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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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やり直しのきかない人生、待ったなしの命 [2020年02月11日(Tue)]
昨夜、南御堂さんの「今月の言葉」が目に留まりました。
IMG-6966.jpg
「やり直しのきかない人生
 待ったなしの命」相田みつを

――「前後際断、今この瞬間を、真剣に、懸命に、生きる」と受け止めました。

明日ありとおもうこころのあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは
親鸞聖人が9歳で得度された時に詠まれた歌

前後を切断せよ、みだりに過去に執着するなかれ、
いたずらに将来に望を属するなかれ、満身の力をこめて現在に働け
夏目漱石『倫敦消息』


松下幸之助『道をひらく』より――
「転んでも」
「七転び八起き」ということわざがある。
何度失敗しても、これに屈せずふるい立つ姿をいったものである。
人生は長い。世の中は広い。だから失敗もする。悲観もする。
そんなとき、このことわざはありがたい。

だが、七度転んでも八度目に起きればよい、などと呑気に考えるならば、
これはいささか愚である。
一度転んで気がつかなければ、七度転んでも同じこと
一度で気のつく人間になりたい。

そのためには「転んでもただ起きぬ」心がまえが大切。
このことわざは、意地きたないことの代名詞のように使われているが、
先哲諸聖の中で、転んでそこに悟りをひらいた人は数多くいる。
転んでもただ起きなかったのである。
意地きたないのではない真剣だったのである。

失敗する事を恐れるよりも、
真剣でない事を恐れたほうがいい

真剣ならば、たとえ失敗しても
ただは起きぬだけの充分な心がまえが出来てくる
おたがいに「転んでもただ起きぬ」よう真剣になりたいものである。

s-P1010767.jpg
――「会津起上り小法師」は
七転八起といって「転んでも転んでも起上る」と云う所から
身体は小さいが健康忍耐をあらわし(…)
--------------
何かを始めたらトコトンやらなければ気がすまなかった。
ムズカシイものから始めれば、あとは何でもできるが口癖だった。
だますより、だまされるほうがいい。人に愚直の見本と言われてきた。
面白みがないのは性分と居直ってきた。
なんでも食べ、どこでもよく寝て、くよくよしなかった。
まっ正直に生きてきた。走りに走りつづけてきた89年だった。
不器用な人だった。最後まで頑固な靴屋の親父だった。
周囲を幸せにして初めて自分も幸せになれる。
会社を家族的運命共同体と呼んだ。
(…)
◆ころんだら、起きればよい。鬼塚喜八郎「失敗の履歴書」
/アシックス


松下幸之助『思うまま』より――
「失敗しても」
人間、ときには思わぬ失敗をすることもある。
失敗したことに気がつけばすぐに改めるのは当然だが
この場合大事なことが一つあると思う。
それは何かというと、
改めるということからさらに一歩進んで、
まったく新しいものを生み出す
ということである。
そのようにすれば、失敗というものは
むしろ大きな発展につながることにもなるであろう。
「失敗は成功の母」ということばも、
そんなことを意味しているのではあるまいか。

本田宗一郎『俺の考え』より――
「失敗は成功のもと」というたとえがあるが、
ほんとうに失敗を成功のもとにする人は何人あるか。
これは正しい理論を用いて反省する人にのみ与えられたる権利だと思う。
ただ単に進退伺いを出したりするような人には絶対に
失敗が成功のもとになる資格はないはずだと私は心得ている。
「果報は寝て待て」ということわざがあるが、
あれは私の祖先かだれかそそっかしいやつが間違えたと思う。
あれは「果報は練って待て」で、反省して待つことだ。
いくら反省しても運否天賦ということがあるが、
よく反省して待つことがわれわれの問題だと思う。

松下幸之助『道は無限にある』より――
すべて物事は用意周到に計画を立てていったならば、
いわゆる失敗というものはほとんど無い、といってもいいと思うのです。
ところが実際には次つぎと失敗があるというのは、
これはやはりなすべきことを十分に考えていない
また考えてもなすべきことをしていない
というところに多く原因があるように思うのです。
だから、反省すべき点は他に求めずして、自分にあると考えねばならない
(…)
それだけの用意周到さをもって、ものを深く掘り下げて考え
そして自分はこう思うが、なお多くの人はどう考えるか、
自分の考えが人に受け入れられるかどうか、ということを考える。
そして再三再四、自分の考えに過ちがないか足らざるものはないかと、
くり返し反省していかなければならない
と思うのです。
そういう点に熱意をもち、努力を重ねたならば
私は物事というものはあまり行きづまることもないのではないかと思うのです。

「幸運とは準備が機会に出会うこと」
 Luck is a matter of preparation meeting opportunity.(Oprah Winfrey)
―― チャンス(chance)ではなく、機会(opportunity)ひらめき

私の今年の一文字は「革」
2020革.jpg
◆私の今年の一文字「革」/2020.1.3

mampo.jpg
愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡

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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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