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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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不要不急 [2021年08月20日(Fri)]
久しぶりの日の出に、朝ランも清々しいでするんるん
IMG-9911.jpg

夜が明けるのが遅くなってきましたが、
それとともに朝日が昇る位置もだいぶ南になって、
自宅マンションのベランダから昇る朝日を拝めなくなりました。
夏至から2カ月、そして1カ月後はお彼岸、
季節は、人の計らいに関係なく着実に巡っています。
ありがたいこととです。
KIMG0002_2.JPG
(2021.8.2)

自分自身の不注意や不用意な行動が、大切な人を
死に追いやるという恐怖。
症状がでないこと、またウィルスを目視できないことが、
その恐怖心をさらに大きくしていくのです。
特に両親と同居されていたり、
持病を抱えていたりする方にとっては一大事、
日々の報道とともに、私たちの平穏な心を蝕んでいくのです。
こうなると、大切な人との別れであるご葬儀や年忌のご法事も、
参加者の命のリスクを冒してまで行うものであるかどうかが問われ、
中止や延期、縮小されていくことは当然のことなのかもしれません。

ある日突然テレビや新聞に現れた「不要不急」という言葉。
自分自身の一つ一つの行為が必要であるか
急を要するものであるか
その価値判断を私たちは迫られることとなりました。
これは不要不急であるからやめておこうか、
これならやっていいかというように。
――「不要不急」という禅問答(細川晋輔)/『不要不急』より

先月19日に刊行された新潮新書の『不要不急』を読みました。

昨年から私たちの行動に縛りをかけた四文字熟語「不要不急」について、
10人の僧侶がそれぞれの視点から語りかけます。
臨済宗が2人、曹洞宗が3人、天台宗が2人、真言宗が1人、
浄土宗が1人、浄土真宗が1人で、10人のうち5人が禅僧です。

禅といえば「今、ここ、自分」であり、
そしてどこの禅堂にも掲げられているのが
「生死事大、光陰可惜、無常迅速、時不待人、慎勿放逸」です。
P1030315.jpg
―― 生死事大、光陰可惜、無常迅速、慎勿放逸

禅僧たちが「不要不急」についてどのように考え、
そしてどのように行動しておられるのか、興味津々で読みました。

本書のまえがき(十人十色の“不要不急”)と
臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺師の論考はネットで読めます。

「不要不急の外出はお控えください」、
「不要不急のイベントはお控えください」
と呼び掛けたところで、
「オリンピックやってるのに、なんでお盆の帰省は控えなあかんねん」
「国境を越えてパラ開催するし、県をまたいで甲子園もやってるのに、
 なんで県をまたぐ行動を自粛せなあかんねん」
「危機感あおって自粛を続けてたら経済が回らんやないか、
 いつまでやってるんや」なんて言い返されるだけ。

言い返されても、自分の言葉で丁寧に説得することなく、
用意された原稿を見ながら、
ワクチン接種率がどうたらこうたら、人流がどうたらこたら、
オリンピックのテレビ視聴率がどうたらこうたら。

数字を示すだけでは何の根拠にもならない
聞き手が納得して意識が変わって行動の変化を導いてこそ、
「説明責任」を果たしたことになる。

人流やオリンピックのテレビ視聴率の数字を示すだけで、
現実の感染爆発や医療崩壊との「因果関係」を明らかにせず、
今度は「出勤者7割減」の目標を掲げて財界トップに協力を要請。
となれば、次なる手は「テレビ視聴率70%」か。
んなあほな、創作落語のネタにもならないと思いしや、
「笑いも仏法も“不朽”」と説く露の団姫師なら、もしかして……

売上であれ、マラソンの記録であれ、数値目標をぶち上げるのは簡単。
しかし掲げた目標に向かって、関係者のベクトルを一致させ
そして一人ひとりの行動を変えなければ意味がない

