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2008年06月04日

歌舞伎の荒事の精神(1)

劇場の内と外・・・・・・乾いた大地を行く ドンキ・ホーテ

                      筆者 政治評論家 唐沢 忠雄

アメリカの落日
 毎日、千四、五百人の人がお堀端の帝国劇場の開園時間になると集まって来る。
 松本幸四郎、松たか子親子やその他の有名な俳優、女優、ミュージシャン等によるスペインのセルバンテスと作品の主人公ドンキホーテの両者を幸四郎が演ずるという、日本の劇作家が勝手に書き上げたミュージカル「ラ・マンチャの男」が四月で百十回を超えるというのだ。
 
 表の空気はサブプライムローンの損失の拡大、その混乱、原油の百十五ドルといった高値、中国のオリンピックを控えてのチベットの混乱、緊張、アメリカ大統領選の行方、もしイランがイスラエルを攻撃すればアメリカは全面介入するといった物騒なニュースが飛び込むし地球温暖化、世界的な水不足、夏に洞爺湖サミットでは世界の食糧問題が主要テーマに上がって来ている。
                  (日本は大丈夫か?)
 何処からかそんな噂が聞こえて来る。

 そうした中でこのミュージカルを味わうために人々が毎日集まって来る。
 松たか子の役柄は全くセルバンテスに関係がない劇作家の創作であるし、幸四郎のセルバンテスとドンキホーテを行ったり来たりする手法も全く自由気ままのものだ。
 いわゆる騒々しいファンもいる筈であるが、禁煙ムードが全国に拡がっている空気の中で、やたら、こうしないで下さい、ああしないで下さい、危険物らしきものを見たらすぐ通報して下さい、無断で撮影したら犯罪になりますといった、十年前にはこの日本にはなかったものばかり盛沢山に提供されている。
 自由人をのぞむ筆者にはいささか窮屈で、お気に召さないのだが、これも時勢というものであろう。
 その時勢というものが問題であって、四月二十三日はシェークスピアの命日らしいが、劇場といえばシェークスピアを思い出してしまう。
 
 シェークスピアは地球そのものを劇場の中に引っ張り込んでしまった。
 大変な野心家で反逆者で陰謀家で正義で人間の心の奥の奥までもぐり込み、全部煤を払い落としてしまった。
鹿泥棒で故郷ストラトフォードを追われてから何処でどうしていたのか今だにわからないということだが、そんなことがわかるようではこの大天才は生まれなかったのではないか。
 彼が生きた時代は日本だと織田信長の時代である。そして秀吉、家康と、武将たちはいのちをかけて国盗りを演じていた。
 大西洋の向こう側でも同じようなことが行われていた。

2008年06月09日

歌舞伎の荒事の精神(2)

  王侯貴族が芸術家を応援した
                    
                  筆者 政治評論家 唐沢 忠雄

 エリザベス一世は当時無敵艦隊といわれたスペインの侵略を受けたがこれを破り国家の繁栄を計った。
 これより少し前にはスペインのポルトガル併合やオランダの独立宣言が行われた。
 各国は進んで艦船による貿易に先手を打ち富の蓄積に励んだ。
 それがインドに東インド会社の設立、オランダも同様東インド会社の設立を行った。
 王侯貴族が芸術家を応援し、芸術家は次第に政治や経済、民衆の心を知るに及んで、創作の内容も掘り下げられ、深味のあるものに変わってゆく。
 これには、シェークスピアの才能が物を言った。
 彼が、豪語していたように,物語は現実の中に入り込み劇場も宮内大臣の援助を受けていたものが、遂には国王がパトロンになって国王劇場にまでなって行く。
 王宮内で年十回も公演され、劇作家や俳優の素質もぐんぐん上がって来る。
「ヘンリー六世・第二部」 「ヘンリー六世・第三部」 ロバート・グリーンなどの言及により評判になる。
 ロンドンにペストが流行し多くの人が死亡しただろうが、劇場は閉鎖されてしまい、その間もシェークスピアは独自の感覚でものを見、人間社会のカラクリや冷酷さ悲惨さに目を向けていたに違いない。
 何でもない日常の中に、王やその取り巻きのおべんちゃらや嫉妬、策略の横行、何もわからない連中は、ただ同僚の悪口を言ってその日を過ごしどのような形で搾取されているかも知らず、どのように始末されていったかも知らず、 ーそれは今日、われわれの社会で現に行われている、医療や年金の不条理によって、高齢者が見捨てられていく姿を、時代こそ異なれ、姿、形こそ違えあまり異なることなかろうと思われる。
 要は場所と時を異にしているだけであって、人間一人一人のドラマの中に存在すると言う、シェークスピアが書き残した幾多の名作がわれわれに示してくれている。 

