• もっと見る
特定非営利活動法人せんだい・みやぎNPOセンターのブログ
特定非営利活動法人せんだい・みやぎNPOセンターが運営しているブログです。

仙台市、宮城県の市民活動やNPOの情報を中心に、中間支援組織ならではの情報をお届けします!
« 物品提供 | Main | ときめきエッセイ »
<< 2016年04月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
「あれから2年」[2013年03月06日(Wed)]

理事 茂木宏友

今年の冬は、例年になく雪が多く、春が待ち遠しく感じます。あの東日本大震災から間もなく2年を迎えようとしています。あの日の夜も光が消えた仙台市中心部にはしずかに雪が降っていたことを思い出します。あれから2年、「もう」2年なのか、「まだ」2年なのか。説明するまでもなく、沿岸被災地の現状はまだまだ厳しいと思います。「みなし仮設」を含む仮設住宅から再建した家に移り住めた被災者の世帯数は、一昨年のピーク時からほとんど変わっていないそうです。(ピーク時を100とした場合、岩手94.6%、宮城88.0%、福島99.7%)震災前の生活を取り戻すだけでも、解決しなければならない課題は無数にあり、ましてや、震災前より、魅力ある地域の創造を目指しているのであれば、なおさら時間はかかるでしょう。理想を実現していくために必要となる時間の経過が、復興を遅らせる一因となっていると感じます。

 私は、平成15年2月に司法書士として独立し、今年でちょうど10年目の節目を迎えることができました。震災後は、職業柄、相続に伴う不動産の所有権移転登記や、売買など不動産の取引に立ち会う機会が多く、昨年夏以降、例年より多くの登記案件を担当させていただきました。公費による被災エリアの土地の買い取りのための相続登記、全壊した工場や家の再建築の登記、中には、震災後の混乱した状況下だったためか、同時死亡の推定を見落として、相続人でないものが相続人として登記されていたケースを修正する手続きなど、さまざまな種類の手続きをしています。

 中でも、地方でよく見受けられる共有名義の山林について、相続登記をどのように進めるかについては、極めて深刻な問題だと認識しています。地方農村部などの田舎では、さまざまな背景や理由から、住民たちがその地域の山林を共有しており、多い場合で共有者が100名を超えるケースもあります。このような共有状態は、明治時代などに登記された当時の名義人のまま何十年も相続登記がされずに放置されているケースがあり、このような山林の相続登記については、相続人を探す作業だけで大変な苦労を伴います。また、相続人が判明したとしても、相続人の居場所がつかめない場合も珍しくありません。

 女川町や南三陸町などでは、市街地の平地部分の大半が浸水し、高台の山林を切り崩して高台移転を促進させようとしていますが、そのような権利関係の確定が困難な山林については、具体的な解決策が見えていないと感じます。原発事故による不動産賠償が進まないという報道が1月になされましたが、その原因の一つに上記の相続の問題があるとされています。

 昨年、女川町の須田町長とお話をさせていただいた際に、震災後の緊急時であったにも関わらず、それまでの法律や手続きに基づいた対応しか取れていない状況はかなりあったとおっしゃっておりました。当時の非常事態とは状況はことなりますが、現行法での手続きに限界がある場合は、新しい法律を作り、相続問題が確定しない場合であっても、供託などの制度を利用して、土地の買い取りを進めていく必要があるのではないかと思います。

 憲法で保障されている財産権の侵害に該当する可能性もありますが、進まない復興により、その地域から住民が離れてしまっては意味がありません。復興へ至る過程が、実感できる3年目を迎えることができればと切に願います。
≪理事オピニオン≫サポセンに集まろう!キーワードは「連携」[2013年02月05日(Tue)]
理事 平井俊之

仙台市の中心部、東二番町通りの交差点を西へほんの数m、右側にある建物、そこがサポセン(正式名称は仙台市市民活動サポートセンター)。もちろん、市民活動に関わる多くの方々にとっては、そんなこと常識、というのが正直な気持ちかもしれません。

でも、視点を外にずらしてみると、この施設の認知度はどれほどでしょうか。ましてや、この施設の指定管理者(難しい行政用語ですが)がせんだい・みやぎNPOセンターであることは。そもそも、市民活動って、せんだい・みやぎNPOセンターって何?

現代社会は、急激に発展する中で専門化が進み、それは、学問や仕事の領域だけではなく、普段の暮らしでもしばしば経験するようになってきています。そこでは、ともすると、自分の住んでいる(関わっている)世界の常識は、世間の常識と思い込んだり、逆に、孤独の道を歩んでしまったりと、共通の理解が出来にくい状況をうみだしかねません。いうまでもなく、これではダメ。でも残念ながら、この傾向はなかなか変わりません。
その解決の一助になれば、と、理事1年生の私のささやなが思いを述べてみます。

まずは結論から。とにかく「集まろう」、「話をしよう」、「情報交換をしよう」、つまりは、コミュニケーションを大事にしようということ。

なんと常識的な、つまらない、ありふれた結論というなかれ。

世の中、平凡なことを実行することがいかに難しいか、こちらは正真正銘の常識。

東日本大震災直後の被災地を思い出して見ます。そこでは行政が著しく機能を低下させるなか、一方で寒さ対策、食糧確保、医療支援等々直ちに解決すべき課題が次々に被災者の前に立ち現われました。そのとき起きたのは、困難な課題に立ち向かう人々の、自発的な協働的な活動でした。場を共にし、情報を共有しながら課題解決に向けて力を合わせる、私はここに、市民活動の原点を見る思いがします。

このような情景を目の当たりにした私たちにいま求められているのは、災害のような非常時ではなく、行政が適切に機能し、市民協働が当然視される現在の日常生活の場に、この体験をより普遍化しながら、具体化を図っていくことだと思います。

幸い、私たちの社会は、思想・信条、言論や表現の自由、集会、結社の自由を保障し、自立した市民活動が可能となる制度的な仕組みをもっていますし、さらには、政治も行政も21世紀社会では、市民の力が重要であることは十分認識していると思います。

たとえば、仙台市。今から14年前も前の平成11年に制定された「仙台市市民公益活動の促進に関する条例」では、前文で次のように表現されています。(以下引用)

社会情勢のさまざまな変化に伴い、物質的な豊かさから、心の豊かさへと人々の意識は推移し、新たな課題に対応する社会システムの構築が急がれている。わたしたち仙台市民は、21世紀の仙台の都市づくりは、市民と事業者と行政とが適切な役割のもとでパートナーシップを構築し、市民の主体的な参画のもとに、協働を基調として行わなければならないと考える。
 このような認識のもと、市民公益活動の自主性を尊重しながら、その活動を積極的に支えるとともに、その環境の整備を推進し、もって、市民が互いに支え合う「21世紀都市仙台」を構築するため、本条例を制定する。(引用 終了)

