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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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このままでいいのか、だからどうする [2020年09月12日(Sat)]
街の店のシャッターに店じまいの貼り紙を見かけることが多くなりました。
IMG-8054.jpg

「ピンチの裏側にチャンスあり」と大きな勇気で自ら変わって前に進む会社か、
「延命に息切れ」して再起できないままに終わってしまう会社か、
過去の様々な危機と同様に、
感染者の数が減ってきたこれからが本当の意味の正念場でしょう。
-----------------------
明治2年(1869年)の正月に記された会社設立趣意書『丸屋商社之記』より――
「損失があった時の心得」
おおよそ商業で危険や損害をともなわないものはない。
従って長い年月の間には災害もあれば損失もあるものだと思うべきであり、
これを常に心に留めておかなくてはならない
もしも不幸にして災害に逢っても、また商売上の損失があっても、
あわててこれを回復しようと思ってはならない
また、いたずらにこれを後悔してもいけない
その損失が発生した原因・理由を追究して、これを今後の戒めとすれば、
却って安全の基ともなり、損失はいつでも回復できる
のである。
そうであるなら、数年に一回ずつ損失が発生しても転覆には至らない
もし大いに損失を後悔し、ただただこれを回復しようとはかるときは、
多くの場合、最初に損失を発生させたのと同じ原因・理由によって
同じように損失を重ねるものである。
私が世間の大きな商家の転覆を見てみると、
多くの場合、最初の損は少なく身代を傾ける程ではないのに、
急にその損を取り戻そうとして、二度目、三度目の損で破滅するのである。
従って商人は一度の利益を誇ることなく、また一度の損失に動揺してはならない
唯一恐れ慎むべきは、日々月々少しずつ発生する損失である
一重に希望すべきは、連綿と続く少しずつの利益である
一度の損失は連綿と続く少しずつの利益をもって補填できるが、
連綿と続く損失は一度の利益をもって補填することは困難である。

松下幸之助『道をひらく』より――
「なぜ」
こどもの心は素直である。
だからわからぬことがあればすぐに問う。「なぜ、なぜ」と。
こどもは一生懸命である。熱心である。
だから与えられた答えを、自分でも懸命に考える。
考えて納得がゆかなければ、どこまでも問いかえす。「なぜ、なぜ」と。
こどもの心には私心がないとらわれがない
いいものはいいし、わるいものはわるい。
だから思わぬものごとの本質をつくことがしばしばある。
こどもはこうして成長する。「なぜ」と問うて、
それを教えられて、その教えを素直に自分で考えて、
さらに「なぜ」と問いかえして、そして日一日と成長してゆくのである。

大人もまた同じである。
日に新たであるためには、いつも「なぜ」と問わねばならぬ
そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める。
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、「なぜ」と問うタネは随所にある
それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、
十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる
繁栄は「なぜ」と問うところから生まれてくるのである。

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十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる
素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、「なぜ」と問うタネは随所にあるひらめき
――・自らの無知を自覚する
・常識や過去の経験など先入観にとらわれて思考停止にならない
・事実を前に素直で私心なく謙虚に熱心に、現実を直視する
・問題意識を高める「なぜ」→「なぜ、そうでないのか
 ――「このままでいいのか」→「なぜ変えないのか」
「なぜ赤字なのか」→「なぜ黒字でないのか」
「なぜ給料が安いのか」→「なぜ給料が上がらないのか」
「なぜお金が残らないのか」、「なぜ借金が減らないのか」
・言い訳は無用
・自分が取り組む「自分の問題」
・原因はわれにありという考えに徹する
・問題を掘り起こす「なぜ」「なぜ」「なぜ」
・問題の本質(本質的な問題)を追究

過去に学んで今を知り、今を新たに未来を拓くひらめき
――・過去の因を知ろうとするならば、現在の果をみよ(過去の因 → 現在の果)
・未来の果を知ろうとするならば、現在の因をみよ(現在の因 → 未来の果)
今を真剣に生きずして過去も未来もない

<症状>…現実を直視する<過去の因果>
<問題>…過去の「因」を探る
<目標>…明日の「果」を心に決める
<課題>…そのために今なにをするか逆算で考えて「因果の仮説」を明確にする
<実行>…客観的事実の「収集、記録、計測、観察」から新たな気づきを得る
<反省>…実行した結果を分析して「因果の仮説」を検証する

夏衣で寒風に立てば、まず普通の人はカゼを引く。
カゼを引きたくなければ、それ相応の衣服をまとえばよい。
風に罪はない。不用意な人間自身に因があるのである。
因があるから果があるので、
不用意、不心得の因があれば、起こってはならないことも起こってくる。
つまり、起こるべくして起こったわけで、
よく考えてみれば何の不思議もない。
だから、何事も起こってはならないことを起こしたくなければ、
お互い人間の、不用意、不心得を徹底的に反省しなければならない。
ともすれば徹底を欠きがちな昨今、
とくに不用意な人間の心のあり方そのものを、
まずみずから徹底的に考え直してみたい。反省し直してみたい。
自分のためにも社会のためにも。
「徹底的に」/松下幸之助『続・道をひらく』

失敗すれば十分に反省し、
原因を見極めて改めるべきを改める。
うまくいったときには、
もっと成果をあげる方法はなかったかと見直してみる。
さらに、平穏無事な生活の中にも、謙虚な気持ちで常に反省を加える。
日々のそうした自省の積み重ねが、
昨日より今日、今日より明日へと、着実にみずからを高めていく
大きな力となる
のです。
松下幸之助「自省」/月刊PHP(2013/7)

「何ごとも全力じゃなければ、反省もできない」
 福本伸也(Ca sento)/井川直子『シェフを「つづける」ということ』

「君はえらい落語家になりたいと思っていますか」
「はい、思っています」
「それは、嘘だ」・・・ その人はキッパリ言った。
「私は素人だから具体的にどうせいとは言えないが、
本当にそう思っているなら、毎日こんな日のすごし方はしていないはずだ
それはね、まだ本当にそう思っていないんですよ」
・・・私はガツンとやられた気持ちでした。
31年前、神戸である御方に言われた言葉、今に忘れません。
桂米朝「本当に思っていないんだ」/PHPベストセレクション2013/5

金銀は儲けがたくて減りやすし。
朝夕、十露盤(そろばん)に油断する事なかれ
ひらめき
井原西鶴『日本永代蔵』

そろばん地蔵/西教寺・大津市坂本

銭一文天から降らず、また地から湧くことなし
井原西鶴『日本永代蔵』

私の今年の一文字は「革」
2020革.jpg
◆私の今年の一文字「革」/2020.1.3

大切な一生である。尊い人生である。今からでも決しておそくはない
おたがいに心を新たにして、
真剣勝負のつもりで、日々にのぞみたいものである。
「真剣勝負」/松下幸之助『道をひらく』

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
立ち止まってはいられない

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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