有償の互助としてのライドシェア
[2016年04月02日(Sat)]
今週火曜日(3/29)のこと、
朝のNHKニュース『おはよう日本』で「ライドシェア」が取り上げられていました。
いつもなら7時半になるとテレビのチャンネルをBSに切り替えて連続テレビ小説『あさが来た』を見るのですが、「ライドシェア」の特集に見入って最後まで見たので『あさが来た』の冒頭を見逃してしまいました。
特集の前半では「ライドシェア」最先端のアメリカで暮らしがどう変わっているのかをテーマに、タクシーの代わりに利用する人が増えているだけでなく、さらにデリバリーサービスとしての利用も広がっているNYの実状が報告されていました。
番組で紹介されていたUberについて、2月上旬にアメリカへ出張した際にSFとLAで実際に利用しましたが、とても大きなインパクトを受けました。
利用者にとって、スマホのアプリに必要な情報を登録しておけば、事前に予約することなく、必要な時に、必要な場所から必要な場所まで、スマホのアプリをタップするだけで利用でき、しかもタクシーより料金が安いので有り難い限りです。手配すると直ちに待ち時間の予想タイムが示されるとともに、通知した目的地に基づいて目的地までの進路が設定されて料金の予想額も示されます。乗車時には目的地や進路を伝える必要もなく、目的地に着いても料金の決済や書類のサインはまったく不要、我われにとって不慣れで面倒なチップも不要です。
ドライバーさんのお名前も明示されていますし、乗車後には5段階評価のアンケートとともに、忘れ物などの問い合わせサポートがあるなど、色々と至れり尽くせり。Uberがアメリカの市民から社会的存在として認められているのも納得です。
今や、世界各地で利用できるUber。
番組でも「アメリカやヨーロッパだけでなく、東南アジアやアフリカなど世界70か国にまで広がっています」と報じていましたが、日本では「無免許営業のタクシー、いわゆる『白タク』にあたるとして、原則禁じられています」と・・・
わが国では原則禁じられているUberに対して番組の後半では、わが国でも例外的に特例で認められている公共交通機関が少ない過疎地域での取り組みとして、4月から実験的に始まる京丹後市の取り組みが報告されていました。
京丹後市丹後町地区、人口5,600人、高齢化率40%の過疎の町です。8年前にタクシーの営業所がなくなって、公共交通機関は路線バスのみ。番組で映っていたバス停の時刻表は一日4便。クルマを運転できない方やその家族にとって、必要な時に、必要な場所で、必要な場所まで出かけることはできません。車があれば当たり前にできることが当たり前にできないのです。もしタクシーを利用するとなると、隣町のタクシーの営業所に連絡せざるを得ず、迎えの時間と迎車料金の負担を強いられます(隣町に行くわけでなくても)。
高齢化と過疎化が進んだ地域が抱える社会問題が放置されています。
そこで、この度、Uberのシステムを利用して問題解決に取り組むことになりました。Uberのシステムがあれば、必要な時に、必要な場所から必要な場所まで気兼ねなく車で移動できます。実際に番組で紹介されたテストケースでは、隣町からタクシーを呼ぶと1時間程度かかったのが20分で到着し、料金も3,000円以上かかっていたのが1,200円で済み、利用者にとって大助かりです。
番組ではドライバーの研修も紹介されていました。農家や会社を退職された方など10数人が登録されているなかにお寺のご住職もおられましたが「自分が車の運転ができる間は地域の皆さんのお役に立ちたい」と、それまで触ったことのなかったスマホにチャレンジです。
高齢者にはスマホやタブレットは扱えないというのは勝手な思い込みで、自らが必要なら使われるでしょうし、使って自らの世界が変われば必要性を実感し、さらに使って使いこなされることでしょう。進化する情報通信技術(ICT)を高齢者の社会参加に役立てず、勝手な思い込みで高齢者の社会とのつながりを閉ざすことは、ご本人はもとより、社会にとっても大きな損失です。
番組の最後で、安全性の確保とともに、タクシードライバーの雇用の喪失が課題として取り上げられ、タクシー運転手で作る労働組合による反対集会の様子も報じていました。
自交総連のサイトには「白タク合法化阻止」の主張が掲載されています。
その主張の最後に「住民にとって十分に便利で使い勝手がよいものとなるように、現在の補助制度を抜本的に充実させ、公共交通が持続的に運行できるようにしていけば、危険なライドシェアに頼る必要はなくなります」と記されています。
住民の足として真に使い勝手がよいためには、定期的な運行や事前の予約を必要とするものではなく、自らが必要とするときに必要な場所から必要な場所まで車を気兼ねなく気軽に利用できることが求められるはずであり、進化した情報通信技術のシステムを利用することでそれが可能で、しかも補助金に頼らなくとも実現でき、利用者の負担も今までより格段に安くなるのであれば充分に検討に値するでしょう。
安全性の確保は大前提ですが、「補助金」や「無償のボランティア」に頼ることは持続性や利便性に課題があり、進化した情報通信技術のシステムを利用した「有償の互助」としてのライドシェアは、高齢化と過疎化が進む地域の社会問題を「お互いさま」の心で解決する有効な手段であると考えます。
明日ありと 思う心の あだ桜
夜半(よわ)にあらしの 吹かぬものかは
(親鸞聖人)
