的面の今を失うなかれ
[2022年01月17日(Mon)]
大きな犠牲と引き換えに「本当に大切なもの」を学びました。
あの日から27年目の朝を迎えるにあたって――
先日読んだ鷲田清一『「聴く」ことの力』の冒頭で、
阪神淡路大震災の後の炊き出しボランティアのシーンが登場し、
あの日のことを色々と思い出しました。
あの年も週明けでした。
14日は土曜日で、当時、関学の社会人大学院の1期生として学んでいて、
午前中に修了論文の発表会があり、学食でランチして打ち上げをしました。
翌15日は日曜日で、16日は成人の日の振替休日。
そして連休明けの17日の朝でした。
コロナ感染の拡大を受けて、
今月23日に開催予定の瀬戸内海タートル・フルマラソンが中止、
翌週の30日に開催予定だった愛媛マラソンも中止。
さらに3月の鳥取マラソンも中止が決定。
そんな報せに、自分がエントリーした大会が
開催されるか否か気にしたところでどうなるわけでなし。
丹後ウルトラマラソンのコース沿いにある木下酒造さんの玉川「福袋」。
「毎年一年生」、「毎日が誕生日」、「日に新た」の心意気で
自らに壁や限界をつくらず、「進歩無限」でありたいものです。
毎日が新しく、毎日が門出、毎日が誕生日
Every day is a new beginning.
松下幸之助『続・道をひらく』より――
「転機」
松下幸之助『続・道をひらく』より――
「今からでも」
愚直に一歩、一歩、もう一歩
あの日から27年目の朝を迎えるにあたって――
先日読んだ鷲田清一『「聴く」ことの力』の冒頭で、
阪神淡路大震災の後の炊き出しボランティアのシーンが登場し、
あの日のことを色々と思い出しました。
あの年も週明けでした。
14日は土曜日で、当時、関学の社会人大学院の1期生として学んでいて、
午前中に修了論文の発表会があり、学食でランチして打ち上げをしました。
翌15日は日曜日で、16日は成人の日の振替休日。
そして連休明けの17日の朝でした。
未来は不確実だ。
明日何が起きるかは誰にも分からない。それは、
この世に存在しているあらゆるものが変化し続けているからだ。
昔の人はその真理を、無常という言葉で表現した。
僕はそのことを、1995年に起きた阪神・淡路大震災で深く悟らされた。
(…)
人生は一度しかない。だからこそ何かを成し遂げたいと思う。
そしてこの世で何かを成し遂げるためには、
世界が無常であることをいつも心に刻んでおかなければならない。
自分を叱咤するためにも、未来に適応するためにも。
三木谷浩史『成功のコンセプト』
明日何が起きるかは誰にも分からない。それは、
この世に存在しているあらゆるものが変化し続けているからだ。
昔の人はその真理を、無常という言葉で表現した。
僕はそのことを、1995年に起きた阪神・淡路大震災で深く悟らされた。
(…)
人生は一度しかない。だからこそ何かを成し遂げたいと思う。
そしてこの世で何かを成し遂げるためには、
世界が無常であることをいつも心に刻んでおかなければならない。
自分を叱咤するためにも、未来に適応するためにも。
三木谷浩史『成功のコンセプト』
コロナ感染の拡大を受けて、
今月23日に開催予定の瀬戸内海タートル・フルマラソンが中止、
翌週の30日に開催予定だった愛媛マラソンも中止。
さらに3月の鳥取マラソンも中止が決定。
そんな報せに、自分がエントリーした大会が
開催されるか否か気にしたところでどうなるわけでなし。
丹後ウルトラマラソンのコース沿いにある木下酒造さんの玉川「福袋」。
米の出来や天候といった自然条件に合わせて、
どの年も一からの心がまえで臨むのが酒造りの仕事。
ベテランの杜氏でさえ「毎年一年生」と言う所以です。
新酒があがるまで、造り手は緊張感でドキドキし、
飲み手は「今年はどんな酒が」の期待感でドキドキするものです。
そのドキドキ感を、開けてみてのお楽しみ、の思いをこめて
「福袋」と名づけました。
どの年も一からの心がまえで臨むのが酒造りの仕事。
ベテランの杜氏でさえ「毎年一年生」と言う所以です。
新酒があがるまで、造り手は緊張感でドキドキし、
飲み手は「今年はどんな酒が」の期待感でドキドキするものです。
そのドキドキ感を、開けてみてのお楽しみ、の思いをこめて
「福袋」と名づけました。
(瓶の裏ラベル)
「毎年一年生」、「毎日が誕生日」、「日に新た」の心意気で
自らに壁や限界をつくらず、「進歩無限」でありたいものです。
毎日が新しく、毎日が門出、毎日が誕生日
Every day is a new beginning.
