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宮 直史ブログ−“信はたていと、愛はよこ糸”

岡崎嘉平太記念館(岡山・吉備高原)で出会ったメッセージに深い感銘を受けました。
『信はたていと、愛はよこ糸、織り成せ 人の世を美しく』(岡崎嘉平太氏)
・・・私も、皆様方とともに世の中を美しく織りあげていくことを目指して、このブログを立ち上げました。よろしくお願いします。


こんにちは!宮です

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人間尊重 [2014年04月01日(Tue)]
「人間尊重」――ホンダの創業時からの企業哲学である「Hondaフィロソフィー」に謳われる2つの基本理念のうちの一つです。ちなみに、もう一つの基本理念は「3つの喜び」。
◆Hondaの原点<Hondaフィロソフィー>/Honda
◆創業者のメッセージ/Hondaぴかぴか(新しい)
本田さんと藤澤さんのメッセージ(↑)に魂を揺さぶられます。
人間尊重
自立
自立とは、既成概念にとらわれず自由に発想し、自らの信念にもとづき主体性をもって行動し、その結果について責任を持つことです

平等
平等とは、お互いに個人の違いを認め合い尊重することです
また、意欲のある人には個人の属性(国籍、性別、学歴など)にかかわりなく、等しく機会が与えられ<ることでもあります

信頼
信頼とは、一人ひとりがお互いを認め合い、足らざるところを補い合い、誠意を尽くして自らの役割を果たすことから生まれます
Hondaは、ともに働く一人ひとりが常にお互いを信頼しあえる関係でありたいと考えます

「人間は本来、夢や希望を抱いてその実現のために思考し、創造する自由で個性的な存在である」ととらえ、「こうした人間が集い、個性を尊重し合い、平等な関係に立ち、信頼し、持てる力を尽くすことで、ともに喜びを分かちあいたい」との思想。

フィロソフィーを単なる「ことば」として終わらせることなく、
Hondaで働く一人ひとりが主体者として実践しておられるとのこと。

ホンダの哲学である「人間尊重」を知識として知っていても、その意味するところを理解していませんでした。先週発売の日経ビジネスや日経ビジネスオンラインでユニクロの柳井さんの記事を読んだのをきっかけに、あらためて「人間尊重」の意味するところを学ぶべく、本田さんの本を再読。

以下、本田さんの本より抜き書きメモ
現在は技術革新の時代だとか技術者優遇ということで、技術が最高のもののようにいわれているが、私たちの会社が一番大事にしているのは技術ではない。
技術よりまず第一に大事にしなければならないのは、人間の思想と思う。金とか技術とかいうものは、あくまでも人間に奉仕する一つの手段なのである
(……)人間を根底としない技術は何も意味をなさない
「俺の考え」(新潮文庫)p.61

企業発展の原動力は思想である
従って、研究所といえども、技術より、そこに働く者の思想こそ優先すべきだ。真の技術は哲学の結晶だと思っている。
私は世界的視野という思想の上に立って理論とアイデアと時間を尊重し、世界中の人々が喜んで迎えてくれる商品を送り出すことに、研究所の真の意義を感じている。
「夢を力に」(日経ビジネス人文庫)p.191

経営者はあくまでも科学を中心にものを考えなければならないし、それから人間にたいしては哲学を中心に考えなければならないと思う。機械を動かすにはガソリンとスパナがいる。けれども、人間を動かすには、食糧(つまり金)と哲学がいる。何も奇跡なんかいらない。
「俺の考え」(新潮文庫)p.145

哲学なき技術は凶器であり、 行動なき理念は無価値である

現代の偉人は大衆の偉人であるべきだ。
昔の偉人のように人の犠牲によってなり立った偉人は断固として排撃すべきである。ナポレオンしかり。豊臣秀吉しかり。人の犠牲によってなり立っている偉人を崇拝するという思想は非情にこわい。
それは会社経営においてもこわいと思う。
一人一人の思想が違うように、それぞれ持味、得意が違うのだから、その得意をみんなして出し合って一つの法人という偉人をつくりたい。書類を届ければすぐ法人だというけれども、法人というものは円満な人格をもった人をいうと思う。
そうするには一人一人はあまりにも欠陥が多い。ぬきんでている人ほど欠陥が多い。人間はプラスマイナスすれば大体同じようなものだ。
しかしやはりぬきんでているものをみんなして大事に育て上げ、そしてマイナスのものをみんなしてとり去って共同生活していくところに、法人としての円満なる人格ができ、世間から高く評価される会社ができる
こういうふうな一人でない偉人、みんなして大勢の偉人、もっとひろげるなら日本人としての大きな偉人を私はつくりたい。紙くずがあるなら拾ってやるとか、おばあさんが車道を横断できなければ手をひっぱってやるとか、心あたたまるような行為、これも偉人だと思う。
昔のように「青年よ、大志を抱け」というように漠然としたことで教えるべきじゃない。偉人というものは自分の周辺にいくらもあるものだ、ということをわれわれが悟らなければならない。
それが会社を発展させる基本であると思う。
「俺の考え」(新潮文庫)p.68〜9

