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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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明日に希望を持つように努力する [2020年03月15日(Sun)]
予期せぬ災難に見舞われるのが不幸ではなく
そのときに、希望を見失ってしまうことが不幸なのだ
日野原重明『いのちの使いかた』

強制収容所にいる人間に、そこが強制収容所であってもなお、
なんとか未来に、未来の目的にふたたび目を向けさせることに意を用い、
精神的に励ますことが有力な手立てとなる。
被収容者の中には、本能的にそうした者たちもいた。
その人たちは、おおむねよりどころとなるものをもっていた。
そこにはたいてい、未来のなにがしかがかかわっていた
人は未来を見すえてはじめて、いうなれば永遠の相のもとにのみ存在しうる
これは人間ならではのことだ。
(…)
しかし未来を、自分の未来をもはや信じることができなかった者は、
収容所内で破綻した

そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、
精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。
ヴィクトール・フランクル『夜と霧』

1970年3月15日、大阪の千里丘陵で万国博覧会が開幕ぴかぴか(新しい)
9月13日までの半年間「人類の進歩と調和」をテーマに開催され、
当時私は中学2年生でしたが、箕面の自宅から自転車で何度も出かけました。
―― そこには、未来の「希望」がありました。

この国には何でもある。
本当にいろいろなものがあります。
だが、希望だけがない
村上龍『希望の国のエクソダス』

新型コロナウィルスの感染が世界的に拡大しています。
昨日の記者会見で「感染拡大を乗り越えてオリンピックを予定通り開催したい」と
語られましたが、世界的な感染拡大により海外からの入国や帰国の制限が続く状況では
予定通りに開催するのは厳しいかもしれません。

私の友人で東京パラ出場が内定しているパラアスリートも、
パラ出場めざして今まで鍛錬を積み重ねてきた努力を無駄にしたくないので、
予定通り開催されることを信じて更に練習したいのですが、
肝心の練習場所の障害者スポーツセンターが感染予防で休館になって難儀しています。

そんな彼に比べれば大したことではありませんが、
私自身も、今月はランニングシーズン終盤ということもあって、
本命レースをはじめ色々とエントリーしていましたが相次いで中止になり、
目標を見失って、走ることに対してモチベーションが上がりません。
もちろん、日々の暮らしや仕事にも影響は大きいです。

「決して希望を失わない」
私たちは決して苦痛や悩みから解放されることはありません。
しかし最悪のときでさえも、
明るさを失わず、明日に希望を持つように努力することはできる
のです。
”Never Lose Hope”
We can never be completely free from anguish and worry.
But even in your worst moment,
try not to lose your cheerfulness and hope for tomorrow
.

稲盛和夫『成功への情熱―PASSION―』

こんな時だからこそ、明日に希望を持つための「目標」が必要です。
それも、達成可能な目標ではなく、容易に達成できない「意欲的な目標」です。

明日のことをいうやつはバカだというけれど、そうじゃない。
明日の約束をしないやつに希望は沸いてこない
本田宗一郎

たとえば、ランニングについて、来シーズンの勝負レースと目標タイムを決定ひらめき
・丹後ウルトラマラソン(9/20)12時間切り
・福知山マラソン(11/23)3時間45分切り
・丹波篠山マラソン(3/7)3時間30分切り

現状は、丹後ウルトラは、一昨年も、去年も、制限時間14時間ギリギリですし、
フルマラソンも1年前の篠山マラソンでサブフォーを達成したものの、
今シーズンは一度もサブフォーできず無様な結果に終わりました。

しかし、丹後ウルトラマラソンに関しては、
「70歳でTI-TAN(100キロの部を10回完走)達成」の夢があり、
制限時間ギリギリのゴールで満足しているようでは、とても実現できない。
フルマラソンのサブフォー(4時間切り)の3倍で「12時間切り」を目標に設定です。