明確な時代認識とそれに基づく基本的な政治哲学は、こののち平成20年に策定された仙台市コミュニティビジョン(地域づくりの基本的な考え方をまとめたもの)などで、具体化が図られていくこととなります。

サポセンはこの条例に基づいて設置された施設です。その役割は市民康熙活動の拠点と
して、市民、事業者、行政との連携・交流を推進すること、情報の収集や提供を行うこと、人材の育成や相談、さらには調査・研究を行うことなどです。かなり巾の広い事業が想定されており、もちろんその費用は基本的には税金が充てられます。

つまり、サポセンの指定管理者であるということは、納税者である市民に対して、これらの役割を十分に果たす責任を負うということになります。

その第一歩、それが「みんなで集まろう」なのです。それは、NPOや市民活動団体だけではなく、広く地域づくりに市民の側から携わろうとする全ての人、将来是非とも担い手となってほしい小学生、中学生などの生徒や学生を含めることも大切だと思います。

一方、わたしたちの社会では、残念ながら、まだまだ縦割り、地域割りの壁が高くそびえているところがあります。たとえば東日本大震災での瓦礫処理や被災者支援などにみられるように、市町村の枠を超えた対応にはなお多くの困難が伴います。

この壁を打ち破る力、それは市民自体の連携する力以外には考えられません。

サポセンはそのような活動を自由に出来る大切な場。「連携」をキーワードに集まり、議論し、活動する。そこから新たな成果がうまれ、地域や専門を超えて多くの情報が共有され、それぞれにまた新しい動きが広がっていく。

必要なのは、これまで以上の企画力、調整力。

せんだい・みやぎNPOセンターがサポセンとどのように関わるか、今議論が始まっています。NPO側だけからではなく、行政からの期待、市民からの意見や要望、公益活動に携わる団体や企業からの声などに広く耳を傾けながら、よりよい結論となるよう進めていくことが大切だと思います。

まずは、さあ、サポセンへ!!

(追記)
 市民活動の都市づくりを進めるためには、市民公益活動の尊重に加え、政治的意思決定過程における市民参画の制度化が不可欠だと考えています。いわゆる自治基本条例の議論ですが、これはまた次の機会に論じることとします。
≪理事オピニオン≫「東北は一つ」から「東北は一つ一つ」へ[2012年11月06日(Tue)]

「東北は一つ」から「東北は一つ一つ」へ
 
                                理事 渡辺一馬

 
震災直後から「東北は一つ」的な言葉を目にしたり、耳にしたりすることが多くなった。震災直後に自分自身も「東北は一つ、みんなで頑張ろう!」と、その言葉を使うことがあった。しかし、みやぎ連携復興センターの一員として物資やボランティアなどを被災地につなぎながら、その言葉に違和感を持つようになっていった。遠くの方々からの励ましの言葉として、そう言われると「ん?」と感じ、ぎこちなく「頑張ります!」と返していた。

 その言葉の何に対して違和感を感じていたのか、分からなかった。その答えのキッカケを当センターの顧問、経営コンサルタントの川村志厚先生からいただいた。川村先生は「東北は一つでは無い。一つ一つだ。都市としての仙台と南三陸はもちろん違うし、それこそ、南三陸町の浜(集落)ごとに違う。それを一つとして扱うことは出来ないはずだ」と、仰った。東北に住んでいる人間として、確かに!と膝を打った。とはいえ、まだこの言葉への違和感を十分に言い表せない。

 そして、まだ悶々としている中、昨年度の当センター事業計画の前文「支えてきた場所を、支え続けるために」を読み進めた時に、うっすらと「違和感」の元になっている「怒り」にも似た感情が自分にあるのだと気がついた。

その前文の一部を引用。

引用ここから。

 これまで東北は、東京を、日本を、文字通り底辺から支え続けることで、その歴史を重ねてきました。農業、漁業、ものづくり、そしてエネルギーに至るまで…遠い地で暮らす人々の笑顔のために、持てる誠実さと技術の全てを仕事に詰め込みながら、東北の人々は自らの暮らしを静かに紡いできました。

引用ここまで。
全部が読みたい方はこちらから
http://www.minmin.org/wp-content/uploads/2009/02/2011_keikaku.pdf

 この前文を読み、ああそうかと。違和感の根源はここにあるのだと。

 東北の住民が自分たちを鼓舞するために、この言葉を使った。そして、それより圧倒的に多かったのは、東北以外からの人々が「東北は一つ」というまなざしで私たちを支援してくれた。

 支援そのものにはもちろん最大限の感謝がある。しかし、この言葉の背景にある、東北を一つとして扱う方が都合が良かったこれまでの歴史的背景から、本人たちは自覚無く無遠慮に「東北は一つ」と言い続けたのだろう。

 前文にもある通り、外からは食糧・人材、そして電力の供給基地として、私たち東北を見てきただろうし、私たち東北自身も、インフラ整備をはじめとする様々な投資を勝ち取り、目を向けさせるための方便として「東北は一つ」であることに甘んじてきた。

 そのおかげで、避難所では「一つ」になることを強制され、仮設住宅に入った後も「一つ」になることを期待されてきた。具体的には、避難所では、人工肛門など特殊なニーズを持った方々が自ら声を上げられない雰囲気だったり、個人のプライバシーよりも、全体が見渡せることを優先させるために、段ボールのついたての高さを制限したことだったり。そして、仮設住宅ごとに自治会をつくらせることであったり、住宅の再建も地域で一つの結論に統一することだったり。もちろん、その方が支援しやすいからだ。枠は大きくて、使いやすい方が支援する側からすれば大変に有難い。


 ある意味、経済合理性を成り立たせるために「東北は一つ」であることを求められ、私たちは受け入れてきていた。

 が、あの震災後、あらためてその「一つ」という単位を再設計するべき時が来ていると実感している。少なくとも県単位や今の基礎自治体の範囲では無い。
 自ら考え、自ら行動する、その適正な範囲はきっと外から見られているものや近代民主主義のやり方とはちょっと違うのでは無いかと思っている。
 
 私が実現したいのは、川村先生からいただいた「東北は一つ一つ」という社会。人々が自分の意思を持ち、自分が所属しているコミュニティや団体で役割を果たし、それが互いや地域に貢献出来ていく地域。成熟化した社会の次の姿。それは、浜単位なのか、小学校区単位なのか、それともテーマごとのような物理的ではない範囲なのか。(あまりにも無教養なため、借りてくる言葉が足りなくて、現在勉強中です。ごめんなさい)

 このことは、せんだい・みやぎNPOセンターが取り組もうとしていることにかなり被る。当センター的な文脈で言えば、まさに市民セクターの創造と発展。そして、市民自治の実現に通じる。

