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アタマではわかっているけれど...
カラダがついていかない...ココロがとまどってしまう...

そんな、かつての自分のような若き人たちに

リスクと隣り合わせで波瀾万丈の人生を楽しむ
中小企業経営者 兼 明治大学起業論講師が
ココロをこめて「喝」を入れるメッセージ集

(近日出版予定)
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自分の思いを言葉で表現できない。[2008年05月31日(Sat)]
Q:自分の思いを言葉で表現できない。
A:毎日の小さな感動体験を写真で撮り一言で書く練習。


 「思い」と「考え」は似て非なるものです。

 あえて極端に対比して言うなら、「思い」は理屈抜きで自分の「心」にわきあがるものでしょう。それに対して「考え」は客観的に目的に適うように「頭」を使うものです。

 どちらも大切な働きですが、とりわけ「思い」をきっちり語れる人が少なくなっています。自分の心のままに「私はこう思います」「私はこう感じます」と一言で言い切れる人には、なかなか会えません。

 おそらくは、「思い」が浮かんでも、うっかり口にしようものなら....

「教師や上司ににらまれるのでは」「仲間から浮いてしまうのでは」「頭が悪いと思われるでは」「かっこわるいのでは」

....などと先読みをしてしまうのでしょう。そうやって、自分に縛りをかける「気働き」を続けているうちに、いつしか「心」そのものが動かなくなってしまったのかもしれません。

 そんな頭でっかちで心が堅くなっている人たちが、再び、自分の「心」を柔らかくして「思い」を芽生えさせ素直に表現するには、毎日のストレッチとリハビリテーションが必要になります。

 心のストレッチやリハビリは、いつもの仕事をしている時に、いつものメンバーに囲まれた職場で、いつもの役割を演じながら実行するのは難しいものです。

 まずは、プライベートな時間に、職場以外の場所で、なるべく仕事と関係のない「小さな感動」を覚えることから始めなければなりません。

 私が自ら実践している一番お勧めの「心の体操」は、カメラつきケータイを使って、いつでもどこでも5分でカンタンにできる「ケータイ・エキササイズ」です。

 まずは、通勤や移動の途中に、あるいはランチタイムに、何でも眼についたものを、ケータイで写真に撮ることから始めましょう。道端の花、何かに似た形の雲、絶品のランチ、面白い看板、珍しいマンホール....何でも構いません。

 当初は、誰かに伝えることを考える必要もありません。伝えようとすると余計な考えが浮かんで、心が固まってしまうからです。ただ、自分が面白いと思うものを写せば、それだけで良いのです。こうして理屈ではなく「何だか面白いもの・こと・ひと」を探すことから、心のストレッチを始めましょう。

 最初は意識して探さなくては見つからないかもしれません。しかし、3ヶ月もすれば、労せずして写したいものを探せるようになるでしょう。そして、いずれは誰かに伝えたくなるものごとが自然に眼に飛び込んでくるようになるから不思議です。

 こうして、日常生活そのものの見慣れた景色の中にも、よく見れば、こんなにも面白いことが満ち満ちていることに気づけばしめたものです。子供の頃の感性を取り戻しつつあるのです。

 もちろん、撮った写真をそのまま家族や同僚に見せても構いません。しかし、突然いつもと違う行動を取るのは、相手が驚きそうで勇気がいるでしょう。そこで、写真に短いコメントを添えたケータイブログを書くのがお勧めです。

 ブログといっても難しくはありません。ケータイ電話会社が提供する無料ブログサービスを使えば、いつでもどこでも写真付きメールを送るだけでページを更新できます。 

 コメントも、その写真を見て浮かんだ「思い」を短く綴るだけで構いません。その時に「きれい」「たのしい」「うれしい」「すごい」「かわいい」といった素直な感情を飾らずに書くことが、何より大切です。社会人になると、ついつい喜怒哀楽や泣き笑いの感情を抑えてしまいがちです。それを、もう一度、子供のように短い言葉で、口にする代わりにブログに書くのです。

 このケータイ写真ブログを1年も続ければ、観察力、感動力と会わせて、思いを簡潔に言葉にする表現力も磨かれるはずです。そして、見知らぬ読者はもちろん、ブログを教えた友人からも写真や言葉を褒められて自信がつけば、もう大丈夫です。人前で思いを語ることも難しく感じなくなっているでしょう。

Posted by 久米 信行 at 00:56 | 第二章コミュニケーション編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

パーティ・懇親会などの場が苦手、積極的に動けない[2008年05月28日(Wed)]
Q:パーティ・懇親会などの場が苦手、積極的に動けない
A:名刺を熟視。話のツボを質問で探して会話を弾ませる


