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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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誇りと心意気、泣き言はいわない [2021年02月14日(Sun)]
山本周五郎『ちゃん』より――
(…)
重吉のまわりで、冬は足踏みをしていた。
季節はまぎれもなく春に向かっていた。
霜のおりることも少なくなり、風の肌ざわりもやわらいできた。
梅がさかりを過ぎ、沈丁花が咲きはじめた。
歩いていると、ほのかに花の匂いがし、
その匂いが、梅から沈丁花にかわったこともわかる。ーー
けれども、そういう移り変わりは重吉には縁が遠かった。
いま、昏れがたの街を歩いている彼には、
かすかな風が骨にしみるほど冷たく、道は凍ててるように固く、
きびしい寒さの中をゆくように、絶えず胴ぶるいがおそってきた。
------------------
「おらあ、それをいのちに生きて来た」と重吉は云った。
身についた能の、高い低いはしょうがねえ、けれども、
低かろうと、高かろうと、精いっぱい力いっぱい、
ごまかしのない、嘘いつわりのない仕事をする、
おらあ、それだけを守り本尊にしてやって来た

ところが、それが間違いだっていうんだ、
時勢が変った、そんな仕事はいまの世間にゃあ通用しねえ、
そんなことをしていちゃあ、女房子が可哀そうだっていうんだ」
重吉は顔をあげ、唇をゆがめながら、少し意地悪そうな調子で云った、
「いまは流行が第一の世の中だ、
めさきが変わっていて安ければ客は買う、
一年も使ってこわれるかあきるかすれば、また新しいのを買うだろう、
これが当世だ、しょせんは火鉢は火鉢だって」
おめえ、どう思う」と重吉は喜助を見た、
そんなこっていいと思うか、みんなが流行第一、売れるからいい、
儲かるからいいで、まに合わせみたいな仕事ばかりして、
それでまっとうにゆくと思うか、ーー それあ、いまのまに合う、
そういう仕事をすれあ、金は儲かるかもしれねえ、
現におめえも知ってるとおり、(…)
------------------
「おめえたちは」と重吉はしどろもどろに云った、
「おめえたちは、みんな、ばかだ、みんなばかだぜ」
「そうさ」と良吉が云った、
「みんな、ちゃんの子だもの、ふしぎはねえや」
おつぎが泣きながらふきだし、次に亀吉がふきだし、
そしてお芳までが、わけもわからずに笑いだし、
お直は両手でなにかを祈るように、しっかりと顔を押えた。
------------------
いうまでもなく、一家はその長屋を動かなかった。
お直と良吉の意見で、重吉は「五桐」の店をひき、
自分の家で仕事をすることにした。
(…)いずれにせよ、やってみるだけの値打はある
ということになったのであった。
それが思惑どおりにゆくかどうかは、誰にも判断はつかないだろう。
長屋の人たちはうまくゆくように願った。かれらはみな
重吉とその家族を好いていたからーー
(…)
山本周五郎『泣き言はいわない』

本日、2月14日は山本周五郎さんのご命日

松下幸之助『道をひらく』より――
「時を待つ心」
何ごとをなすにも時というものがある
時 ― それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。
冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。

わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しない
であろう。

時を得ぬ人は静かに待つがよい。大自然の恵みを心から信じ、
時の来るを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る

待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない
冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。

s-P1010149.jpg
和佐遊園(松下幸之助翁生誕の地)2010.4.3

松下幸之助『道をひらく』より――
「道」
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか
自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではないか
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ

それがたとえ遠い道のように思えても
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる
深い喜びも生まれてくる

人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
P1010032.JPG
旧豊郷小学校足跡

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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