 とはいえ、どのスイッチを押すと、市民セクターが創造され、東北は一つ一つになっていけるのか、アイデアレベルなのだが、ちょっとした仮説がある。それは、これまで中間支援者が主にやってきた、課題に取り組んでいる事業者に対する支援ではなく、市民ひとりひとりへの課題発見の支援によって生まれていくのではないか。なぜなら、あの震災で、ひとりひとりが課題に直面し、そこで役割を生みだし、そこから一つ一つのプロジェクトが力強く生まれてきたことを見てきたから。

 震災から生まれたこの市民セクターのうねりを継続させると共に、大規模災害が無くとも、ひとりひとりがプロジェクトを生み出せる東北をつくっていくために、私がやっていくこと。今東北各地でおきている、小さいコミュニティやそのプロジェクトを成り立たせるためにコーディネートしていくこと、そこで生まれた知恵を他の地域やプロジェクトに還流していくこと、そして、その現場に参加する若者たちを増やし、そこで次世代の若者たちが育つ環境をつくっていくこと。 センターの理事としての役割と共に、その他の役割を生かしながら、新しい東北をつくっていきたい。
東北の未来を担う人材育成−若者を育むNPOと大学の役割[2012年10月02日(Tue)]
理事 西出優子

私は大学で非営利組織論(NPO論)を担当している。「知性と市民性、地域貢献意識と国際感覚を併せもつ人間力溢れる人材の育成」を教育理念としているが、学生が座学だけではなく何らかの形でNPOに関わってこそ、市民性や人間力が育まれ大きく成長すると実感している。
最近、NPO論ゼミへの志望理由として、「震災を機にボランティアに関心を持った」、「被災地でボランティアをしたい」、「復興の役に立ちたい」、「自分ができることで社会貢献をしたい」、という学生が一気に増えてきた。震災復興に関わるために国家公務員を辞めてNPOで働きはじめ、さらに復興における行政とNPOの協働について研究してそれを実践にも活かしたいと今月大学院に入学した社会人学生もいる。中国やマレーシア、ロシア、メキシコ、インド等からの留学生も一緒にNPOについて学んでいる。

学生のNPOでの活動
 実際、学生たちは様々な行動を起こし、学生の視点から復興の現場や課題解決にコミットしてきた。
 震災直後、「被災地をNPOとつないで支える合同プロジェクト(つなプロ)」で数週間活動したゼミ生は、避難所間の連携の仕方に課題を感じ、今後の他地域での震災対応をも見据えた避難所間の効果的な連携のあり方を探る卒業論文を執筆した。彼は公認会計士を目指して進学したが、こうしたNPOでの経験と市民感覚を併せ持つ会計のプロとして社会で活躍することを大いに期待したい。
 NHKの番組「東北発☆未来塾」に出演したゼミ生は、「街を計画するチカラ」や「人を支えるチカラ」をテーマに、現場に行って話を聞き活動しながら、問題を考え抜くことや本当の支援とは何かを学んだ。
 夏休みの二週間、原爆投下からスピーディに目覚ましい復興を遂げた広島から、東北復興へのヒントを学ぶため、復興に向けた新しいアイディアや視点を生み出すため、広島でのNPOインターンシッププログラムに参加したゼミ生も4名いる。参加した中国からの留学生は、広島の原爆と平和に関する絵本を中国語に翻訳して、中国や海外に向けた効果的な情報発信方法を学びつつ自分の強みを生かして貢献することができた。
被災した子供たちに学習支援を行っているNPOでは、ゼミ生の発案で約10名の学生が関わり、子供たちにミサンガの作り方を教えるミサンガ教室を開催した。自分にできること、子どもに喜んでもらえること、自分たちも楽しめることで、満足感も高かった。

学生のキャリアとNPO
 では、このようにNPOと関わりを持った学生の就職先はどうなっているか。 NPO論ゼミを受講したからといって、新卒でNPOに就職する学生は、私のゼミ生では現在までほぼ皆無である。民間企業に就職したり公務員になる学生がほとんどであるが、学生時代にNPOと関わったことが今の仕事に生かされている場合もある。地方自治体に就職したゼミ生は、NPOと連携した地域活性化の仕事に携わっていたり、NPO設立の相談を受けたりと、今でも何らかの接点を持っている。また、記者を目指している学生が復興に取り組んでいる人や団体の取材記事を書くボランティアをしているケースもあるが、学生時代のNPOでの関わりが就職と直結することはあまりない。とはいえ、就職活動をする中で、NPOへの新卒就職について関心を持ち、大学卒業後すぐにNPOに就職した方達にインタビューを行って卒業論文を執筆している学生もいる。
 今月末には、ゼミ生の企画で、せんだい・みやぎNPOセンター代表理事・みやぎ連携復興センター事務局長の紅邑晶子氏に、「目指すべき社会、目指すべき自分〜人の数だけ、道がある〜」というテーマで講演をしていただく。様々なキャリアを積んできた同氏に、NPO で働くことになった経緯や志、人生観や仕事観をお話しいただくことで、学生が自身のキャリアについて考えを深める機会として捉えている。実際に自らNPO で活動をしたい人や、将来のキャリア・パスやNPO との関わり方について具体的なイメージを持ち、自分の将来にNPO を視野に入れていない人でも、NPO に関する知識や経験を社会の中で活かせるようにしたいというのが、企画した学生たちの思いである。
 このように、NPOのリーダーが、自らの働きざま、生きざま、志や価値観を伝えていくのも、学生や若者がNPOでのキャリアや活動に関心を持ち、社会問題の解決に関わる重要な契機となるであろう。

[紅邑代表理事講師 プロデューサー塾]
10月31日15時―17時半@東北大学経済学部第三講義室、当日一般参加歓迎
(主催:東北大学大学院経済学研究科地域イノベーション研究センター)

東北の未来を考える
「社会を変革するNPOのリーダーシップ」の授業を受講した1年生は、社会起業家を支援するアショカ・ジャパンのアショカ東北ユースベンチャー・プログラムに参加し、東北復興に向けて学生がキャンパスで東北の農産物や加工品(スィーツ)を販売する学生市場の実施を活動プランとして提案した。大学のキャンパスで物品販売をするにはハードルもあるが、仲間を見つけ、連携先をみつけ、その実現に向けて活動を進めている。
 なお、来週も、学生が東北の未来を変えるために何ができるかを考える、アショカ東北ユースベンチャー説明会+ワークショップを開催する。
[10月9日14:40-17:50@東北大学北キャンパスA401]
http://www.econ.tohoku.ac.jp/~ynishide/files/tohokumirai.pdf
11月には、障害があっても才能と情熱で豊かな人生を歩める社会づくりに向けて活動しているカナダの社会起業家(アショカフェロー)の講演会を開催する。[11月7日15時―17時半@東北大学経済学部第三講義室、一般参加歓迎]
いずれの事例も、NPOとの連携なしには実現できないことであり、協力していただいたNPOの皆さんには深く感謝する。今後も、学生が自ら東北の現状や直面している課題に目を向け、NPOと関わりながら、課題解決のために自分に何ができるかを考え行動する契機を継続的に設けていきたい。私自身、試行錯誤しながらではあるが、学生がNPOで様々な経験を積み、市民性、人間性を育み、東北の未来を担う人材に成長していく応援をし続けていきたい。