実は、私もパーティや懇親会が苦手でした。

わざわざ声をかけるのは億劫だし、声をかけられるのも面倒だったのです。

不特定多数に出会うパーティでは、事前に「ググってウィキして会いに行く」こともできません。ですから、ややもすれば、浅薄な「形だけの会話」になりがちです。

しかし、ある時、名刺交換の時に「ちょっとした質問」をすることで会話が弾んで関係が一変することに気づきました。その質問で相手の気持ちにスイッチが入って、距離が突然縮まる経験をしたのです。

と言っても、特別な技術や知識を必要とするわけではありません。強いて言えば、相手に真摯な関心を寄せる気持ちと、質問を投げかける勇気さえあれば良いのです。

まずは、いただいた名刺をよく眺めてください。名刺を、表も裏も良く眺めて、話のきっかけにする人は、いそうでいないものです。

一人でも多くの人と深くコミュケーションをしたいと思っている人は、まず名刺からして違うはずです。平凡なビジネス名刺ではなく、そこに話題が弾むような工夫があったら要注目です。そんな人は(あるいは会社は)「話しかけられたい」「話したい」という強い欲求を持っている可能性が高いのです。まずは、こうした前向きな人と会話を楽しむ練習をするのがお勧めです。

例えば、「名刺の色が印象的」「名刺の形が面白い」「笑顔の似顔絵や写真つき」「自分のモットーが書かれている」「個人ブログのURLが書かれている」「個人名刺や団体名刺も渡される」といった印象的な名刺交換に出くわしたらチャンスです。

こうした名刺を渡してくださる方は、会社よりも自分のことをお話したがっている場合が多いのです。そこで、名刺の特長を褒めながら簡単な質問をしてみましょう。

「素晴らしいモットーをお持ちですね」
「どんなブログを書かれているのですか?」
「この団体はどんな活動をされているのですか?」

こうしたシンプルな質問でもきっかけには十分でしょう。あとは、そのお答えに合わせて、さらに浮かんだ素朴な疑問を投げ返せば良いのです。言わばインタビュアーの気分です。そのうちに、自分との共通点が見つかれば積極的にお話しても良いでしょう。しかし、一方的に聴いていても構いませんし、その方が喜ばれることも少なくありません。

また、たとえ普通のビジネス名刺を持っている方でも、最初の質問は決まり文句で良いのです。

「素敵なお名前ですね。どちらのご出身ですか?」
「今は、どんなお仕事をされているのですか?」
「どんな商品・サービスがおすすめですか?」

要は、相手が考えないでも習慣で答えられる「簡単な質問」から差し上げることが、話を弾ませることにつながるのです。

やがてそ、仕事にせよ趣味にせよ、相手が熱中するテーマが見えてきた時点で、

「どんな時が一番楽しいですか?」
「どんな時に達成感を感じますか?」

といった、より主観的本質的でライフワークに関わる質問をしてみてください。時には、ちょっと考える時間が必要かもしれません。しかし、あせらずに耳を傾ければ、その人の内面からにじみでる生きた言葉を聴くことができるでしょう。

こうした質問に力強く楽しそうに答えられる人ならば、ぜひとも最後に極めつけの質問をぶつけてください。

「あなたの夢はなんですか?」

この質問に即答できるような人ならば、これをご縁にぜひおつきあいをしたいものです。たとえ登る山は違えど「道を歩み続ける師や友」は、何人居ても良いものです。互いに影響し合いながら、一歩前に進む勇気を鼓舞してくれるでしょう。

もちろん、自分自身も、思わず目を惹く名刺と、とっておきの夢やライフワークを語れるように準備をしておきましょう。

パーティや懇親会が苦手でも、カンタンな質問+楽しい名刺+熱く語れる夢という三種の神器があれば、相手のふところに気負わず跳び込むことができるでしょう。

Posted by 久米 信行 at 00:03 | 第二章コミュニケーション編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

出会いが「一見」「一瞬」で終わってしまう[2008年05月21日(Wed)]
Q:出会いが「一見」「一瞬」で終わってしまう
A:会う前、会っている時、会った後に愛情表現を


 せっかくお会いしても、話が弾まず心響き合わずに、そのまま一生のお別れとなってしまう。

 これほど寂しいことはありません。

 貴重な「一期一会」の機会を生かしきれなかった原因は、「会う前の準備不足」「会っている時の傾聴不足」「会った後のフォロー不足」という「三大不足」が重なったことでしょう。そして、多くの場合、その「三つの不足」が露呈する根本的な原因は、「お会いする方への愛情不足=無関心」でしょう。