松下幸之助『続・道をひらく』より――
「転機」
今までの考え通りで、今までのやり方通りで、
それで事がすむならばよいけれど、
天地は日に新たであり、人の営みもまた日に新たである。
だからほんとうは、
昨日の考えは、きょうは一新されていなければならないし、
きょうのやり方は、明日にはもう一変していなければならない。
刻々に新しい考えを生み出し、刻々に新しいやり方で事に処していく。
それが自然の理法に則した生成発展への道というものであり、
そこに人間としての真の歓喜というものがある。
その歓喜が失われたとき、
人の成長はとまり、社会の生成発展もとまる。
とまるだけならよいけれど、
とまるということはジリジリと崩壊するということである。
人にとっても社会にとっても、まさに危機と言えよう。
今まで通りではいけないのである。
今まで通りに安住してはいけないのである。
思いを一新しなければならぬ。やり方を一変しなければならぬ。
日本も世界も、今日ただいまはそういうときなのである。
そういうきびしい転機に立っているのである。
危機とは転機の自覚のないことをいうのである。
それで事がすむならばよいけれど、
天地は日に新たであり、人の営みもまた日に新たである。
だからほんとうは、
昨日の考えは、きょうは一新されていなければならないし、
きょうのやり方は、明日にはもう一変していなければならない。
刻々に新しい考えを生み出し、刻々に新しいやり方で事に処していく。
それが自然の理法に則した生成発展への道というものであり、
そこに人間としての真の歓喜というものがある。
その歓喜が失われたとき、
人の成長はとまり、社会の生成発展もとまる。
とまるだけならよいけれど、
とまるということはジリジリと崩壊するということである。
人にとっても社会にとっても、まさに危機と言えよう。
今まで通りではいけないのである。
今まで通りに安住してはいけないのである。
思いを一新しなければならぬ。やり方を一変しなければならぬ。
日本も世界も、今日ただいまはそういうときなのである。
そういうきびしい転機に立っているのである。
危機とは転機の自覚のないことをいうのである。
実行家として成功する人は、
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである。
有能な実行家は、
いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。
物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である。
小林秀雄『無私の精神』
自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、
実は、反対に、彼には一種の無私がある。
空想は孤独でもできるが、実行は社会的なものである。
有能な実行家は、
いつも自已主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、
直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。
物の動きに順じて自已を日に新たにするとは一種の無私である。
小林秀雄『無私の精神』
松下幸之助『続・道をひらく』より――
「今からでも」
新しい年の新しい思いに、あれこれと心をふくらまし、
一年の計は元旦にありと、あれこれともり沢山の計画を立て、
ことしこそはと誓ってみたり決意をしてみたり。
そんなこんなの正月の夢も、いつのまにか日々の惰性に流されて、
ことしもやっぱりもとのもくあみ。もとのまま。
計画の立てかたが悪かったのか、力以上に望みすぎたのか、
それともしょせんは自分の意志が弱かったのか。
そんな迷いの末に、
いやいや世の中が悪いのだ、こんなはずではなかったのだと、
ついグチも出て、他に罪をかぶせて、なすべきこともつい怠りがち。
これもまた人の世の常ではあろうが、
これでついウカウカの日々では、歳月があまりにも惜しい。
今からでもおそくない。
ともかくも今日が年のはじめで、あしたもまた年のはじめ。
毎日が年のはじめで、だから毎日計画を立てなおして、
毎日思いを新たにして、毎日誓いを立ててみて……。
グチは言うまい。今からでもおそくない。
今からでもおそくないのである。
一年の計は元旦にありと、あれこれともり沢山の計画を立て、
ことしこそはと誓ってみたり決意をしてみたり。
そんなこんなの正月の夢も、いつのまにか日々の惰性に流されて、
ことしもやっぱりもとのもくあみ。もとのまま。
計画の立てかたが悪かったのか、力以上に望みすぎたのか、
それともしょせんは自分の意志が弱かったのか。
そんな迷いの末に、
いやいや世の中が悪いのだ、こんなはずではなかったのだと、
ついグチも出て、他に罪をかぶせて、なすべきこともつい怠りがち。
これもまた人の世の常ではあろうが、
これでついウカウカの日々では、歳月があまりにも惜しい。
