自ら責任を取る専門家
[2021年01月02日(Sat)]
明けましておめでとうございます。

文藝春秋2020年12月号、
民間臨調による「検証・コロナ対策」に色々と考えさせられましたが、
『コロナ病棟「家族ケアチーム」の軌跡』も読み応えありました。
聖路加国際病院でも、当初はコロナ患者への家族の面会は、
全面的に禁止されていたのですが、
『日野原重明 100歳』に書かれていたエピソードを思い出しました。
――「福井くん、この患者さんは何階に住んでますか?」
『日野原重明 100歳』より――
柳田邦男『コロナ病棟「家族ケアチーム」の軌跡』より――
「問題は数の多寡ではない」―― 頂門の一針
松下幸之助『道をひらく』より――
「真実を知る」

愚直に一歩、一歩、もう一歩
立ち止まってはいられない

文藝春秋2020年12月号、
民間臨調による「検証・コロナ対策」に色々と考えさせられましたが、
『コロナ病棟「家族ケアチーム」の軌跡』も読み応えありました。
聖路加国際病院でも、当初はコロナ患者への家族の面会は、
全面的に禁止されていたのですが、
「家族からの強い要望もあって、見直したのです。
「40台、速やかに購入しましょう」福井院長が決断を示した。
福井院長は、コロナ患者の受け入れを決めた時から、
「必要なものは何でも要求してほしい。緊急事態下では、
患者ケアが第一だ。お金は後でどうにでもなる」と発言していた。
まさにその考えによるタブレット購入の決断だった。
このような非常事態下での
組織のトップによるスピーディな「決断」は、極めて重要だ。
《患者にとって大事なものは何か》という視点から、その方策を考えよう
ということになったのです」
「感染を怖がって過剰な規制をするのでなく、ということになったのです」
正しい感染防止の管理をして、
その中で患者・家族が切実に必要とすることを、
しっかりと把握して対応していくことが必要です。
医師は自ら責任を取る専門家です。
何もしなければ医療者側は無難でしょうが、それでは何も生まれません」
----------------その中で患者・家族が切実に必要とすることを、
しっかりと把握して対応していくことが必要です。
医師は自ら責任を取る専門家です。
何もしなければ医療者側は無難でしょうが、それでは何も生まれません」
「40台、速やかに購入しましょう」福井院長が決断を示した。
福井院長は、コロナ患者の受け入れを決めた時から、
「必要なものは何でも要求してほしい。緊急事態下では、
患者ケアが第一だ。お金は後でどうにでもなる」と発言していた。
まさにその考えによるタブレット購入の決断だった。
このような非常事態下での
組織のトップによるスピーディな「決断」は、極めて重要だ。
『日野原重明 100歳』に書かれていたエピソードを思い出しました。
――「福井くん、この患者さんは何階に住んでますか?」
1970年代後半,聖路加国際病院で毎週火曜日朝8時から行われていた教育回診でのエピソード。心不全の患者さんが翌日退院予定だとの研修医のプレゼンテーションに対し,日野原先生は「患者さんの自宅は何階にありますか?」と尋ねられた。その患者さんはエレベータのないビルディングの3階に住んでいて,果たして3階までの階段を上り下りするだけの心機能が回復していることを確かめたかどうか,われわれ研修医は鋭く追及された。
『日野原重明 100歳』より――
私が医師として彼らに一番伝えたいのは、
いつも患者さんの側に立って考えるということです。
正面から威圧的に向き合うのではなく、
隣にそっと座り、ソフトな言葉で流れるように会話をしてほしい。
患者さんが言葉を見つけられず、少し時間がかかるようなときには
次の言葉を静かに待っていられるような関係で
患者さんに接してほしいのです。それから少しずつ、
患者さんの抱える問題をどう解決していくのがよいのかを
科学的に考えていくのがプロの医師なのではないかと思います。
ふっと見たときに感じる直感的な感じ方を大切にしながら、
核心に少しずつ迫っていくのです。
いつも患者さんの側に立って考えるということです。
正面から威圧的に向き合うのではなく、
隣にそっと座り、ソフトな言葉で流れるように会話をしてほしい。
患者さんが言葉を見つけられず、少し時間がかかるようなときには
次の言葉を静かに待っていられるような関係で
患者さんに接してほしいのです。それから少しずつ、
患者さんの抱える問題をどう解決していくのがよいのかを
科学的に考えていくのがプロの医師なのではないかと思います。
ふっと見たときに感じる直感的な感じ方を大切にしながら、
核心に少しずつ迫っていくのです。
医師と患者という関係だけでなく、医師である前にひとりの人間として、
患者さんに寄り添わなければなりません。
『日野原重明 100歳』
患者さんに寄り添わなければなりません。
『日野原重明 100歳』
柳田邦男『コロナ病棟「家族ケアチーム」の軌跡』より――
問題は、死者の数の多寡ではない。
問われるべき問題は、一人ひとりの死、一つひとつの別れを
しっかりと見つめることによってはじめて見えてくる。
一人の死は、本人にとって地球の消滅である。
大事な人との死別は、残された者にとっては、人生の挫折である。
「さよならのない別れ」の重い意味は、まさに
一人の死に焦点を絞ることによって
切実感をもって理解できるようになるのだ。
問われるべき問題は、一人ひとりの死、一つひとつの別れを
しっかりと見つめることによってはじめて見えてくる。
一人の死は、本人にとって地球の消滅である。
大事な人との死別は、残された者にとっては、人生の挫折である。
「さよならのない別れ」の重い意味は、まさに
一人の死に焦点を絞ることによって
切実感をもって理解できるようになるのだ。
「問題は数の多寡ではない」―― 頂門の一針