 悲しいかな、これまで「輝いている人にあったことがない」「表面的なおつきあいしかできていない」だから「どんな人も思わぬ面白い一面があることを知らない」「あらゆる人に学ぶところがあることに気づかない」ようであれば、まずは「関心=愛情を持つ」ことから始めましょう。

 誰しも、自分に真摯な関心を寄せてくれる人、共感し理解してくれる人、敬意を表わしてくれる人を前に、口をつぐんだり、すぐに追い返したりすることはないはずです。

 その上で「三つの不足」を解消する習慣をつけましょう。


1 会う前の準備不足の解消

 お会いする前に、ネットでお会いする相手のことを調べて置けば、お会いした冒頭の一言が違ってきます。その方にまつわるホームページ、ブログ、書籍など、話を弾ませるための素材やヒントがいっぱいです。

「先日発売された新商品、大好評で品切れのようですね。私も早速買いました。」
「この前、開催されたイベント、私も家族で出かけて楽しませていただきました。」
「ブログを拝見しましたが、先日の京都の寺社めぐりを楽しまれたのですね。」
「ご著書を拝読して、この言葉が印象に残りました。サインをいただけますでしょうか?」

 名刺交換に前後にして、こうした一言があるだけで、たとえ初対面であっても話やすさ、話の深さが変わってくるはずです。


2 会っている時の傾聴不足の解消


 面談中も、こちらの気持ちとは無関係に、一方的に話す人を良く見かけます。おそらく、セールストークを準備して、それをすべて言わないと気が済まないのでしょう。

 「傾聴」とは文字通り、「相手の話に真剣に耳を傾ける」ことです。あくまでも相手が主で、自分が従。お話の流れに沿って、質問を投げかけて、相手が一番話したいことを聞き出すことができたら最高です。

「この新商品開発の裏では、どんなご苦労があったのですか?」
「あのイベントには何名ぐらいのお客様がいらっしゃいましたか?」
「京都で一番お好きな寺社はどちらですか?」
「次は、どんなご著書を書かれる予定ですか?」

 事前に調べた情報をもとに、タイミング良く質問をして、真摯に耳を傾ければ、きっと話が弾むことでしょう。


3 会った後のフォロー不足の解消

 楽しい面談を一回で終わらせないためには、お会いした後のフォローが大切です。

 それには、面談した時に一番印象に残った言葉を憶えておくことが大切です。その一言を元に、ブログがあればお礼ブログを書きましょう。その上で、ブログ記事をご紹介しつつ、お礼メールやお礼状を書くのです。

 もし、お礼メールやお礼状をきっかけに、自分のブログやサイトなどを見てくださって関心を持ってくださったら、きっと返事が届くはずです。

 そして、この方と生涯おつきあいがしたいと思ったら、お会いした方のブログやメルマガなどを定期的に拝読しましょう。それが、次にお会いするきっかけになると同時に、話の種にもなるはずです。

Posted by 久米 信行 at 09:27 | 第二章コミュニケーション編 | この記事のURL | コメント(1) | トラックバック(0)

自分の提案が否定された時に「返す言葉」がわからない[2008年05月20日(Tue)]
Q:自分の提案が否定された時に「返す言葉」がわからない
A:否定の理由はどうあれ「もう一度勉強して出直します」


 「ウチは要らないよ」「他に決めたよ」「もう来ないでいいよ」

 こうして、懸命の提案を一言のもとに否定する言葉は、胸に突き刺さるものです。返す言葉もないというのが本音でしょう。

 しかし、提案が否定される時は、必ずしも提案内容やプレゼン方法が悪かったとは限りません。多くの場合、商談は「時機=タイミング」に左右されます。そして、お互いの「縁」が深まり「気運」が高まった時にまとまるからです。

 ですから、私のところに飛び込みで接触してくる人たちの提案は、まず8〜9割はお断りすることになります。冒頭のような「きつい一言」を、実は、私も毎日のように口にしているわけです。

 しかし、それは、決して、その会社や担当者が嫌いなわけではありません。たまたま今はニーズがかみあっていないからお断りしていることが多いのです。

 中には興味がある会社や商品があり見込みのある人もいます。それなのに、なぜか一回で諦めて、その後はコンタクトが途絶えてしまう人がほとんどです。

 最初の一回で、タイミングも気持ちもピッタリ合うのは、よほど運が良くて縁に恵まれた時だと心得ましょう。むしろ、先ほどのつらい「否定トーク」を浴びても「初回は当然」だと割り切って、その答えの裏に隠れた「可能性に光を当てる」ようにしたいのです。


