復興の担い手づくり 〜若者がもがける街、仙台・宮城をつくる〜[2011年12月06日(Tue)]
復興の担い手づくり
〜若者がもがける街、仙台・宮城をつくる〜
理事 渡辺一馬
「自分みたいな素人でも役に立てるんですか?」
被災地への学生ボランティアを募るために、仙台市内の
大学を行脚していた時、何度も学生から聞かれました。
現地に行って、寄り添って、にこにこして、話をする。
それだけでも避難所の雰囲気が変わった。
熱気。学生が思いつきでやったプロジェクトが喜ばれる。
学生がやるなら手伝おうかというムードがある。そして、
貢献が求められている場が山とある。
「いま、ここでは、できる」。
町も流され、産業もここからつくらなきゃいけない。
南北500kmのエリアから何もなくなってしまった。
みんなであつまり、この町をどうするか考えないといけない。
だから、みんな、「どうにかしないといけない」という空気に
なっていて、だから、被災地では何も気にせず、やれるんだ。
あの震災の後、若者が自分たちの存在意義を見いだし、
活動を続けています。私はその若者に機会を与えることや
支援することを通じて、彼らのまなざしを高め、この地を復
興する担い手になって欲しいと活動してます。
こんなことを言う僕は、もともといじめられっ子でした。
朝がこなければいいのに、とずっと現実逃避をしていたこと
を憶えています。
そんな9歳の時にテレビである映像を見ました。
チャンネルを回すと、片方ではアフリカの貧しい子供たちが、
もう一方では裕福な家庭でのアメリカのクリスマスが映って
いた。
アフリカの子たちはご飯も食べれない。
お父さんもお母さんもいない。
彼らのまわりにはハエがたかっている。
目にのぞみがない。
泣く力すら残っていない。
まばたきすらできない。
もう一方のアメリカの子たち。
楽しそうににこにこしている。
何も疑うことなく生きていける。
いじめる側の子たちをふと連想しました。
そこから「泣く子の多い世の中じゃなくて、笑っている子が
多いといいな」と思い始めました。いじめる側の子たちも、
いじめられる側の子たちも、金持ちでも、金がなくても。
みんな幸せになれば。
9歳でたててしまった夢「世界中の子どもたちを笑わせたい」。
9歳がこの夢を叶えるために選んだ職業は「アメリカ大統領」。
日本人ではなれないのに。
中学でいじめはなくなり、日々が楽しくなりました。
夢は薄ぼんやりとは持っていたけどそのための活動はせず、
何となく、大学に行くかなと。
そんな気持ちだから、受験失敗。
一浪し、新設の宮城大学へ。
宮城大学は私達が初めての学生でした。
だから、先輩がいないので、サークル活動をしたければ、
自分たち自身でサークルをつくるところから。
サークルをつくって、大学の事務局に部室を借してくれと
訪ねたら「前例がない」と断られる。
そんな時に、当時の野田学長が一言くれました。
「自分たちで問題解決してみなさい。
それが高等教育を受ける者の義務だ」。
その活動がデュナミスという会社につながりました。
5年ほど前、結婚を機に、あらためて自分の夢を思い出す。
「世界中の子どもたちを笑わせたい」。
そのために、世界を変える人材を数多く生み出したい。
だから、仙台でインターンシップ事業を始めました。
若者自身が、外に対して何かをやることが、結果として彼
らの満足や成長につながる。
年間数十人もの学生が新しい挑戦を始めて、自分で何か
やろうとうごきはじめて行きました。
そして、この震災。
まだまだ、復興という段階に差し掛かったばかりですが、
若者たち(私自身も)は「問題解決」のための挑戦をはじめ
ています。その挑戦を支援して、復興を加速させると共に、
この仙台・宮城が若者が成長できる土壌へと変えていきたい。
復興のため、先行する社会的課題に取り組むリーダーの
元で、次の課題を見出す若者を育てる。
地元大学と連携してボランティアのコーディネートを行うと共
に、これまで行ってきたインターンシップの手法を用いた、
より高度な若者育成プログラムも充実させていく予定です。
8月にお亡くなりになった加藤哲夫さんも「これからはニーズ
が見えなくなってくる。そのニーズを見つけられる若者をどう
やって育てられるかが鍵だ」と言っていました。
来年の3月11日が本当のスタート。外部からの支援が減って
きても、若者が地域と共に問題解決をしていく。そのコーディ
ネートをするため、デュナミスの代表を辞め、新しい団体「一
般社団法人ワカツク」をつくって走り始めました。
来年の1月11日には、具体的にどんなことを行うのか発表し
たいと思っています。
皆さんお力も貸していただければ幸いです。

