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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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これが終わりではない [2019年12月02日(Mon)]
「でも今はわかる。これが終わりではない。何かべつのものの新たな始まりなのだ」
「弱さに足をひっぱられることなく、逆に踏み台に組み立てなおして、
 自分をより高い場所へと持ち上げていくことだけだ。
 そうすることによって僕らは結果的に人間としての深みを得ることができる」
「あるときには人は勝つ。あるときには人は負ける。
 でもそのあとにも、人は延々と生き続けなくてはならないのだ」
 ―― 村上春樹『シドニー!』より
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チャリティカラーは赤、テーマは「生きる希望を支える」で挑んだ大阪マラソン
結果は惨敗

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手荷物を預けなかった代わりに頂いたポンチョのメッセージ
What's next?

村上春樹『シドニー!』の
「1996年7月28日 アトランタ」より――
競技場のスタートラインについたとき、
自分には何かができるという確かな気持ちがあった。
スタートラインについたときには、もう勝負はほとんど決まっている。
それがマラソンというスポーツなのだ

どのように自分をスタートラインまで運んでくるか、それがすべてなのだ。
あとは42キロのコースの中で、実際に確認するだけのことだ。
やるだけのことはやった、彼女はそう思う。
脚や筋肉や血の中に、彼女は静かな手応えのようなものを感じとることができた。
(…)
うまくいかない場合のことは考えないようにしよう。
うまくいくときのことだけを考える。
なんといっても私には耐える能力があるのだ、と彼女は思う。
(…)
消耗は既に限界を超えていた。
こうなったら作戦も何もない。あとは粘って、粘り抜くしかない。
前のランナーを抜けないのなら、ついていく。
ついていけないのなら、距離を開けないことを考える。
フォームもどうでもいい、メダルもどうでもいい。
頭の中にあるのは《とにかく粘る》ということだけだ。
(…)
走りやめたいなんてちらりとも考えなかった。
やりかけたことを最期までやりとおすことは、彼女の生き方の一部だった。
それがない私は私じゃない。曲がりなりにもやりとおせば、必ず何かが生まれる
やりとおさなければ、何も生まれない。ゼロだ。
骨を削ってでも、身をそそいででも、前のランナーを追いかけていくのだ。
根性? いや、それは根性なんかじゃない。私は私自身のために走っているのだ。
私が私自身をすすりながら走っているのだ。
(…)
ひどく苦しい。しかし苦しいことは私の不幸ではない。
逆に楽なことは私の幸福ではない

もっとも大事なのは、自分がそこにいると感じられること、
本当に心の底から感じられること。重要なのはそれだ。
(…)
彼女にとってのランニングは2種類しかなかった。
まずまず苦しいか、ひどく苦しいか、どちらかだ。ほかの選択肢はない。
物心ついてからずっと、そうやって生きてきた。そして私はここにいる。
(…)
アトランタの42キロはあと少しで終わろうとしている。
でも一方では、何ひとつ終わりはしない。彼女にはそれがわかっている。
バルセロナのときにはわからなかった。
だからその後の何年かのあいだ、ずいぶん苦しむことになった。
でも今はわかる。これが終わりではない。何かべつのものの新たな始まりなのだ。
ここでもそこでも私は勝ち、同時に負ける

その世界では誰もがおそろしく孤独なのだ。そして苦痛はいつもそこにあるだろう。
まずまず苦しいか、あるいはひどく苦しいか。
でも私は苦痛を恐れない。そんなもの恐れるわけにはいかない
------------------
「2000年11月5日 ニューヨーク」より――
彼らは優れた才能を持つアスリートであり、
高い場所を志し、歯を食いしばって厳しい練習を耐え抜いてきた。
それぞれの生き方を持ち、夢と野心を持っていた。
そしてそれぞれの弱みを抱えていた。つまり、そう、僕やあなたと同じように。

僕らはみんな――ほとんどみんなということだけど――自分の弱さを抱えて生きている。
僕らは多くの場合、その弱さを消し去ることも、潰すこともできない。
その弱さは僕らの組成の一部として機能しているからだ。
もちろんどこか人目につかない場所にこっそりと押し隠すことはできるが、
長い目で見ればそんなことをしても何の役にも立ちはしない。
僕らにできるもっとも正しいことは、弱さが自分の中にあることを進んで認め、
正面から向き合い、それをうまく自分の側に引き入れることだけだ。
弱さに足をひっぱられることなく、逆に踏み台に組み立てなおして、
自分をより高い場所へと持ち上げていくことだけだ。
そうすることによって僕らは結果的に人間としての深みを得ることができる

小説家にとっても、アスリートにとっても、あるいはあなたにとっても、
原理的には同じことだ。

もちろん僕は勝利を愛する。勝利を評価する。それは文句なく心地よいものだ。
でもそれ以上に、深みというものを愛し、評価する。
あるときには人は勝つ。あるときには人は負ける。
でもそのあとにも、人は延々と生き続けなくてはならないのだ


愚直に一歩、一歩、もう一歩足跡
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会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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