1)「ウチは要らないよ」→他の商品や会社なら要るかもしれない

 商品が一つしかない会社はともかく、多くの場合お客様のニーズに合った取り扱い商品があるはずです。場合によっては、自社商品以外を仕入れて販売しても良いかもしれません。要らないとおっしゃった方が、何なら欲しいのかを聞き出して、次回の訪問時はしっかり準備をしたいのです。

2)他に決めたと言われた場合→次はチャンスがあるかもしれない

 既に見積もりの精査や導入が終わっている場合でも、次回の見積もりには参加できる可能性があるはずです。むしろ、導入が決定した後ならば、いろいろな参考情報を聞き出せるかもしれません。例えば、何が採用の決め手だったのか聞き出せれば、次回はよりニーズに添った提案をできるでしょう。
 
3)来ないでいいと言われた場合→根気を試されているかもしれない

 もし、私が「もう来ないでいい」と言ったとしたら、半分は本気で、半分は担当者を試している気持ちでいるのです。しかし、実際には、何度も挑戦してくれる人はごく少数です。多少要領が悪くとも、足繁く通ってくれれば、少しずつ会ったり、ヒントを与えたくなるものです。


 ですから、初回はもちろんのこと何度か「否定」されたところで、「気に病む必要」はありません。どのように否定されたかで、「もう一度勉強して出直す」ヒントが与えられるのです。そのヒントは、足を運べば運ぶほど、否定されればされるほど明確になるでしょう。

 返す言葉は、決してセールストークでも、応酬トークでもありません。不勉強を素直に詫びながらも、「相手のお気持ち」と「真のニーズ」を引き出す質問力が大切です。そこでヒントが引き出せれば、次回の訪問にきっと役立つでしょう。

 次回のヒントがつかめたら、深々とお礼をして「もう一度勉強して出直します」と明るく再挑戦の決意を伝えましょう。

Posted by 久米 信行 at 10:43 | 第二章コミュニケーション編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

自分の提案が否定されると「終了」してしまう[2008年05月14日(Wed)]
Q:自分の提案が否定されると「終了」してしまう
A:否定がスタート。成功率は失敗回数に比例する


「打たれ弱い」「すぐへこたれてしまう」

 残念ながら、ブログ起業論を受講する学生たちと接すると、こうした印象を持たざるを得ません。自らのブログを名刺代わりに、それぞれの提案を握りしめて「会いたい人に会いに行く」課題をこなそうとするのですが、ちょっと断られただけで「すぐにあきらめてしまう」のです。

 これは、おそらく幼少期における「失敗する経験」「否定される経験」と、それでも「繰り返し再挑戦して克服する実体験」が、圧倒的に不足しているのでしょう。

 しかし、今からそれを嘆いても始まりません。体験が足りないと感じたら、今日から心構えを改めて体験を重ねればいいのです。否定されても否定されても、工夫や改良を加えながら、挑戦を続けるクセを身につけるには、ただ実行あるのみです。

 私は、もともとゲームのシナリオを考えるゲームデザイナーをしていました。言わば、ゲームに挑戦する人の運命を決める神様のような役回りをしていたのです。

 そこでは、確率変数が重要でした。例えば、ある扉を開けて次のステップに進める確率を決めるとしたら、こんな発想でルールを決めていきます。

 何もしないで、ただ扉を押しても、開く確率は1/50。
 しかし、それを10回以上試したら確率は1/20になる。
 また、経験値が一定以上なら確率は2倍になる。
 さらに、特別なアイテムを手に入れても確率は2倍になる。

 こうしたルールも、今思えば、先人たちの実社会の経験則をヒントに作られていることがわかります。それは「試せば試す程、即ち失敗すればするほど成功率が上がる」「経験を重ねた人ほど、ツールを駆使した人ほど成功率が上がる」という、誰もが納得しうる経験則です。

 かの経営の神様、松下幸之助翁も、「大忍」という座右の銘を掲げて、「成功のコツは成功するまで失敗を重ねること」と後進に説いたそうです。これは、成功確率が高まる前に、何度かの失敗であきらめてしまう人が多いことを戒めたものでしょう。

 私はゲームデザイナーとして、こうした確率変数で運命を決める発想に親しんだおかげで、失敗を重ねることが怖くなくなりました。その後も厳しい修羅場に直面しては失敗を重ねることもありましたが、「あと何回失敗すれば成功率が上がる」「もう少し工夫をすれば成功率が上がる」と前向きに考えることができるようになりました。

