一番最初に手が挙げられない、口火を切れない[2008年04月20日(Sun)]
Q:一番最初に手が挙げられない、口火を切れない
A:一番最初が好印象。自信と実力がない人ほど真っ先に。
講義や講演で、あるいは会議で、いつもがっかりさせられるのは、質問や意見を尋ねても「なかなか手が挙がらない」ことです。
考えれば、これはとても「もったいない」ことです。講義や講演会で、あるいは会議の席上で、「その他大勢」に過ぎなかった自分を「特別な存在」に変えるための「数少ないチャンス」をみすみす逃しているからです。
講師や議長をしたことがある人なら誰しも「一番最初に質問をしてくれた人」に強い好印象を抱くはずです。その内容よりも、一番最初に手を挙げる「志」や「心意気」に共感するのです。質問がないことで味わう講師や議長の失望感や無力感を、一気に解消してくれるのはありがたいものです。その場の空気を変えてくれた「同志」にさえ見えるでしょう。
同じ質問や意見であっても「最初に言った人」に方が印象に残ることを忘れてはなりません。言わば「先に言ったもの勝ち」なのです。つまり、講義や会議に臨む前から「必ず一番最初に質問する」と自分に課しておくことが重要です。
「必ず一番最初に質問しよう」と決めてしまえば、「質問を見つけるため」に、いつもより「真剣に聴く」ようになります。「真剣に聴く」ということは、講師の言うとおりに納得することや暗記することではありません。真剣であればあるほど、話のところどころで「なぜ」「なぜ」と講師の言葉に「健全な疑問」が湧いてくるはずです。「毎回、質問するかどうか」のちょっとした心意気と経験の積み重ねが、その人の「聴く姿勢」に大きな影響を与えてしまうのです。
とはいえ、「一番最初に手が挙げられない人」は、おそらく「恥ずかしい」「自信がない」「いい意見が言えない」などと思って勝手にあきらめているのでしょう。
しかし、講師や議長の立場になって考えてみましょう。実は「良き聴衆」「望ましい参加者」に求められている役割は、「一番最初に手が挙げられない人」が考えるそれとは、まったく違うのです。
「意見を言うのが恥ずかしい」と思う人ばかりだと、講師や議長はしらけた場に立たされて居場所がないのです。逆に「自信たっぷり」に意見を言われても、「生意気だ」だとか「十年早い」と感じる人が多くて場がしらけます。
講師や議長が求めているのは「立派な私見」ではありません。いきなり正論を言われたところで、そこから話は広がりません。今の講演や議論で説明不足だった点や、参加者の「疑問」や「悩み」を共有して、全員の理解を深めるのに役立つ「良い質問」こそが重要なのです。「良い質問」によって、講義や講演の穴を埋めることで、はじめて「良い講演」「良い会議」が完成するのです。
この認識ギャップに気づけば、「質問タイム」や「講演の舞台裏」で「自信」たっぷりに「自分の意見」を語る人の方が「空気が読めていない」ことがわかるでしょう。「一番最初」に「謙虚」に、議論が広がり理解を深める「良い質問」をする人の方が、その場を盛り上げ貢献しているのです。
だからこそ、その場で芽生えた「素朴な疑問」を発することこそ、「自分が果たすべき役割」だと心得て、真っ先に手を挙げましょう。
A:一番最初が好印象。自信と実力がない人ほど真っ先に。
講義や講演で、あるいは会議で、いつもがっかりさせられるのは、質問や意見を尋ねても「なかなか手が挙がらない」ことです。
考えれば、これはとても「もったいない」ことです。講義や講演会で、あるいは会議の席上で、「その他大勢」に過ぎなかった自分を「特別な存在」に変えるための「数少ないチャンス」をみすみす逃しているからです。
講師や議長をしたことがある人なら誰しも「一番最初に質問をしてくれた人」に強い好印象を抱くはずです。その内容よりも、一番最初に手を挙げる「志」や「心意気」に共感するのです。質問がないことで味わう講師や議長の失望感や無力感を、一気に解消してくれるのはありがたいものです。その場の空気を変えてくれた「同志」にさえ見えるでしょう。
同じ質問や意見であっても「最初に言った人」に方が印象に残ることを忘れてはなりません。言わば「先に言ったもの勝ち」なのです。つまり、講義や会議に臨む前から「必ず一番最初に質問する」と自分に課しておくことが重要です。
「必ず一番最初に質問しよう」と決めてしまえば、「質問を見つけるため」に、いつもより「真剣に聴く」ようになります。「真剣に聴く」ということは、講師の言うとおりに納得することや暗記することではありません。真剣であればあるほど、話のところどころで「なぜ」「なぜ」と講師の言葉に「健全な疑問」が湧いてくるはずです。「毎回、質問するかどうか」のちょっとした心意気と経験の積み重ねが、その人の「聴く姿勢」に大きな影響を与えてしまうのです。
とはいえ、「一番最初に手が挙げられない人」は、おそらく「恥ずかしい」「自信がない」「いい意見が言えない」などと思って勝手にあきらめているのでしょう。
しかし、講師や議長の立場になって考えてみましょう。実は「良き聴衆」「望ましい参加者」に求められている役割は、「一番最初に手が挙げられない人」が考えるそれとは、まったく違うのです。
「意見を言うのが恥ずかしい」と思う人ばかりだと、講師や議長はしらけた場に立たされて居場所がないのです。逆に「自信たっぷり」に意見を言われても、「生意気だ」だとか「十年早い」と感じる人が多くて場がしらけます。
講師や議長が求めているのは「立派な私見」ではありません。いきなり正論を言われたところで、そこから話は広がりません。今の講演や議論で説明不足だった点や、参加者の「疑問」や「悩み」を共有して、全員の理解を深めるのに役立つ「良い質問」こそが重要なのです。「良い質問」によって、講義や講演の穴を埋めることで、はじめて「良い講演」「良い会議」が完成するのです。
この認識ギャップに気づけば、「質問タイム」や「講演の舞台裏」で「自信」たっぷりに「自分の意見」を語る人の方が「空気が読めていない」ことがわかるでしょう。「一番最初」に「謙虚」に、議論が広がり理解を深める「良い質問」をする人の方が、その場を盛り上げ貢献しているのです。
だからこそ、その場で芽生えた「素朴な疑問」を発することこそ、「自分が果たすべき役割」だと心得て、真っ先に手を挙げましょう。
Posted by 久米 信行 at 08:12 | 第二章コミュニケーション編 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)