2008年06月10日

歌舞伎の荒事の精神(3)

  監獄の中で暮らしたセルバンテス

              筆者 政治評論家 唐沢 忠雄

 帝国劇場に集まった人たちはスペインの生んだセルバンテスというほとんど監獄の中で暮らし、誰にも師事したわけでもなし、自らの才能の有無もわからず、戦争に駆り出されて生死の間をさまよい歩いたり、野武士のような生活を甘んじて受けて来た一市井の人間が、何の理由で獄舎につながれねばならなかったのか、それすらはっきりしない、不思議な人生を経験し、教養もなければ小説がどういうものかも知らず、ひたすら何かを書き綴っていたものが、後年、誰かに見出され、これはすごい小説ではないかということで百年も過ぎてから評価されるに至ったというのだから、それ自体、奇跡の部類に属すると云えるだろう。
 
 しかも、ドン・キホーテなる人物の創造が、世界の大小説の五本の指に入る、独創的な作品であったともなると、二度、三度、びっくりしてしまうのである。
 そのセルバンテス及びその作品を自由自在にコーディネイトしてミュージカルを作り上げた劇場関係者の意欲と情熱はすばらしいというべきだ。

2008年06月26日

歌舞伎の荒事の精神(4)

世阿弥の風姿花伝
            筆者 政治評論家 唐沢 忠雄

 松本幸四郎は三十六年もセルバンテスやドン・キホーテに取り組んで来た。
 歌舞伎の世界に育ったとはいえ舞台における彼等の演技のすさまじさ、あの体力、エネルギーはまさに超人である。世阿弥の「風姿花伝」にあるように、芸事は時の権力者の支援なくしては成り立たないし、さりとて権力者に迎合するだけでは、どれほど鈍感で馬鹿な大衆でも支持しなくなるだろう。
 わかり易く、面白くなければ皆離れていってしまう。
 出し物は斬新で権力者(支援者)を満足させなければならず、先ずは劇場(青空であろうとなかろうと)を創らなければならず、そのためのシナリオからスタッフ、手を貸してくれる総ての人々の不満や反対を無視しては断じて成り立たない。
 
 世阿弥については佐渡に流されたり、最後はどうなったのか、その間の謎の部分が相当にあって、それが東北などの農家に伝承されている。白川能等に残っているようだが、出雲の阿国にしろ、歌舞伎の創始者そう身分の高いものではなく、河原乞食とさげすまされた中から誕生している。
 その点、今日の歌舞伎は文字通り名門であり、燦然たる勢力を形成している。
 だが、その伝統の中には脈々たる民衆の息吹が呼吸していて、今や世界に名をとどめ、日本カルチャーの一角を占めて不動である。
 テレビやネットのお陰で文化の違う外国でも受け入れられる今日という時代はその道の人々にとっても幸せなことなのだろうが、それだけに価値のないものは消え去る運命にある。 
 一人の役者が三十六年も執着し今も、毎日追及を重ねている。
 セルバンテスやドン・キホーテや脇役サンチョ・パンサから凡ての役を通じてその時代や人間が住み暮らし生活しそれぞれの運や不運を抱え込み空しく消えてゆく笑いやかいぎゃく、ジョークやウィット、わい雑な会話やパフォーマンス、たくらみ、嫉妬、おどけ、虚妄、とうかい、ありとあらゆる人間の意思や性格、癖、習慣、仮面、おじけ責任のがれ、役者が表現しえないところまで観客を誘い込む。