 よく考えれば、これはちょっとした「発想の転換」に過ぎません。特別にスキルが上がったわけでもありません。しかし、心構えを少し変えただけで、うたれ強く、粘り強くなることができたのです。

Posted by 久米 信行 at 00:50 | 第二章コミュニケーション編 | この記事のURL | コメント(3) | トラックバック(1)

飛び込み営業ができない[2008年04月28日(Mon)]
Q:飛び込み営業ができない
A:確率わきまえ根気勝負。対人感受性とお悩み解決力を磨く


 数ある私の職業経験の中でも「飛び込み営業」ほど役に立った特訓はありません。

 しかし「飛び込み営業」の重要性に気づいて、前向きに取組んでいる人は少ないでしょう。おそらく若手社員や学生に聞くと、一番やりたくない仕事だと答えるはずです。

 私の社会人生活は、町の玩具屋さんにファミコンゲームソフトの跳び込み営業をすることから始まりました。リストも無いので、駅に降りては道行く子供たちに聞き込みをしました。そして、もちろんアポイントメント無しで飛び込んで行くのです。

 すると、店先でいつも目にするのは、売れ残った自社製ゲームの山でした。ですから、売り込むどころか「いいところに来た。これを持って返ってくれ。」という一言から会話が始まるのが常でした。

 こんな状況では、学歴も大学のゼミで研究したことも、まったく役に立ちません。

「なぜ、私がこんな目に合わなければならないのか」
「こんな逆境では、誰がやっても売れるはずがない」

 自問自答しては落ち込んで自信を失い、就職先を間違えたのではと自分を哀れむ毎日。まさに何ヶ月かは茫然自失の状態だったのです。

 しかし、だましだまし3ヶ月も「飛び込み営業」を続けるうちに、少しずつ変化が表れました。回数を重ねるうちに、耳を傾けてくれるお客様が表れ、雑談をしているうちに、ふと気づいたり感じたりすることがあったのです。

 まず「飛び込み営業」に必要なのは、「質」よりも「量」、「訪問件数」と「訪問回数」だとわかりました。ごく当たり前の確率変数と経験則を体感したのです。一件一件、一回一回、落ち込む暇があったら、もう一件、もう一回お訪ねした方が、会ってくださる人と、会ってくださる時間が増えるのです。

 そして裏付けの無い自信が薄れて、生身の自分で勝負するしかないという割り切りが出来るようになりました。自分が入社する前に築かれたお客様の不満や、評判のよくない新作ソフトの出来も、「今ここにある難しくてやりがいのある課題」だと、腹を括れるようになりました。

 何より、お客様の最大の悩みは、「次々に新作が出るが、品切れになる人気作と売れ残る駄作にはっきりわかれるので、仕入れが難しい」ことだと察することができました。

 それなのに、私は、一方的に「うちの新作を買ってください」と言い続けるだけだったのです。何がお悩みなのかを、聞いたり察したりする努力を怠っていた「対人感受性ゼロ」の人間だったわけです。

 悩みさえ判れば、私にできることは明らかです。仲良くなった小売店様、問屋様から「あの話題のソフトは、何本仕入れる予定」という情報を集めてまとめて、他のお客様のヒントになる情報をご提供するようにしました。また、ゲームのデモなどで出逢った子供たちや、ファミコン専門誌の記者の情報なども、お伝えするようにしました。

 ライバル会社のソフトに関する情報提供が中心になりますから、一見すると、自社製品の販売には無縁に見えるかもしれません。しかし、こうした情報提供のおかげで、いつでも歓迎してくれて、本音の会話ができるようになりました。すると不思議なもので、お客様のところに行くのも楽しくなったのです。

 業界や業種に関わらず、お客様の悩みさえわかれば、想像力を働かせて必要な情報を集めることは難しくないはずです。そして、不思議なことに、質より量を重ねてお客様と深い話を交わしているうちに、貴重な情報や智恵が得られます。そして、対人感受性も想像力もどんどん磨かれていくのです。

 こうした力は、学校やネットで学べるものでも、机上で考えられるものでもありません。お客様の懐に跳び込んで、時に拒絶され、時にいじめられながら、信頼を得て行くプロセスの中でこそ磨かれて行く「生きたスキル」なのです。

Posted by 久米 信行 at 15:46 | 第二章コミュニケーション編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