NPOと大学の役割
NPOの皆さんは、これらの事例のように、未来を担う若者が活躍し、成長する場と機会を提供している。ドラッカーは著書『非営利組織の経営』の中で、市民性を創造し、人を変革するNPOの役割を唱えている。若者が社会の問題解決の担い手として、さらに新しい社会的価値の創造者として成長し活躍する役割を担っているNPOと大学の連携をこれからも大切にしていきたい。
環境ビジネスで広げる省エネの輪[2012年08月07日(Tue)]
環境ビジネスで広げる省エネの輪
               理事 増子良一


東日本大震災から早一年半が経とうとしています。現在でも連日原発問題が取り上げられ電力をどう確保していくか、日本にとって重要な課題となっております。また電力の大切さを知った現在、必要以上に使っているエネルギーをどう減らしていくか、省エネへの取り組みもより関心が高まっております。

弊社イートスは、IT企業である自分達だからこその強みを活かして何ができるのか、また逆に、IT企業ということに捉われずにお客さまや地域の困りごとに応えていくために何ができるのか、ということを一貫して考えて日々の活動に取り組んで参りました。

その一つとして、震災以前から省エネルギーを目指した「ecoVigilo」という環境商材を扱っております。「ecoVigilo」は空調・冷凍・冷蔵室外機の大きな消費電力を自動で削減するとともに電気料金も削減できるシステムです。食品工場様を中心に現在も導入頂いております。

また震災以降、省エネ対策に悩まれるお客さまからのご相談をより多く頂くようになりました。その中で、お客様が省エネ対策に臨むためのより良い環境作りをしたいと思いから、今年4月より経済産業省の補助事業である「エネルギー管理システム導入促進事業費補助金(BEMS導入事業)」のエネルギー利用情報管理運営者(BEMSアグリゲータ)に応募し、認定されました。

BEMS導入事業は、全国の中小ビル等高圧小口の電力需要家様を対象にBEMS(ビルエネルギー管理システム(Building And Energy Management System)の略)導入を促進し、エネルギー管理を支援する事業です。BEMS導入とクラウド(データセンター)等の集中管理システムを用いて、エネルギー使用の効率化及び電力需要の抑制を図ることで、無理のない節電を進めます。BEMSアグリゲータ毎の総量で10%以上の電力消費量の削減を図ることを目的としております。

BEMS導入企業が増えると、ピーク時の需要電力抑制量に繋がると共に電気代の削減効果も期待できます。導入企業には補助金の管理団体である「一般社団法人環境共創イニシアチブ(SII)」からBEMS導入費用の一部(補助率1/3のシステムは上限170万円、補助率1/2のシステムは上限250万円)が補助金として支払われます。

BEMSアグリゲータは株式会社ユアテック様を幹事会社として、8社の企業で構成されたコンソーシアムです。各社が協力し合い、中小ビル等への節電・省エネを支援すると共に、電力安定供給への貢献、そしての環境負荷・環境コスト低減の一助となれるように目指して参ります。
 
弊社は環境事業において他にも、お客様のニーズに応じたLEDのご提案をしております。また、電力会社を変更することにより安価な電気代を購入することができ、電気コストを削減できるPPS(特定規模電気事業者)への取り組みを行っております。

お客様の声から、時代の流れから、必要なものに対して常にアンテナを張ることを意識し、お客様のご要望にお応えすること、また環境の改善につながることに率先してチャレンジしていきたいという思いがございます。

よく環境に限らず「イートスは本当にいろんなことをやってるね」と周囲の方から言って頂きますが、それはお客様の、地域の何でも屋さんのような存在になりたいという考えがあるからです。

お客さまに喜んで頂ける、地域の力になる、そしてより良い未来を築いていける、そんな存在をイートスはこれからも目指していきます。
「被災地での復興支援から」 理事 木村 正樹[2012年07月02日(Mon)]


「被災地での復興支援から」   理事 木村 正樹

3・11から
東日本大震災では、岩手・宮城・福島の太平洋沿岸部を中心とする広いエリアが津波により被災しました。私が常日頃活動するエリア(石巻市・東松島市・女川町)も地震と津波の被害を受け、未曽有の災害となりました。

石巻市は、旧市街地が広範囲にわたり水没し都市機能のすべてがマヒするという事態になりました。女川町は、市街地が津波により壊滅状態になりました。東松島市は、市街地こそ浸水被害で済んだものの、沿岸部の集落は津波により壊滅状態となり、JR線はいまだに復旧していません。

私が関わる石巻市・東松島市のNPOでは、職員1名が津波の犠牲になり、数名の職員は津波により家屋が流失し、親族を亡くすという不幸にも見舞われました。それでも震災後すぐに、役員、職員一人一人が被災したなかから復興への支援活動を始めています。

震災から1年が過ぎ当初の混乱状態から少しづつ復興に向けた取り組みも始まりました。
復興への支援活動に関わりながら、いま私たちができる支援には、市民活動支援、コミュニティ支援、起業支援の3点があるのではないでしょうか。私が関わる東松島市の事例から考えてみました。

1 被災地での市民活動支援
震災当初から、支援をしたい側と支援を受けたい側を結ぶコーディネーターの役割を担う人材や組織の必要性は叫ばれていました。

東松島市においても震災、半年後くらいに市や関係団体の働きかけで、市内で活動しているボランティア団体へ呼びかけを行い、市内での支援活動のための連絡会をつくることになりました。私も設立当初から参加し、事務局を担いながら、現在35団体で活動をしています。

ボランティア団体は、自らの活動の成果を追求しがちで他団体との協調性に欠ける事例も現地で見受けられました。自分勝手な活動に走り過ぎ、結局は被災地にも被災者にも迷惑をかけている事例もあります。
 災害時の支援では、ボランティア団体間の連携と地域における担い手組織の設立支援がセットになった支援活動が求められると思います。



2 被災地でのコミュニティ支援
東松島市内の被災者を分けると、津波被害で家屋を失った人、津波被害はあったが家屋になんとか住める人、地震被害で家屋を失った人(少数ですが)、地震被害で家屋の修繕が必要な人など、いくつかの類型に分けることができます。

