CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

2008年07月05日

歌舞伎の荒事の精神(5)

ドルは鮭のようにアメリカ本土に戻る
                     筆者 政治評論家 唐沢忠雄

 表は一見、静かで秩序がとれ平穏に株式市場でも、外交交渉も捗んでいるかのように見えるが、ちょっと手を加えて中をのぞいてみるとすごい状態になっている。

 海は荒れ、暴風雨になり、真っ暗い闇の中で、魔物がいたるところからにゅっと顔を出して来て、いつ襲われるかわからないような光景、いや光景ではなく、ドル大暴落の噂が現実になって来て、アメリカは大混乱を起こしている。
 たまたま大統領選のさ中ヒラリーとオバマがデットヒートを繰り返しいよいよ最終段階に来ている。
 もはや、ののしり合いに近く、お互いに恥を知れと応酬をしている。
 民主党の指名争いを横目でにらみながら、漁夫の利をねらっている共和党のマッケーン候補は着々と準備をすすめている。
 しかし、政策はイラクから撤退するどころか、レイムダックになっているブッシュ政権の延長を踏襲するようなもので、世界の平和や混乱をのぞまない人々の願望や祈りをふみにじる政策しか出てこないことは明らかである。
 
 民主党のヒラリーは万一オバマに破れるようなことがあれば、本番の大統領選ではマッケーンを支持するなどという、おだやかならざる意見や動きが陣営内に出ているくらいで、選挙だから仕方がないにしても次元が低いというか、毎日失われている敵味方のいのちや財産はどうでもいいということか。 

 アメリカがドルを印刷して世界中に撒き散らして来たドル札がドルの暴落によって世界中で受け取らなくなれば、ドルはアメリカに戻らざるを得ない。
 その時には猛烈なインフレに見舞われることは必定である。ハイパーインフレにならざるを得ない。
 アメリカが貿易収支を伸ばすのに一番手っ取り早いのがミサイルやイージス艦、医療器械等々であろうが、或いは核兵器、ライフル銃など民、軍両用の武器などだが、対手が敵性国家の場合にはやたら売り込むわけにはいかない。

 ここで思い付いたことがある。

2008年07月08日

歌舞伎の荒事の精神(6)

トルーマン大統領の大きな存在
     筆者 政治評論家 唐沢 忠雄

 アメリカはたしかにドルを無計算に発行し、しかもそれが積年に及び、今や収拾の余地がなくなった来ていることはたしかだが、もう一つ注目すべきは、第二次世界大戦に遡って考えてみる必要があるということだ。
 それはルーズベルトの大戦勝利への功績があまりに大きかったために、或いは大戦中に二期目の大統領選に立候補し、プラグマティズムのディーイと戦い、世論はすべてトルーマンは「負け犬」と見ていたのだが、蓋を開けてみると、トルーマンが勝利していた。
 トルーマンはルーズベルトなどの陰にかくれ、何となく、小さな感じに映っているが、実際は、その観察力、判断力、人身掌握、マッカーサーが朝鮮戦争の直後に核戦争によって中国を叩く可きだとした提案を押さえて彼を解任してしまったことは当時は誰でも知っていた。
 延々と続きそうな大戦を打ち切り、アイゼンハウアー元帥と並び第二次大戦の英雄マッカーサーの首を切ったトルーマンは勇気ある大統領というべきであろう。
 それだけではない、これは現在、絶えずテレビや新聞で話題になるUFOが当時欧州戦線などで、激戦の行われているヨーロッパの空に現れるので、ドイツ側はアメリカ側の作った新兵器ではないかと恐れ、アメリカ側はあれはヒトラーが作らせたドイツ側の新兵器ではないかとお互いに疑心暗鬼し、未解決の秘密事項であった。
 
 たまたまその時期に、発明王エジソンの弟子であった交流電気発見者の天才テスラがアメリカの駆逐艦を使用、瞬間移動を行い瞬時にプラズマにより艦船が千五百キロ位の位置を移動してしまったというおどろくべきフィラディルフィア事件が発生していたのである。
 フィラディルフィア事件はアメリカ大統領の命令を受けた天才テスラも交流電気がどのようなエネルギーを放出するかわからず、結果について保証は出来ないと云っていたのだが、命令は強行された。
 艦上には多くの水兵達がいたのだが、彼等は爆発と共に空に舞い上がり、口や鼻目などから火を噴いて、更に甲板の鉄類に肉塊が融合して、生きていたというから、未だかつて見ないような肉塊と鋼鉄が融合してなお生きている凄惨な光景を見たわけである。
 トルーマン大統領はこれらの事実を直ちに封じ込め、軍事機密扱いにした。
 また彼は又一方の不可思議な事件、バード空軍少将のアラスカ基地から飛び立ち、千五、六百キロ先を飛行中に突如、機中の計器が機能を停止し、地球の内部に住むアルザルの国に突入するや再び、計器が作動し、そこに別の国の国民が住んでいた。という信じがたい事実にぶつかり、ありえないことが起った、ただし「人類は孤独ではなかった」という新事実を見たのである。