上司や同僚と"ケンカ"できない[2008年04月26日(Sat)]
Q.上司や同僚と"ケンカ"できない
A.三方よしのケンカは厭わない。疑問はすぐに尋ねる。


「理不尽であっても、まあいいかと受け流す」
「それでいて、裏では愚痴と陰口を言う」

 こんな人たちを、業種や規模を問わず、あらゆる企業で見かけることでしょう。こうした人が増えると、短期的には企業の不祥事につながり、長期的には企業の衰退の要因になるのです。

 おそろしいのは、それだけではありません。この二つの行動を繰返すうちに、いつの間にか自分の習慣となり、やがて思考様式、行動様式そのものになってしまうのです。

 とは言え、上司や同僚に苦言を呈したり、代替案を具申するのは、大きな勇気が要ります。多かれ少なかれ、摩擦は避けられないでしょう。私も、新進のベンチャー企業と、伝統的な大企業、そして中小企業で、同じ辛い経験を嫌という程しました。新規事業や新規サービスを始める時には、この手のミニバトルは日常茶飯事なのです。

 上司や同僚にモノ申す勇気を振り絞り、摩擦を最小限にとどめるにはコツがあります。

 まずは、自分のため所属する部署のためといった、小さな立場で考えていないか自問自答します。あの上司が気に食わない、あの同僚とはそりが合わないといった、小さな自我で反発している場合もよくあるからです。こうしたケンカは、私怨が増幅されるばかりで建設的ではありません。

 考えるべきは、買い手よし、世間よし、売り手よしの「三方よし」に叶った反論や提案かどうかです。

 買い手よし。自社の都合でお客様のニーズを満たさず不満が募っている場合には、お客様のかわりにモノ申さねばなりません。

 世間よし。例えば、地域コミュニティや地球環境を害して、将来、社会的な信頼を失ったり、子孫につけを残す可能性があるとしたら、直言しなければなりません。

 売り手よし。こうして、お客様と社会の信認を得ながら、将来のトラブルの芽も摘み取っておくことで、自社も安定的に利益を挙げ、長く存続できると肝に銘じなければなりません。

 小さな自我からではなく、三方よしの大きな視点で考えている意見ならば、発言をためらう必要はありません。たとえ、短期的には憎まれ役になっても、長期的にはお客様、世間、同僚の喜びにつながると確信できれば、ケンカする勇気がわいてくるはずです。

 もう一つ心しているのは、上司や同僚の判断に「疑問を感じたら、その時すぐに尋ねてみる」ことです。これは、不要なケンカをしない、無用の不満を抱えないための簡単で有効な智恵です。

 その場で聞いてみれば、わかることが多々あります。一見不自然な意思決定も、自分の思慮を超えた「三方よし」の判断によるものかもしれません。それが判れば、胸のつかえがとれてスッキリするでしょう。誤解をして無用なケンカをする必要もありません。

 時には、静かに放った質問が、上司や同僚の気づきを生んで、新しい対応に変わるかもしれません。質問をすることで相手の判断力とやる気を引き出すコーチングの手法は、上司から部下に対して有効なだけではなく、逆もまた真なりなのです。

 もし、質問をしてお互いの理解を深めても、まだ目先の独善的な判断が変わらず、納得できないのであれば、堂々とケンカをする勇気を持ちましょう。

 恐れることはありません。幸いにして、私が仕えた上司には、お客様の立場や長期的な視点で、上層部にももの申す人ばかりでした。その尊敬すべき先輩方は、結果として社内外にファンを増えして、今も立派に活躍されていることが、良いお手本になっています。

Posted by 久米 信行 at 00:21 | 第二章コミュニケーション編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

違うと思っていても偉い人や大勢の意見に流されてしまう[2008年04月22日(Tue)]
Q.違うと思っていても偉い人や大勢の意見に流されてしまう
A.人の行く裏に道あり花の山。全員賛成ならば廃案という智恵


「人の行く裏に道あり花の山」

 これは、有名な株の格言です。人の真似をして「順張り」で投資をしていると、ついつい高値で株を買ってしまったり、安値で株を買えなかったりするのです。あえて人の反対を行く「逆張り」で投資をすると利益が上がると、先人たちは見抜いていました。

 私がかつて制作に関わったファミコンゲームソフト「松本 亨の株式必勝学」も、この有名な格言で始まります。松本先生からも何度もこの格言を聞かされていたにも関わらず、その後、日興證券に転職した私はこの教えに背いてしまいました。そして、バブル崩壊で大失敗を味わうことになります。