今からでもおそくない。
ともかくも今日が年のはじめで、あしたもまた年のはじめ。
毎日が年のはじめで、だから毎日計画を立てなおして、
毎日思いを新たにして、毎日誓いを立ててみて……。
グチは言うまい。今からでもおそくない。
今からでもおそくないのである。
毎日が新しく、毎日が門出である。
日々是新なれば、すなわち日々是好日。
素直で謙虚で、しかも創意に富む人は、
毎日が明るく、毎日が元気。
さあ、みんな元気で、新しい日々を迎えよう。
「日々是新」/松下幸之助『道をひらく』
「日々是好日」
日々是新なれば、すなわち日々是好日。
素直で謙虚で、しかも創意に富む人は、
毎日が明るく、毎日が元気。
さあ、みんな元気で、新しい日々を迎えよう。
「日々是新」/松下幸之助『道をひらく』
「日々是好日」
一大事と申すは、
今日ただ今の心なり。
それをおろそかにして翌日あることなし。
すべての人に、遠き事を思いて謀ることあれども、
的面の今を失うに心づかず。
正受老人(白隠禅師の師)
今日ただ今の心なり。
それをおろそかにして翌日あることなし。
すべての人に、遠き事を思いて謀ることあれども、
的面の今を失うに心づかず。
正受老人(白隠禅師の師)
とかく、わたくしどもは、
結果を求めることばかり焦って、脚下がお留守になり、
今日のつとめを怠りがちでありますが、
そこに失敗の原因があります。
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります。
「太閤さんの心がけ」/山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』
結果を求めることばかり焦って、脚下がお留守になり、
今日のつとめを怠りがちでありますが、
そこに失敗の原因があります。
その日その日のつとめを堅実に果たしてゆけば、
未来の成功はおのずから席をあけて待っておるのであります。
「太閤さんの心がけ」/山田無文『白隠禅師坐禅和讃講話』
人間としての存在や人生の充実ということに関して言えば、
老いにつけ若きにつけ、
今、自分がおのれの命といかにかかわり、
どのような姿勢で生きているかを問い続けるか否かが問題であり、
言い換えれば、毎日毎日が人生の一大事の連続なのであろう。
大西良慶、平櫛田中『人間ざかりは百五歳』
老いにつけ若きにつけ、
今、自分がおのれの命といかにかかわり、
どのような姿勢で生きているかを問い続けるか否かが問題であり、
言い換えれば、毎日毎日が人生の一大事の連続なのであろう。
大西良慶、平櫛田中『人間ざかりは百五歳』
毎日が同じことのくりかえしのように思えることがある。
しかし、きのうよりはきょうの方が、それだけの体験を深め、
それだけ賢くなっているのである。
人生には、日とともに高まりはあっても、くりかえしはない。
くりかえしと思ったとき、進歩への道をみずから閉ざす。
くりかえしはないのである。
「春がきた」/松下幸之助『続・道をひらく』
「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」/北野天満宮(2022.1.10)
しかし、きのうよりはきょうの方が、それだけの体験を深め、
それだけ賢くなっているのである。
人生には、日とともに高まりはあっても、くりかえしはない。
くりかえしと思ったとき、進歩への道をみずから閉ざす。
くりかえしはないのである。
「春がきた」/松下幸之助『続・道をひらく』
「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」/北野天満宮(2022.1.10)
朝に種を蒔き 夕べに手を休めるな。
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)
うまくいくのはあれなのか、これなのか あるいは、
そのいずれもなのかあなたは知らないからである。
コヘレトの言葉(11:6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)
涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行く人も
穂の束を背負い、喜びの歌と共に帰って来る。
詩編(126:5〜6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)
喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行く人も
穂の束を背負い、喜びの歌と共に帰って来る。
詩編(126:5〜6)/旧約聖書(日本聖書協会・共同訳)
愚直に一歩、一歩、もう一歩
Thank you very much. この続きはまたいつか
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。