居住別では、仮設住宅に住む人、みなし仮設(民間借り上げ)に住む人、自力で家屋を修繕しながら住む人(在宅避難者)に分けることもできます。

 これらの人々が、従前地でのコミュニティと現在居住地でのコミュニティ、そして将来住む場所でのコミュニティなど、これまでの住まい方とこれからの住まい方の状態により、さまざまなコミュニティへの参加が予想されます。そのひとつひとつを紐とくようなコミュニティ支援が必要です。

それには地域の状況を把握している組織や人材と、外部の専門家とが連携して地域コミュニティに入っていく支援活動が求められると思います。



3 被災地での起業支援
震災により仕事を失った人には、勤め先が被災し、退職や休職中の人、自営業で被災した人(商工業者、農漁業者)など、その人それぞれの事情があり、ひとくくりでは語れない状況があります。

今回の津波被害を受けた地域は、もともと過疎地域だったところが多く、都市部と違いひとつの事業所からの給料だけで生活を成り立たせている人は少数派です。大多数の人は、複数の稼ぎ方を持ち、家族で協力しながら分担して、暮らしを成り立たせています。今回の震災では、そのすべてを失うケースが多く、多少の収入源が確保できても従前のような暮らしにはなかなか戻れない、というジレンマを抱えています。

収入源のひとつひとつを復旧しながら、暮らしに密着したスモールビジネスや相互扶助的なコミュニティビジネスなどを活かした取り組みや支援が必要です。

これからは、被災地それぞれの被災者それぞれの、事情や状況を見ながらの継続的で個別的な支援活動が必要です。併せて定点観測のように、移り変わる状況を常に監視しながら、的確にアドバイスができるような機関や人材の設置や育成も望まれます。
東日本大震災とNPO法改正:新川達郎 [2012年05月08日(Tue)]


理事オピニオン 新川達郎

1 東日本大震災とNPO法改正

 2011年は、東日本大震災におけるNPOの活動に注目が集まったが、もし仮にこの大災害がなかったとしたら、おそらくNPOにとって最も大きな出来事の一つは、NPO法改正であった。2012年4月から施行されたこの法改正の詳細は別に譲るとして、かえすがえすも残念だったのは、少なくとも2年前に、この法律が成立・施行されていたらという点である。過去を取り戻し、やり直すことはできないということは承知の上での思いである。


 今次改正の主たる論点は、所轄庁制度の改革と併せて、やはり寄付税制優遇の措置にある。認定を受けたNPO法人に対して寄付をすると、その寄付者への税制上の優遇措置が公益法人並みに実施されることになったのである。


 阪神淡路、中越(沖)、そして東日本とこれまでの大災害に際しては、多数の市民からの寄付が集まっている。しかしそれらは、現場で直接の救援に当たるNPOにではなく、赤十字や共同募金、あるいは地方自治体などに巨額の資金が集まる傾向にあった。阪神淡路大震災以来、従来のこのお金の流れを変えることが大きな課題とされてきていたが、残念ながら東日本大震災においてもその傾向は変わらず、それを変えようとする試みの一つである法改正は間に合わなかったのである。


2 法改正の意義を考える

 もちろん、本格的な復興がこれから始まることを考えれば、この改正は歓迎すべきであるし、未来に向けて大いに活用すべきである。とはいえ、被災後の東北地方で、この法改正の施行を迎えて、早速、認定NPO法人を目指すところがどれほど出てくるのだろうか。それぞれのNPOの事情もあるが、多くが被災しながら、それを乗り越えて復興に向けてのNPO活動を展開しているところで、認定に向けての作業は重い。一方、資金の流れは、徐々に細り始めているように思える。大震災後1年以上を経過していれば当然かもしれない。 


こうした状況にあるからこそ、今改めて、この国の市民活動の発展と寄付の文化とを根付かせるためにも、改正法の施行を貴重な機会ととらえたい。より多くのNPOが認定を目指し、その活動のために積極的に寄付を募り、そしてそれにこたえて多くの市民あるいは企業が必要だと考える事業やNPOに寄付をしていく姿を、この機会を奇かととらえて、できるだけ早く実現させられないものかと考えている。


200万円の上限など制約もあるが、寄付額の半分近くを税額控除できる仕組みは、例えば、10万円を寄付しても約5万円は戻ってくることになるし、逆に5万円を出すだけで10万円分の寄付をすることができる。税金の使い道に疑問を抱き、志を実現してくれる市民活動に税金を回せないかと考えている多くの市民にとって、また幅広く市民からの支持を集めて寄付を募ろうとするNPOにとっては、理想的な仕組みに近付いたといえるだろう。


3 認定NPO法人への道

今次法改正の目的は、NPO活動を活発にしていくこと、その活動を支える寄付の文化を日本に根付かせること、そして、それらを通じて「新しい公共」をつくりあげていくことにあるとされている。そのために、従来の認定基準や手続きを大幅に改めて、認定が容易になるように規制緩和をするとともに、認定の枠組みそれ自体を組み替えている。


大きな変化の第一は、認定NPO法人の認定をするところ(所轄庁)である。従来は国税庁であったが、都道府県と政令指定都市がNPO法人認証を行うとともに税制優遇措置の対象となるかどうかの認定をも行うことになった。


第2に、従来の認定において、大きなハードルとなっていたパブリック・サポート・テスト(PST)の基準を新たに追加するなど、認定を受ける範囲を広げようとしている。一つは、寄付額が収入額の5分の1以上という従来からあった基準、二つには、3000円以上の寄付を100人以上から集めていることという絶対基準、三つには、都道府県や市区町村の個人住民税控除の対象に条例で指定を受けることである。


第3に、仮認定NPO法人制度を導入した点である。PST基準を満たしていないNPOについても、その他の基準(組織、活動、財務の適正や透明性確保などの基準)を満たしていれば、仮認定をして、認定への準備期間にしてもらおうというのである。仮認定期間中(3年間)に寄付の実績をつくり、いずれはPST基準を満たして、認定に向かってもらおうというのである。


 第4に、前述した地方公共団体による条例指定がある。これは、当該団体の個人住民税に関する税制優遇措置であるが、同時に条例で指定を受けると、法律上の認定条件であるPST基準を満たしたものとされるのである。すでに神奈川県では、県の条例での指定を行うべく制度を整え、NPOからの申請を受け付けている。その基準は、住民の福祉の増進のためにという観点から、各都道府県や政令指定都市で工夫することができる。


4 みんなで「認定NPO法人」になろう

宮城県でも仙台市でも、この4月からは認定NPO法人そして仮認定NPO法人の申請を受け付けている。もちろん、実際には、多くの書類仕事が待っているので、事前の相談をというのが、県と市によるおすすめであるが、ともあれ、相談に行ってみなければ話にならないし、認定を受けようという気持ちにならなければ、そもそもこの制度は動かない。最初から認定制度というのが厳しいとすれば、その多くはPST基準にあるので、それ以外の要件についてこれまでの法律通りに運営をされてきたところは、まずは、仮認定を試みられてはいかがだろうか。先鞭を切って、私たちこそはというところが、たくさん登場することを期待したい。