2008年07月17日

歌舞伎の荒事の精神(7)

名優が壁を破る時
           筆者 政治評論家 唐沢 忠雄

  さて、我が親愛なる歌舞伎役者松本幸四郎さん、親子や他の名優の人々がそれぞれセルバンテスやドン・キホーテの国スペインにおもむき、直接現地の空気や地形、人々の暖かい人情に触れ、作品の重味や作者が実に克明に人間の暮らしぶり、の跡を追って、考え、推測、わざとおどけ、相手の変化してくる様を見て取り、役者が考えていることを見抜いてやりとりする様を描いて尽きるところを知らないセルバンテスという人は多分、大きな身体をして頑丈な腕や脚を持っていただろうと勝手に想像するわけだが、一つ一つの言語の中に込められた緻密さは並大抵ではない。

 書くときより、感じるときが、その吸収力の違いが文学にするときに違ったものを作り出すのだろう。
 これは、あらゆる天才の人に共通するものに違いないから誰でも努力やまねをすることのできないものであろう。
 宇宙の力がその人を通じてあみ出してくる誰もさわることのできない、光といっていいかエネルギーというべきか個人的なものではないような気がする。
 松本幸四郎さんが三十六年もドン・キホーテを演じていて、セルバンテスの生まれた国スペインを初めて訪問した時の感想文が公演中の冊子の中に掲載されているが、スペインの広大な土地、しかもそれは乾いた広大な大地だそうだが、次々と訪ねる集落で親身に歓迎され、暖かくもてなされたことは想像に難しくないが、シェークスピアを永年研究し且つ歌舞伎の名門に生まれたこのすぐれた役者が、いよいよ最後に、怖ろしいことを体験しなければならないと記していた。
 
 その怖ろしいというのはドン・キホーテを演じて、あの風車に対面したことがなく、最後の訪問先でそれを経験することであった。
 風車を見ないで想像していた方がそれが突進するドン・キホーテやサンチョの行動がよりよく演技されるのではないかと推測していたのに、実物を見ることによって、その魅力が半減するのではないかと危惧の念を抱いていたのだが、いよいよその偶像に直面してみると、自由を求めて更に先に進まなければならないという、内部から湧いてくる力を感じて、それが壁ではなくなっていたことに気がついたという。

 やはりすぐれた役者は、単なる役者ではなく、時代や状況を突破してより真なるものに飛翔しようとする、霊力のようなものを感ずるのだと筆者は想像したのである。

2008年07月22日

歌舞伎の荒事の精神(8)

団十郎と松本幸四郎
      筆者 政治評論家 唐沢 忠雄


 素人が歌舞伎を論ずるなどということはあり得ないが、素人の方が都合のいい場合もある。
 質問も率直にやるし、疑問を一杯持つ、その都度、バリバリ質問する。その無邪気な他人を恐れない性分が価値がある。
 
 話はちょっと飛ぶが、日本の最古典と云われる「かぐや姫」の物語があるが、この作者が不詳になっていて、書かれている「かぐや姫」は成長するに及んで、いろいろなところから結婚の話しを持ち込まれるが、彼女は大変豪のもので、次々と難題を出して相手を手古摺らせる。ついには天皇までが登場して来るが、月から遣わされた彼女は特殊な能力を持っていて、家来たちの活動を止めてしまい、終いには育ててくれた翁夫婦の嘆きも聞き入れず、月に還って行く。
 これと似たような話が、歌舞伎の荒事の中に出てくる。

 大伴黒主という悪党がいて、空海が密教の極意を得ようといのちがけで玄界灘を渡り中国に行き、密教の神髄をきわめ、彼は密教の奥義を体得して帰国するのだが、大伴黒主はこの空海を殺してしまおうと目論見る。
 この辺のいきさつを十二代市川団十郎さんがPHP新書発行の「団十郎の歌舞伎案内」という書物で書いているから、引用させてもらう。
 「江戸時代の初演のときは、初代団十郎が大伴黒主を、空海を市川九蔵、つまり二代目団十郎がつとめました。私が復活上演した際にも、黒主をわたくしが、そして、今の海老蔵が空海をつとめております。」
 この黒主が小野小町に惚れてしまっているのだが、小野小町は大変な美女であるばかりではなく、万葉集にも歌が残っていて「人はあるようでなく、ないようである」といった歌を残して逝った才女である。
 
 彼女の下には「かぐや姫」の物語のように、いろいろな人が集まって来て、くどこうとするのだが、あれやこれやと難題をつきつけてはかわしてしまう。
 悔しがった大伴黒主は小町の歌にいちゃもんをつけます。
 「万葉集」の中に自分で加筆して、「小町の歌は盗作だ。万葉集の中にすでにある歌だ」という。
 ところが黒主が持って来た「万葉集」を小町が水で洗うと、加筆された個所の墨が流れて、黒主の罪が明らかになる。