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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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閾値を超える [2020年03月23日(Mon)]
予期せぬ災難に見舞われるのが不幸ではなく
そのときに、希望を見失ってしまうことが不幸なのだ
日野原重明『いのちの使いかた』

松下幸之助『道をひらく』より――
「時を待つ心」
何ごとをなすにも時というものがある。
時 ―― それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。
冬が来れば春はま近い。
桜は静かにその春を待つ
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。 
わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖(ぎょうこう)を待つに等しい
静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しない
であろう。
時を得ぬ人は静かに待つがよい。
大自然の恵みを心から信じ、時の来るを信じて、
着々とわが力をたくわえるがよい

着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る
待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない
冷たいのではない。
静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。

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2020.3.20
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松下幸之助「一日一話」より――
「自然に学ぶ」
自然の営みには私心もなければ、とらわれもないと思います。
言ってみれば文字通り素直に物事が運び、
素直な形でいっさいが推移していると思うのです。
一輪の草花にしても、私心なく自然に花を咲かせているのです。
そういった花の姿をみて、もちろん何も感じない人もいるでしょう。
しかし、素直な心になりたいという強い願いを持っている人の場合には、
あるいはそこに何らかのヒントを見出すかもしれません。
そういうことを考えてみると、
お互いが素直な心を養っていくための一つの実践として、
大自然の営み、自然の姿というものにふれて、
その素直さに学んでいくということも大切だと思います。
第5条「自然と親しむ」
◆素直な心を養うための実践10ヵ条/PHP研究所

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2020.3.22(摂津峡公園)

先週の土曜日(3/21)、縁あるお寺で営まれた彼岸会法要で素敵な言葉に出会いました。
和顔愛語、先意承問(わげんあいご、せんいしょうもん)
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言葉とともに描かれた阿弥陀三尊(中央に阿弥陀如来、その脇に観音菩薩と勢至菩薩)が
心を和ませてくれます。

―― 無有虚偽諂曲之心、和顔愛語、先意承問。(『無量寿経』)
虚偽諂曲〈こぎてんごく〉の心あることなく、和顔愛語して、先意承問す。
嘘偽り(うそいつわり)や自分の気持ちをまげて媚び諂う(こびへつらう)心なく
和らかな表情と愛情ある言葉で接し(にこやかに微笑んで、やさしく話し掛ける)
相手の意を承って問いただす(相手の心持ちを先んじて知り、その思いを満たす)

法要の帰り、書店で取り置き依頼した本を引き取るとともに、
作者直々に頂いたメッセージカードを飾るフォトフレームを買い求めました。
IMG-7134.jpg

書店に取り置き依頼した本は、
中山哲成『30歳高卒タクシードライバーがゼロから英語をマスターした方法』。
先週木曜日(3/19)のお昼に配信されたニュースレターが目に留まり、
書店に取り置き依頼して読みましたが、引き込まれて一気読み。
色々と気づきが多かったです。

本のジャンルとしては英語の学習本になるのでしょうが、
中山さんが説かれていることは英語に限る話ではないと思いました。

日本人が英語学習を継続できない理由として、
中山さんは「練習を楽しむ」という視点が欠けていると説き、
創意工夫なき語学修業は、ただの苦行にしかならない」と論じます。

新しい年度を迎えるこの時期になると
書店の店頭にうず高く積まれるNHKの語学テキストが象徴するように、
何ごとも「初めても続かない」が世の常ですが、
中山さんは「努力は夢中には勝てない」という言葉を紹介して、
「この言葉こそ人が何かを習得するときに忘れてはいけない真理」と説きます。

「好きこそ物の上手なれ」と言うように、
好きなことは、集中して熱心に、そして懸命に取り組むので上達するものですが、
そのためには「閾値(イキチあるいはシキイチ)を超える」積み重ねが必要です。

閾値を超えると、意識も変わって勉強や仕事もオモシロくなって行動も変わり、
結果も出て上達や成長もも実感できるので、良き循環が生まれる。
逆に、閾値を超えない限り、勉強や練習や仕事の効果が出ないので成果はゼロで、
努力の積み重ねが無駄に思えて苦行になり、継続できず、負け犬状態。

となると、閾値を超える積み重ねが肝要になり、
そのためには、クリアすべき閾値が明確でなければならないのですが、
その閾値が定量的に示されると義務感の苦行ノルマになって、閾値を超えられない
定量的に測るのではなく、閾値を超えた時の楽しいイメージを明らかにすることで、
努力の方向性が定まり、熱意や創意工夫が生まれるのでしょう。

ゴールが想像できれば挫折は乗り越えられる」(同書 p.76)

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ゴールが見えなくても走ることがオモシロイと考えると、
 たいていのことが楽しくなります」黒田征太郎/植村直己冒険館だより(2018.3)

―― 嫌なことも辛抱して頑張るか、面白くなるよう工夫して頑張るか


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

この続きはまた明日四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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