やっぱりまとまりませんでした[
2015年02月01日(Sun)]
(今日のブログはまとまらない自信がある。でも書かずにはいられない)
シリアでの日本人人質がお二人とも殺害されるという結果になった…というニュースからはじまった日曜日。犠牲になったお二人に心から哀悼の意をささげたいと思います。
一日、ぐるぐると言葉を探し、ふわふわと落ち着かない気持ちを抱えつつ。
とはいえ、自分自身の日常は流れていきます。数日遅れの誕生日を子どもたちの手づくりケーキで祝ってもらったり、息子の友人がピアニストとしてピアノコンチェルトを披露するというので、セントレアで開かれた空港音楽祭に行ったりと、まぁ楽しく過ごしたわけです。
でも、この日常と、彼の地で起こっていることは、やっぱりどこか地続きで。
2004年のイラク人質事件の時の、あの「自己責任」という言説がもわもわーっと世間に沸いてきたときの違和感と怖さは、皮膚感覚として覚えています。今回はどうなんだろうと思っていましたが、もうすでに自己責任論は沸くというよりは、すでに「そこにある」ものになっていた気がしました。
犠牲になった方々やそのご家族へのあまりにも心無いコメントも数多く目にして、やるせない気持ちになったけれど、でもそれ以上にどうしよう、と思ってしまうのは、そのこ心無い言葉を吐いている人々も、そしてISILも、なんだか重なって見えてしまうこと。
そのどちらも、どこかのおかしな人、というわけではなくて、日々を何とか一生懸命生きていて、でも、支えあうとか包摂されるということが信じられずに、居場所と役割を必死で探している人ではないのだろうかと思えてしまうこと。
そして、何かにイラっとしたり、誰かを責めたり、一気に何かをどうこうしたいと思ってしまったりすることのある自分の中にも、それにつながるものがあるっていうこと。
今日のNHKスペシャルでISILの勧誘の場面をやっていたけれど、社会的排除を受けている人たちの不満を吸収する形で急速に広がっていったことを伝えていて。
あぁ、やっぱりまとまらない。
でも、自分にできることを粛々とやっていくしかない。まずは自分自身を支えること。そして、出会う人や出来事に真摯に向き合うこと。
未来へのベクトルをほんの少しでも最悪を回避する方向に変えられるように。
シリアでの日本人人質がお二人とも殺害されるという結果になった…というニュースからはじまった日曜日。犠牲になったお二人に心から哀悼の意をささげたいと思います。
一日、ぐるぐると言葉を探し、ふわふわと落ち着かない気持ちを抱えつつ。
とはいえ、自分自身の日常は流れていきます。数日遅れの誕生日を子どもたちの手づくりケーキで祝ってもらったり、息子の友人がピアニストとしてピアノコンチェルトを披露するというので、セントレアで開かれた空港音楽祭に行ったりと、まぁ楽しく過ごしたわけです。
でも、この日常と、彼の地で起こっていることは、やっぱりどこか地続きで。
2004年のイラク人質事件の時の、あの「自己責任」という言説がもわもわーっと世間に沸いてきたときの違和感と怖さは、皮膚感覚として覚えています。今回はどうなんだろうと思っていましたが、もうすでに自己責任論は沸くというよりは、すでに「そこにある」ものになっていた気がしました。
犠牲になった方々やそのご家族へのあまりにも心無いコメントも数多く目にして、やるせない気持ちになったけれど、でもそれ以上にどうしよう、と思ってしまうのは、そのこ心無い言葉を吐いている人々も、そしてISILも、なんだか重なって見えてしまうこと。
そのどちらも、どこかのおかしな人、というわけではなくて、日々を何とか一生懸命生きていて、でも、支えあうとか包摂されるということが信じられずに、居場所と役割を必死で探している人ではないのだろうかと思えてしまうこと。
そして、何かにイラっとしたり、誰かを責めたり、一気に何かをどうこうしたいと思ってしまったりすることのある自分の中にも、それにつながるものがあるっていうこと。
今日のNHKスペシャルでISILの勧誘の場面をやっていたけれど、社会的排除を受けている人たちの不満を吸収する形で急速に広がっていったことを伝えていて。
あぁ、やっぱりまとまらない。
でも、自分にできることを粛々とやっていくしかない。まずは自分自身を支えること。そして、出会う人や出来事に真摯に向き合うこと。
未来へのベクトルをほんの少しでも最悪を回避する方向に変えられるように。