明日ありと思う心の仇桜
[2021年01月17日(Sun)]
大きな犠牲と引き換えに、本当に大切なものを学んだあの日から26年。
30代だった私もまもなく64歳、26年後には90歳か…
このまま、ついウカウカの日々を過ごしていては申し訳ないです。
松下幸之助『続・道をひらく』より――
「今からでも」
今日の富士山、新幹線の車窓から

この時期に雪のない富士山、ビックリです。
三鷹駅から玉川上水沿いの「風の散歩道」をぶらり


山本有三記念館

「路傍の石」

「心に太陽を持て」

「自然は急がない」

「君たちはどう生きるか」
松下幸之助『道をひらく』より――
「時を待つ心」

愚直に一歩、一歩、もう一歩
立ち止まってはいられない
30代だった私もまもなく64歳、26年後には90歳か…
このまま、ついウカウカの日々を過ごしていては申し訳ないです。
明日ありとおもうこころのあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは
(親鸞聖人が9歳で得度された時に詠まれた歌)
夜半に嵐の吹かぬものかは
(親鸞聖人が9歳で得度された時に詠まれた歌)
松下幸之助『続・道をひらく』より――
「今からでも」
新しい年の新しい思いに、あれこれと心をふくらまし、
一年の計は元旦にありと、あれこれともり沢山の計画を立て、
ことしこそはと誓ってみたり決意をしてみたり。
そんなこんなの正月の夢も、いつのまにか日々の惰性に流されて、
ことしもやっぱりもとのもくあみ。もとのまま。
計画の立てかたが悪かったのか、力以上に望みすぎたのか、
それともしょせんは自分の意志が弱かったのか。そんな迷いの末に、
いやいや世の中が悪いのだ、こんなはずではなかったのだと、
ついグチも出て、他に罪をかぶせて、なすべきこともつい怠りがち。
これもまた人の世の常ではあろうが、
これでついウカウカの日々では、歳月があまりにも惜しい。
今からでもおそくない。
ともかくも今日が年のはじめで、あしたもまた年のはじめ。
毎日が年のはじめで、だから毎日計画を立てなおして、
毎日思いを新たにして、毎日誓いを立ててみて……。
グチは言うまい。今からでもおそくない。
今からでもおそくないのである。
一年の計は元旦にありと、あれこれともり沢山の計画を立て、
ことしこそはと誓ってみたり決意をしてみたり。
そんなこんなの正月の夢も、いつのまにか日々の惰性に流されて、
ことしもやっぱりもとのもくあみ。もとのまま。
計画の立てかたが悪かったのか、力以上に望みすぎたのか、
それともしょせんは自分の意志が弱かったのか。そんな迷いの末に、
いやいや世の中が悪いのだ、こんなはずではなかったのだと、
ついグチも出て、他に罪をかぶせて、なすべきこともつい怠りがち。
これもまた人の世の常ではあろうが、
これでついウカウカの日々では、歳月があまりにも惜しい。
今からでもおそくない。
ともかくも今日が年のはじめで、あしたもまた年のはじめ。
毎日が年のはじめで、だから毎日計画を立てなおして、
毎日思いを新たにして、毎日誓いを立ててみて……。
グチは言うまい。今からでもおそくない。
今からでもおそくないのである。
今日の富士山、新幹線の車窓から

この時期に雪のない富士山、ビックリです。
三鷹駅から玉川上水沿いの「風の散歩道」をぶらり


山本有三記念館

「路傍の石」

「心に太陽を持て」

「自然は急がない」

「君たちはどう生きるか」
たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、
ほんとうに生かさなかったら、
人間、生まれてきたかいがないじゃないか。
山本有三『路傍の石』
ほんとうに生かさなかったら、
人間、生まれてきたかいがないじゃないか。
山本有三『路傍の石』
松下幸之助『道をひらく』より――
「時を待つ心」
何ごとをなすにも時というものがある。
時 ― それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。
冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。
わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。
時を得ぬ人は静かに待つがよい。大自然の恵みを心から信じ、
時の来るを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。
待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない。
冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。
時 ― それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。
冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。
わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。
時を得ぬ人は静かに待つがよい。大自然の恵みを心から信じ、
時の来るを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。
待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない。
冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』

旧豊郷小学校
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
旧豊郷小学校


愚直に一歩、一歩、もう一歩

立ち止まってはいられない
この続きはまた明日
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。

会計は算術ではなく、思想である

会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。