ところで、仮認定は3年間の期限付き、そしてPST基準はやはり敷居が高いという方々には、宮城県か仙台市の条例指定はいかがだろうか。おそらく、県と市では比較的類似した基準を用意して、条例指定をされることになる。その場合に宮城らしさ、仙台らしさをどう出していくのかが課題になりそうである。法律の趣旨を受けて、地域の特性を生かした地域住民のための活動を積極的に指定し認定NPO法人になっていく、そんな基準づくりが望まれている。例えば、過疎の小規模な集落で地域づくりに也福祉の活動を行うNPOにとっては、人口が少ないところで寄付者を募ることが難しいとしても、地域福祉の活動内容から判断されるという、もう一つの機会が生まれることになる。


さて、せんだい・みやぎNPOセンターでは、この条例指定の基準について、勉強会を始めている。その成果を、勉強会として宮城県や仙台市に提案したいと考えてのことである。NPOが自分たちの指定基準について考え提案することが重要である。NPOが自分自身から声をあげないでいては、仙台・宮城、さらに東北に寄付の文化が花開き、市民活動が活発になることは望めまい。法律論争よりも寄付をするに値するNPOとはどのような条件なのか、その基準づくりに、多くの方々のご参加と議論をいただきたいと考えている。



東北の復興と「次の大規模災害」に備えた取り組みのこれから(代表理事 紅邑晶子) [2012年04月03日(Tue)]


東北の復興と「次の大規模災害」に備えた取り組みのこれから

代表理事 紅邑晶子(べにむらあきこ)

●地域を支える人材育成が急務

 いま、被災地のNPO/NGOの人たちの間で口をついて出る言葉は、「誰か
いい人いない?」。人材がいない。お金よりも人がいない。即戦力となる人。
2歩も3歩も先を見越して復興に向けて絵を描ける人。企画書を書ける人が
いない。人と人をつなぐ人がいない。絵が描ければ、お金も付いてくるけれど、
お金があってもそれを動かして行くコーディネーターがいない。そして1年が
過ぎて、震災後に絵が描いていた人も、けん引してきた人も、かなり疲れが
出てきた。これは、復興に向けて次なる動きを加速したいタイミングでつらい
ところだ。

一方で、こういった被災地の現状を見て、これまで首都圏やインターナショ
ナルな現場で活動していたコンサルタントと呼ばれる人たちが、続々と被災
地3県に入り込んでいる。行政が描けないビジョンをてんでバラバラに持ち
込んでは、プレゼンして、復興に向けての事業を展開しようとしている。
そこで思うのは、この先10年、20年後もこの人たちはここで生活している
のだろうか?未来の東北を私たちと一緒に作る覚悟はあるのだろうかと。


 先日、復興庁から各市町村に第1回目の復興交付金の配分額が示された。
これをもとに、各自治体が復興計画を実施していくことになるわけだけれど、
すでに出ている復興計画がどれだけ熟考されたものであるか、市民がどれ
ほど参画して作られている計画であるかというと、ほとんどNPO/NGOが関
わっての計画というものが見受けられない。東北の復興を考えるならば、
福島原発の事故あるいは沖縄の基地問題が市民参画ということをないがし
ろにした政策によりもたらされたものであるという事実を踏まえて、今回の復
興計画には市民参画の機会を十分に作ることが必要である。なによりも、被
災者・市民との対話を丁寧に時間をかけて行う国づくりがいまの東北の復興
には必要だと思う。東北の課題は、日本の国の首都圏を除く地方の市町村
における共通課題である。少子高齢化、第1次産業の担い手不足、経済活
動の停滞。この課題解決をするには、その地域にもともとある資源を生かす
知恵が必要であり、その底力になるのはそこに住む市民だ。


●防災・防犯につながる、市民参加のまちづくり
 被災した地域の一つ、宮城野区岡田地区ではそれまで地域であまり活発
な活動をしていなかった若者たちが大人と一緒になって、震災後、岡田地
区の復興に向けて未来の岡田地区をつくる取り組みにチャレンジしている。
岡田地区で育った若者、この地域に長年住んでいる年配の方々、そして復
興に向けて応援したいと駆けつけたNPOが一緒になって、まちづくりに取り組
んでいる。このような取り組みは、被災地のコミュニティのあちこちで展開し
ている。
人の気持ちを脇に置いて白地図にプランを書き込むというまちづくりではなく、
その街に住んでいる人、土地の歴史や文化、街のシンボルとこのたびの震災
で受けたダメージを重ね合わせて、多様な世代の声を反映した住民参加によ
る街づくりが、愛着のある街をつくる。それこそがこれからの地域の在り方だ
と思う。このような市民参加でまちの在り方について話し合うことが日常化し
ていれば、それは防災にもつながり、防犯にもつながる。市民の多くが自分
が住む町のことをよく知り、愛着を持つことで、少しでも日常と違う違和感を感
じた時に、住民たちがどのように対処すればよいかを共通認識していれば、
災害時も速やかに対処できるはずだ。


●災害時に備えた、広域連携の必要性
 もうひとつ、大規模災害に向けての対策としては、広域連携の必要性を
実感している。岩手県遠野市は、三陸沿岸で津波被害が起きた際に後方
支援拠点として機能するといった役割を震災が起きる前から準備していたと
いう。日本は、まさに地震が起きるプレートの上にある国だ。いつどこで、今回
のような災害が起きてもおかしくない。その際に、エネルギーや食糧の供給、
被災地を支える拠点となる先を平常時に見据えて、準備を怠らないことが求め
られる。場合によっては、国内に限らない国際的な連携も必要と考える。東京
に本部を持つあるNGOは、首都直下型地震に備えて、それを支える拠点を東
北におくことで準備を進めているとのこと。当センターでは昨年8月より「みやぎ
連携復興センター」として、岩手・福島の2つの連携復興センターと月1回の合
同会議を実施、震災復興関連の情報交換を行っている。3月11日には「いわて・
みやぎ・ふくしま 3県連携復興センター共同宣言」を発表した。

このような関係づくりの中から、災害時に何を提供できるか、人・物・金・
情報といった連携の在り方について、団体間で話し合い準備をしておく必要が
あると痛感した。震災から1年たったところで、各機関や団体から今回の震災
を振り返っての報告書やデータが出そろってくると思う。それを生かして、大規
模災害を見越した団体間の連携について、地域を超え、セクターを超えて検討
する機会をつくっていきたいと思っている。

いわて・みやぎ・ふくしま
3県連携復興センター共同宣言


*本原稿は、つなプロ報告書より転載した原稿に加筆したものです。
復旧から本格復興へモード転換する市民活動 −震災から1年を迎えて[2012年03月06日(Tue)]

