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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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足らない、手に入らないというのに [2022年01月25日(Tue)]
今週末(1/30)に開催予定の大阪ハーフマラソンの大会事務局から、
昨日、「健康管理チェックシート」と「抗原検査キット」が届きました。

一方で、同じ昨日(1/24)の夕方のNHKニュースによると、
「大阪府の吉村知事は、新型コロナの感染の急拡大で、
府内でも抗原検査のキットが不足しているとして、
国に対し速やかな供給を求めるととともに、
供給が増えなければ、
無料検査場の運用を停止する考えを示しました」とのこと。

うーん、考えさせられました。

私の手元に届いた「抗原検査キット」は、何のためなのか。
大会公式サイトのお知らせによると、
「新型コロナウイルス感染拡大の状況をうけ、
 参加者に安全に大会に参加いただくため」とのことですが、
一方で、大会主催者が安全に大会を開催するためでもあるのでしょう。
いずれにせよ「自分のため」です。

もしや、
それって「利己」?
その抗原検査キットに「利他」や「忘己利他」の心はあるか……

そういえば、2年前、コロナ感染の初期の頃にマスク不足が生じて、
コロナ最前線の医療現場でも「マスクの使いまわし」が起き、
危機的状況に「本当に必要な人のために」と報じられていたような……

いやいや、私の手元に届いた抗原検査キットは
「本当に必要な人のため」なのだろうか、
世の中には、自分なんかより
もっと「本当に必要としている人」がいるのではないか……

ニュースを見終えた後、薩摩焼酎をお湯割りにして、
河島英五の「時代おくれ」を口ずさむ
一日二杯の酒を飲み、さかなは特にこだわらず(…)
自分のことは後にする、ねたまぬように、 あせらぬように、
飾った世界に流されず〜♪

何はともあれ、ほかの大会のように開催が中止決定なら、
こんなことを考えることもなかったのですが、
主催者が開催に向けて努力していただいたおかげで、
色々と考えることができました。ありがたいことです。

さてさて、松下さんや稲盛さんなら、
どう考えて、どのように行動されるだろうか。

「思いやりの心で誠実に」
思いやりは、
利他の心」とも言い換えられます。つまり、
自分の利益だけを考えるのではなく
自己犠牲を払ってでも相手に尽くそうという、
美しい心のことです。
ビジネスの世界においても、この心が一番大切です

稲盛さんの講演での言葉
企業経営者でも政治家でも官僚でも、偉くなればなるほど、
率先して自己犠牲を払うべきなのです。
自分のことはさておき、
自分が最も損を引き受けるというような勇気がなければ、
人の上に立ってはならないのです。
いや、上に立つ資格そのものがないといえます。
自己犠牲を払う勇気のない人が上に立てば、
その下に住む人たちは不幸になります。

人間にはみんな欲望があります。
欲望があるけれども、それをできるかぎり抑えて、
公平無私な人でありたいと思う。
リーダーになったのだから、自分のことを考えるよりは、
まず社員たちのことを先に考えようと思う。
それは、自分のお腹が空いていても、
まずは子供たちに食べさせようとする母親の姿と同じです。
そういうものが「無私の心」なのです。

松下幸之助『素直な心になるために』より――
「広い愛の心」
お互い人間というものは、他の人が困っているのを見れば、
なにか手助けできることはしてあげよう、と考えるのが
自然の情ではないかと思います。
もちろん、他の人の難儀を見ても見ぬふりをする、
というような姿もときにはありましょう。
しかしそういう場合でも、なにか特別の事情がない限りは、
やはり内心ではできれば助けてあげたいとか、
だれか他の人が助けてあげればよいのにとか思っているのであって、
これはおもしろい、大いに難儀して苦しめばよい、
などとはまず考えないのではないでしょうか。
もともと人間というものは、互いに心を結びあって、
大切にしあい、生かしあい、許しあい、助けあって生きてゆこう
というような心をもっているのではないかと思うのです。
つまり、そういう広い愛の心、慈悲心というものを、
本来人間は備えているのではないかと思うのです。
しかしながら、
現実のお互い人間の姿というものをみると、、、


mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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