松下幸之助『道をひらく』より――
「真実を知る」
人間は、ものの見方一つで、
どんなことにも堪えることができる。
どんなつらいことでも辛抱できる。
のみならず、いやなことでも明るくすることができるし、
つらいことでも楽しいものにすることができる。
みな心持ち一つ、ものの見方一つである。
同じ人間でも、鬼ともなれば仏ともなるのも、
この心持ち一つにあると思う。
そうとすれば、人生において、
絶望することなど一つもないのではあるまいか。
ただ、この、ものの見方を正しく持つためには、
人間は真実を知らねばならないし、
また真実を教えなければならない。
つまり、ものごとの実相を知らねばならないのである。
もちろん、情愛は大切である。
だが、かわいそうとか、つらかろうとか考えて、
情愛に流されて真実をいわないのは、本当の情愛ではあるまい。
不幸とは、実相を知らないことである。真実を知らないことである。
人間はほんとうは偉大なものである。
真実に直面すれば、かえって大悟徹底(たいごてってい)し、
落ちついた心境になるものである。
だからおたがいに、正しいものの見方を持つために、
素直な心で、いつも真実を語り、真実を教え合いたいものである。
どんなことにも堪えることができる。
どんなつらいことでも辛抱できる。
のみならず、いやなことでも明るくすることができるし、
つらいことでも楽しいものにすることができる。
みな心持ち一つ、ものの見方一つである。
同じ人間でも、鬼ともなれば仏ともなるのも、
この心持ち一つにあると思う。
そうとすれば、人生において、
絶望することなど一つもないのではあるまいか。
ただ、この、ものの見方を正しく持つためには、
人間は真実を知らねばならないし、
また真実を教えなければならない。
つまり、ものごとの実相を知らねばならないのである。
もちろん、情愛は大切である。
だが、かわいそうとか、つらかろうとか考えて、
情愛に流されて真実をいわないのは、本当の情愛ではあるまい。
不幸とは、実相を知らないことである。真実を知らないことである。
人間はほんとうは偉大なものである。
真実に直面すれば、かえって大悟徹底(たいごてってい)し、
落ちついた心境になるものである。
だからおたがいに、正しいものの見方を持つために、
素直な心で、いつも真実を語り、真実を教え合いたいものである。
人生においてはカメのような、歩一歩のあゆみが大切だと思う。
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』

旧豊郷小学校
速度を多少速めるのはよいが、
二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば往々にして失敗することにもなろう。
「歩一歩の歩み」/松下幸之助『思うまま』
旧豊郷小学校


愚直に一歩、一歩、もう一歩

立ち止まってはいられない
この続きはまた明日
会計は算術ではなく、思想である
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。

会計は算術ではなく、思想である

会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。