「40歳を超えてプレーするには、天井を突き抜けて特別なところにいって
振り幅を大きくしておかないと。下にいたら下がない」
伸びしろならぬ、スピードや体力が落ちていく「衰えしろ」を
どれだけ作っておけるか
。カズの言葉である。
また、フルマラソンについては、
「全日本マラソンランキング100位以内」を果たして
怪我や故障なく走り続けて「80歳でサブフォー」の夢があります。
2018年度ランキングによると、63歳でサブ3.5達成できれば88位、64歳で85位、
80歳でサブフォーなら3位ですが、その前後の78歳、79歳、81歳だと1位です。

富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登ったんです。
散歩のついでに登った人はひとりもいませんよ。
ジョージ秋山『浮浪雲』

高い目標を設定する人には大きな成功が得られ、
低い目標しかもたない人にはそれなりの結果しか得られません。
自ら大きな目標を設定すれば、そこに向かってエネルギーを集中させることができ、
それが成功のカギとなる
のです。明るく大きな夢を描いてこそ、
想像もつかないような偉大なことが成し遂げられるのです。
稲盛和夫『京セラフィロソフィ』

希望には、報われるかどうかという結果よりも、
とにかく努力してみる、やりながら考えたり、工夫したりするという、
努力のプロセスにこそ、意味があります

報われない努力などする意味がないと考え、
誰も何もしなくなった社会に、希望はありません。
(…)
希望は、自分自身でつくり出すものです。
努力するかどうかを決めるのも、あくまで自分自身です。
自分で決めた努力であれば、
それが当初の希望どおりにいかなかったとしても、
その経験から学ぶことで、新しい希望は生まれるのです。
玄田有史『希望のつくり方』

幸運は、努力と成功を追い求めた結果、訪れるものです。
重要なのは、その前の準備です
そして、幸運が訪れたときに、すぐにそれをつかむことです。
宝くじは幸運とは違います。
宝くじに当たるのは単なる偶然にすぎません。
リカルド・セムラー『奇跡の経営(The Seven-Day Weekend)』

当然のことながら、今までと同じやり方を続けていては目標を達成できない。
レースのパフォーマンスを上げるために、練習の質を高めるとともに、
怪我や故障で走れなくならないようにケアに努める。
―― 自分で自分をマネジメントし、自分が自分のコーチになり、自分で自分を評価するひらめき


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太陽は 夜が明けるのを待って 昇るのではない
太陽が昇るから 夜が明けるのだ(東井義雄)

明日のための目標は必要である。しかし、問題は明日何をするかではない。
明日成果を得るために、今日何をするかである。
何ごとも行動が伴わなければ意味はない
ピーター・ドラッカー『経営者に贈る5つの質問』

言葉は言葉、説明は説明、約束は約束・・・なにもとりたてて言うべきことはない。
だが、実績は実在であり、実績のみが実在である。
これがビジネスの不易の大原則だと私は思う。
実績のみが、きみの自信、能力、そして勇気の最良の尺度だ
実績のみが、きみ自身として成長する自由をきみに与えてくれる
覚えておきたまえ――実績こそきみの実在だ。
ほかのことはどうでもいい。
ハロルド・ジェニーン『プロフェッショナルマネジャー』

まずは、鯖街道ウルトラマラソン(5/17)の半サバ(約43キロ)に向かって、
トレラン後のロードでも失速することなく、ゴールまで楽に走り切れるよう、
体幹を鍛えてフォームの改善に取り組み、ランニングの基礎力を向上です。
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ゴールが見えなくても走ることがオモシロイと考えると、
 たいていのことが楽しくなります」黒田征太郎/植村直己冒険館だより(2018.3)

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松下幸之助歴史館(2020.2.15)

何ごとをなすにも時というものがある。
時 ―― それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。
いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。
いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。
冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。 
わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ姿は、一瞬の休みもなく力をたくわえている
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。
時を得ぬ人は静かに待つがよい。
大自然の恵みを心から信じ、時の来るを信じて、
着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る
時期は必ず来る。
待てといわれればなおあせるのが人情である。
だが、自然の理はわがままな人情には流されない。
冷たいのではない。
静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。
「時を待つ心」/松下幸之助『道をひらく』


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愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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