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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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最高の登山者 [2017年03月31日(Fri)]

山登りはたとえどんな山であろうと、
自分で計画し、準備し、 自分の足で登山する。
その過程が苦しければ苦しいだけ、
それを克服して登りきった喜びは大きい。

植村直己『青春を山に賭けて』

植村直己『青春を山に賭けて』より――
結局、というよりも、最初からわかっていたことかもしれないが、
山は他人のために登るものではないのだと思う。
誤解されてもしかたがないけれど、
山は自分のために登るものだと思う。
誰からも左右されない
自分の意思ひとつで行動できる単独行であれば
それが人のためではなく自分のためであればあるだけ
すべてが自分にかえってくる喜びも、そして危険も
私は五大陸の最高峰に登ったけれど、高い山に登ったからすごいとか、
厳しい岩壁を登攀したからえらい、という考え方にはなれない。
山登りを優劣でみてはいけないと思う。
要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、
登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山がほんとうだと思う。


「山へなぜ登るのか」と聞かれたら
 私は「そこに山があるから」とは答えません。
「人間だから」といいたいのです。
 西堀榮三郎『石橋を叩けば渡れない』

image.jpeg Go!

いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ
一歩一歩がゴールであり、
一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない

――坂村真民さんが好きなゲーテの言葉――

mampo.jpg

3メートルしか歩けなかった人が、100メートル歩いたら、
それはエベレストに登ったことと同じかもしれない。
人にはそれぞれの山頂がある。
神はそれを個別に見守る役である。
神の評価で見ると、その人は最高の登山者なのだ。

曽野綾子『それぞれの山頂物語』


神倉神社・新宮/2011.10.25

この続きはまたいつか四つ葉
会計は算術ではなく、思想である位置情報
会計情報という数字を介して、経営との対話がはじまる。
 
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