朝のNHKニュース『おはよう日本』で「ライドシェア」が取り上げられていました。
いつもなら7時半になるとテレビのチャンネルをBSに切り替えて連続テレビ小説『あさが来た』を見るのですが、「ライドシェア」の特集に見入って最後まで見たので『あさが来た』の冒頭を見逃してしまいました。
特集の前半では「ライドシェア」最先端のアメリカで暮らしがどう変わっているのかをテーマに、タクシーの代わりに利用する人が増えているだけでなく、さらにデリバリーサービスとしての利用も広がっているNYの実状が報告されていました。
番組で紹介されていたUberについて、2月上旬にアメリカへ出張した際にSFとLAで実際に利用しましたが、とても大きなインパクトを受けました。
利用者にとって、スマホのアプリに必要な情報を登録しておけば、事前に予約することなく、必要な時に、必要な場所から必要な場所まで、スマホのアプリをタップするだけで利用でき、しかもタクシーより料金が安いので有り難い限りです。手配すると直ちに待ち時間の予想タイムが示されるとともに、通知した目的地に基づいて目的地までの進路が設定されて料金の予想額も示されます。乗車時には目的地や進路を伝える必要もなく、目的地に着いても料金の決済や書類のサインはまったく不要、我われにとって不慣れで面倒なチップも不要です。
ドライバーさんのお名前も明示されていますし、乗車後には5段階評価のアンケートとともに、忘れ物などの問い合わせサポートがあるなど、色々と至れり尽くせり。Uberがアメリカの市民から社会的存在として認められているのも納得です。
今や、世界各地で利用できるUber。
番組でも「アメリカやヨーロッパだけでなく、東南アジアやアフリカなど世界70か国にまで広がっています」と報じていましたが、日本では「無免許営業のタクシー、いわゆる『白タク』にあたるとして、原則禁じられています」と・・・
わが国では原則禁じられているUberに対して番組の後半では、わが国でも例外的に特例で認められている公共交通機関が少ない過疎地域での取り組みとして、4月から実験的に始まる京丹後市の取り組みが報告されていました。
京丹後市丹後町地区、人口5,600人、高齢化率40%の過疎の町です。8年前にタクシーの営業所がなくなって、公共交通機関は路線バスのみ。番組で映っていたバス停の時刻表は一日4便。クルマを運転できない方やその家族にとって、必要な時に、必要な場所で、必要な場所まで出かけることはできません。車があれば当たり前にできることが当たり前にできないのです。もしタクシーを利用するとなると、隣町のタクシーの営業所に連絡せざるを得ず、迎えの時間と迎車料金の負担を強いられます(隣町に行くわけでなくても)。
高齢化と過疎化が進んだ地域が抱える社会問題が放置されています。
そこで、この度、Uberのシステムを利用して問題解決に取り組むことになりました。Uberのシステムがあれば、必要な時に、必要な場所から必要な場所まで気兼ねなく車で移動できます。実際に番組で紹介されたテストケースでは、隣町からタクシーを呼ぶと1時間程度かかったのが20分で到着し、料金も3,000円以上かかっていたのが1,200円で済み、利用者にとって大助かりです。
番組ではドライバーの研修も紹介されていました。農家や会社を退職された方など10数人が登録されているなかにお寺のご住職もおられましたが「自分が車の運転ができる間は地域の皆さんのお役に立ちたい」と、それまで触ったことのなかったスマホにチャレンジです。
高齢者にはスマホやタブレットは扱えないというのは勝手な思い込みで、自らが必要なら使われるでしょうし、使って自らの世界が変われば必要性を実感し、さらに使って使いこなされることでしょう。進化する情報通信技術(ICT)を高齢者の社会参加に役立てず、勝手な思い込みで高齢者の社会とのつながりを閉ざすことは、ご本人はもとより、社会にとっても大きな損失です。
番組の最後で、安全性の確保とともに、タクシードライバーの雇用の喪失が課題として取り上げられ、タクシー運転手で作る労働組合による反対集会の様子も報じていました。
自交総連のサイトには「白タク合法化阻止」の主張が掲載されています。
その主張の最後に「住民にとって十分に便利で使い勝手がよいものとなるように、現在の補助制度を抜本的に充実させ、公共交通が持続的に運行できるようにしていけば、危険なライドシェアに頼る必要はなくなります」と記されています。
住民の足として真に使い勝手がよいためには、定期的な運行や事前の予約を必要とするものではなく、自らが必要とするときに必要な場所から必要な場所まで車を気兼ねなく気軽に利用できることが求められるはずであり、進化した情報通信技術のシステムを利用することでそれが可能で、しかも補助金に頼らなくとも実現でき、利用者の負担も今までより格段に安くなるのであれば充分に検討に値するでしょう。
安全性の確保は大前提ですが、「補助金」や「無償のボランティア」に頼ることは持続性や利便性に課題があり、進化した情報通信技術のシステムを利用した「有償の互助」としてのライドシェアは、高齢化と過疎化が進む地域の社会問題を「お互いさま」の心で解決する有効な手段であると考えます。
明日ありと 思う心の あだ桜
夜半(よわ)にあらしの 吹かぬものかは
(親鸞聖人)
この続きはまた明日
会計は算術ではなく、思想である
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