 バブル崩壊前夜の日本は大いに浮かれていました。誰もが株式投資の魅力に取り憑かれ、発売された有名経済誌に掲載された有名評論家の株価予測も、軒並み超楽観的な株高予測でした。銀行も証券会社も、争って自社株式を時価発行増資していました。私も上司の勧めで社内融資制度を使ってまで自社株を買ったのです。

 その前後にどんな悲喜劇が起こったか、図書館で新聞や雑誌のバックナンバーをぜひ読んで学んでください。誰もが同じ意見に傾いた時こそ、勇気を出して反対の意見を述べ反対の行動を取るべき時なのです。

 長い歴史を持つユダヤ人の教えの中にも、多勢の意見に流される「危険な愚行」を戒めた格言があります。それは「多数決で全員同じ意見=満場一致になった場合は、その提案は採択しない」というものです。

 日本では「満場一致」「異議なし」を良しとする儀礼的な採択もよく見られます。しかし、満場一致の時こそ判断を誤りやすく、危険な兆候であると見抜いて警告をしているのです。

 逆もまた真なり。「賛同者が少ないアイディアにこそ大きなチャンスが宿る」という逆転の発想も有効です。

 私も、これまでいくつもの新規事業や新商品開発を体験してきました。しかし、会議で「誰もがいい」と賛同するような商品は、ライバルに先行されたり、商品の陳腐化が速かったりしました。むしろ、賛同者がごく少数しかいない提案の中にこそ可能性が秘められていたのです。

 ですから、人と違う意見を持つことを恥じて、発言をためらう必要はありません。

 誰もが賛成と口を揃える意見にこそ、大きなリスクが隠されているかもしれないのです。むしろ「ここで自分が止めなければ誰が止めるのだ」と、強い使命感を持って欲しいのです。逆に、たとえ少数意見であっても、将来の可能性が見出せたなら、堂々と主張すべきです。

 そんな勇気ある若き社員がどれだけいるかが、明日の組織の活力を示すバロメーターです。リーダーがイエスマンばかりに囲まれて、少数意見に耳を傾けなくなったら危険信号です。

 だからこそ、勇気を持って反論すべき時は、堂々と反論してください。

Posted by 久米 信行 at 19:37 | 第二章コミュニケーション編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

恥ずかしくて、講演会や勉強会で一番前に座れない[2008年04月20日(Sun)]
Q:恥ずかしくて、講演会や勉強会で一番前に座れない
A:一番前こそ人目を気にせず講師と親密になれる特等席


 講師として演壇に上がった時に一番寂しいことは、最前列が空いていることです。大学の講義はもちろん、多くの勉強会、講演会でも、後ろから席が埋まっていくのが「日本の悲しい現実」です。

 だからこそ、一番前に座れば目立ちます。講義中も、講師と眼を合わせ、時に頷き時に首を傾げ、面白かったら大いに笑えば、講師も自分も幸せな気分になります。そして、質疑応答の時間になったら、真っ先に手を挙げて質問をして欲しいのです。 

 一番最初に手を挙げようとするなら、特等席は数席しかありません。意外に思われるかもしれませんが、講師の目前「一番前の席」に座るのが、最も質問がしやすい場所なのです。私も、講義や講演に一聴衆として参加する時には、なるべく一番前に座るように心がけています。

 一番前に座るのは照れくさいので、多くの人が避けているでしょう。しかし、座ってみれば、思わぬ心地よさと気軽さに気づきます。何といっても、質問や意見を言う際に、みんなが一斉に振り向く怖さもありません。講師や議長と一対一で話す感覚に近いのです。

 また、講師に一番近いということは、言葉にならない「気迫」や「思い」も実感できるということです。達人を前にした時に、息づかいもわかる場所にいるのといないのでは「伝わり方」が違うのです。

 一番前の席では寝ることもできないので、自ずと「真剣に聴く」ことになります。講師の気迫を感じながら、目と目を合わせて真剣に聴けば、自ずと講師が伝えたいメッセージで身も心も満たされます。講師のちょっとしたジョークにも自然に笑顔が浮かび、悲しい話には涙が込み上げます。

 講師は必ずそれを見ています。一番前にいて反応をしてくれる人こそが、一番大切なお客様です。最前列の聴衆が真剣に耳を傾けてくれて、自分の主張や喜怒哀楽に同調してくれれば、講師も気合がのってきて話しやすくなるのです。

 最前列で話を聞くことは、極めて簡単で効果的なコミュニュケーションの訓練です。毎回最前列で一流の達人たちと心通わせる訓練を繰り返せば、後ろの席でただ聞き流している人とは、コミュニケーション能力に大きな開きが出ることでしょう。言うならば、「目の前の人を喜ばせて、話しやすい空気を作る力」が自然に身につくのです。

