• もっと見る

2022年09月19日

とても大切な大きなもの


Sakamoto02.jpg
Aさんのお母さんは、真剣にAさんの今後の住まいを探している。住まいは、住み慣れた家の近くを望んでいる。

そしてもうひとつ、あるものも、Aさんと一緒に暮らせることを望んでいる。
それは、Aさんが作りためた紙飛行機だったり、描きためた絵だったりする。

あるAさんの部屋には、天井に無数の紙飛行機が吊られている。また、別のAさんの部屋には、大きなタンスに絵がぎっしり入っている。タンスの中の絵は、整然と並べられている。天井の紙飛行機は、同じ向きに整然と並んでいる。Aさんたちが、自分で並べている。
私が、その一つを指さすと、Aさんは即座に「〇月〇日!」と答える。日にちを記憶しているのだ。私たちは、思い出を脳の中にしまっておける。Aさんたちは、その日の思い出を、紙飛行機や絵にしているのかもしれない。
Aさんのお母さんたちは、無数の紙飛行機や大きなタンスにぎっしり並んだ絵のすべてが、Aさんにとって、どれだけ大切なのかを知っている。

一方で、今ある施設やグループホームは、段ボール5箱まで、とか私物の持ち込み制限が多い。

Aさんにとって、段ボール一箱に入るだけの、紙飛行機や絵を選んで、ここから移りましょう、という話ではないのだ。Aさんのお母さんたちは、そのことをよく知っている。

posted by kuniko_sakamoto at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | できごと

50年前は何もなかった


Sakamoto02.jpg
練馬区の相談支援事業所アルクポルクには、ご高齢の区民の相談も多い。
まったく何もサービスがなかった時代のお話を伺い、考えさせられます。

【80代のあるお母さんのお話】
保健所の乳幼児健診で、子供のAさんの発達の遅れを指摘された。50年前の練馬区には何もなかった。保健師さんの勧めで、家族会に参加した。
家族会で情報交換したり、勉強会を開いてきた。「手をつなぐ親の会」に参加して、都庁に要望を出しに行ったこともある。
自分の子供の学校や療育は、親が障害福祉課に行って、担当者と交渉した。担当者が代わるたびに、子供のことを知ってもらうため、挨拶に行った。この前まで、挨拶に行っていたけど、もう足腰が弱くなって、バスを乗り継いで役所まで行くのがきつい。
昔は、学校を卒業したあと、行くところがなかった。今は、作業所やセンターが少しずつできて、よかった。

今のAさんは、家の近くの作業所に毎日通っています。

posted by kuniko_sakamoto at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | できごと

【地域連携のコツ】受講しました


Sakamoto02.jpg
8月30日に練馬区研修センターで、40年間練馬区の保健師として活動されている林さんのお話を聴きました。

【40年前まで何もなかった】
練馬区は、40年前まで障害福祉サービス(地域資源)は何もなかった。
当事者と区民が、勉強会を重ね、行政に働きかけ、他の区民の理解を広げていきながら、作業所や活動支援センターを、一つ一つ作ってきた。
現在の練馬区には、精神障害の地域活動支援センター二つ、知的・身体・難病の地域活動支援センター二つ、相談支援事業所、就労支援事業所、作業所とグループホームはいくつもある。

【すでにある地域資源の中で考えない】
地域資源は今も発展途上。資源を利用できない市民にいつも目を向けて、すでにある資源を発展させていく。例えば、引きこもりや強度行動障害の人と家族、が利用できる資源はまだとても少ない。

【場所建物を作ることが一番の目的ではない】
市民一人一人が地域資源、の意識を持つ。

【連携のコツは三つ】
・自分の役割・やっていることを連携相手に伝える。
・連携相手の役割・やっていることを知る努力をする。
・一人で抱え込まない、引き受けない。連携相手にも考えてもらう。

私は、自分の役割に「ご本人・家族を代弁する」ことが含まれると考えています。

posted by kuniko_sakamoto at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 報告