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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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縁あることのありがたさ [2021年03月28日(Sun)]
創業100周年を機に建て替えられたパナソニックミュージアム、
その3周年事業として開催されたオンラインイベントの最終回は
松下さんの著書『私の行き方 考え方』の解説でした。

その講演の冒頭で紹介されたのが、
大阪府立中央聴覚特別支援学校の玄関ホールにある二人の銅像で、
五代五兵衛さんと五代音吉さんのご兄弟です。

五代さんといっても五代友厚ではなく、
松下幸之助さんが小学校を4年で中退して船場に丁稚奉公し、
最初の奉公先の火鉢店が勤めて3ヶ月で店を閉めたので
次に丁稚として奉公したのが五代自転車商会。
そのお店のご主人が五代音吉さんで、その長兄が五兵衛さんです。

五代さん兄弟は、松下さんが丁稚の小僧時代に大きな影響を与えた、
いわば商売の神様にとって恩師で、
松下さんが人生の折々に出会った人から学ばれだことを
書かれた『縁、この不思議なるもの』でも
最初に登場するのが五代音吉さんで、その次が五兵衛さんです。
そして登場する20人の最後は、松下さんのご両親で、
あとがきに登場するのは松下電器の社内の方で、
中尾哲二郎さんと高橋荒太郎さんです。

五代音吉さんご夫妻が「社会人としての出発点」で、
五代五兵衛さんは「盲目の口入」とあるように、
お兄さんの五代五兵衛さんは全盲の視覚障害者で
私財を投じて大阪盲唖院を開設された方です。

五代さんの兄弟はみな立派な人で、
特に長兄の五兵衛さんは17歳で盲目になりながら弟妹を養い、
土地、家屋の周旋までして、
ついに大阪で初めての盲唖学校を私力で創立した人だ。
とにかく盲目の身で、一度家へ入るとその値打ちや古さが分かり、
周旋屋で大変な信用を得たというのだから大したものだ。
松下幸之助『夢を育てる』(私の履歴書)

昨日の講演の中盤で、松下さんご自身が
五代五兵衛さんについて語られる貴重な音声が紹介されました。
松下さんが五代さんについて本に書かれているのは
読んだことありますが、語られる音声を聞いたのは初めてです。
昭和53年11月に開催された特殊教育百年記念式典で、
講演でタイトルは「日本を考える」です。

ご講演の中で「口入」や「口入師」という言葉が登場しますが、
今でいう不動産の周旋というか仲介業で、
私は「くちいれ」と読んでいましたが、
「くにゅう」と読むことも今回初めて知りました。

五代五兵衛さんは大阪の盲学校や聾学校の創設者ということで、
大阪の聾学校の玄関ホールにご兄弟の銅像があり、
盲学校の校長室には五代五兵衛さんの銅像があるとお聞きして
ぜひ拝見したいと思いながらも未だ実現していませんが、
高野山の奥の院にある五代さんご兄弟のお墓には
2018年夏に高野山へ出かけた時にお参りさせていただきました。

大阪市立盲学校を卒業した伴走練習会のラン仲間の話では
かつては盲学校から高野山へお墓参りに行かれていたそうですが、
今は学校単位では行かれていないようで、
去年、私のブログを読まれた大阪の視覚支援学校の先生から
五代さんのお墓の場所について問い合わせメールをいただきました。
私も来月に高野山へ出かける予定があるので、
ぜひまたお参りさせていただきたいと思います。

昨日(2021/3/27)の講演は、
YouTubeでオンデマンド配信されています(おそらく期間限定の配信)
多くの学びや気づきを得られた講演でしたひらめきご視聴はお早めに


お互い人と人との間には、
個人的な意志や希望を超えた縁の力が働いている。
だからその縁のあったことを謙虚に喜び、
その喜びの心でお互いのつながりを大事に、さらに強めていきたい

松下幸之助『縁、この不思議なるもの』のあとがき
「縁あることのありがたさ」より、松下さんの締めの言葉 

松下幸之助『縁、この不思議なるもの』の
第二話「盲目の口入・五代五兵衛さん」より――
お互いの仕事でも何でも、
それに臨む心がまえとして大事なことはいろいろありましょうが、
いちばん肝心なのは、やはり誠意あふれる熱意だと思います。
知識も大事、才能も大事であるには違いありませんが
それらは、なければどうしても仕事ができないというものではありません
たとえ知識が乏しく才能が十分でなくても、
なんとかしてこの仕事をやり遂げよう、なんとしてでもこの仕事をやり遂げたい、
そういう誠実な熱意にあふれていたならば、
そこから必ずいい仕事が生まれてきます。
その人自身の手によって直接できなくても、
その人の誠実な熱意が目に見えない力となって、
自然に周囲の人を引きつけます。
目に見えない磁石の力が、自然に鉄を引きつけるように
誠実な熱意は、思わぬ加勢を引き寄せ、事が成就する
ということが多いと思うのです。 

これはお互いが人生を生き抜くうえにもあてはまることで、
これを文字通り身をもって実践されたのが、五代五兵衛さんだった。
そうぼくは思うのです。

五兵衛さんが活躍された時代は、今から80年以上も前の明治2,30年代、
自の見えない方が生きていく環境としては、
今日よりはるかにむずかしいものがあったと思います。
そうしたなかで五兵衛さんは、
多くの弟妹を養い、ふつうの人でもむずかしい口入の仕事を成功させ、
さらには当時としてはきわめて少なかった私立の盲啞院を
設立するということまでしておられる。
そのために五兵衛さんが払われた熱意なり努力というものは、
ほんとうは話を聞いただけでわかるというようなものではなく
ご自身の全身全霊を込めた命がけのものであったのではないでしょうか。
そうした誠実な熱意が、周囲の人びとに通じて、
むずかしい環境のなかでも道がひらけたのだと思います。

ぼく自身も、これまでの人生において、
さまざまな困難にいくたびも直面してきましたが、
その都度、ぼくの意識のなかには、
「五兵衛さんにくらべれば、まだずっと恵まれている。もっと努力しなければ・・・」
といったことがあって、
それがぼくを支える大きな力になっていたような気がします。

誠実な熱意というものは、
時代を超えていつもきわめて大切なもので
お互いにそれを持ち続けているかぎり
人生を生き抜く道は、いわば無限にあると言ってもいいように思うのです。

いかに才能があっても、知識があっても、
熱意の乏しい人は画ける餅に等しい
「松下幸之助 一日一話」1月7日

何事でも感謝の心を持つことが大切だということだと思います。
感謝の心を持てば、それはいろいろな形になって自分に返ってきます
その自分に返ってくることを期待して
感謝の心を持つというのではいけませんが

自分の置かれた立場なり他人からの恩恵なりに素直に感謝できる人、
言いかえれば喜びを知る人というのは、非常にしあわせな人だと思います

これは、商売に限らず、私たちの人生すべての面にもあてはまる、
人間としての大事な基本と言えるのではないでしょうか。
松下幸之助『縁、この不思議なるもの』
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今年もサクラ咲く/中之島図書館(2021.3.25)

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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