 こうして講義中に「最もよく聴いてくれた人」が、真っ先に手を挙げて「良い質問」をしてくれた時ほど、講師冥利につきる嬉しいことはありません。さらには、講義後に駆け寄って「名刺交換」と「感想やご意見」を聞かせてくれたなら感無量でしょう。

 だからこそ、次の勉強会や講演会からさっそく訓練を始めましょう。自分に課すべき新しい習慣はたった3つです。

1.一番前に座って講師の眼を見つめつつ傾聴すること
2.一番最初に手を挙げて質問をすること
3.一番最初に講師に駆け寄り名刺交換をすること

 見ての通り、それは決して特別な能力ではありません。今日からやるかやらないか。その「決意」と「実行力」だけが必要なのです。

 この3つの新しい習慣を、3回も試してみれば、その面白さと効果をきっと実感できるはずです。ぜひチャレンジしてください。

Posted by 久米 信行 at 21:25 | 第二章コミュニケーション編 | この記事のURL | コメント(1) | トラックバック(0)

一番最初に手が挙げられない、口火を切れない[2008年04月20日(Sun)]
Q:一番最初に手が挙げられない、口火を切れない
A:一番最初が好印象。自信と実力がない人ほど真っ先に。


 講義や講演で、あるいは会議で、いつもがっかりさせられるのは、質問や意見を尋ねても「なかなか手が挙がらない」ことです。

 考えれば、これはとても「もったいない」ことです。講義や講演会で、あるいは会議の席上で、「その他大勢」に過ぎなかった自分を「特別な存在」に変えるための「数少ないチャンス」をみすみす逃しているからです。

 講師や議長をしたことがある人なら誰しも「一番最初に質問をしてくれた人」に強い好印象を抱くはずです。その内容よりも、一番最初に手を挙げる「志」や「心意気」に共感するのです。質問がないことで味わう講師や議長の失望感や無力感を、一気に解消してくれるのはありがたいものです。その場の空気を変えてくれた「同志」にさえ見えるでしょう。

 同じ質問や意見であっても「最初に言った人」に方が印象に残ることを忘れてはなりません。言わば「先に言ったもの勝ち」なのです。つまり、講義や会議に臨む前から「必ず一番最初に質問する」と自分に課しておくことが重要です。

 「必ず一番最初に質問しよう」と決めてしまえば、「質問を見つけるため」に、いつもより「真剣に聴く」ようになります。「真剣に聴く」ということは、講師の言うとおりに納得することや暗記することではありません。真剣であればあるほど、話のところどころで「なぜ」「なぜ」と講師の言葉に「健全な疑問」が湧いてくるはずです。「毎回、質問するかどうか」のちょっとした心意気と経験の積み重ねが、その人の「聴く姿勢」に大きな影響を与えてしまうのです。

 とはいえ、「一番最初に手が挙げられない人」は、おそらく「恥ずかしい」「自信がない」「いい意見が言えない」などと思って勝手にあきらめているのでしょう。

 しかし、講師や議長の立場になって考えてみましょう。実は「良き聴衆」「望ましい参加者」に求められている役割は、「一番最初に手が挙げられない人」が考えるそれとは、まったく違うのです。

 「意見を言うのが恥ずかしい」と思う人ばかりだと、講師や議長はしらけた場に立たされて居場所がないのです。逆に「自信たっぷり」に意見を言われても、「生意気だ」だとか「十年早い」と感じる人が多くて場がしらけます。

 講師や議長が求めているのは「立派な私見」ではありません。いきなり正論を言われたところで、そこから話は広がりません。今の講演や議論で説明不足だった点や、参加者の「疑問」や「悩み」を共有して、全員の理解を深めるのに役立つ「良い質問」こそが重要なのです。「良い質問」によって、講義や講演の穴を埋めることで、はじめて「良い講演」「良い会議」が完成するのです。

 この認識ギャップに気づけば、「質問タイム」や「講演の舞台裏」で「自信」たっぷりに「自分の意見」を語る人の方が「空気が読めていない」ことがわかるでしょう。「一番最初」に「謙虚」に、議論が広がり理解を深める「良い質問」をする人の方が、その場を盛り上げ貢献しているのです。

 だからこそ、その場で芽生えた「素朴な疑問」を発することこそ、「自分が果たすべき役割」だと心得て、真っ先に手を挙げましょう。

Posted by 久米 信行 at 08:12 | 第二章コミュニケーション編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

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