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2008年03月03日

世界恐慌の始まりではなければいいが・・・

福田首相は歴史的英断を!!

 
                                  政治評論家 唐沢 忠雄

 われわれは何も殊更に国家の通貨不安や世界経済の不安定、不確実性を
よろこぶのもではない。
 しかし、現実は地球規模の気象の大変化、災害の頻発、それによる犠牲者の
多発、連日、連夜のように見舞われ恐れの感覚すら失いかけている。

 片方には偽政者やそれを取り囲む個人や集団の利己的欲望や政治的操縦に
より、単純無策の層はますます生活苦の方向に追い込まれ、ただ哀れに沈黙し
たり、神に祈ったりしているだけだ。

 困って来るところの原因や時代の把握が極めて困難であり、複雑さが言語に
絶するほどきびしくなっているからである。
 一体全体どこに安定したリーダーが存在するのか?
或いは混沌のためそのようなリーダーが存在し得ないのか、既成の支配者の
数百年の長期に亘っての強靭な地盤が形成されていて、その打破がほとんど
不可能であるという、現実、それは地下に存在していて決して表面には姿を現し
ては来ないという巧妙、持続、特殊な血のつながりに近いものがあって、組織
そのものの在処すら二十一世紀現代でもわかりにくく、カモフラージュされている。

 理論、善意、希求、願望、攻撃、妥協等一切の一般の人々には通用すると信
じられている学問や芸術、文化、科学等を排除して、われわれは「こうするんだ」
という勝手、気ままな意志だけで地球上の或いは宇宙もの意思を決定して行こう
とする。

 民主主義の時代にそのようなものは「在り得ない」のだとする良識の人々には
決して分かることの出来ない組織が現存していることに気が付かなければならな
いし、且つ組織の解明や戦いを挑まなければわれわれの世界はいかにも近代
思想や科学の進歩によって合理的に人間らしく英知で住み良い国家社会を築い
ている如く錯覚させられているだけであって、事実はますます発明や発見によって
物の表裏の原理により、錯覚や幻想により操られているに過ぎない。

 人間界のドラマはそれでいいのだと、決めてかかっている限りはそれでいいと
しても、正直一点張りでこの世を生きて終わる善男善女は気付かないだけに、不
幸であり、哀れでもある。
 だが、しかし、その中にそれでよろし、私達はひたすら神仏を信じ、感謝の日々を
過ごし、一生終わり、それを子孫に伝えて行くだけで満足でございますと柔順、
従順平和を望む人々もたしかに居って一大集団を形成してはいる。

 だが、現在行われている戦争や過激主義の殺し合いには余りにも惨めな自殺者
の犠牲や遺された人々の嘆きや貧困、病や傷による苦しみ、食べ物や家の喪失、
主人の戦死・・・。
それが単に宗教が違うというだけで、殺し合わなければならないという混迷の中を
さまよい続けなければならない。

 これらはやはり政治を行う者たちの責任である。

 ただ、あらゆる歴史的、民族的、地勢学的、資源、通貨の操縦、言語や宗教上の
違いがあって、聡明に見透かせる人などめったにいない。


2008年03月17日

アメリカはレーガン時代からの負の遺産、精算の秋・・・

    自分の死以外は戦争も国家も社会も一切関心のない哲学者

 主題のような思想を宣言する哲学者がいる。

 敢えて、誰であって、どのような視点に立って、こうした思索をつずけているかは
ともかく、全く自身の死だけが問題であって、他に関心を持たないというのも静かな
瞑想の中から生まれてきた真実の息吹であろうと思う。

 これはこの哲学者だけの命題ではなく、生きとし生けるものの命題でもある筈で
あるが、そうした思索の環境や訓練を受ける機会がなく育って来た無数の人々には
無縁のことのように思われるが、実はきわめて、貴重であり、必要な探究であって、
混迷する社会や、国家、世界にとって、これほど重要なものは他にないかも知れな
い。

 この原点を無視して徒に議論を進めていっても大した探究や結論を得ることはで
きないであろう。

 一見、当面の問題解決に役立ちそうな全国で毎日行われている何らかのフォーラ
ムといったものでも、ほとんど議論が行われても、つきるところ大きな立場から来る
結論がまとまらないのも、多くの議論の参加者が枝葉末節に捕らわれていて、木を
見て森を見ない議論が多いからにほかならない。

 木を見て森を見ないこと自体、森の源流や流れの終着である大海やその先の
生きものやプランクトンの生息、生態、更に地球自体、その他無数の惑星、ニュート
ンの量子力学を超えて、プラズマの世界にまで、思考と希求、幻想と理性との境すら取り払われ、宗教者と自然科学者が、共通の結論に到達するといった、すばらし
い成果を見るところまで来ている。