復旧から本格復興へモード転換する市民活動
―震災から1年を迎えて

代表理事 大滝 精一

 復興予算18兆円がほぼ確定し、2月10日には復興庁・復興局が設置されるなど、復興元年にふさわしい本格的復興がようやく始まろうとしている。沿岸部の被災した市町では既に最大で2割近くの人口減少が生じているなど、本格復興への道のりは決して平坦なものではないが、遅ればせながらも復興の緒にたどり着けたことは喜ばしい限りである。


 復旧から本格復興への転換に伴い、市民活動の姿も徐々に変化を遂げつつある。震災直後にジャパン・プラットフォーム(JPF)、仙台青年会議所、パーソナルサポートセンター(PSC)、つなプロの4団体が連携して結成された「みやぎ連携復興センター(れんぷく)」は、支援したい団体と宮城県のNPO・市民活動団体をつなぎ、各団体の専門性を生かし、被災地を支援することを目的としているが、結成当初の復旧のためのヒト、モノ、カネの直接支援から、現在は復旧・復興の進展に伴い、団体間コーディネーションはもとより、地域連携、被災地の見守りやフォローアップ、さらにはまちづくり、人材育成、仕事づくりへと活動の幅を広げつつある。れんぷくの活動は、「つなぐ」「育てる」「調べる」の三本柱からなっているが、「つなぐ」仕事としては、仮設団地自治会長の連携と自治の学び合い、社協の「見守り隊」支援、「次の家」「次の仕事」を先取りした勉強会や生きがい仕事の創出を進めている。また「育てる」仕事としては、市民活動塾、プロジェクト塾、創業塾などの被災地での雇用創出の担い手を育てる塾系事業に注力している。さらに「調べる」仕事では、仮設周辺環境調査に取り組みつつ、さらに在宅やみなし仮設の周辺調査へ活動を広げようとしている。


 6月に一般財団法人としてスタートした「地域創造基金みやぎ(さなぶりファンド)」も昨年10月より被災地への本格的資金助成を開始した。この基金は、復興を推進するため既存の金融機関ではカバーできないコミュニティ支援およびソーシャルビジネス/コミュニティビジネス支援の新しい資金の循環をつくることを目的に設立されたものであり、使途指定寄付などを通じた支援者と受益者の顔が見える支援、透明性の高い支援の実現を目指している。既にセーブ・ザ・チルドレン・ジャパン、英国ジャパンソサエティ、日本国際交流センター等から数億円近い資金を集め、「子ども育みファンド」「ローズファンド」などの名称で1件当り30万円から200万円位の資金助成を、寄付提供者からの意向も踏まえて実施している。今後は一般財団法人から公益財団法人へと移行するとともに、全国に存在するいわゆるNPOバンクなどとも勉強会を開催しながら、現在はまだ行っていない融資にも取組み、コミュニティ基金/ソーシャルビジネス基金としての内容の充実と活動の拡大を目指している。


 平成24年度からは、震災後の被災地において社会のイノベーションを自らの手と行動で生み出し、東北を再生し、日本の新しい未来を東北の地から造り出さんとする挑戦者を育成し支援することを目的とする「東北未来創造イニシアティブ」も本格始動する。これは東北大学経済学研究科地域イノベーション研究センターと東北ニュービジネス協議会が中心となり、岩手、宮城、福島の被災地の現場で地域を支える団体や組織と協働しながら、人材育成、事業創造メンタリング、クロスセクターでの協働を展開するものである。具体的には統括運営事務局を仙台の東北ニュービジネス協議会内に置き、気仙沼(ネットワークオレンジ)、石巻(石巻専修大学)、北上/釜石(いわて連携復興センター)、仙台(せんだい・みやぎNPOセンター)福島(立教大学・ふくしま連携復興センター)(かっこ内は各サテライトの中核事業者)の5つのサテライトおよび東京サテライト(ISL社会イノベーションセンター/クレアン)が連携して事業を実施する。起業支援の内容としては、ビジョン・ミッションの策定、定款作成、経理、情報技術等の支援といった一般的内容に加えて、起業・経営の経験者、経営プロフェッショナルによる伴走(コーチングやメンタリング)を行うことを特徴としている。この点では特に東京サテライトとの連携を重視するとともに、定期的に東北大学の片平キャンパスに各サテライトより個人を集め、起業の進捗状況を相互に共有するとともに、相互触発と切磋琢磨の場を提供し、セクターを横断したNPO、企業、大学、行政の支援連携を実現することを目指している。


 以上のように、震災から1年を経過することを契機として、復興支援の市民活動のあり方も大きく変化を遂げようとしている。復興のフェーズが、生活支援、雇用創出、そして産業再生へと徐々に移行していくにつれて、復興支援のあり方や組織も柔軟に変化していくことが求められている。しかし、その主眼は本当に地域コミュニティで必要とされているものが何かを、そこに暮らす住民の視点から丹念に追いかけていくものでなければならないことは言うまでもない。



「大震災を超えて」理事:風見正三[2012年02月07日(Tue)]

大震災を超えて 
 〜 2012年を迎えて試練の年から希望の年へ 

激動の2011年が過ぎ去り、2012年が到来して
早くも1カ月が立ちました。先日は節分を迎えて、
今年が希望にあふれた年になるように、祈りを
こめて、豆まきをした会社やご家庭も多かった
ことでしょう。今年は、2011の激動を過去のもの
とせず、日本をより良い姿に変えていくための具
体的な行動を起こす年としなければなりません。

「一隅を照らす」という言葉がありますが、それぞ
れの置かれている場所や立場でベストを尽くし、
その場を照らしていく、そんな生き方ができれば
と思います。

自分がまず身の周りを照らせば、その周囲は明
るく光り、その光は伝搬し、やがて、身近な地域
から社会全体に光がひろがっていく。そうして集
まった小さな光がつながり、日本や世界を照らす
大きな力になり、やがては、地球全体を照らす。

それが、「一隅を照らす」ということです。

それでも、大震災後の困難な社会経済状況や政
治状況を見れば、不安な気持ちも募ってきます。
しかし、社会の変革は、やはり、市民、ひとりひと
りの意識の改革とそれに基づく志の連鎖と行動か
ら生まれていくと信じています。

私も微力ながら、東北復興の活動に関与させて
頂いておりますが、様々な希望が見えてきてい
ます。

あの大震災を振り返ると、本当にあの衝撃と悲し
みが蘇ります。多くの方が大震災によってその生
活や環境を激変させられました。

私も、2008年に宮城大学に着任した頃は、まさか、
このようなことが起きようとは思ってもいませんで
したが、大好きな東北に来て、コミュニティビジネ
スの普及に地域を回っていた自分にとって、この
ような歴史的な大震災に遭遇し、東北の復興に
携わることになった事は、まさに、自分の大いな
る運命と受け止め、多くの方と手を合わせて全力
で支援活動を進めてきました。