なぜその目標を目指すのか、その目標を達成した結果どうなるのか、
達成するために取り組むべき課題はなにか、などを明らかにすることで、
一人ひとりが自分がなすべきことを考えて行動する。
その結果として数字が変わるのであって、
ベクトルを合わさずして求める数字は得られない
もし得られたとしたら運がよかっただけのこと。

「不要不急」、健康な人にとっては病院は不要かもしれないが、
今は健康でもいつコロナに感染するか分からない。

昨日は元気だったが、
朝起きたら熱が出ていたので検査を受けたいけど受けられない、
検査で陽性判定が出たけど保健所から連絡がない、
自宅で安静にしていたら容態が悪化したので救急車を呼んだけど
受け入れてくれる病院がない。

昨日は「不要」だった病院が、
今は「必要」なのに「傘がない」ってことも現実に起こりうる。
自業自得?、んなあほな
自分は大丈夫と言い切れるのか、だれもが明日はわが身かも

そんなことまで自分の頭で考えて
「不要不急の外出やイベントをお控えください」と呼び掛けるなら、
メッセージに込められた心は伝わるだろうが、
よく考えもせずに常套文句として呼びかけたところで
「不要不急」の意味するところが伝わらない。

というか、そもそも「不要不急」の意味するところを
自分の頭で考えて自分なりに理解していなければ伝えようがないし、
「危機感をあおるだけ」とか言われても、言い返せないし、
説得もできない。難儀なことです。
となれば、夜が明けて、雨が止むのを「ただ待つ」のみか……

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人生に夜の世界は必要です」横田南嶺

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闇があるから 光がある
苦があるから 楽がある
闇を生かせ 苦を生かせ
「闇と苦」坂村真民

松下幸之助『道をひらく』より――
「雨が降れば」
雨が降れば傘をさす。傘がなければ風呂敷でもかぶる。
それもなければぬれるしか仕方がない。
雨の日に傘がないのは、天気のときに油断して
その用意をしなかったからだ。雨にぬれて、はじめて傘の必要を知る
そして次の雨にはぬれないように考える
雨があがれば、何をおいても傘の用意をしようと決意する
これもやはり、人生の一つの教えである。
わかりきったことながら、世の中にはそして人生には、
晴れの日もあれば雨の日もある。好調の時もあれば、不調の時もある。
にもかかわらず、晴れの日が少しつづくと、つい雨の日を忘れがちになる。
好調の波がつづくと、ついゆきすぎる。油断する
これも、人間の一つの姿であろうか。
このことをいましめて昔の人は「治にいて乱を忘れず」と教えた。
仕事にしても何にしても、この道理はやはり一つである。
雨が降れば傘をさそう。傘がなければ、一度はぬれるのもしかたがない。
ただ、雨があがるのを待って、
二度と再び雨にぬれない用意だけは心がけたい。
雨の傘、仕事の傘、人生の傘、いずれにしても傘は大事なものである。

「ダムの心得」
雨が降る。山に降る。
降った雨は地にしみこみ、谷水となり、川となり、
平野をうるおして海に流れる。この流れがうまくゆけばよいけれど、
ちょっと狂えば洪水となり、また反対にかんばつとなる。
流しっ放し、使いっ放しの結果である。
そこでダムを考える。
流しっ放しをせきとめて、せきとめ溜めたその水を有効に使う。
ゆとりをもって適時適切に放出する。人間の知恵の進歩であろう。
川にダムが必要なように、
暮らしにもダムがほしい。物心ともにダムがほしい
ダラダラと流れっ放し、使いっ放しの暮らしでは、まことに知恵のない話。
大河は大河なりに、小川は小川なりに、それぞれに応じたダムが
できるように、人それぞれに、さまざまな知恵を働かせれば

さまざまのダムができあがるはずである。個人の暮らしの上だけではない。
商売の上にも、事業の経営のうえにも、このダムの心得がぜひほしい
そしてさらに大事なことは、国家の運営にあたっても、
このダムをぜひつくりたい。国家と国民の安定した真の繁栄のために。

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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

Thank you very much. この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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