だから、人間は知らんうちにだれかに頼っているのた。だれかに頼っているから結局企業は伸びていかないということじゃないか。大きくなればなるほどそれが多い
そうかといって事業場をあまり小さくしてしまってもまずい。それは業種によって小さくてやれる業種と、大きくなければならない業種がある。その業種の特性というものがあって、適正な人数というものがあるはずだ。その人数をこした場合には、パーキンソンの法則というものがいやでも応でも入ってくる。
それを防止するのは何かといえば、これは個人個人である。
自分の考え方、自分の意思、自分の個性において働く。そして、命令を受けとったら、自分が理論的に納得して働いているかいないかということが非常に問題だと思う。
その企業の大きさが適正であっても、個人個人が理論的に納得の上で働いておらなければ、これは適正とはいえない。ある大きさをこすと、そういうものが比較的出やすくはなるけれども、しかも大きくなったからといって必ずそれが出るとは断言できないはずだ
「俺の考え」(新潮文庫)p.99

ドレイという言葉は行きすぎであろうが人間を私有物視し、希望も生き甲斐も生み出さぬような環境で働かすことはそれに近いといえるだろう。そして、そういう環境からは絶対にアイデアは生まれてこないアイデアが生まれないから企業が発展せず、賃金も上げられずという悪循環が生じてくるのである。
私の知っている企業にも、そういう悪循環から、脱しきれないところがある。その経営者をみていると、外面的には働き者のように見えるし、率先陣頭指揮のように見えるけれども、部下のアイデアを開発し、働く気特を起させないために、肝腎の能率や製品の向上に役立っていない場合がしばしばある
働くということは決して遮二無二動くということではない。個人の働きというものは知れている、人をしてその最高の性能を発揮させることが大切な時代なのである。
(…)
人間は智、仁、勇を備えることをもって最高の人格と考えられるが、経営者たるものは知恵、知識だけではだめ、仁と勇の浪花節だけでもダメ、三者が渾然一体になってはじめて一級の経営者といえるのである。大企業であれば、経営者に智、仁、勇が欠けていても、多くの人材がこれを支えくれるが、中小企業はその支えがないだけに経営者は辛いわけである。
しかし、従業員を大切にし、希望ある仕事を与えることができれば、仕事を前進させるアイデアは自ずとして湧き出し、その成功は期して待つべきである
「俺の考え」(新潮文庫)p.165〜7

しかしながら企業をつぶして給料をもらう手はないから、
経営者も従業員もお互いに協力し合って企業を大事にして、自分が幸福になりたいための企業であるということにめざめるべきだと思う。
企業に徹するために自分が犠性になるという考え方ではなくで、自分が幸福になるために企業をお互いに大事にし合うそして能率を上げるということだ。
そこで経営者に一番大事なことは、もちろん企業を大事にしなければいけないけれども、それ以上に大事なことは、そこに働きに来る人たちは、それぞれ自分の生活をエンジョイするための一つの手段として来ているのた、という意識に徹することである。滅私奉公のようなつもりで来ているのと、自分の生活をエンジョイするために真剣に働く人とは違うと思う。
(…)要するに会社のためということじゃなくって、個人のわれわれがよりよい生活をするために働きに来る場所が一つの企業としてあるべきだ。
「俺の考え」(新潮文庫)p.149〜50

惚れて通えば千里も一里”という諺がある。
それくらい時間を超越し、自分の好きなものに打ち込めるようになったら、
こんな楽しい人生はないんじゃないかな。
そうなるには、一人ひとりが、自分の得手不得手を包み隠さず、ハッキリ表明する。
石は石でいいんですよ、ダイヤはダイヤでいいんです
そして、監督者は部下の得意なものを早くつかんで、
伸ばしてやる、適材適所へ配置してやる。
そうなりゃ、石もダイヤもみんなほんとうの宝になるよ。
「夢を力に」(日経ビジネス人文庫)p.237〜8


哲学なき会計は凶器であり、 実践なき会計は無価値である
このブログのカテゴリー(道しるべ)に<人間尊重>を新たに設定位置情報


以下、山本有三編著『心に太陽を持て』本より
(…)
ミレーによって取りあげられたものは、生きている農村の姿であり、
働いている農村の人々の姿です。
こういうものの中に、「」を感じ、それを絵にしようとした画家は、
今までほとんどありませんでした。
ところが、ミレーは、農村の労働を、農村の人々のつつましやかな信仰を、
はじめてカンバスの上に描きだしたのです。
これは土からの画家、ミレーでなくてはできないことです。

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生誕200年 ミレー展(2014/7/19〜)/山梨県立美術館

 
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