震災によって、東北は世界中から尊敬を受けまし
たが、私は、その本質は、コミュニティの強さに起
因していると考えています。

東北を支えてきたコミュニティの強さを次世代に継
承し、豊かな自然に育まれた歴史と文化の里、東
北を再生していければと願っています。

昨年、多くの市町村で復興計画が策定されてきま
した。しかし、その実行はこれからです。
まずは、地域の人々が希望を持てる計画を推進し
ていかねばなりません。

地域の人々の気持ちにつながる計画
地域の人々の笑顔につながる計画
地域の人々の誇りにつながる計画

そんな計画を実行できるよう、みんなで力をあわせ
ていかねばなりません。

昨年ほど、「絆」という言葉が大切に思えた年はあ
りません。その想いを今年につないで、多くの人々
にとって、希望が灯る年になるように祈りながら、
復興プロジェクトに携わってきました。

南三陸町の震災復興計画も動きだしてきています。
しかし、これからは、その実践の仕組みづくりが大
きな課題となっています。住民と共に紡いだシンボ
ルプロジェクトを是非実現していきたいと思います。
アミタの協力も得て少しづつエコタウンの実現に尽
力できればと思っています。


南三陸町:震災復興町民会議関連HP

南三陸町震災復興町民会議(議事録:1~5回
(上記のHPに各回の報告が掲載されています)


亘理町では、被災地の元気づくりのために菜の花
を植えるイベントを学生とともに進めることができま
した。マイファームの西辻さんやふるさとファームの
田澤さん、地元の市民やNPOの方々、地域起業
家や宮城大学をはじめ多くの東北の学生が力をあ
わせて動き出しています。春には、菜の花の咲く
頃にまた農地再生に向けたイベントも企画していま
す。


菜の花プロジェクト・種まき
http://furusatomura.com/kensyokubi-life/2011/11/post-21.html
http://www.myfarm.co.jp/common/pdf/happy-yellow.pdf


東松島市では、震災後、C.W.ニコル氏のご協
力で長野県黒姫のアファンの森に被災地の子供
たちをご招待するプロジェクトが実現しました。震
災で傷ついた心を癒し、生きる力を再生して頂くた
め、幽霊森を再生したアファンの森の力を体験し
て頂ました。


アファンの森:震災復興プロジェクト

C.W.ニコル・アファンの森財団



そして、そのつながりが東松島の新たな力になり
つつあります。アファンの森で養ったたくましい生
きる力で東北の森を再生し、元気な地域を創って
いくプロジェクトが始動しつつあります。東松島市
の失われた学校を、ニコル氏の協力の下、地元
の地域資源を活かして、森の学校として再生する、
「森の学校」プロジェクトも始動しています。今、
ニコル氏が長野県黒姫のアファンの森で実践し
てきた森林再生のノウハウを東北に広げていくた
めに多くの仲間がつながろうとしています。東北
に、世界に誇れる新しい教育の場を創造していき
たいと思っています。







大崎市では、絵本作家の葉祥明氏も加わって、
蕪栗沼のふゆみず田んぼの応援プロジェクトが
動きだしています。

蕪栗沼ふゆみすたんぼプロジェクト

ロハスの提唱者である大和田さんや映像専門家
の上田さん、ふゆみず田んぼを進める岩淵さんや
地元の農家の皆さん、応援団の方々、たくさんの
仲間がつながって、マガンが降り立つ、この大い
なる東北の自然を全国に情報発信していく活動が
スタートしています。

ふゆみずたんぼのノウハウは塩害にあった田んぼ
を再生するためにも生かされようとしています。南
三陸町等の津波の被害にあった市町村にその活
動は展開しています。

ソーシャル投資のプラットフォームづくりも進めてい
ます。現在、いくつかの被災企業への具体的支援
が始まろうとしています。

その他、たくさんの被災地を元気にするソーシャル
ビジネス、コミュニティビジネスも始まっています。

1月13日に六本木のアカデミーヒルズで「東北復興
緊急ギャザリング」が行われました。東北復興への
様々なチャレンジをしてきた11か月、その節目として、
SBNが中心となって東北復興緊急ギャザリングが
開催されました。アミタの熊野会長のコーディネータ
ーで、大地を守る会の藤田さんや陸前高田の副市長、
文化人類学者者の辻信一教授、ブータンのアドバイ
ザーをしていた御手洗さん、八木澤商店の河野さん
など、東北復興に向けた方針を語りあいました。

私からは、地域が主体的に未来を勝ち取るためのコ
ミュニティの再構築の重要性と市民セクターが復興ま
ちづくり事業に主体的に参加する重要性を語りました。
その後は、糸井重里さんの白熱教室も開かれ、とて
も熱い議論が展開されました。糸井さんはとてもナチ
ュラルな方で自分の言葉で語られる素晴らしい方で
した。辻さんとの出会いも感動的でした。シューマッハ
―やイリイチを原点とする学問や行動の変遷に深い
共有感を持ちました。

新たな日本を創るための示唆に富む一日でした。100
名程度の収容があったのですが、会場はすぐ満杯で
キャンセル待ちだったそうです。Ustが公開されてい
ますので、是非、ご覧下さい。つながりを再構築する
ことが希望を生んでいく、そう実感した一日でした。

東北復興緊急ギャザリング


東北再生は、まさに、これからが正念場です。2011
年は、日本にとって大きな試練の年でした。しかし、
この経験を決して無駄にせず、それらを噛みしめて、
今年こそ、持続可能な地域づくりを再構築するため
のスタートの年としなければなりません。

共に美しい志の絆を築いていきましょう。

今年は、被災地の人々や被災地を支えてくれた、
全国、全世界の人々に、真の幸せな社会が到来す
るよう、それぞれの立場から「一隅を照らす」想いで、
復興に尽力していきたいと思います。

今、我々にできることは、自らの力を信じて、できる
ことを確実に実行していく、それをみんなで伝えて共
有し、全国に、世界に広げていくことです。

是非、一隅を照らす人になりましょう。
政治、経済、社会を変えていくために。

自らの力を信じて、未来の子供達に誇れる美しい日本
を残していけるように、 変革を信じて行動を起こして
いきましょう。


2012年2月1日

風見正三(かざみ しょうぞう)
せんだい・みやぎNPOセンター理事
宮城大学事業構想学部事業計画学科教授
地域連携センター副センター長 
博士(工学)







研究室HP http://www.myu.ac.jp/~kazami/
ブログ http://shozokazami.jugem.jp/
Twitter http://twitter.com/KazamiShozo
Facebook http://www.facebook.com/KazamiShozo
| 次へ
最新コメント
月別アーカイブ