規定のキャンセル料を払わずに済んだので文句ないはずですが、
ふとした疑問から理不尽を感じ、素直に喜べなかったです。

第二に、悪天候による運行停止と今回のコロナ感染では、
その影響は格段に違うということ。

大雪であれ、台風であれ、悪天候の場合は、
震災などの被害を受けて運行停止が長期になることもありますが、
基本的に一時のことであり、エリアも限定されます。

ところが、コロナの場合は、一時のことでなく、
感染拡大の状況が続く限りずっと続き、
そのエリアも限定されることなくほぼ全国的です。

そして、悪天候の場合は運行停止で動いていませんが、
コロナの場合は運行停止ではないので
列車や飛行機を動かすためのコストがかかる。人件費とか燃料費とか

こんなご時世ですから、おそらく予約客は通常より少なく、
予約のキャンセルが出てもキャンセル料を受け取れず、
残った少ない乗客から得られる収入だけで
安全な運行を維持していくだけのコストを負担できるのだろうか……

今までコロナ関連のニュースを見聞きしても、
そこまで考えることなかったですが、
今回、自分が予約をキャンセルし、
そして「相手の立場に立って考える」ことで
初めて考えることができました。

「想像」とは、ここにあるものを手がかりに、
ここにないものを想う
こと(鷲田清一)

ちなみに、市民マラソン大会の場合、
コロナ感染拡大の影響で開催が中止になっても、
参加料の全額が戻ってくることはありません。
また、自主判断で不参加の場合は、
たとえコロナ感染の状況を鑑みた不参加でも考慮されず、
返金は一切なしです。

そして第三に、
キャンセルの手続きで、ネットで済ませられるものと、
ネットではキャンセルできず電話で連絡するものがあります。

たとえばJRの場合、
ネット予約した切符をネットで取り消すと手数料が必要ですが、
電話で申し出ると手数料の負担なくカード決済の全額が返金されます。

たしかに、ネットで手続きが完結できる方が、お互いに面倒ないですが、
そこには何の感情も生まれません。

事務手続きだから「勘定」が合えばよくて、
「感情」なんて必要ないといえばそうなんですが、
電話だとキャンセルの用件だけで終わらず、
「勝手なことで申し訳ないです」
「色々と大変でしょうけど頑張ってください」
「また利用させていただきますね」と
そんな会話が自然に出てきます。

この体験にはビックリです。
」というか「心の通い合い」というか、
ネットやデジタルの時代の中で
「マイナスをプラスに転じる」ヒントを得ました。

物が動いて、お金が動いて、それで一応、商売は成り立つ。
しかしもう一つ、根本的に大事なことは、
物やお金とともに、人の心もまたこれに乗って、
移り動いていかなければならないということである。
単に物を作り、物を売り、そしてお金を得ているというだけなら
商売とはまことに索漠としたものになってしまう
物と合わせて心を作り、物とともに心を売り、
そしてお金とともに心をいただく。
つまり物やお金が通い合うだけでなく、
お互いの心が通い合うことがきわめて大切。

そこに商売の真の喜びや味わいと言うものがある
松下幸之助『商いの心』


九に曰く、
信はこれ義の本なり。事ごとに信あるべし。
それ善悪成敗はかならず信にあり。
群臣とも信あるときは、何事か成らざらん。
群臣信なきときは、万事ことごとくに敗れん。

まこと<信>は人の道<義>の根本である。
何ごとをなすにあたっても、まごころをもってすべきである。
善いことも悪いことも、成功するのも失敗するのも
かならずこのまごころがあるかどうかにかかっているのである。
人びとがたがいにまごころをもって事にあたったならば、
どんなことでも成しとげられないことはない。
これに反して人びとにまごころがなければ、
あらゆることがらがみな失敗してしまうであろう。

『十七条憲法』/日本の名著2「聖徳太子」


世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない

自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは
銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

われらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である
宮沢賢治『農民芸術概論綱要』


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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