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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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観察の目はどこから生まれるか [2021年09月17日(Fri)]
本田宗一郎『ざっくばらん』より――
「汗と創意」
(…)
あるとき、僕は農村の青年団から講演を頼まれた。そのとき
創意工夫はどうすれば生まれるか」という質問が出て
弱ってしまった。
そこでまず君たちに聞くが、
牛の角はどこについているか知っているかとやった。ところが、
毎日その手で牛を引っ張っている青年たちが百人もいながら、
さてどこに角がついていたかなあと腕組みをして考え込んでいた。
逆に、東京の人の方が牛の角のありかを知っている。
試しに、親しくしている高沢画伯に聞いてみたら、
牛の絵を画いて頭のうしろにあるじゃないかとすぐに答えた。
つまり、農村の青年にしてみれば、牛の角が
尻尾の先についていようが、背中についていよいうが関係ない。
要するに、買うときに安く買えて、売るときに高くて、
途中でよく働いてくれればいいわけで、
即答できないのは当然である。
これは同じ「みる」でも、見学の「見る」
観察の「観る」をやっていない証拠といえよう。
これでは創意工夫など生まれっこない

では観察の目はどこから生まれるのだろうか
それには、人の意見を謙虚に聞くが、決して人に頼らず
そのものに集中して、泥まみれになって工夫しなければ駄目だ
といえるのではないだろうか。

最近、うちの工場をみにくる人が多くなった。
ところが大半が見学組で、
観学(かんがく)組は案外に少ない。
だいたい人数と、組織や機械数などを聞く人は、
まず見学組とみて間違いない。
ところが、そんなことには無関心で
この機械をどうしてここに配置したのか
自社製の機械をなぜつくるのかといった質問を出す人は観学組

――「観察」し、「なぜ」と問いかけ、考え抜き、読み解く

日に新たであるためには、
いつも「なぜ」と問わねばならぬ
そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、
「なぜ」と問うタネは随所にある

それを見失って、
きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、
十年一日の如き形式に堕したとき、
その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる。
繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである。
「なぜ」/松下幸之助『道をひらく』

――「なぜ」と問うために「観学」する(「見学」では「なぜ」と問えない)

頭の中だけで、あるいは、ほんの概念として
知っているということのあいまいさ、あやうさを、
私は絵をかくことによって
したたかに思い知らされたのである。
知ってる」ということに対して、私は気をつけるようになった。
よく他人の商売のことをとやかくいう人がいるが、
少なくとも自分は
そういうことを控えたいと思うようにもなった。
本田宗一郎『私の手が語る』

松下幸之助『続・道をひらく』より――
「熱心であること」
チャンスをつかめと言っても、
ふつうの程度の努力をしていただけでは、
チャンスをチャンスとして見極められない。
やはり熱心であること。熱心な上に熱心であること。
その熱心さがチャンスを見わける眼を養っていくのである。

アイデアを生むと言っても、口先だけでは生まれない。
これもやはり熱心であること。
寝てもさめても一事に没頭するほどの熱心さから、
思いもかけぬよき知恵が授かる。
アイデアは、人間の熱意、熱心に対する神の報奨である

どんなに賢く生まれついたと言っても、熱心さがなかったら、
その賢さが賢さとして、自他ともの恵みにはならない。
賢いと言い、愚かと言っても、人間におけるそのちがいは、
神の眼から見ればタカが知れている。それよりも
熱心であること。何事にも熱心であること。誰よりも熱心であること。
熱心から生まれる賢さが、自他ともに真の幸せを生むのである

熱心は、人間に与えられた大事な宝である
そして、この宝は誰にでも与えられているのである

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足るを知る「吾唯足知」/龍安寺

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「日々是好日」

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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